30年ぶりの再会
「二刀で剣道再開」を報告
前回の投稿で、子供のころに通った剣道具店に、30年ぶりに防具を買いに行ったところまで書きました。
社長さん(NGSK先生)が剣連の行事のために不在だったので、出直すことにした。剣道を再開することを報告したかったので。
それには理由がありました。
私は二刀を執って剣道再開することを決めていた。子供のころ(昭和40年代)に通った道場の二刀者である松崎幹三郎先生(故人)の剣道に衝撃を受けて、将来、二刀を執ることを決意した。(その時の様子はこちら)
しかし、高1の時に病によって剣道継続を断念してしまいました。
昭和40年代までの二刀流
私はこの松崎先生の二刀流は本物だと思っています。現在の二刀者の剣道とまるで違う。まさに理にかなった二刀だったと今も思います。昭和40年代までは、素晴らしい「片手刀法」が継承されていたんです。残念ながら、そういう二刀をやる人は今はほとんどいません。
だから私は剣道を再開するにあたって、あの松崎先生の二刀を目指したい、「本物」にすこしでも近づきたい、そう思ってました。
この剣道具店の社長であるNGSK先生は、30年前、その松崎先生と毎週稽古をされていた方なのです。NGSK先生は一刀中段で、その二刀者に真正面から挑んでいらした。
そういう姿を、私は毎週木曜日に見ていたのです。
私は小学生でしたので、二刀を執った松崎先生と稽古をすることはかないませんでした(子供と稽古するときは一刀を執っていらっしゃいました)ので、実際に二刀を執った松崎先生と立合った方々に貴重なお話を伺いたいと思っていたのです。
確信、そして決意
前回はご不在でしたが、今回、お会いすることができた。30年ぶり。
N先生は昔と変わりませんでした。髪の毛に白いものが増えてましたけど。
私は変わりましたよね。子供だったのが30年たってオッサンになって現れたんですから。笑
リバ剣で使用する防具を選んで、採寸していただく間、昔話に花が咲いた。
話題は自然と松崎先生の話になりました。
「私は二刀のことはよくわからないが、松崎先生の二刀は“理”があった気がするね」とNGSK先生。これは、松崎先生と稽古された経験のある方は皆さんおっしゃる言葉。
この後に続く言葉も皆さん同じ。
「ああゆう二刀をやる人は、今はもういないね」
やはりそうでした。子供の頃に松崎先生の二刀と出会って衝撃を受けた。当時、松崎先生と立合った大人たちも同じ衝撃を受けていたのです。
「あの二刀を再現したい」
知っている者が次代に伝えていく。ある意味、“責務”なんではないかと感じてしまう。
剣道再開とともに二刀を執る。さらに決意を固くして帰路についた。
防具は、一分五厘の手刺しを一式注文しました。