想定していなかった昇段審査
受審すべきか否か
2010(平成22)年7月。
右ヒザ半月板損傷の手術から2カ月たって、少しでも遅れを取り戻そうと二刀剣道の稽古にますます力が入っていたころのこと。(半月板を損傷した時の様子はこちら)
地元の所属道場の稽古に行くと、道場の役員をされている方から声をかけられた。
「来月の昇段審査は受けますか」
ドキッとしましたよ。段審査のことなんて、全く考えていませんでしたから。
リバ剣を決意して以降、剣道ができる体を作ること、二刀をやるため片手刀法を身につけること、そのことに集中して今できることをやってきた。
この時、私はまだ初段。リバ剣して半年。二刀でしか稽古していない。
「来月の段審査は、受審すべきか回避すべきか」
悩みました。とことん悩みました。
実際問題として、二段の昇段審査を「二刀」で受審する人なんていません。少なくとも戦後は、そういう人はいないんじゃないでしょうか。
戦前はいました。私淑する故松崎幹三郎先生は大正生まれ。旧制中学で剣道初心者から二刀を始め、一刀は習ったことがないお方。段審査も、初段から六段まですべて「二刀」で受審された方です。(故松崎幹三郎先生についてはこちら)
受審するとしても、二段を「二刀」で受審していいものなのか。または、この時だけ「一刀」で受審すべきなのか。
迷いました。
この時は結論を出せず、審査申し込みの返事は、1週間以内にさせて頂くことにしました。
息子のひと言
「お父さんといつになったら稽古できるの?」
所属道場で一般の稽古が始まろうとした時、小学4年になった息子が言った言葉です。
息子は小学1年からこの道場で剣道を始めていて、この頃には小学生の部の稽古が終わると、続けて一般の部の稽古にも参加していました。
私はこの時、リバ剣して半年。二刀でしか稽古していませんし、自分の稽古で精一杯だったので子供たちと稽古したことはありません。同じ道場に通いながら、息子と一度も稽古したことがなかったのです。
何か納得のいく結果を出すまでは、一刀はやらないと決めてしまっていたため(その理由はこちら)、息子には随分と寂しい思いをさせてしまっていたと思います。
「よしっ、二段を二刀で受審し、合格したら一刀での稽古を解禁しよう」
息子のひと言で、受審すると決めた。
段審査を二刀で受審して合格すれば、曲がりなりにも剣連から自分の二刀が認められたということ。そうなれば、二刀を執る自信にもつながる。
そしてその日、昇段審査受審の申し込みを済ませた。
何度不合格になっても構わない
二段を二刀で受審すると決め、申し込みはしたものの、不安感に襲われた。
「二刀で受審したら、審査員の先生方になんて思われるだろう」
受審を決めてから、何人かの高段者の先生方に、「二刀で受けても受からないよ」なんて言われました。
そういう言葉は覚悟していたんですけど、面と向かって言われると、かなり凹みますね。
昭和40~50年代は、二刀をはじめとする片手刀法に対し、著しい誤解と偏見があった時代。(その様子はこちら)
稽古では二刀とはやりたくないと中傷され、試合では片手で打ってるというだけで旗が上がらない、段審査では偏見から二刀の合格者がでない。
しかし、そういった時代にあって、二刀を執り続けた方々がいらっしゃる。二刀者の数が激減した時代に、信念を貫き通した二刀剣士がいる。
私は、小学生の頃、それをこの目で見ているのです。
特に、故松崎幹三郎先生にあっては、芸術的な美しさのある二刀をやる方で、しかも圧倒的に強かった。しかし、二刀に対する偏見から、段審査では大変ご苦労なされたと伺っております。松崎先生は前述したとおり、まったくの剣道初心者から二刀しかやっていないのです。一刀は習ったことがない。ですから「二刀でだめなら一刀で」なんてできなかったのです。
先師荒関二刀斎もこの世代のお方ですから、取り巻く環境は同じく厳しかったんではないでしょうか。
そういった方々のご苦労があったからこそ、今、こうして私たちが二刀を執ることが出来るのです。
そう思った時、何度不合格になったとしても二刀で受審する以外ない、そういう決意が沸き上がってきました。
審査の数日前。所属道場の高段者TZW先生が背中を押してくださった。
「二刀で受けるかどうか悩んでいるの? 君は二刀でしか稽古してないんだから、堂々と二刀で受審しなさい」
涙があふれそうになりました。