「一刀中段がしっかりできてから」という風潮
上段や二刀は剣道の「応用編」なのか
2010(平成22)年に剣道を再開し、同時に二刀を執って稽古していると、左上段や二刀を執っていた若い剣士が、ある日、一刀中段に戻っていることを目にすることがある。
理由を聞いてみると、高段の先生に「そういうことは、一刀中段がしっかりできてからやれ」と言われた、というのだ。
現代剣道では、初心者に対し、右足前の「送り足」を教え、一刀諸手中段を教える。
果たして、これが剣道の基本を教える唯一の方法なのでしょうか。
実際問題として、初心者が道場や部活動で一人だけ違った方法で稽古をすることはできません。ですから、右足前の「送り足」で一刀諸手中段から稽古を始めることを否定するつもりはありません。
しかし、どうも引っかかるのが「一刀中段がしっかりできてから」という考え方です。
では、"一刀中段"がしっかりできる日はいつ来るのでしょうか。
そして、"一刀中段"がしっかりできた状態とは、どういうものなのか。
一刀中段が基本で、それが上達したものだけが左上段や二刀にすすむことができるような考え方に、結果的になっちゃってるんですね。言っているご本人はそういうことは意図していないのでしょうけど、残念ながらそうなってしまっている。
これは、一刀中段を一生をかけて稽古されている方々に対して、大変失礼な話だと思います。
「もうオレは、一刀中段はしっかりできるようになったから、明日からは左上段をやりまーす」なんて言う人がいたらどうします?
「一刀中段の稽古をバカにしてるのかぁ」ってなりますよね。
片手刀法から諸手刀法へ
歴史的にみて、世の東西を問わず、剣をとって戦う武術はすべて片手で剣を操作しています。
書物や絵画、あるいはアニメや映画などを観ていて、日本以外で"両手"で剣を常に操作している場面を見ることはありません。フェンシングなどもそうですが、諸外国では剣を操作するのは"片手"です。
では、日本だけが例外なのでしょうか。
そうではありません。日本で刀を両手(諸手)で保持するようになったのは、室町中期以降と考えられています。
これは、剣術諸流派の伝書や指南書、そして日本刀の拵(こしら)えを見れば明らかです。
室町前期までの太刀の拵えは、柄(つか)が中ほどから峰側に大きく反り返っています。これを両手で持つことは不便です。片手で保持してなぎ斬りするようにつくられているわけです。ですから、太刀全体の反りも大きくなっているのが特徴です。
子供の頃に剣道をやっていた方で、こういうことに気づいた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
日本史の教科書に掲載されている絵画を見て、鎌倉や平安時代の武人が腰に提げている刀が、刃部が下を向いているということを。
私は、小学生の時にこれに気づき、ずっと不思議に思っていました。
というのは、剣道の道場で、提げ刀あるいは帯刀する時は、刃部は上に向け、峰を下に向けると教えられているからです。
日本史の教科書に掲載されている絵画が、現在の剣道で教えられている通りの"提げ方"になっているのは、室町以降のものからです。
ですから、この時期を境に、刀法が変化し、それに伴って太刀の形状が変化し、必然的に帯刀の仕方が変わったということがわかります。
室町中期を境に、刀法が片手保持から両手保持(諸手)に変化し、それによって、太刀のいわゆる「打刀拵え(うちがたなこしらえ)」が誕生し普及していったのです。
両手保持は高度な刀法
こうした経緯を見てみると、室町後期から戦国期の剣術諸流派の流祖たちによって、刀法が根底から変更され、両手保持(諸手)刀法が生み出されたといって、間違いありません。
"根底から"ということは、ただ単に「片手」から「諸手」へ持ち方を変えただけではありません。
身の置き方、歩み方、太刀の握り方と振り方、間合いと拍子、その一切を新たな原理に立て直しているのです。(なぜ刀法が変更されることになったかは、こちら)
刀身一如の大原則
こうして、戦国期に確立された諸手刀法。
その特徴は「刀身一如」が大原則になっていることです。これが、現代の「剣道」に連綿と受け継がれてきているのです。
では、「刀身一如」とは何でしょうか。これは、身体の移動と刀の動きを一致させることです。刀を諸手で持ち、身体もろとも打ちかかる刀法。まさに捨て身の刀法。一撃必殺の極意なのです。
それ以前の、片手刀法といえば、身体は相手の太刀が届かない安全なところに置いたまま、片手を伸ばして敵を斬ろうとするわけですから、"刀法"といえるものではありません。偶然や、身体能力にたのんで、戦うわけです。
室町以前の合戦は、馬上攻撃が主流ですから、諸手で太刀を持つことはできませんし、なぎ斬りする格好になるわけです。
人が、偶然や身体能力の差で、生き死にする。そんなむごたらしい現実から、勝つ必然を極めて剣理を得たのが、刀身一如の諸手刀法であり戦国流祖たちなのです。
宮本武蔵の偉業
「先づ片手にて太刀をふりならはせん為に、二刀として、太刀を片手にて振覚ゆる道也」(『五輪書』より)武蔵は、二刀とは片手刀法を稽古するためのものだと言っているのです。太刀は、一刀を片手でも両手でも振り、二刀を両手でも振る。そのために、普段から二刀を執って稽古していれば、他の二つは可能であるというのです。
武蔵の生まれた戦国末期は、諸手刀法が全盛となっていた時代です。
そんな時代に、やっぱり太刀は片手で振るものだ、と言っているのです。
しかし、ここで私たち現代人が、注意深く認識しておかなければならないのは、武蔵は単なる片手刀法への回帰をうたったのではないということです。
武蔵の二刀は、刀身一如の大原則を保持したまま、戦国流祖たちが到達した革新を極めて厳密に受け継いでいるだけでなく、一層鋭く自由なものに研ぎあげるための手段だと言ってもよいのです。
目指す剣理は同じ
そういった意味で、室町後期以降を起源とする諸手刀法と二天一流の片手刀法は、極めんとする剣理は同じだといえるのです。
違うのは、そのアプローチの仕方。諸手刀法なのか片手刀法なのか、一刀なのか二刀なのかだけなのです。
ですから、一刀がしっかりできるまで、諸手左上段も二刀もやるべきでないとういう考え方は、「武道」である剣道を、一刀中段だけの"スポーツ"にしかねない、根拠のない発想といえるのではないでしょうか。
限りある寿命の中で
人間だれしも永遠の命を授かっている人はいません。寿命には限りがあるのです。私は一昨年(2017年)に急性リンパ性白血病と診断され、身に染みてそれを感じています。
歴史上に実在した戦国流祖たちが、まさに命がけでそれぞれ剣理への道程を示してくれたわけです。
私たちが、どのアプローチの仕方で剣理の習得を目指すか。中段なのか上段なのか、諸手なのか片手なのか、一刀なのか二刀なのか。
それをたった一つの方法に、他人から限定されたり、他人に対して強制したりすることは、愚かなことだと思うんですけど……。
人生には限りがありますからね。自らが納得できる方法で「理」を追求したいものです。