2019年6月25日火曜日

平成30年 市川市民剣道大会 部門別3位 恩師の笑顔

大病から復帰して初めての市川の試合


新しい部門別


 この年(2018、平成30年)は、急性リンパ性白血病を克服して4月に復帰。(闘病の様子はこちらから)
 5月には、浦安市春季市民剣道大会に出場し部門別優勝を果たし(その模様はこちら)、9月には千葉県剣道選手権大会に出場している(その模様は、こちら)。

 そして、約300名が参加する10月の市川市民剣道大会。
 これまでは、個人戦は段位と年齢で9部門に分かれていましたが、複雑すぎるということで今回からは年代別に変更された。
 私は以前は「四、五段40歳以上の部」という部門でしたが、今回からは、「50歳代の部」ということになりました。(この時、私は54歳で四段でした)
 年齢的には近い方と対戦することになってよかったのですが、この部門の特徴は元気な高段者が多いということ。厳しい戦いとなりそうです。

会場入り


 会場に到着すると、たくさんの方々から声をかけていただき、大病から復帰したことを喜んでいただいた。
 その輪の中心にいた私を見つけて、満面の笑みでこちらに向かってくる方の姿が見えた。この時、市川市剣道連盟の会長だったTKHS先生だ。
 この方は、8年ほど前に私が初めて市川市の合同稽古に参加させていただいた時から、大変お世話になった先生。二刀遣いである私が市川市の稽古に参加しやすいように、配慮をしてくださった方です。そのおかげで今ではこうしてたくさんの方々と、市川で交剣させていただけるようになった。
 この日も、剣道を再開した私の姿を見て大変喜んでくださり、激励してくださいました。本当に心優しい、ありがたい先生です。

試合開始


 一、二回戦のお相手は、いずれも五段の方だったと思います。
 最初は試合のペースがつかめず、タイミングが合いませんでしたが、徐々に身体が動くようになり、有効打突がでるようになってきた。

 三回戦まで進み、試合場に入ると、対戦相手はもう待っていました。

 その対戦相手とは、中学高校の同級生で剣道部でも一緒だったJ君。
 彼も高校卒業以来剣道から離れていたそうですが、20年ほど前に"リバ剣"して、現在はもう剣道七段。
 面白い試合になりそうです。なんといっても、二人が対戦するのはほぼ40年ぶり。中学3年の時の部内戦が最後だったと思います。 

 お互いに年齢を重ねても、またこうやって対戦できるのは剣道ならでは。なにか時間が巻き戻ったような、照れくさいような、そんな気持ちでコート内に入った。
 しかし、互いに立礼から抜刀した時には、もう試合モード全開。旧友との対戦が始まりました。

 40年前と違ところは私が二刀であること。J君は中段の構えを変化させて、平正眼に構えた。
 正二刀に対しては、一刀者は「平正眼」に構えることがセオリーといえるでしょう。
 また、逆二刀に対しては、一刀者は「霞の構え」を執ることがセオリーとなると思います。
 
 平正眼は中段(正眼)の構えを変化させて、切っ先を中心から大きく右にはずして構えます。自分の「右小手」を防御しているような形になります。
 正二刀に対してこの構えを執る理由は、まず小刀で剣先を押さえられないようにするためでしょう。それと同時に「小手」の防御もできますし、構えた竹刀の位置を高くすれば「面」の防御も容易です。

 私は、そこを狙いました。「面」を防御した時を。
 防御に優れた平正眼に対してそのまま打っていっても、なかなか一本になるものではありません。
 どの構えでも立合いで大事なことは、相手の構えを崩すこと。
 平正眼の構えが崩れた状態とは、「面」を防御しようと手元を上げた瞬間です。この時に、右小手がガラ空きになり、打ちやすい位置にくる。

 しかし、そう思うようにはいきません。剣道七段ともなれば対二刀も慣れたもので、なかなか手元を上げてくれない。
 J君は高身長で180cmは優に超える。だから「面」が非常に遠く感じるのです。
 しかし、ここで「小手」に執着していては有効打突がとれないと思い、思い切って歩み足で攻め込んだ。そこで「面」を打とうかという時に、J君の手元が上がったのです。
 その刹那に私の体が反応して、大刀で「小手」をとらえてました。

 「小手あり」と主審の号令。その後すぐ、試合時間の終了の合図があり、一本勝ちに。
 40年ぶりの対戦は、辛くも制すことができた。

準決勝


 私の中ではJ君との対戦で、ひと山越えた気持ちになってました。
 続くお相手は、こちらも剣道七段の方。稽古では、たびたび交剣させていただいています。
 だから手の内は分かっている、これが慢心ですね。

 立合いが始まって、予想に反して技が決まらない。こんなはずじゃない、なんて思いながら、あせりだしてしまった。

 いつものように、先(せん)をとって「面」で仕留めようと、安易に打って出てしまった。
 お相手は、その"出ばな"をとらえたんですね。「面」を打たれたのは、私の方でした。ぐうの音もでないほどの、素晴らしい一本。参りました。

恩師の笑顔


 結果は、個人戦「50歳代の部」で3位。
 剣友の皆さんは、病み上がりでよくここまで戦ったと、ねぎらってくれましたが、悔いの残る試合になってしまいました。
 病み上がりと"慢心"は関係ありませんからね。しっかり、稽古し直します。

 そんな中、大会役員席から、私の立会いをずっとご覧になっていた方がいました。
 中学時代の剣道部の顧問だったTMI先生です。この時は、市川市剣道連盟の副会長になられていました。

 「見てたよ」

 表彰式の前に、満面の笑みを浮かべて声をかけてくださった。よく白血病を克服して戻って来てくれたと。
 そしてJ君と私は、恩師の前で同門対決をしていたのです。
 これには恩師も大変喜んでくださった。40年もたってご自分の教え子同士が立合うところが観れるんですから。感慨もひとしおだったんじゃないでしょうか。

 先生が、最も手を焼いた生徒ですからね、二人とも。笑

 (恩師とJ君に関する過去の記述はこちら

 
追記
 この半年後に出場した試合の模様は、すでに記事にしております。
 令和元年 浦安市春季市民剣道大会の模様はこちら

注目の投稿です

宮本武蔵『独行道』「我事に於て後悔せず」を考察する

後悔などしないという意味ではない 布袋観闘鶏図 宮本武蔵 後悔と反省  行なったことに対して後から悔んだり、言動を振り返って考えを改めようと思うこと。凡人の私には、毎日の習慣のように染み付いてしまっています。考えてみれば、この「習慣」は物心がついた頃から今までずっと繰り返してきた...

人気の投稿です