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2019年5月8日水曜日

リバ剣 日常の稽古⑥ 心にしみた師の言葉

被災して自分の剣道を見直す機会になった


東北の被災地へ竹刀100本の支援


 前回の投稿で、2011(平成23)年3月11日の東日本大震災の時のことを書きました。
 地元浦安市は、液状化現象の影響で、市内の体育施設は使用できなくなり、復旧には1年かかることがわっかた。

 通常、市内にある5つの剣道団体は皆、学校の体育館や武道館など、市の公共施設を使用して稽古を行なっている。それぞれの団体が"ホーム"として使用している施設が使えないのだ。
 市剣連が主催する剣道大会も1年間は中止になった。

 浦安も被災地だがもっと大変なのは東北の皆さん。
 所属する道場の会員さんから、こういう声が上がった。
 
 「私たちは稽古場所に困っているだけだが、東北の被災地の方々は避難生活をされているわけだから、そもそも物がない。素振りをしたくとも、竹刀すらないのではないか」

 道場のある先生が東北被災地の剣道連盟に問い合わせたところ、子供も大人も稽古をやりたがっているが竹刀がない、支援して頂けるのは大変ありがたい、ということだったという。

 それで、その先生の呼びかけで、浦安市剣道連盟本部道場として竹刀約100本を、支援物資として東北被災地に送らせていただいた。

「一人稽古」の徹底強化


 2011(平成23)年、被災後。
 道場での稽古もできない、1年間試合もない。
 これを好機ととらえ、「一人稽古」を徹底的に強化する道を選びました。

 剣道を再開して1年。自分なりには、かなり激しい稽古をしてきたつもりでしたが、もともと基礎的な体力が伴っていなかったところからの出発だった。だからすぐに限界がくる。自分では、「やってるつもり」になっていたのです。

 リバ剣当初は、数カ月も稽古すれば、すぐに昔の感覚が戻ると思っていましたが大間違い。
 あの頃と同じ努力をしなければ、その感覚は戻らないこともわかった。

「ナンバ歩き」の効果を確認


 地震発生時に職場から自宅まで、約20㎞歩いたことを前回書きました。(その様子はこちら
 その後、聞いた話ですが、同じ職場の同年代の人で、その日、私と同じように長距離を徒歩で帰った人は皆、ヒザを痛めたといいます。数日歩けなくなった人もいたそうです。

 私は、半月板の手術後数カ月しかたっておらず、段差の昇降には不安がある状態だったにもかかわらず、そういった症状は一切出なかった。
 やはり「ナンバ歩き」は足腰に負担がかからない歩き方であるということを、再確認できた。
 
 考えてみれば、剣道を再開を決意したころは、通常の走り方で毎日4~8㎞走っていましたが、その時使用していたランニングシューズは、3カ月ほどでボロボロになってしまった。
 その後、「ナンバ歩き」を実践するようになり、そのシューズも新しいものに買い替えた。同じメーカーの同じ種類のものですが、1年たってもまだまだ使える。靴にかかる負担も違うようです。

 年齢による足腰の衰えで、立合いの際の「機」のとらえ方が左右されるようでは、若い現役世代とガチンコ勝負などできるわけがない。
 年齢や運動能力に左右されない身体運用法の一つが「ナンバ歩き」。この歩き方を極めようと決意しました。

 これまでは、日常では、なるべく「ナンバで歩く」という気持ちだったのが、この時から、いかなるときも「ナンバで歩く」ようになった。
 さらに夕食後に、毎日8㎞のナンバ“走り”を自分に課しました。

自宅でいつでも「打ち込み稽古」


 前回の投稿で、木製の打ち込み台を作り、リビングに据えたことを書きました。
 それによって、もう、雑木林(防風林)の中に打ち込み稽古をしに行かなくてもすむようになった。笑(防風林の中での稽古の経緯はこちら

 「片手で、打って打って打ちまくる」
 
 自宅での打ち込み稽古は、それを信条にしました。
 その理由は、片手ででの打突が、諸手での打突と比較して、圧倒的に少ないということ。
 小学2年で剣道を始めた私は、剣道を断念する高校1年までで、どれほど「諸手」で打突してきたか。大まかな数字を出すのも不可能です。一方、「片手」での打突は、まだ始めて1年ほど。たかが知れている。

 以前、あるプロのピアニストのエッセイを読んだ時、ピアニストの“プロ”と“アマチュア”の違いについて、読者に問うている場面があった。
 私はすぐにその答えは「才能」だと思いましたが、違っていた。
 正解は「一日にピアノを弾く時間の長さ」だった。その人曰く、この違いは圧倒的なのだそうです。

 二刀流を始めた私にとって足りないもの。それは、「片手ででの打突の回数」ということになります。だから自宅で毎日、「片手で、打って打って打ちまくる」しかない。しかも“正しい片手刀法”で。

出稽古


 “一人稽古の強化”といっても、まったくお相手のいない稽古だけをしているわけにもいきません。同時に、実戦の感覚も磨かなければならない。
 
 浦安では施設が使用できないため、お隣の市川市へ出稽古に行かせていただくようになった。元々出身道場である市川市剣道連盟東部支部にはこの前年に登録していましたので、稽古には行っていましたが、市川市内の他の道場にも出稽古でお邪魔させていただくようになりました。

 どこへ行っても歓迎していただき、この時のご縁で本当にいい稽古をさせて頂き、勉強させて頂くことができました。今でも交流は続いています。

二天一流武蔵会東京支部の稽古会に参加


 震災後、最初の東京支部の稽古会に、二天一流第十七代師範の中村天信先生がお見えになった。
 中村師範は、寡黙な方。だから言葉に一切の装飾がない。今、心にあることをありのままにお話しされる。

 稽古開始前、参加した会員たちに対し、朴訥(ぼくとつ)とした話し方でこうおっしゃった。
 「一寸先は闇の世の中にあって、光明となるような二刀をするために、しっかり稽古しましょう」
 
 今でも胸に刻んで、稽古しています。