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2019年4月14日日曜日

二天一流武蔵会 稽古会参加④ 二天一流第十七代師範 神免二刀流第十六代師範

流祖武蔵から連綿と継承された流派


中村天信 師範


 2010(平成22)年4月。武蔵会東京支部の稽古会に参加させて頂いた。

 会場に到着して着替えを済ませ準備運動をしていると、Kさん(HN:KOJIROさん)がお見えになり、こうおっしゃった。

 「本日は、中村先生がいらっしゃいます」

 ついにこの日が来た。
 現代の二刀流に失望しかけた私に、中村師範との出会い(その時は動画でですが)は、一条の光明となっていました。(その経緯はこちら

 二天一流の第十七代師範という「運命」を背負われたお方。
 宮本武蔵自流の正統として、伝統の荘厳なる継承の使命を負う。そういうお方に、いよいよお目にかかれる。

流祖から中村天信までの系譜


 江戸前期、流祖宮本武蔵が晩年を肥後(熊本)で過ごし、「二天一流」の系譜はここで端を開きます。
 その主な道統に「肥後の五流派」があります。寺尾派(山尾派)、山東派、村上派正勝系、村上派正之系、野田派。いずれも二天一流の正統です。
 また、二天一流から分派した流派として、新潟越後に伝わった神免二刀流があります。

 「肥後の五流派」のうち、大正期までに三流派が継承者が得られず断絶し、現在は、山東派と野田派が二大流派を形成しています。
 一方、神免二刀流は越後藩の剣術指南役を務める五十嵐家に伝わり、代々家伝の流儀として現代まで継承されてきました。

 先師荒関二刀斎は、神免二刀流継承者五十嵐一隆に就いて二刀流の指導を受け、後に印可を得て、神免二刀流を継承します。
 また、熊本に渡り、野田派の二天一流十五代松永展幸のもとでこれを学び、後に印可を得て二天一流の十六代を継承しました。
 いずれも昭和30年代のことです。

 先師荒関二刀斎は、昭和44年の第17回全日本剣道選手権大会にも二刀で出場されています。

 そして、平成8年に中村重則天信という後継者を得て、十七代を継承させたのです。

稽古開始


 この日も最初は、ナンバ歩きの稽古から。床を擦る「すり足」の音だけが、道場に静かに響く。中村先生が見守る中、皆さんの緊張が伝わってくる。

 次に形(かた)稽古。ここからは直接中村先生からご指導いただいた。私も「胴を切る」場面で、刃筋を手を取って直して頂いた。
 二刀の形で二刀の刀法を知り、理合を知る。古流でなければ出来ない稽古法です。特に武蔵会の場合は、これが竹刀稽古につながっている。実践につながる理論があるんですね。
 私自身、この3年後に、試合や段審査でその成果を実感することになります。

 そして、防具を着用して竹刀稽古。まずは基本打ち。
 これも中村先生が手本を見せて頂き、直接ご指導くださった。

 これも武蔵会ならではの稽古。
 試合や地稽古は、お相手さえいればある意味どこでもできます。しかし、二刀の基本稽古を正しくじっくりやるとなるとなかなか機会がない。
 私にあっては、この稽古ができるところを探してたわけですから。二天一流の十七代師範に直接ご教授頂けるなんて信じられない気持ち、まるで夢のようです。

 この後、通常であれば、それぞれにお相手と組んで地稽古となるんですが、この日は中村先生がいらっしゃるということで、一人ひとり中村先生と稽古して頂けることになった。
 とはいっても、人数も多いし時間の制限もあるので、代表の上級者5名ほどが稽古することに。他の者は、見取り稽古となった。
 私は面をはずして、固唾をのんで立ち合いに見入った。

少年の頃に見た二刀流がここに


 「この師に就いて学ぼう」

 立合いが始まってすぐにそう決意した。

 昭和40年代に見た、心を揺さ振られた二刀流。
 今、目の前で繰りひろげられる立合いに、あの頃と同じ種類の感動が沸き上がってくる。

 昭和40~50年代は二刀者が激減した時代。(その理由はこちら
 この頃二刀を執っていた方々は皆、大正生まれ。戦前から二刀流をやっていた方々です。そして、後継者がないまま二刀剣士の高齢化が進んでしまい、世を去ってしまった。

 平成に時代を移して、「試合・審判規則及び細則」が改正され、環境が変わって二刀を執る者が徐々に現れてきた。現代の二刀剣士の多くは(高名な二刀者も含めて)、これ以降にご自分の創意工夫で二刀を執られてきた方々です。

 私はそういう方々の二刀を、批判したり否定したりするつもりはありません。
 そういった時代背景がありますから、私たちが子供の頃に見た二刀流と違っていて当然なのです。

 しかしここに、継承された二刀者が実在したのです。
 中村天信師範。
 子供の頃から私淑してきた故松崎幹三郎先生と剣風はちがうが、根底に流れる「理」が同じような気がする。(故松崎幹三郎先生についてはこちら

 二刀の操作をどうにかやり繰りして一本を取ろうとする二刀剣道ではない。右片手、左片手、それぞれが独立して片手刀法として成立している。どちらか一方の介助がなかったとしても一本が取れる剣道だ。
 それでいて、左右の片手刀法が絶妙な調和をして、迫力があり美しい二刀剣道を具現化している。


 地元でも、故松崎幹三郎先生の二刀を知る人は、めっきり少なくなりました。
 松崎先生との立合いの経験がある、現在は高齢になった先生方は、「あの先生の二刀には、理があったね」と皆さん口をそろえます。


 もう見ることが出来ないであろうとあきらめていた「二刀の理」が、今、目の前にある。
 

 
参考文献
 『武蔵の剣 剣道二刀流の技と理論』佐々木博嗣編著・スキージャーナル・平成15年