2019年5月13日月曜日

平成24年浦安市春季市民剣道大会 壮年の部で優勝!

リバ剣して2年半で優勝


前年は震災で1年間試合なし


 この前年(2011年)は東日本大震災で地元浦安市は液状化現象に。インフラの復旧に約1年がかかり、我々市民剣士が出場できる大会の開催がなくなった。
 それを好機ととらえて、基本の稽古を徹底してやり直すことを決めた。80歳まで上達し続けられる剣道の「土台」を作るためにです。(その稽古については、前回の投稿をご覧ください)

 この時の1年間は、試合のことを考えずに黙々と基本稽古ができた。リバ剣と同時に二刀を執るという、ある意味無謀な挑戦ですので気負いもありましたが、地に足がついた気がします。
 
 気づけばあっという間に1年がたち、震災後の初めての市民大会を迎えた。

だれも予想してなかった優勝


 当の本人も予想してません。笑
 前回の秋季大会その前の春季大会も“試合になっていない試合”をやってしまったので、今回は、そういう恥ずかしい試合はしたくないという一心でした。

 当日の朝はゆっくり起床。午前中は子供たちの試合なので、一般の部は午後から。春季大会は、団体戦がなく個人戦のみ。
 前回の大会までは、息子の試合も観戦してましたが、この時は家でひとり稽古してから昼ごろ会場入りすることにした。

 時計を見ると時間はたっぷりある。
 「部屋の掃除でもするか」
 なにも試合の日の朝にしなくてもよいものを、思い立って始めてしまった。

 掃除を終えると、すがすがしい気持ちになって、落ち着くことができた。
 その後、家で「打ち込み稽古」をするつもりでしたが、急に「二刀の形稽古」をしたくなった。「打ち込み稽古」でウォーミングアップするよりも、「二刀の形稽古」で理合(りあい)を確かめたくなったのです。

 そして、ひとり形稽古をみっちりやって、家を出た。

 会場入りしても、まったく緊張しませんでした。
 リバ剣して2年半、「リバ剣したばかりなので」なんて、もう言い訳できませんからね。
 稽古でやってきたことを、そのまま試合でやるだけです。

 私は「壮年の部(40歳以上)」にエントリーしました。
 基本に忠実に、機をとらえたら躊躇しない、打ったら打ち切る、1回戦から準々決勝までは淡々と勝ち進みました。

準決勝の相手はあの"お弟子さん"


 準決勝が行われる試合場に行くと、お相手はもう待っていました。
 高名な二刀者で範士のお弟子さんです。自慢の師匠がいるのに、私に片手刀法の基本を聞きに来たあの人です。(その様子はこちら
 そして、前回の秋季大会では団体戦で同じチームだったにもかかわらず、ネット上で私のことを批判していた人です。
 今、目の前に自信たっぷりで立っています。

 その方は逆二刀、私は正二刀です。相二刀の試合なんて私も初めてですし、会場にいる誰もが初めて見たと思います。

 試合が始まってみると、お互い防御の固い二刀同士ですから、なかなか相手を崩せない。しかも、お相手はやたらと手数を出してくる。
 あせってそうしているのか、勝つ自信があってそうしているのか分かりませんが、いずれにしても打突に理合(りあい)がないんです。

 私はそれに気づいた瞬間スッと冷静になり、「そんなに打ちたいんなら、面を打たせてやろう」と思い、小刀での攻めを緩めて前に出た。
 お相手はその“誘い”にのって、今だとばかりに面を打ってきたのです。

 もうその時、私の身体は自然に動いていました。

 小刀でお相手の面打ちを受けると同時に大刀で胴を打っていた。

 審判の旗は瞬時に3本上がり、これで一本。場内から「ウォーッ!」という歓声。
 その後、すぐに試合時間の終了の合図があり、一本勝ち。

 実はこの技、二刀の「面返し胴」といって、数時間前に家で形稽古をした時に、繰り返し稽古した技なのです。
 試合に勝ったことよりも、理合を体現した一本を取ることができたことの方がうれしかったですね。
 この時の打突の感触は今でも覚えています。

 お相手の“お弟子さん”は相当ショックだったんでしょうね。この大会を最後に、個人戦には出場しなくなってしまいました。かわいそうなことになってしまいましたが、勝負ですから致し方ありません。

 決勝戦は、市内のライバル道場の闘志むき出しの方とあたりましたが、なんとか勝つことができ、「壮年の部」で優勝しました。

総合の決勝


 部門別の優勝者が決まると、続いて総合の決勝です。

 私のお相手は「青年の部(40歳未満)」の優勝者で、24歳の方。千葉県剣道選手権大会でベスト16に入っている方です。

 ついに、ブランク30年のリバ剣おやじが、若手現役選手とガチンコ対決です。
 望んではいましたけど、本当にこんなことになっちゃったって感じです。
 しかし、不思議と緊張は一切しませんでした。

 試合は、一進一退の攻防がつづきました。私は、何度か機をとらえるチャンスがあったにもかかわらず、躊躇して逃してしまっていた。総合の決勝という舞台の雰囲気にのまれているんですね。これは、明らかに経験不足。リバ剣剣士の弱点です。

 両者とも有効打突がなく、制限時間がきて延長戦に。ここからは、一本先取した方が勝ち。

 やはり現役選手は試合巧者ですね。上下太刀(二刀の代表的な構え、上段の構えの一種)をどう攻略すればいいか分からなかったと見えて、引き技で一本を取ろうとしてきてている。
 私はそこまで解っていて警戒はしていたんですが、つばぜり合いからの引き際に私がすぐに大刀を上段に構えようとする癖を読み取っていたんですね。
 体当たりから「引き胴」を打たれた。やや元打ちでしたが、試合時間が長引くと、こういう打突でも旗が上がってしまうんです。
 私の負けでした。

 試合後は、たくさんの方が、私の壮年の部の優勝と総合の決勝の健闘を喜んでくれました。
 しかし、リバ剣直後に私が決めた目標はあくまでも総合優勝。(その経緯はこちら
 それが、できなかったことが悔しくてしょうがなかった。3年以内と期限を決めていましたから。

 まあ、現実は甘くないということですね。4年目以降も“総合優勝”を目標に挑戦し続けることを決めた。

「アンチ二刀」だった市剣連の会長


 表彰式の後、閉会式に移って、私の試合が意外な人の心を揺さぶったことを知った。
 浦安市剣道連盟会長(平成24年当時)のYSWR先生だ。

 この方は、「二刀流は邪道だ」と公言してはばからなかった方。

 それがなんと閉会式の会長のスピーチで、こんなに素晴らしい二刀の試合を見たのは初めてでだ、という内容の話をしたのです。しかも興奮気味に。笑
 そして、観戦していた小中学生に向けて、今日見た二刀の試合を忘れないようにとまで。

 正しい二刀を正しい剣の理合で体現すれば、誤解している人も変えることができるんだなぁと、他人事のように感心してしまいました。

 市剣連にはあと2人「アンチ二刀」がいるんですが、この方たちのことも、後のお楽しみに。

 閉会式が終了し、散会となった。
 するとすぐに、あの“お弟子さん”が私のところにやってきた。
 「おめでとう」
 笑顔で声をかけてくれた。

 私、その時つい聞いちゃったんです。「会長は、最初にどんな二刀を見て"アンチ"になったんでしょうかね」って。

 そしたら、「オレのだよ」ですって。汗

 気まずい空気が流れたのは、言うまでもありません。
 

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