入院と同じくらい大事な期間
復職をあせって後悔
約1年かけて化学療法(抗がん剤治療)と放射線治療を終えました。PET-CT検査の結果、「癌細胞はもうどこにもありません。いつ仕事に復帰してもいいですよ」と主治医から言われた。
私も、退院したらなるべく早く職場に復帰しようと思っていました。しかし、実際は仕事に行けるような体の状態ではありませんでした。
退院後も続く抗がん剤による後遺症
- 体力・筋力の低下……8カ月間の入院生活で筋力が落ち、特に膝から下に力が入らない。階段の昇降ができない。段差が怖い。
- 思考能力・集中力の低下……脳の情報処理速度が遅くなる。視覚から入る大量の情報を処理しきれなくなり、苦痛に感じる。スマホやPC、テレビの画面を見るのがつらい。長文を読みたくなくなる。
- 足のしびれ……足の裏と、つま先がしびれる。フローリングの床を素足で歩くと、砂がまいてあるかのように感じる。感覚があまりないので、スリッパを履いたのも脱いだのも、足元を見ないと分からない。退院から1年たった今も、唯一残る後遺症。
- 皮膚が薄くなる……表皮が薄くなるので、肌が露出している部分(腕など)が家具などの硬いものにぶつかると、表皮がすぐにむける。点滴の管を押さえるテープなどを勢いよく剥がすと、皮膚まで剥がれる。日光を浴びると、表皮が薄いため、紫外線が真皮まで届いて軽いやけどのように赤くなってしまう。外出時はUVローション必携。
- 体温の調節がうまくいかない……冬場、室内でも防寒着を着ていた。カイロは欠かせない。
リハビリ
- ウォーキング……自宅周辺を歩くことを日課にした。初日は500メートルぐらいから始めて、徐々に距離を伸ばしていった。半年後には一日4キロメートル歩くようにした。現在も継続中。
- タイピング……復職準備のため脳トレが必要と考えた。PCのブラインドタッチができなかったので、これを機会にタッチタイピングソフトで練習した。最初のうちは集中力が持続しないため、一日20分間だけ。毎日続けた。これは効果絶大で、3カ月後には最新のテキストでWord、Excel、PowerPointの演習をやるようになった。そして、1年後にこのブログ開設にもつながった。
- 料理……買い物に行って→料理して→食べる これがすべてリハビリになった。一食食べるごとに体力がつくのがわかる。味覚障害は、抗がん剤治療終了から1カ月ぐらいでなくなっていた。食の有難さ、食べることの喜びを身に染みて感じた。
自宅療養中の食事と運動
白血病は白血球数が基準値以上になれば、食事も運動も制限がありません。好きなものを食べられるし、好きなだけ運動もできます。
しかし、実際にそうなるには体力が必要です。長期入院で衰えた体は抗がん剤の影響もあり、体力が戻るのにはかなり時間がかかります。ある程度のところまではすぐに戻りますが、その先がなかなか戻らない。
退院して復職し、1年がたった今も、元の体力には戻っていません。
家族の理解と協力があっての自宅療養
退院して自宅に戻り、療養とリハビリに専念できたのは、家族の理解と協力があったから。安心できる環境、これが何よりだたと思います。
我が家は、家族3人とも剣道をやっています。息子とは息子が小学校から中学卒業まで、毎週一緒に稽古をしてきました。高校生になった後も、たまには一緒に剣道ができることを楽しみにしていた矢先に白血病に。息子にも寂しい思いをさせてしまった。
妻は、剣道の強豪校に通う息子が朝練のため、毎日4時に起床して弁当を作り、息子を送り出してから仕事に行く。帰宅してからは息子の夕食のしたくをして、入院中の私のところに面会に来る。週2日は道場で小学生の剣道の指導。休日は息子の試合の帯同。月一で2日間、実家の義母の介護のために帰郷する。そんな殺人的なスケジュールを8カ月間もこなしてくれました。
妻と息子の支えがあって、つらい治療も乗り越えることができ、復職にむけてリハビリに励むことができたと思っています。
仕事の復帰はあせるべからず
復職したのは退院して4カ月後のこと。会社に迷惑をかけたくない、という一心から、早めに復帰しました。
しかしこれが、数カ月後、後悔することになったのです。