剣道の伝え方
ウソはつけない
2010(平成22)年8月。リバ剣して初めて息子と稽古したことを、前回の投稿で書きました。
当時、小学4年だった息子。剣道を始めて4年目でしたが、基本が全くと言っていいほど身についていませんでした。
小学生の指導は道場の指導者の先生方がいらっしゃいますので、基本的にはそちらに全てお任せしていました。
しかし、一般の方の稽古に参加してきて、私のところに稽古をお願いしてきた子供には、正しい剣道を教えようと決めた。
私にその決心をさせたのは、子供たちの"目"です。(その経緯はこちら)
「子供たちにウソは教えられない。本当のことを教えよう」
そして、息子の"現状"がその気持ちを後押ししたのです。
古流は剣道の“親”
私が小学生だった、昭和40年代後半。剣道の道場では大正生まれの先生方が元立ちに立たれていました。(その様子はこちら)
戦前から剣道をされていた方々ですから、当然、古流のいずれかの流派に属している方々です。「剣道家」は「古流」というバックボーンを持っていたのです。
ご存知の通り、「剣道」とは、明治期に古流の剣術諸流派を統合したものです。「剣道」の源流は古流。いわば剣道の“親”です。
剣道の“親”である「古流」を学べば、「剣道」が鮮明に浮かび上がってくる。現在の剣道で教えられている動作の一つ一つの“意味”が明確になり、何をどう「稽古」すればよいかを知ることが出来るわけです。
スポーツ化してしまった剣道
私が30年ぶりに剣道を再開して一番驚いたことは、「剣道がスポーツ化している」ということです。
スポーツという概念が日本に定着したのは昭和になってから。言うまでもなく、西洋から入ってきたものです。
一方、剣道の源流である剣術諸流派(古流)の起こりは、平安後期から、鎌倉、戦国、江戸前期にかけて。
剣道は数百年前に日本で生まれたその剣術諸流派(古流)を起源とする武道です。日本にスポーツという概念が入ってくるはるか前からあるわけです。
その剣道を、戦後、スポーツの一種目としてそのカテゴリーに組み込んでしまった。
それは、致し方ないことなのかもしれませんが、剣道の「スポーツ化」がここから始まったのは間違いありません。朱に交われば赤くなる、のことわざ通りです。
そして、昭和の時代が終わるころ、古流というバックボーンを持った大正生まれの剣道家たちが世を去りました。
真実を伝える責務
私の年代は、そういった大正期生まれの剣道家に、道場で剣道を習った最後の世代ということになります。
当時を知る者はそれ故に、現在の剣道とのギャップに憂苦している方も多いのではないでしょうか。
皆さんも、当時の教え方と現在の教え方が違うということは、これでなんとなく想像できると思います。
教え方の“違い”があるのは、ある意味当然です。重要なのは、それで「正しい剣道」が伝わっているかどうかなのです。
現在のスポーツ化した剣道で「正しさ」が伝わっているかどうか。甚だ疑問ですね。残念なことに。
具体的な例を挙げて、揚げ足取りをするのはやめておきます。意味がありませんから。
子供たちのあの“素直な目”は、いつも真実と理を求めているような気がしてならないのです。
「もうこれ以上、しらばっくれるわけにはいかない」
息子とともに、原点に返って稽古すると決めた。
(「剣道のスポーツ化」についてはこちらのコラムをご覧ください)