変わらない"音"
少年時代にタイムスリップ
2010(平成22)年の夏が終わるころ、34年ぶりに子供の頃に通った道場に挨拶に行ったことを前回の投稿で書きました。
その翌日の日曜日。早速、防具を担いで市川東部に稽古に行った。
到着すると、すでに到着していたOIKW先輩が体育館の入り口で出迎えてくれた。OIKW先輩も私が稽古に来ることを心待ちにしていてくれたらしい。
先日、市川東部に来るように声をかけて下さったTNK先生は、残念ながらこの日はお見えになられていませんでした。(TNK先生についてはこちら)
小学生の稽古はすでに始まっていて、参加は昨日と同じ10名程度。これで全員だそうだ。寂しさを感じずにはいられませんでしたね。何しろ、私が小学生の頃は、ここで200名の子供たちが稽古していたんですから。
「ああ、私が聞いていたのはこの音だ」
しかし、変わっていないものもありました。
竹刀の"音"です。竹刀と竹刀が当たる音。竹刀で防具を打つ音。
この"音"については、それまで気にすることは特にありませんでした。
それが34年ぶりにこの道場に戻ってきて、"音"の違いに気づいた。施設によって音の反響の仕方が微妙に違うということを、この時初めて知ったのです。
私にとっての剣道の"音"はこの音なんですね。本当に懐かしい。
ワクワクして、緊張する、それでいて心地いい"音"。
「帰って来たんだな」と思いました。
この日の一般の稽古の参加者は私以外に6名だったと思います。
大人の参加も毎回これくらいの人数だそう。もう、二刀を執っている方もいないそうだ。
この中で、OIKW先輩以外にもう一方、34年ぶりの再会となった方がいらっしゃいました。
二刀流 故松崎幹三郎先生とUEKS先生の「組み討ち稽古」
私が小学生だった昭和40年代後半から50年代にかけてのこと。
私淑する故松崎幹三郎先生(二刀流)と毎週木曜日に稽古していたNGSK先生のことを、以前に記事にさせて頂いたことがある。(その記事はこちら)
実は、もう一人、松崎先生が木曜日に毎回稽古された方がいらっしゃる。というより、松崎先生(当時50歳ぐらい)が必ず稽古相手に“指名”する方がいた。UEKS先生(当時20代半ば)。
昭和40年代後半のとある木曜日、午後8時。小学生の私が稽古を終えて、帰り支度をしているころになると、松崎先生が防具を担いで道場に入ってくる。道場全体が緊張感につつまれる瞬間だ。
すでに面、小手以外の着装を済ませて、準備運動をしているU先生の表情からは笑顔が消え、集中モードに入ったのが分かる。
他の小学生たちは家路につく中、私は道場の隅で、これから始まる稽古を目に焼き付けようとしている。
稽古が始まった。元立ちの松崎先生が大小を抜刀して蹲踞し中段十字に構え、同時に掛かり手のUEKS先生が一刀中段に構えた。
立ち上がると同時に、正二刀の松崎先生が小刀は中段のまま大刀を上段に構えた。二刀の代表的な構え「上下太刀」。UEKS先生は正眼の構え。二人の気合が道場に響く。松崎先生は“歩み足”。UEKS先生は“送り足”。お互いに間合いを詰める。
“石火の機”に二人が動いた。
初太刀はUEKS先生の面と思いきや、そこへ松崎先生が“流水の打ち”をかぶせて豪快な出ばな面で初太刀を取った。道場に打突音が響き渡る。
なおも前へ出てくるUEKS先生の剣尖を小刀で表から押さえ、それに反発して剣尖を中心に戻そうとする刹那を大刀で小手をバックリ。
今度は起死回生に先々の気概で飛び込んだUEKS先生の面打ちを、小刀で受けると同時に大刀で胴を抜いた。胴が割れるかと思うようなものすごい迫力。それでいてすべての動きが華麗で美しい。まるで踊りを踊っているよう。しかも圧倒的に強い。松崎先生の二刀の特徴だ。
「いや、まだまだっ!」
UEKS先生も、参りましたとは言わない。“最強の二刀流”に一刀で真正面から挑み続ける。二刀と一刀、明らかに条件が違う。スポーツだったらありえない、日本古来の武道であればこそ。その戦いぶりに見ている者皆心を打たれた。
時計の針はすでに午後9時を回っている。二人で1時間以上ぶっ通しで稽古しているのだ。もう稽古というより“死闘”だ。
片手で竹刀を振り続け握力が低下してきた松崎先生が、UEKS先生の体当たりを受けて右手に持った大刀を落とした。すかさず“入り身”になった松崎先生は、UEKS先生の竹刀を奪おうとその柄に手をかけた。
UEKS先生は竹刀を奪われまいと両手に力を入れて握った瞬間、腰が浮いてしまった。そこを逃さず、松崎先生がUEKS先生に足払いをかけた。もつれて倒れ込む二人。「組み討ち稽古」の始まりだ。
「組み討ち稽古」は面を外されるか、「参った」と言ったら負け。二人とももう竹刀は持っていない。床に転げて組み合うこと数分。松崎先生がUEKS先生の体をキメて面を外した。
息が上がる二人。とっくに体力の限界は超えている。それでも立ち上がって、落とした竹刀を拾い、九歩の間合いをとって静かに正座した。組み討ち稽古で乱れた着装を整える。UEKS先生は外された面を着け直した。
立ち上がって、立礼から互いに抜刀し、UEKS先生が気力を振り絞って気合もろとも打ち込んだ。稽古の締めの「切り返し」だ。こうして1時間以上続いたの二人の稽古は終了した。
見ている私たちは感動しかありません。こういう「稽古」を毎週されていたのです。忘れられるはずがありません。攻め込む時の松崎先生の足の指の動きまで、鮮明に覚えています。
今回、このUEKS先生に再会することができた。二刀流 松崎幹三郎先生の“生き証人”です。