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2019年5月7日火曜日

2011(平成23)年3月11日東日本大震災 居住地浦安も被災

ピンチをチャンスに


予兆のない出来事


 3.11東日本大震災で、かけがえのないご家族ご親戚を亡くされたご遺族の皆様に、改めてお悔やみ申し上げ、故人のご冥福をお祈り申し上げます。

 30年のブランクから剣道を再開して1年が過ぎたその日、私は東京ドームに近い職場で仕事をしておりました。
 突然の激しい揺れに危険を感じ、その場にしゃがみ込みました。
 生まれてこの方、こんなに強い地震は経験したことがありません。幸い職場の方たちにはケガはなかったので、外の様子を見に、職場の前の国道に出てみた。

 建物から飛び出してきたサラリーマンやOLが道路の中央分離帯のところに集まっている。建物内にいることや歩道への落下物に危険を感じてのことだ。泣き叫んでいる女性の姿も。
 近くの酒屋に目をやると、店内の酒という酒すべての瓶が棚から落ちて割れている。

20㎞歩いて帰宅


 これは、大変なことになった。
 職場にもどると、今日の仕事は中止だという。急いでしたくをして職場を出た。
 この時点では災害の規模は分かっていない。心配なのは妻と子供。二人とも浦安にいる。妻は仕事中で、息子は学校だ(当時小4)。
 浦安は埋め立て地で地震に弱い。海にも面しているので津波も考えられる。頼みのケータイも通じない。電車も止まっているらしい。家まで歩くしかない。
 
 調べてみると東京ドーム付近から浦安までは約20㎞。そんな距離は歩いたことはないが、とにかく歩き始めた。
 瞬く間に国道沿いの歩道は、帰宅を急ぐ人でいっぱいになった。

 私はこの数カ月前に右ヒザ半月板を損傷して手術したばかり。(その経緯はこちら
 20㎞も歩くことができるか自信はありませんでしたが、とにかく浦安にいる家族の無事をこの目で確かめたい一心で歩きました。

 同じ方向に歩く人の波の中で、私の後ろを歩く女性2人の会話が聞こえてきた。
 「今日中に家に帰れるかなぁ」
 「歩ける距離って、1時間で5キロよね」

 1時間で5㎞。浦安まで20㎞だから、4時間。21時前には着きそうだ。
 よし、こういう時こそナンバ歩きで歩こう!(ナンバ歩きとはこちら

 半月板の手術後のリハビリで、ウォーキングをしていた時、普通に歩いた日は手術した右ヒザが腫れるが、ナンバ歩きで歩いた日は腫れも痛みもなかったことを思い出した。

 3時間歩いたところで、疲労と空腹で座り込んでしまった。自宅まであと5㎞。幸いヒザは痛くない。しかし疲れて動けない。時計を見るともう1時間も座っている。
 気力を振り絞って再び歩き始めた。

 浦安市内に入ると街の様子がいつもと違う。
 車が1台も走っていない。
 停電で街の明かりはないが、暗闇の中でも風景が一変しているのがわかった。

浦安は液状化現象


 いつも通るコンビニの前。そのコンビニが何か変だ。
 よくみると、店内に砂が流れ込んでカウンターまで埋まっている。液状化現象だ。

 道路も波打って、平らなところなどない。アスファルトのひび割れから水を含んだ砂が噴出し、立ち往生した車が乗り捨てられている。道路脇の5階建てのビルの1階部分が地中に沈んで傾いている。街中のマンホールが人の背の高さほどに飛び出している。

 自宅マンションは大丈夫なのか。それよりも、学校にいただろう息子、職場にいた妻は大丈夫なのか。とにかく自宅を目指した。

 5時間かかって自宅マンションについた。周辺は液状化現象で道路も歩道も破壊されているが、マンション自体はいつものままだ。ただ、明かりのついている部屋はひとつもない。
 エレベーターも止まっているため階段を上って行き、自宅の玄関のカギを開けた。

 真っ暗な部屋の中に、妻と息子の笑顔があった。
 

仕事は1カ月"休業"


 仕事は会社から連絡があるまで自宅待機ということになった。事実上の休業。1カ月続きました。
 水道、電気、ガス、下水道など、ライフラインがストップしているため、まずは、その日その日の生活水と食料の確保が“仕事”になった。

 市内のライフラインが復旧したのは2週間後。水と食料の確保の“仕事”が必要なくなった。
 私の仕事はまだ再開されそうもないので、時間はある。
 市内の体育施設は液状化の影響で1年は使えないので、道場の稽古も再開の見通しが立たないらしい。
 リバ剣したばかりで、今またブランクを作りたくない。試合でも、ヘンな負け方をしているので、少しでも上達したいと気合を入れ直したところだった。

 「家で稽古できるように、しっかりした打ち込み台を自分で作ろう」

 1週間かけて木製の打込み台を作った。すべての打突部位が打てるやつ。
 リビングの椅子とテーブルをかたずけて、そこに置いた。
 この日から、リビングは道場に。家族からは大ヒンシュクをかったが、目標実現のためには仕方がない。リバ剣した時に、3年以内に市民大会で優勝すると決めたので(その時の経緯はこちら)、あと2年しかない。時間がないのだ。

稽古ができる環境をつくった


 液状化現象の影響でその年の市民大会も、早々に中止が決まった。すると次の市民大会はその翌年の5月。リバ剣して3年目になる。

 「よし、その大会に照準を合わせよう」

 大会まで1年以上ある。一から片手刀法の基本をやり直そう。この打ち込み台で、毎日稽古できる!

 この半年前の市民大会の負け方。(その様子はこちら
 あの負け方が、悔しくてしょうがなかったんです。