否定してはならないその人の実現形
他人との違いを認められなくなってしまった現代剣道
剣理をどう体得しているかが、その人の現時点での実現形(じつげんけい)に表れます。礼法、構え、足さばき、打突、残心、そして理合。そのすべてにはっきりと浮き出てしまうのが剣道。
ウソはつけませんし、取り繕うこともできない。だから心を開いて謙虚に今の自分をさらけ出すしかない。何年キャリアがあっても、段位が何段であっても、たとえ高段者であってもです。
その不断の稽古によって、人間形成の道が開かれていくのが武道としての剣道。スポーツのように年齢が来たから現役引退、あとは高みの見物でご意見番に、なんてことにはならない。戦国武士たちに現役引退などあるわけありませんからね。いざという時は、すべてを捨てて抜刀しなければならなかったわけですから。
その武道としての剣道が、スポーツ化している側面を持っていることを、危惧している人は多いと思います。(剣道のスポーツ化に関する投稿は、
こちら)
その一つとして、画一化ということがある。他者との違いを認められない風潮のことです。
実現形の違いは戦国期に剣術の「流派」として現れた
室町末期から戦国期にかけて、剣術には流儀(流派)が生まれます。新当流(神道流)、念流、陰流(これを剣術の三大源流と言います)に始まり、その後に登場する新陰流がその概念を確固たるものにします。
さらにその後、一刀流流祖の伊藤一刀斎、二天一流流祖の宮本武蔵、示現流流祖の東郷重位らが、流儀(流派)の概念を先鋭化させていきます。
これらの異なる流儀(流派)は刀身一如を原則としていて、体現している理の部分は一致していました。しかし、理に対するアプローチの仕方が異なるという点において、実現形にはっきりとした違いが表れていたのです。それは、各流儀に伝わる形(かた)を見れば明らかです。
アプローチが違っていても到達した剣理は同じであったため、明治期に「剣道」として諸流派を統合することができたのだと言えるでしょう。(「刀身一如」については
こちらをご参照ください)
剣道家にも「流派」があった時代
私が剣道を始めた昭和40年代は、元に立っている先生方は、皆さん大正生まれ。例外なく古流のいずれかの流派に属している方々でした。そのためお一人お一人の剣風はまったく違うものでした。(その当時の様子は、
こちら)
教え方も様々で、各流派ごとに特徴がありましたね。しかし、言わんとする理は同じ。ここが剣道の魅力であり、神髄なんです。
そういった流派の違いを超えて、一堂に会して稽古し、教え教えられるのが剣道だった。
見た目や剣風の違いにとらわれることなく、根底にある理をつかもうとしていたあの時代。今とは比べものにならないくらい道場に活気がありました。
画一化して、一見するときれいにまとまっているように見える現在の方が、いろいろな意味で雑になっていますね。礼儀をおろそかにしている人が多いし、体現できなくなってしまった理合や刀法もあります。そのことに現代の剣道家が気づいていないことは問題です。
現代の剣道指導者たちは、剣道を非常に狭い枠の中に押し込めていることを自覚しなければなりません。このまま画一化が進んでいけば、剣道においては「自然体」という言葉は死語になります。奇矯な動作を訓練して身につける、一部のアスリートのためのスポーツと化していくことになるのではないかと危惧しています。(「剣道のスポーツ化」については、
こちらをご参照ください)
身体的理由としての差異
話はちょっとそれましたが、一人ひとりの実現形が異なる理由として、骨格や筋肉のつき方の違いということがあります。
以前、解剖学がご専門の医師が書かれた記事を読んだときに、ちょっと驚いたことがあるのです。骨格は、体の大きさや身長の高低がありますから、違いがあるのはわかります。筋肉は、鍛えられたものとそうでないものが違うのは明らかです。しかし違いはもう一つあって、それは筋肉がついている場所なのだそうです。
筋肉は腱で骨とつながっています。その腱で骨とつながっている場所が、一人ひとり違うそうなのです。それも、ちょっとずれているというものではないそうで、驚くほど離れている場所についている場合があるそうです。
それだけ違う場所に腱がつながっていれば、物理的に全く同じ動作をすることは不可能なのだそうです。
野球のピッチャーを例に挙げると、昭和の時代まではサイドスローやアンダースローのピッチャーが活躍していたことをご存知の方も多いのではないでしょか。これも、それぞれの部位についている筋肉の腱の位置が違うため、最も速くキレのある球が投げられるフォームが、人によって違うというわけです。
現在は、ほとんどのピッチャーがオーバースロースタイルですね。もともとオーバースローに適した位置に筋肉がついている人には良いわけです。そうでない人は、ピッチャーとしては淘汰されてしまう。サイドスローやアンダースローという選択肢が事実上ほぼ閉ざされているからですね。
このように、変更不可能な身体的理由で、全ての人が同じ動作ができるわけではないのです。
感覚的理由としての差異
指導者によって教え方が違うということはよくありますね。これは、前述した剣術諸流派のようにアプローチの仕方が違うだけで、伝えようとしている理は同じであれば問題ありません。
一つひとつの動作の意味のとらえ方、解釈の仕方は、皆が全く同じわけではありませんね。人それぞれ微妙に違う。それが指導にもはっきり表れます。
また、指導を受ける側も、受け取り方が完全には一致しないのは言うまでもありません。人それぞれの解釈は違う。同じ段位でも剣道のとらえ方の深さは異なるのです。
自分と同じようにとらえている人は、自分しかいないということですね。
そういった感覚的な要因でも実現形に違いが表れます。
現代剣道においても剣風に違いがあって然るべき
このように剣道を理解する深さが、他人と100%一致することはあり得ないことですが、それを自分と同じように理解させようと言葉で諭そうとするあまり、相手を全否定してしまう高段者がいることも困ったものです。
人それぞれの実現形が"正しい"と言っているではありません。他人の今現在の実現形を尊重し、さらに上達することができる稽古をしてあげることが大切なのです。
必要なのはお互いに理を追究する謙虚さであって、現段階の実現形の違いを否定することではないのです。
理の追究の機会を閉ざされてしまう人がいる
剣道を画一化平均化しようとすることによって、結果的に他人との比較に終わるようなことになっている気がします。相対評価なんですね。これは評価する側もされる側も相対評価が基準になっている。
評価する側(指導者)がそうなるのは絶対評価をする能力がないからです。自分とは違う剣風にとらわれて、理の体現を認識できない。認識できていたとしても、剣風の違いをことさらに問題視する方は多いですね。
一方、評価される側にはさらに深刻な問題が表れます。指導者が相対的基準で指導しますから、指導を受ける側も自己評価を相対的基準で行なう癖がつきます。
他人ができて自分ができない動作や技、試合に勝てないこと、あるいは強かった子が勝てなくなるなど、こういったことが気になり始めると、剣道をやめるきっかけになりますね。小学校の高学年あたりや、中学1年、高校1年でそういうことになってしまう人が多いのは大変残念なことです。(私の息子も剣道への情熱を失いかけた時がありました。その様子は、
こちらをご参照ください)
他人との比較で終わらないために、子供たちには理の体現という目標(喜び)とそのための稽古の意義を正しく伝えることが大事です。
剣理を教えることはできない
剣理とは体得するものであることは言うまでもありません。他人に教えることはできない。教えられるのはせいぜい剣理を体得するための稽古の仕方ぐらいではないでしょうか。あとは本人が心を開いて一心に稽古するしかない。理をつかむのは本人なのです。
ですから、他人に翻弄されないために、正しい稽古、自分に合った稽古法を見つけることは重要です。そのために、古流を学ぶことはたいへん有意義だと思います。
前述した通り、剣道とは明治期に剣術諸流派を統合してできたものですから、剣道にとって古流は“親”です。さかのぼってルーツを知れば、おのずと現在が見えてくる。剣道で当たり前のように指導されている一つ一つの動作の深い意味を知れば、稽古で得られるものが全く変わります。「古(いにしえ)を稽(かんがえる)」という稽古本来の意味を知ることになるでしょう。
理にかなった剣道を目指して
結局のところ基準は、自分の剣道が理にかなっているかどうかです。
理にかなっていることを立証する行為が、理合の体現ということになる。
それが喜びとなり、相手はその喜びの共鳴者となる。これが剣道のおもしろいところ。
例えば新陰流にあっては、勝敗は創造された運動世界の切り離せない「表裏」のようにして成り立ちます。敵手はあたかも進んでこの世界の成立に協力するかのように動かされる。敵の太刀筋が差し込む光なら、自分の太刀筋はその陰のごとくに働く。勝つことは、この光を十全ならしめる陰となることにほかなりません。
そのための実現形の次元や水準が人によって違うのは当然のこと。堂々と今の自分をさらけ出すことの何がいけないんでしょうか。
他人との実現形の違いから何かを学ばなければならないのは、それを否定している人のほうではないでしょうかねぇ。
追記
以前、ある方からこんな話を伺いました。
その方は、30代の前半で剣道六段を取得しましたが、そこから七段へはなかなか昇段できず、20年が経ってしまったそうです。その間、あちこちの八段の先生の道場に伺っては指南を受けていたそうですが、迷いの心が次第に強くなってしまった。
そのようなころ、友人に誘われて地元近くの道場に出稽古に行ったときに、稽古をお願いしたのがTNK先生。なんと、私の小学生時代の恩師。(TNK先生については、
こちらをご参照ください)
その方が迷いの中で剣道をしていることを見抜いたTNK先生に、ある言葉をかけられたそうです。その瞬間、暗闇の中でもがいていた自分に光明が差したとのこと。
そして、TNK先生のもとに通うこと一年。見事、七段に昇段できたのだそうです。20年ぶりの昇段にその方はたいへん喜んでおられました。
初対面のTNK先生にかけられた言葉は、こうだったそうです。
「〇〇さん、自分の剣道をやりなさいよ」
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