「剣道」と出会った場所
リバ剣の二刀者は受け入れられるか
前回の投稿では、リバ剣して最初の段審査の会場で再会したTNK先生の"教え"について書かせて頂きました。
再会した時に、「二刀をやっているなら"東部"へ来てください」と声をかけて頂いた。(その時の経緯はこちら)
これはうれしかったですね。あの"怖い"TNK先生が満面の笑みで「古巣」に来るように促してくださった。
正直、迷っていたのです。いつ市川東部に行こうかと。
古巣といえども、今、どのような状況になっているかどうか分からない。少子化の影響で消滅している道場もあると聞きます。
現在も同じ場所(中山小学校体育館)でやっているのか。主たる運営者は誰なのか。私のことを知る人が現在もいるのか。HPもないようなので、情報がまったくない。
私が市川東部に在籍していたのは小学6年まで。中学からは部活で剣道をやっていました。(当時の市川東部〔旧中山剣友会〕の様子はこちら)
ですから、市川東部に行くとすれば34年ぶりになります。はたして、剣道再開したので二刀で稽古させてくださいなんて言って、受け入れてもらえるのだろうか。それがとても不安でした。
しかし、TNK先生から声をかけて頂いたことによって、それは“取り越し苦労”になりました。
まずはご挨拶へ
「ああ、あの頃のままだ」
2010(平成22)年晩夏。
とある土曜日の夜、市川市立中山小学校体育館前に着いた。
34年ぶり。外観は何も変わっていない。窓からは明かりが漏れ、剣道の稽古をする子供たちの気合が聞こえる。
懐かしいというよりは、何かせつないような、ほろ苦いような……。
嫌な思い出があるわけでもないのに、胸が締め付けられるような……。
夢が詰まり過ぎているんでしょうね、この道場には。
冷房の設備はないようで、暑さのため出入り口の扉が開け放しになっている。
中をのぞいて見ると、小学生が10名弱、指導している大人が2人。
やはり少子化の影響か。週末のわりには人が少なすぎる。
私が子供の頃、週末ともなればこの体育館には、入り切れないほどの人が集まり、活気に満ちあふれていました。
指導をしている大人2人の「垂ネーム」に目をやると、1人は私と同時期にここで稽古をし、試合にも一緒に出場していた方だ。一つ年上のOIKW先輩。お互い年を取りましたが面影がある。
「やはり剣道を継続されていたんだな」
安心しました。OIKW先輩なら必ず私のことを覚えているはず。小学生の頃は、いつも私の面倒を見て下さる優しい先輩でした。
小学生の稽古が終了したところを見計らって、一礼して道場の中へ。
お2人のもとへ挨拶に向かった。
「○○です。大変ご無沙汰しております」と名前を名乗った。
少しの沈黙の後、OIKW先輩が「小学生の時ここにいた○○君?!」と驚いた様子。
「そうです!」
この半年ほど前に浦安で剣道を再開したこと、先日の段審査の時にTNK先生にお会いして声をかけて頂いたこと、二刀をやっていることなどを報告した。
初めてお目にかかるもう1人の指導者の方と、OIKW先輩、お2人とも大変喜んでくださり、翌日の日曜日から稽古に参加することを約束して、道場をあとにしました。
このことをきっかけに、剣道でご縁があった方々と次々に再会し、数えきれないほどの新たな出会いが、加速していくことになります。
子供の頃、この道場に詰め込んだたくさんの夢。
その“夢”を一つ一つ、現実の世界に引き出す時がきた。