防具を買うなら「あのお店」
思い出深い先生
「そういえば、防具がないな」
2カ月後に地元剣連の道場で剣道を再開することを決めていたので、防具一式と竹刀を買わなければならない。
東京江戸川区の武道具店。
ここの社長さんとは、実は、同じ道場出身。35年ほど前から数年間は、毎週いっしょに稽古していたのです。
当時、私は小学生。社長さんは20代前半だったでしょうか。
防具、竹刀職人の家系に育った“後の社長”さんは、職人としての修行を終えて独立し、江戸川区内に店を構えた。
剣道経験のなかった社長さんは、ご自分でも剣道をやりたいと思いましたが、区内の道場はご自分の「お客さん」なので、そのうちの一つの道場で剣道を始めることははばかられる。
そこで、たまたま来店した方にそのことを話すと、その方の通う道場で剣道を始めることになった。その方が、私の通っていた道場の先生だったのです。
武道具店社長 NGSK先生
江戸川を挟んで対岸の千葉県側。「中山剣友会」(現:市川市剣道連盟東部支部)。
現在、市川市剣道連盟に加盟している団体は、約30団体あります。
当時はここだけ。昭和40年代半ばまでは市内の剣道の道場はここ1か所しかありませんでした。(当時の道場の様子はこちら)
当時、私は小学5年生、剣道1級。(当時は5年生でも1級を受審できた)
NGSK先生は20代前半。
NGSK先生がお見えになるのは、道場の稽古日が週3回あるうちの木曜日だったと記憶しております。
当時は会社も学校も週休2日制ではありませんでしたので、平日の参加者は極端に少なかった。逆に週末は非常に多い。何しろ、市内で1か所しかない道場。小学生は200名在籍していましたから。
木曜日の稽古に参加する子供たちは、週末と比べると4分の1程度だったと思います。稽古に取り組む意欲の高い子供だけが、参加していましたね。自然とそうなっていました。
一般の大人の参加も、週末は20~30名ぐらいでしたが、木曜日はほんの数名。その中に、NGSK先生がいらっしゃいました。
NGSK先生の印象は、道着、袴が上質のものをお召しになっている、防具がかっこいい、“着装が美しい先生”。子供心にそんなふうに思ってました。
しばらくすると、子供たちの保護者のあいだで、こんな話がささやかれてました。
「NGSK先生は、防具屋さんらしいよ」
NGSK先生は、道場では“営業活動”なさってなかったと思います。ガチで剣道を習いにきていた。しかし、防具屋さんだと分かったら、みんなNGSK先生のところで買うようになった。
NGSK先生のお人柄なんですよ。子供たちを子供扱いしなかった。子供も大人と同じように敬意をもって接してくださる。稽古中もそれ以外でも。
だから私たちは、NGSK先生が元に立ったら、こぞって並んで順番を待った。稽古をお願いするために。
NGSK先生は地稽古の時に理にかなった技で打たれた場合、相手が子供であっても、構えを解き、両足をそろえて「参りました」と頭をお下げになる。ご自分よりも上位の先生に対する態度とまったく同じなんです。
そうされた私たちは、“一本”をとった技の理合がすーっと体に入ってくる。それが喜びとなって、その日、家に帰って布団に入って寝るまで、NGSK先生から一本をとった技の手応えがよみがえってくるんですね。それで、早くまた木曜日が来ないかな、と思うわけです。
小学5年生だった私は、理合とともに一本をとる楽しさを、NGSK先生との稽古の中で知っていったのです。
現在は、私が小学生と稽古をするときは、自分を捨て理合とともに打ち込んで一本をとった子供に対して、「参りました」と敬意をもって頭を下げています。あの頃のNGSK先生と同じように。
30年の時の流れ
思い出話が長くなってしまいました。
NGSK先生のお店に、30年ぶりに防具を買いに行った時の話。店舗は移転していましたが、すぐに分かりました。
社長であるNGSK先生は不在でした。残念でしたが、30代の男性が丁寧に応対してくれて、その日は竹刀と手ぬぐいだけ購入して、また来ることを伝えて帰りました。聞けば、NGSK先生のご長男だという。
帰り道、運転中の車の中でふと思い出した。
「あの子だ」
私が中学生の時、自転車で市川橋を渡ってNGSK先生のお店に竹刀を買いに行った時のこと。
当時、NGSK先生の防具店には竹刀工場が併設されていて、私は新しい竹刀が出来上がってくるのをそこで待っていた。
「いらっしゃい」
奥からNGSK先生が出ていらした。「1歳ぐらいの男の子」をおんぶして。
30年という時の流れ、感慨深いものがあります。