一年間の治療を終えて大復活
帰って来た「リバ剣おやじ」
2018(平成30)年5月。浦安市春季市民剣道大会(個人戦)に出場しました。
この1年前の2017(平成29)年4月、急性リンパ性白血病と診断され、入院。(その様子はこちらから)
8カ月間の抗がん剤治療と1カ月間の放射線治療を受け、この年の4月に仕事と剣道に奇跡的に復帰。
その1か月後に、市民大会出場となった。この時、54歳。
実は、復帰した直後に市民大会があったから、出場したのではないのです。
この大会に出場することを決意して、それに間に合うように復帰したのです。
本当は、もっと自宅療養をした方が良かったのかもしれません。
しかし、仕事も剣道も早く再開したくて、自分で期限を切ってリハビリしてました。
この半年前に退院して、強力な抗がん剤の影響で低下した体力を元に戻すため、歩くことから始めました。
"歩くことから"と言っても、実際にはそれしかできませんでした。
走ったり、素振りや打ち込みもやってみたりしましたが、とても続けられるような状態じゃない。
数カ月すれば、徐々に体力が戻ってくるものだと思っていましたが、そういうものではありませんでした。
白血病は骨髄の癌ですが、特に急性白血病の場合は診断された時点で、普通の癌でいえばステージ4の末期なのだそうです。
その状態から一気に全身の骨髄の癌を消滅させるために、致死量にも及ぶ抗がん剤を投与するわけです。残念ながら私が入院中に、同じ病気で亡くなられた方は何人も見てきました。
幸運にも治療を乗り越えられたとしても、その強い抗がん剤を投与してきた後遺症と戦わなければならない。
退院後にそういう現実に直面しました。
体が完全に元の状態に戻るのは、数年後かも知れないし、一生戻らないかも知れない。
ならば、完全に戻るまでは待っていられない。不完全な体でも、やり始めるしかないと思ったのです、仕事も剣道も。
幸い私の場合は、今は食事の制限も運動の制限も、医師から受けているものはありません。なので、この大会の出場を目標にして、その前になるべく早く仕事と剣道を再開しようと決意していました。
そして、実際に復帰できたのが大会の1カ月前となったのです。
試合当日
1カ月前に復帰して、道場で稽古できたのは数回だけ。
しかも、体力的には試合に出られるようなものではなかった。会場まで来ただけで、ゼーゼーハーハーという有り様。
しかし、ご心配をおかけした皆さんに、元気になった姿を見ていただきたい一心で、ここまで来ました。
会場入りすると、他の道場の皆さんから次々と声をかけていただきました。大病を克服して戻って来たことを喜んでくれた。ありがたさに目頭が熱くなりました。
そんな私に、試練がまち受けていました。
手渡されたパンフレットのトーナメント表を見て落胆することになるとは。
一回戦のお相手が、一昨年のこの大会の壮年の部優勝者だったのです。実は、私はその時この方に負けています。しかも今回は病み上がりで、以前よりも条件が悪い。
もうすっかりあきらめムードになってしまい、「一回戦で負けて早く家に帰って、体を休めなさいということだな」なんて思ってしまいました。
試合開始
立礼から大小を抜刀して蹲踞。「はじめ」の号令で立ち上がって、上下太刀(二刀の代表的な構え、上段の構えの一種)に構えながら、右足を半歩前に出した。
足の裏とつま先は、抗がん剤の影響でしびれていて、感覚がない。自分の足が今、どんなふうに床をとらえて接しているのかが、まったく分からない。
しかも二刀は、片手で竹刀を保持しています。この手に力が入っていない。握力がないのです。
こんな状態で戦えるのかと、自分でも思いました。
しかし、状況が違うことに気がついた。攻めて相手を追い詰めているのは、私の方なのです。
お相手の動きがよく見える。体力には自信がないものの、怖さは感じないのです。
下がるお相手をさらに攻め込んで、その手元が上がったところを「小手」で仕留めた。
そして、試合時間が終了し、一本勝ち。
ちょっと自分でも信じられませんでした。どうしてこんな展開になったんだろうと。
その後も、トントン拍子で勝ち進んでしまい、終わってみれば壮年の部で優勝していました。
壮年の部で優勝、そして総合の決勝へ
部門別のトーナメントが終わると、最後は総合の決勝に。
私のお相手は、青年の部で優勝した20代の強豪校剣道部コーチ。
こんな体の状態で、ケガをしないで帰れるのかと思いましたよ。
健康だった時も、現役選手とやる時は、少なからずそう思ってましたから、この状態ではなおさらです。
しかし、逃げるわけにはいきませんから、腹をくくりました。
試合が始まりました。
私は、前に出て自分から打突の機会をつくることだけ考えた。そうすれば、あとは自然と体が動くだろうと。待っていては、現役選手のスピードに対応できませんからね。
そんな中、互いに打突して体が接触した時に、私が大刀を落としてしまった。
これで、反則1回。あと一つ反則を取られれば、お相手に一本がついてしまう。
やはり、握力がないんです。こんなことで、竹刀を落とすなんて。
ちょっと弱気になりかけましたが、気持ちを強く持ち直しました。
そして、一足一刀の間合いから、さらに後ろにあった左足を一歩前に出しながら攻め込むと、お相手の動作の"起こり"が見えた。
その瞬間、私の大刀の重心はお相手の竹刀の裏鎬(うらしのぎ)まで到達していました。そこから自分でも信じられないような力で、振り下ろした。
「小手あり」
審判の声が聞こえた。
なんと先制したのは私。充分な手応えもありました。
しかし、このあとがいけなかった。
お相手は、このあと明らかに戦い方を変えてきた。このままでは分がないと思ったのでしょう。鍔迫り合いから体当たりを仕掛けて、私がバランスを崩したところを「引き胴」。これが一本になって、勝負に。
私の体力が限界に達し、集中力を欠いたところを、竹刀で大刀をたたき落とされて反則に。
先ほどの反則と合わせて、お相手に一本が入り、勝負あり。
試合終了となった。
試合を終えて
悔しさはありませんでした。
体力の限界までやりましたから。よくここまで出来たなと。
「竹刀落とし」と「引き技」。総合の決勝では過去に何度もこれでやられているので、観ていた方たちにはどう映ったのかなぁなんて、心配になりましたけど……。
閉会式を終えて着替えようとしていると、青年の部で準優勝された方が、声をかけてきた。
「総合の決勝で"小手"を先制した時、会場からものすごい歓声が上がってましたよ。感動しました」
観ていた皆さんがそういう反応をされていたのは、驚くとともに本当にうれしいことです。
また、総合の決勝で主審をされていた先生は、「本当に、白血病で入院していたの?」っておっしゃってました。笑
そして、大会役員席にいた審判長(剣道八段)も、周囲の先生方と私のあの「小手打ち」を話題にして、盛り上がっていました。二刀の「出小手」はどうやって打っているのだろうと。
その輪の中に、身振り手振りでそれを再現しながら、笑顔でレクチャーする方がいました。この前々年の秋季大会で、私のチームが団体戦三連覇し、総合優勝までした大会の懇親会で、一人だけ笑顔のなかったあの先生です。市剣連のアンチ二刀、最後のお一人。(その様子はこちら)
しかし、もう"アンチ"ではないようです。帰り際に私に対して、「どうもありがとうございました」とあいさつしてくださった、満面の笑みで。
正しい二刀をやっていけば、必ず伝わると信じてやってきましたが、こんなにも早く、皆さんに理解していただけるとは思っていませんでした。
しかし、気の緩みは禁物。今後も見られ続けられますから、さらに精進しなければなりません。
再び、剣道ができる喜びをかみしめながら。
追記
この4カ月後の試合については、すでに記事を投稿しております。
平成30年 千葉県剣道選手権大会出場の模様はこちら。