2019年3月5日火曜日

白血病の治療~私の場合~⑪ 8カ月間の化学療法(抗がん剤治療)終了そして退院

退院してもまだゴールではない


 2017(平成29)年12月、退院。

 「白血病の治療~私の場合~①」の投稿で、“治療をフルマラソンに例えたら、「寛解」は最初の給水所”と言いました。これは単に時間的なことを言ったのではなく、寛解した後の方が、遥かにつらく長い治療が待っているという意味です。寛解はほんの“入り口”です。

 池江璃花子さんが白血病を公表してから、いろいろな医者がメディアに出て“白血病治療の現状”を説明していました。
 その中で、「寛解」を「完治」と言っている医者が多かったのには驚きました。「最近は、白血病も“完治”できる病気になった」と。医者でも誤った認識を持った人がいる。このことは「白血病の治療~私の場合~③」の投稿で書きました。

 私の場合は1カ月目で寛解。4カ月目で骨髄移植をしないことを決め、化学療法(抗がん剤治療)を継続することを選択した。ここで、ようやく折り返し地点が見えてくる、といったところでしょうか。

 そして8カ月がたち、予定の化学療法をすべて終えた。でも、まだゴールまでもう一息というところです。
 入院したのは春。季節はもう冬になっていました。

感謝の気持ち


 白血病と診断されてから、気づいたことがたくさんあります。

 ああ、今まで自分は幸せだったんだなぁ、と思いましたね。
 仕事に不満はないし、好きな剣道もやりたいだけやってきた。一人息子も大きくなって、もう高校生になった。そんななんでもないことが、幸せだったと気づく。あらゆることに感謝するようになりましたね。

家族


 妻には不平不満ばかり言ってきましたが、毎日、仕事を終えてから病院に面会にくる姿を見て、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。考えてみれば、困ったときにいつも力になってくれるのはこの女だなと思った。
 息子は朝寝坊で手を焼いていました。私が出勤のため家を出るまで、何度起こさなければならなかったか。しかし、私が入院すると、忙しい母親の手をわずらわせてはいけないと思ってか、朝、自分で起きて支度をするようになったと、妻が教えてくれた。そして、剣道の強豪校に通う息子は、さらに稽古に励むようになり、めきめき上達してるらしい。今、やるべきことを精いっぱい努力するようになってくれた。うれしかったですね。
 年老いた母親や一つ年下の弟も、いろいろと力になってくれた。普段は疎遠なのに、自分の時間を割いて病院に足を運んでくれました。

会社


 仕事のことについては、どうなってしまうかと思いました。なにしろ、入院も長期になるし、治るかどうかもわからない。仕事に復帰する目どが全く立たないんですから。
 会社を辞めなければならないかも知れないと思い、会社に相談すると、もう休職の手続きがされていた。休職中の社会保険料や厚生年金の掛け金は全額会社が負担するという。
 傷病手当も毎月申請してほしいと。また、高額になる医療費にそなえて、健康保険限度額適用の申請も手続き済みでした。会社に復帰できるかどうかもわからない病気なのに。
 これで安心して治療に専念できると思いました。本当に有り難かったです。

剣道


 剣道仲間からの励ましもありました。二天一流武蔵会東京支部の皆さんから。
 仕事にも復帰できるかどうかわからない状況の中で、剣道はもうできないだろうと、あきらめていました。この37年前、高1の時にも病で剣道を断念しているので、「またか」と思いましたね。しかし、こんな状態ではあきらめるしかないと。
 そんな時に、武蔵会東京支部の稽古終わりにSさんが入院中の私に電話をくださった。そして電話を代わられたのが中村天信師範でした。驚きました。直々にお見舞いのお言葉をいただきました。そして、東京支部の皆さんがかわるがわる電話口に出て、励ましの言葉をくださった。うれしかったですね。また剣道がやりたい、と思った。
 この日を境に、気持ちが非常に前向きになったと思います。ありがとうございました。

病院


 主治医をはじめ、担当医の先生方、看護師さんたちに、本当にお世話になりました。ある意味、“快適な”入院生活だったと思います。というのは、私は10代の頃にも長い闘病生活を経験しています。その頃の医師や看護師の態度と比べると、今は雲泥の差です。
 そのことに関しては、「白血病の治療~私の場合~⑦」でも書きました。医者はえらそうな態度。看護師ときたら、ヒステリックな人もいれば暴言を吐く人、患者に八つ当たりする人など、いろんな人がいました。
 今はそんな人いないんですね。安心して入院してられた。本当にありがたかったです。
 そして忘れてはならないのが掃除のおばちゃん。無菌室や通常の個室に入院していたので、世間話ができる唯一のお相手が掃除のおばちゃんだったんです。おかげで、同じ病気の患者さんたちの様子も知ることができた。

 私は幸運だったなと思いました。こうやって、予定通りの回数の化学療法(抗がん剤治療)をし、ほぼ予定通りの期間で退院することができた。だからといって、喜べはしませんでした。
 他の患者さんは、寛解しない人もいる。つらさのあまり治療を拒否して退院される人もいる。もうこの病院では治せないと宣告されてしまう人もいる。寛解しないということは、生存率0パーセントということなんです。あまりにも悲しすぎます。


 冒頭で「退院してもまだゴールではない」と言いました。
 
 この後、通院での放射線治療が始まったのです。


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