テストタイトル

2019年5月9日木曜日

白血病 夫婦の絆

大病をしなければ気づかなかったこと


感謝の気持ち


 久しぶりの「白血病」に関する投稿になります。
 2017(平成29)年4月。急性リンパ性白血病と診断され、8カ月間の抗がん剤治療を経験した。(その様子はこちら
 現在(2019年5月)は、1年ほど前に復職も果たし、大好きな剣道も再開しています。
 
 今回は、大病をする前と後の、家庭内の"ある変化"について、書きたいと思います。

 罹患して初めて自分が幸せであったことに気づきました。
 入院中は、家族、会社、友人、病院のスタッフに対する感謝の気持ちで、毎日涙があふれた。(その気持ちを綴った投稿はこちら
 
 それまでの自分は、なんてわがままだったんだろうと。

笑顔のない家庭


 結婚した当初はよかったんですよ。私も妻も笑顔があったと思います。
 しかし子供ができ、子育ての方針に関して些細な食い違いが出てくると、険悪なムードになってきた。

 子供が小学生になったころには、必要以外は妻と会話しなくなっていましたね。
 今から考えれば、一番かわいそうだったのは子供です。両親どちらとも仲良く遊びたいのにその二人が仲が悪いんですから。まさに板挟み。どうしたらいいか分からなかったと思います。
 その後、3人とも同じ道場で剣道をやることになっても、妻とは稽古したことありませんでした。苦笑

 息子が中学生になっても、私と妻の口論は絶えません。お互い強情ですからね。どちらかが引くなんてことがない。
 当然、家庭内に笑顔なんてありません。

 そんな中でも、救いは息子が素直な子に育ってくれたこと。それだけで満足だったので、妻との関係改善なんて望んでいませんでした。
 そして、息子が高校生活に慣れたころ、私の体調がすぐれなくなってきたのです。
 

入院


 急性リンパ性白血病でした。フィラデルフィア染色体異常の。
 抗がん剤治療が始まり無菌室に入った翌日に妻を呼んで、私のことで負担をかけてしまうことを詫び、家のこと息子のことを託した。

 それまで、必要以外ほとんど口もきいてなかったんですからね。見捨てられても仕方がないと思ってました。
 ところがね、翌日から毎日、面会に来たんですよ。

 その頃の妻といえば、フルタイムの仕事を持ち、朝は剣道の強豪校へ通う息子が朝練のため4時に起床して弁当を作り、息子を送り出してから出勤。
 夜は道場の小学生の剣道の指導。休日は、息子の試合の帯同。月に数日は実家に帰って義母の介護。
 そんな殺人的なスケジュールをこなす中、ほぼ毎日面会に来てくれたのです。

妻の「笑顔」


 どこにそんなエネルギーがあるんだろと思うぐらい、すべてを手を抜かずに一日をやり終えて病院に来る。その表情は不安でいっぱいでしたね。私もそうですが、この先、どうなることかと思っていたんではないでしょうか。
 私には直接言ってきませんでしたが、私の母には、なんとか病気が治ってほしいと言っていたそうです。

 治療が始まって4カ月が過ぎたころ、ふとあることに気が付いた。
 
 面会のときに病室に入ってくる妻の表情が、「笑顔」になっていた。
 その笑顔が、"あの頃の"笑顔と同じだったんです。

出会いはこの病院


 実は、私はこの28年前、貧血で2週間ほどこの病院の同じ病棟に入院していたことがあるのです。当時25歳。
 その時ここに、看護師1年目で勤務していたのが、のちに妻になるM子なのです。当時22歳。(現在は、他の医療機関で働ています)

 「笑顔」で私の病室に入ってきた一人の看護師さん。
 第一印象は、「ああ、もう探さなくていいんだ」って思いました。ひと目見た時に、そう思ったのです。

 というのは、私は子供の頃から、結婚は「縁」だと思ってた。だから、現在の「婚活」のように相手にたくさんの条件をつけて、それに合った人の中から選ぼうとするような考えはなかった。
 例えば、小中学生の頃は、このクラスの中に自分と「縁」のある人がいるのかいないのか。大学、社会人となってからも今までにあった人の中に、「縁」のある人はいるのかいないのか。まだ会っていないのなら、いつ出会うのかぐらいは誰か教えてくれないものかと、ずっと思ってました。笑
 結婚願望があったわけではないのです。まだ25歳でしたから。ただ、自分と「縁」ある人が、どんな女性なのか知りたかったのです。笑

 そしたら、この病院に入院したら目の前に突然現れちゃった。
 「病気になって入院しなきゃ、出会えなかったじゃないか」って思った。笑
 M子もその時「縁」を感じたそうで、その7年後に結婚した。

 結婚して20年。すっかり仲も悪くなって妻の「笑顔」なんてしばらく見てませんでした。
 それが、私が白血病になって同じ病院に入院し、あの頃はナース服で病室に入ってきたM子が、今は妻になって私服で病室に入ってくる。
 目元のシワは増えちゃいましたけど、「笑顔」が同じだった。

 「この笑顔をなくしていたのは、オレのせいだ」

 そう思いました。ようやく、自分のわがままに気づいたのです。

人生を一緒に


 妻が「笑顔」で面会に来るようになって、病室で二人でたくさん話しました。今まで会話らしい会話もしてなかったぶん、たくさん。

 話の内容は一人息子のことばかり。息子が成長する喜びを、ようやく二人で分かち合えるようになったんです。

 この病気になったことで、ようやく家族が一つになれたような気がします。
 時間はかかりましたが、妻と人生を一緒にやっていく実感が初めてわいた。妻もそうだったと思います。

 大病したこと、そして妻に、改めて感謝しました。