私にとっての二刀の"聖地"
"語り部"の高齢化
特にここが、二刀者が集まる道場だったわけではありません。二刀を執っていた方は、故松崎幹三郎先生ただおひとり。圧倒的だったのはその存在感と、素晴らしい稽古内容。それについては、前回の投稿で少し触れました。
現在、私が市川市周辺の道場に出稽古に行くと、「キミの二刀は市川東部の松崎先生に習ったのか」と、年配の先生方から声をかけられることがあります。続けて松崎先生との立会の思い出を、目をキラキラ輝かせながら話してくださる。
「こんなにたくさんの方々の記憶に鮮明に残っているんだな」
そういうお話をして下さるのは皆さん一刀者。そのお話で共通することは、松崎先生の二刀に「理」を感じた、ということ。大変貴重な内容です。
現在(平成31年)、もし故松崎幹三郎先生がご存命ならば100歳前後。松崎先生と剣を交えた方々もご高齢になりつつあります。そういう方々に、今の私が稽古を頂き当時のお話を聞かせて頂けることはこの上ない喜びです。
市川東部のUEKS先生はその中では最年少の60代後半。しかも、最も数多く松崎先生と立合されたお方。(UEKS先生については前回の投稿をご覧ください)
小学生の頃に、その立会いの多くを目撃している私が、この日、UEKS先生と34年ぶりに再会し、二刀を執って稽古させて頂くことができた。
“聖地”で稽古開始
前回の投稿からの続き。2010(平成22)年晩夏、とある日曜日。
34年ぶりに出身道場へ稽古に来て、当時の小学生たちの憧れのUEKS先生と再会した。
私の中では永遠の青年だったUEKS先生が還暦を過ぎたという。
こんなにも長く剣道から遠ざかってしまっていたことを後悔しましたね。この道場に何一つ恩返しできていない。申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまった。
二刀を執って剣道を再開したと伝えると、話はすぐに松崎先生の思い出話に。貴重なお話をたくさんしてくださった。その内容は、回を改めて。
稽古が始まり、OIKW先輩が最初に声をかけて下さった。
「二刀でやろうよ」
私が躊躇なく二刀でやれるよう、気を遣ってくださってのことなんです。そういう優しい方なんですOIKW先輩は。
元立ちのOIKW先輩に、二刀を執って稽古をお願いした。
OIKW先輩の正眼の構えを見て、すぐに思い出した。
「OIKW先輩は左利きだったな」
構えというのは非常に個性が出るもので、構えに“面影”がある。
OIKW先輩は晩年の松崎先生と稽古している方だ。やはり対二刀は慣れているとあって、なかなか打たせてもらえない。駆け出しの二刀では歯が立ちません。大変勉強になりました。
子供の頃の夢が現実に
この10カ月前にリバ剣を決意した時、最初に夢に思い描いたのが「市川東部で二刀をやること」そして「UEKS先生と稽古すること」。
この夢はそもそも小学生3年の時に、ここで松崎先生とUEKS先生の稽古を見て将来の目標としたものです。(その様子はこちら)
この8カ月前に浦安の道場でリバ剣し、そして二天一流武蔵会の門をたたき、二段の昇段審査に二刀で合格し、ついに市川東部へたどり着いた。
そして今、九歩の間合いでUEKS先生が目の前に立っている。私は左手に二刀(大小)を提げて。
稽古中は夢心地でした。まさか本当に実現するなんて。リバ剣を決意して本当によかった。人生の不思議を味わいながら、UEKS先生と剣先で"会話"をした。
私の二刀はまだまだUEKS先生には通用しませんでしたが、本当に楽しいひと時でした。
新たな目標
子供の頃、初めて故松崎幹三郎先生の二刀流を見たとき、私は興奮して三日間眠れなくなってしまった。
今度は、「私の二刀を見た子供たちが、眠れなくなるような二刀をやる」。
それが新たな目標になりました。
稽古の後、満面の笑みでUEKS先生がこうおっしゃってくれた。
「まるで松崎先生と稽古しているようだったよ」
もったいないお言葉です。