「石火の機」に挑む
正しい基本の稽古は一生するもの
前回の投稿までに、足さばき、腰の遣い方、構え、一つ拍子の打ちを、息子と共に稽古し直してきたことを書きました。2010(平成22)年のことです。息子は当時小4。
ここまでできても、安心はできません。一週間たてば足さばきが崩れる。すると、腰の遣い方が変わってしまう。それが、構えに表れる。体重移動の仕方が変わるので、一つ拍子の打ちができなくなる。
これは、大人でも同じこと。自分で自分の基本を正しく修正することができるまでは、誰もが通らなければならない"難所"です。
なぜ、"難所"なのか。自分で自分の基本を修正できるようにならないうちに、剣道から放れてしまう子供も多いからです。剣道の面白さが、全く解らないうちに辞めてしまうということです。
ですから、なるべく早くこの“難所”をクリアさせてあげたいんですよね。そのためには、ある程度の厳しさは必要になってくる。それに耐えて、正しい基本を自分で稽古できるようになれば、「稽古の仕方」が解り始めるんじゃないでしょうか。
やらされ感覚ではなく、本人が「稽古の仕方」を身に付ける。一生上達し続けるために、必要なことなんではないでしょうか。
「起こり」をとらえる
正しい身体運用ができて、一つ拍子で打てるようになれば、「機をとらえる」ことができるようになります。
息子は当時小学4年生。小さい子供にそんなことを教えるのはまだ早い、という人がいますが、「機をとらえる」のができないのは大人の方です。子供は素直ですから、正しく教えればすぐにできます。
ご存じのように、機をとらえるところは三つ。居ついたところ、技の起こり、技の尽きたところ、ですね。
まずは、技のおこり「出ばな」を息子に伝えました。
教え方はいろいろあると思います。その子供に合った、理解できる教え方をすればいいと思います。息子には何パターンかの説明をしてすぐに理解できました。やや大げさに「起こり」を作ってやると、そこをとらえて“出ばな面”を打てるようになった。
「相面」自分を捨ててガチンコ勝負
次は、相面を制することができるようにしました。
相手が打ちかかってくるときに、恐怖心を捨てて正しい姿勢と動作で「打ち切る」ことができるように稽古した。もちろん、言葉ではなく稽古の中で子供自身が気づくまで何度も繰り返しました。
「初太刀」をとるということ、初太刀は「面」以外ありえない
最近は、稽古が始まって、元立ちの先生に対していきなり小手を打って、「͡コテ、コテ、コテ」なんて言っている人が結構いますよね。昔だったらそんなことをしたら、ぶっ飛ばされて、帰らされましたよ。笑
今の人たちは、初太刀で「面」以外を打つことが失礼なことだと分からない人が多いんですね。これも、「剣道のスポーツ化」が一因になっていると思います。残念なことですけどね。
なぜ、「初太刀」を取りにいくのか。なぜ、初太刀は「面」なのか。
このことは、回を改めて詳しく記述したいと思いますが、私が子供の頃に教えられたここを簡単にいうと、こういうことになります。
真剣(日本刀)を執っての斬り合いで、最も理想的な勝ち方は、最初の一撃で相手を倒すということです。それに失敗すれば、次は自分が斬られるかもしれない。だから、「初太刀」に命を懸けるのです。
命を懸けるというと大げさに聞こえるかもしれませんが、武士が抜刀するということは、その時点でもう後には引けない、すべてを捨てたという覚悟があるわけです。ですから、「初太刀」はまさに“命がけ”となるわけです。
では、なぜ「面」なのか。これは、一撃で倒すためには、必殺技でなければならないということです。
宮本武蔵は弟子たちに、「真剣勝負になったら、眉八文字を斬らなければ絶対に勝つことはできない」と常日頃から伝えていたそうです。「眉八文字」とは眉間(みけん)のこと。まさに「面」です。武蔵の養子である宮本伊織はのちに、武蔵は数十回の試合で眉八文字を外すことはなかった、と証言しています。
剣道で一撃必殺の技は「面」なのです。他のどの部位を斬っても、相手は死に物狂いで反撃可能です。ですから、この「面」を稽古することが重要なのです。
剣道の基本の打突は「面」から教わります。素振りも「面」、切り返しも「面」ですね。
ゆえに、稽古で元立ちの先生にかかっていくとき、「初太刀」を必ずとるという気迫が必要です。昔は、初太刀をとりにこなかった子供は、稽古してもらえませんでした。ですから、何が何でも初太刀の「面」を取りにいくという気概がありました。
ではなぜ、初太刀で「小手」や「胴」を打ったら元立ちの先生に失礼なのか。
「スポーツ化した剣道」であれば、小手や胴も打突部位なんだから打ってもいいじゃないか、ということになっちゃうんでしょうね。
試合であれば、いいですよ。どこを打ったって。勝負ですからね。
でも、元立ちにかかるのは稽古です。「古(いにしえ)を稽(かんがえる)」わけです。ですから「初太刀」は一撃必殺の「面」なのです。
ちなみに古来、小手、胴、突き、というのは、面打ちの稽古の際、師が弟子に対し指導のために打った場所といわれています。
- 「小手」を打って、攻めに対して手元が上がったことを教える。
- 「胴」を打って、脇があまくなったことを教える。
- 「突き」を打って、中心が取れていないことを教える。
それを、稽古の最初に、元立ちの先生に対してかかり手やったら、失礼だということです。
稽古の最初、「初太刀」の「面」を何が何でもとりにいく。返されり、応じられると分かっていても渾身の「面」を打つわけです。
その「初太刀」で、稽古の“質”が決まると言ってもいいんじゃないでしょうか。わずか5分程度の地稽古が本当に充実したものになるかどうか。
そして、最後も渾身の「面」で締めくくるのです。稽古をつけて頂いた最後に、「初太刀」よりも上達した「面」を打つ、“捨てて打つ”ことが、礼儀なんではないでしょうか。
小4だった息子が、どこまで理解したか分かりませんけどね。でも、先生方に対して失礼な剣道だけはしてほしくなかったので、伝えるべきところは伝えたつもりです。
剣道の面白さを知る
ここまでのことができれば、「剣道は面白い」と思い始めるのではないかと思います。ですから、ある程度の厳しさがなければならないんじゃないでしょうか。甘やかして楽しいだけでは身に付かないことはありますからね。
結果的には、息子に一番厳しく稽古することになってしまった。それでも毎回、稽古の最初は私のところに一番に並んで来た。
うれしかったですね。息子とこんなふうに剣尖で会話ができるようになるなんて思ってもみませんでしたから。
便宜上、“教える”という言葉は使ってますけど、剣道は“教える”ことはできないと思っています。教えて全部できるようになるんだったら、誰も苦労はしませんからね。心を開いて、厳しい稽古を通して、自分が“学ぶ”しかない。
大人はその稽古の仕方を“示す”ことしかできないんじゃないでしょうか。
後は指導の先生にお任せしました
この時点で、子供に身に付けて欲しかったことは、大体伝えられたと思います。
最低限の稽古の仕方を身に付けて、あとは心を開いて精一杯稽古するだけ。
中学生ぐらいになって、真剣に試合に勝ちたいと思うようになれば、また伝えることがあるんじゃないかと。
私は私で、自分の稽古に集中して、息子にその後ろ姿を見せるだけです。
とりあえずは、“剣道大好き”になってくれてたみたいで、安心しました。
ある朝のこと。
その日は道場の稽古のある日。
息子は起きてくるなり、こう言いました。
「やったぁーっ!今日は剣道だぁー!!」
昔の私と同じです。笑