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2020年2月29日土曜日

刀法は片手から諸手に変更された ~そして今、剣道で片手刀法を伝承する~

元来、刀剣は片手で操作するものだった

太刀 画像 著作権なし
〔写真1〕鎌倉時代の太刀
日本刀 画像 著作権なし
〔写真2〕江戸期の打刀拵


刀は片手で振れないという人たち


「日本刀は片手では振ることはできない」「片手では斬れない」

 剣道をやっていてこんなことを聞いたり言われたりしたことがある方、いらっしゃると思います。剣道家のほとんどが諸手保持刀法で剣理の稽古をしていますから、このような思い込みが生まれてくるんですね。
 ご自分が片手で竹刀(約500g)を振ることができないものだから、日本刀(約1㎏)を振ることなんてできるはずがないと決めつける。
 するとそれ以外の刀法を認められなくなる。それ以外とは、片手で刀(竹刀)を振ることです。

 そういった誤解や偏見は、昭和40~50年代にピークになります。片手で上段に構えて片手で打突する「片手上段」や、両手に一本ずつの竹刀を持って同時に操作する「二刀」が、この頃に絶滅の危機に瀕しました。(その様子はこちら

 現在は、全剣連の努力もあって、二刀に対する誤解や偏見はかなり少なくなっていると思います。しかし、
 「片手で振ったり打ったりできるのは、竹刀だからできること」
 「日本刀でそんなことはできない」
って公言する人は、今でも意外に多いのです。

 本当に、日本刀は諸手(両手)でしか操作できないものなのでしょうか。

刀を扱う武道


 現代剣道では、刀を執っての稽古はまずありません。刀といえば居合や抜刀術などになると思います。

 居合や抜刀術の形(かた)の演武を観れば、日本刀を終始諸手で操作していないことはすぐにわかります。特に、抜きつけ(初太刀)は片手です。重い真剣を片手で振っているわけです。そして二の太刀で諸手で斬り下ろす。現代剣道のように、終始諸手刀法に執着している剣の操法ではないんですね。
 また、試し斬りの演武では、巻藁を見事に片手で斬っていますね。片手では斬ることはできないなんて言う人は、これを見てどう思うのでしょうか。

 居合や抜刀術の醍醐味は「抜き打ち」です。日本刀を鞘から抜き放つ動作で相手に一撃を加える。この動作は、もちろん片手で行われます。諸手に構える暇はないのです。

 余談ですが、敵を片手で抜き打ちにするといえば、私たちになじみのあるものは、座頭市の抜刀シーンでしょうか。抜刀術の達人である座頭市が、諸手で斬るところなんて見たことありませんよね。(まあ、これは、映画の中のことですが……汗)

歴史的事実


 今日で言う日本刀が生まれたのは平安末期と考えられています。〔写真1〕はその時代の日本刀です。特徴は、片刃で反りがある刀身。そして、柄もまた刀の峰側に大きく反り返っていること。刃は下向きにして腰から紐で吊り提げます。ちなみに、それ以前の刀剣は大陸伝来の両刃(もろは)の直刀でした。
 この時代の合戦は馬上攻撃が主ですから、左手は手綱を引いて馬を操りながら右片手で刀を操作し、敵をなぎ斬りにします。刀身の反りや柄の反り返りは、片手でなぎ斬りにするためのもの。馬上からの攻撃に適した長刀になっています。

 一方、〔写真2〕は戦国から江戸時代のものです。いわゆる打刀拵(うちがたなこしらえ)です。刀身は反りが緩やかになりやや短く、柄は長くなり反り返りはありません。諸手で保持して、打つように斬るための刀。刃は上に向けて帯刀します。刀法が変更された証です。
 日本刀にこの特徴が表れ始めたのは室町後期、つまり戦国時代になってからです。

 その時代になぜ刀法が変更され、日本刀の形状が変化したのか。戦国武士たちに、いったい何が起こったというのでしょうか。

剣術流儀(流派)の起こり


 剣術には流儀(流派)というものがありますね。江戸後期にはそれが数百にも分化し、明治期に「剣道」として統合されるのですが、もともとの“源流”と言われているものがあります。それは、室町後期から戦国時代に誕生した新当流(神道流)、念流、陰流の三つです。
 ご存じのように、これらの流儀は諸手刀法を自流の原則とした最初の流派。よって、この時代に、刀法は片手刀法から諸手刀法に変更されたことがわかります。それと、〔写真2〕の打刀(うちがたな)の完成は軌を一にしているのです。

なぜ刀法が変更されたのか


 古来世界中の剣技が片手技なのはなぜか。片腕を伸ばし、身体を横に開いて構えることが、最も遠くから攻撃でき、自分の身を危険にさらすことを最小限にすることができる戦い方だからです。〔写真1〕の太刀はそのような戦い方のために造られた刀です。
 しかし、この片手技には理はなく、単に生まれ持った運動能力の差や偶然で、振り回す刀が当たれば勝敗が決まってしまう。負けるということは、そのまま死を意味します。
 そんなむごたらしい事態からなんとか抜け出したい、どうにかして勝つ必然をその原理を我が身に修めたい。戦乱に明け暮れた時代の武士たちが抱く当然の願いがあった。
 そして結果的に刀法は根底から変更され、一刀を両手で持つことを原則とする日本独特の諸手刀法が生まれたのです。

剣道はここを「稽古」している


 両手で刀を構え操作する理由は、刀が重いからではありません。
 その理由はひとつ。敵を斬るという動作、つまり身体の移動の力と刀の働きを完全に一致させるためにです(刀身一如)。(「刀身一如」の考察については、こちら
 その動きが、相手の心と移動軸を崩す働きとなる。これが戦国流祖たちが到達した諸手刀法の理想であり、それが現代剣道に連綿と受け継がれている。剣道の起源はここにあると、個人的には思うのです。(一般的に剣道の起源というと、日本国の始まりと同じように神話の世界にまでさかのぼってしまいます)

武蔵の片手刀法


 宮本武蔵は、諸手刀法が全盛となった戦国末期に生まれ、江戸初期に生きた人です。
 そんな時代に彼は、やっぱり刀は片手で振るものだと言っている。彼が創始した二天一流は二刀を流儀の原則とするという点で、他流と大きく異なっていた。ある意味、諸手刀法を否定した人です。このことの理由について、『五輪書』は実に明快に説明しています。
 太刀を両手に持ちて悪(あ)しき事、馬上にてあしゝ、かけ走る時あしゝ。沼・ふけ・石原、さかしき道、人ごみにあしゝ。左に弓・鑓(やり)を持ち、其外(そのほか)いづれの道具を持ちても、みな片手にて太刀をつかふものなれば、両手にて太刀をかまゆる事、実(まこと)の道にあらず。(『五輪書』地之巻)

また、なぜ二刀を執るのかについては、こう書き記しています。
 先づ片手にて太刀をふりならはせん為に、二刀として、太刀を片手にて振覚(ふりおぼ)ゆる道也。 (『五輪書』地之巻)
このように、二刀とは、片手刀法を修得するための稽古法だと言っている。左右の手に一本ずつ刀を持ってしまえば、両手で柄を握ることは不可能です。片手で振り続けるしかなくなります。
 武士は二刀を腰に帯びるものである。この二つの道具を使い切らずに死ぬとは、いかにも不本意、不真面目なことではないか、武蔵はそうも言っているのです。

武蔵の歴史的役割


 武蔵は単なる片手操法への回帰を謳ったのではありません。武蔵の二刀は、戦国流祖たちがもたらした深い革新、いわゆる刀身一如の大原則を極めて厳密に受け継いでいる。二刀を用いて稽古することは、その受け継いだ運動感覚を一層鋭く、自由なものに研ぎ上げるための手段にほかならなかったと思うのです。

 誰もが、勝負の馬鹿げた運で死にたくはない。では、何を知り、何に熟達することが、この偶然の底なしの闇に勝つことなのか。武蔵は戦国武士が多かれ少なかれ強いられたこの課題を、戦国期が収束した時代において、まさにひとつの思想問題として決着させようとした人物なのです。(この「実の道」という思想については、こちら

現代剣道で片手刀法を実践する


 現代剣道で片手で打突することは、もちろん可能です。一刀中段の構えから大きく振りかぶって、左片手で半面を打つ。または、諸手左上段から、左片手で面や小手を打つなど。
 しかし、これらは片手刀法とは言い難い。完全なる片手刀法ではなく、諸手での構えや打突も織り交ぜつつ、必要な時に片手技を遣うもの。

 一方、二刀は、一旦二刀を抜刀すれば諸手で持つことはできない。完全なる片手での操作を貫かなくてはなりません。現代剣道で、片手刀法を修練する、あるいは実践できるのは、二刀だといえるのではないでしょうか。
 言い方を換えれば、現代の剣道においても、片手刀法を伝承できる環境が残されているということ。これは本当に素晴らしいことだと思います。

 諸手(両手)、片手、どちらの刀法を稽古するにしても大切なこと。それは、勝つ必然を、その原理を我が身に修めたいという、剣技に法を求めた戦国武士たちの激烈な生涯があったということ。彼らに敬意を持たずして、剣道の稽古をするなんてあり得ないことだと思うのです。

 この稿の終わりに、今一度武蔵の言葉を引いておきます。
 人毎(ごと)に初而(はじめて)とる時は、太刀おもくて振りがたし。いづれも其(その)道具其道具になれては、弓も力つよくなり、太刀もふりつけぬれば、道の力を得て振りよくなる也。(『五輪書』地之巻)


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2020年2月17日月曜日

剣道 心を学べは上達できるのか

小説に描かれたことを本当のことと思い込む人たち


「剣は心なり、心正しからざらば剣も正しからず、剣を学ばん者は心を学べ」


 このフレーズを何かで見たり聞いたりした事がおありだと思います。
 社会人の講話や剣道漫画のセリフに引用されることが度々ある言葉です。最近では、中学生が剣道部の揃いの手ぬぐいに染め抜いたり、ポロシャツの背中にプリントしているのを目にしたりします。
 それなりに、人の心に響く力を持ったいいセリフなんですね。だから剣道経験が有る無しにかかわらず人々が耳にし、いまだに使われ一人歩きしている説教です。

 このセリフは、もとはといえば大正2(1913)年から新聞連載が始まった中里介山の『大菩薩峠』という長編小説の中に出てきます。島田虎之助という直心影流の剣客が、彼を暗殺しようと襲いかかる浪人たちを手もなく片付けたあと、彼が一味の首魁に向かって浴びせかけるセリフ。それが「剣は心なり、心正しからざらば剣も正しからず、剣を学ばん者は心を学べ」です。

 しかし残念ながら、このセリフは中里介山の創作です。小説とはそういうもの。取材や歴史的資料などで大枠を創り、想像や思いつきでストーリーを肉付けしていく。その時代の読者に合わせた表現が、至る所に散りばめられた作品が作り上げられるわけです。
 厄介なのが、創作と事実が混同しているので、作品を読んでいるうちに書かれていることすべてを事実として誤解してしまう人がいることです。

 例えば、坂本龍馬といえば、司馬遼太郎の小説に描かれた人物像が、我々の龍馬のイメージになっていますね。司馬遼太郎の小説を原作とした映画やドラマ、漫画などが多く作られたことが影響しています。
 しかし、実際の司馬遼太郎の小説のタイトルは「竜馬がゆく」。坂本龍馬の龍馬ではなく"竜馬"なのです。司馬遼太郎はご丁寧に、この小説の主人公である“竜馬”は架空の人物ですよと、前もってことわっているのです。
 また、宮本武蔵の生涯を描いた吉川英治の小説『宮本武蔵』。ここに登場するお通さんは実在しませんし、佐々木小次郎の人物像も史実にはありません。

 それが小説というもの。事実と注意深く区別しなければなりません。

剣道(剣術)は道徳的観念を押し付ける道具ではない


 話はあの「剣は心なり……」のセリフに戻りますが、江戸期から明治にかけての戯作本、講談本に登場する剣豪は、このような説教じみたセリフを決して口にしません。
 剣客に、剣聖というおかしな“理想像”を求めるようになってしまったのは大正期。大衆小説が一般化し、その書き手たちが読者の求めに応じて、自作に取り込んでいったことが始まりではないでしょうか。

 「剣は心なり……」のセリフを聞くと、道徳的には一瞬説得されてしまいそうになりますよね。しかし、よく考えればズレているんですよ。目的の遂行から物事を考えていないことは明らかですね。だから話が矛盾してしまっている。
 剣道(剣術)は観念のうちにはありません。実在する敵(相手)との戦いなのです。
 その戦いに勝つために、厳しく辛い稽古を積んでいる。それなのに、剣は心だ、精神だと粗雑な理屈に逃げ込んでしまっている。厳しい稽古に日々打ち込んでいる剣道家にとっては、実に失礼な話です。

 さらに、現在の若者たちが、このセリフを正しい剣道訓だと誤解してしまっていることは問題です。心を学べば剣道が上達できることになってしまった、あるいは剣道の強者は人格的にも優れているという幻想ができてしまったんですね。
 実際はそうでないことは、剣道をやっている者ならばわかりますね。しかし、このセリフは剣道訓だと疑わない若者、いえ、大人だってそう理解している人が多いかもしれません。

道徳は理ではない


 道徳とは、その民族の生活様式や文化を背景にして、人間相互の関係を規定する通念です。ですから国や地域が異なれば道徳も異なります。よって、道徳は理ではありません。
 稽古をするのは剣理を追求するのが目的。道徳を追究するのが稽古ではありません。道徳を学ぶのであれば、もっと違う方法があるはずです。

 宮本武蔵は著書『五輪書』の中で、大工の棟梁を例にとってこう言っています。
 深い精神があるから、よい家が建つのではない。よい家を建てるという目的、それに向かう行為の中に、日常の生活では隠れている深い身体や細やかな心の原則が顕れてくる。この目的はすべてに先行する。
剣術とは、敵を斬るという端的な目的のために生まれたものであることは言うまでもありません。
 それを朝鍛夕錬していく中で、身体や心の運用法に理が顕れてくるというのです。武蔵はなにも心の存在を否定しているわけではない。
 目的の遂行があってはじめて心が磨かれると言っているわけです。心が磨かれれば、目的が達成されるわけではないのです。

常に目的を明らかにする 


 「とにも角(かく)にも、きるとおもひて、太刀をとるべし」(『五輪書』水之巻)とは、武蔵の繰り返し説くところです。
 剣術(剣道)は説教の種ではない。深く厳しい稽古の中で、身体と心に顕れてくる理をつかむのだという。

 『五輪書』に記された武蔵の思想は、禅などのに影響された知識人風な理屈とは関係がありません。剣術(剣道)で学ぶべきことは何なのか、それを学べば(稽古すれば)何を知ることができるのか、武蔵は約400年前に明快に書き遺しているのです。

 繰り返しますが、剣道は説教の種ではありません。
 道徳的観念の押しつけで、剣道が上達するのであれば、誰も苦労はしませんね。


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2020年2月14日金曜日

剣道 成長した息子を見て思うこと

驚きと感動の光景


追い出し稽古


「ああ、私が伝えたことをすべて実行しているんだなぁ」

 2019(平成31)年3月4日、都内某高校の剣道場。急性リンパ性白血病を克服して、久しぶりに息子が通う高校へ。この日は、3年生が卒業する直前に行われる「追い出し稽古」の日。
 都内では剣道強豪校の一角を占める学校で、3年間部活を休むことなく継続してきた息子。高校での最後の稽古を観るため、息子の学校へ行ったときに率直に感じたことです。

 まずは通常のメニューで稽古開始。そして最後に、卒業する3年生が元に立って地稽古になるのですが、下級生たちが次々に本気で掛かっていく。
 稽古をつけてやる立場の3年生がヘトヘトになって音を上げる、いわゆる「追い出し稽古」。息子の試合の観戦をしたことはありましたが、私が大病をしてしまったこともあり、高校生になってからの稽古を観る機会はほとんどありませんでした。

泣き虫少年剣士


 小学1年で剣道を始めた息子。その3年後に私が剣道を再開しました。ちょうど30年のブランクを経て。
 小学校低学年の頃の息子は、道場でいつも泣いてばかり。そんな息子がかわいそうで見ていられず、あまり道場には行かなかった私。しかし、あるきっかけで息子が小学3年を終わる頃に、私が剣道を再開して同じ道場で稽古するようになった。(あるきっかけとは、こちら

 「お父さんが始められてから、息子さんの剣道が変わりましたよ」

 ある保護者の方にかけられた言葉です。息子が剣道に真剣に取り組むようになったんですね、この時。強くなりたい、上達したいという気持ちが芽生えたようです。

試合で勝てない


 息子は小学校高学年になって、毎週のように対外試合に行くようになりましたが、試合に勝てないんですね。所属道場内ではそこそこでも、大会に出たら勝てない。
 それでも剣道が大好きで、張り切って稽古に行く姿を見て、息子自身が壁にぶつかるまでは、アドバイスはしないでいました。本人が吸収できる時に伝えないと、理解できないと思いまして。

剣道が好きでなくなっているかも


 中学に入って盲腸で2度入院した息子。これで、すっかり剣道への意欲がなくなってしまったように見えた。ライバルに差をつけられてしまったんですね。手術を終えて復帰してからも、何か惰性で部活をやっているような感じ。小学生の頃のような、生き生きとした様子が感じられないんです。

 「このままでは、剣道の本当のおもしろさを分からないまま、やめてしまうかもしれない」

 そう思った私は、息子と1から稽古し直すことを決意します。息子が中学2年の頃だったと思います。

二人だけの稽古


 毎週日曜日の夜、市の総合体育施設にある剣道場を借り切って、息子と二人で稽古しました。内容は基本稽古のみ。最初の数週間は、竹刀は持たず、足さばきの稽古。腰を入れた打突には不可欠な稽古法である「ナンバ歩き」を、徹底的に教えました。(ナンバ歩きとは、こちら
 次の数週間は構えの矯正と、正しい素振り。その次は、ひたすら切り返し。その次は………

 一つひとつの段階を、確実に身につくまでやって次にいく。よくも嫌がらずにやってくれたと思います、一年近くも。普通、中学2年といえば反抗期の真っただ中ですよね。そんな時期に父親と二人だけで毎回2時間の稽古をするんですからね。「あのとき頑張ってよかった」と思ってもらえるように、こちらも真剣でした。

 息子と稽古するにあたって、私自身に課した決まり事は三つ。
  1.  怒らない
  2.  大声を出さない
  3.  一つ一つの動作の意味(理)を伝える

剣道の楽しさ


 子供は、身長が伸びたり、体重が増加したりして、体のバランスが変わります。ですから、常に基本稽古に時間を割かなければなりません。そして、正しい基本が身についたところで、実戦メニューに入りました。二人だけの稽古を始めて半年ほど経ったころでしょうか。

 「攻める」、「相手の出ばなをとらえる」、「腰を入れて打つ」、「手の内の冴え」。正しい基本が身につけられたので、このあたりのことは教えればすぐにできるようになりました。
 そして、「一本をとること」=「理の体現」ということを、頭と身体で理解していったようです。出場した大会では、強豪校の選手に勝ったりして自信がついてきたみたい。運動神経がいいとは言えない息子が、試合で勝てるようになって結果が出はじめた。
 この頃には再び、剣道が楽しいという表情になっていましたね。そして、中学3年で進路を決めるにあたり、息子の希望はこうでした。

 「剣道の強豪校に進学したい」

病床で息子に伝えたこと


 息子が自分で決めた希望どおりの高校に進学し、休日には全国を遠征して回るようになりました。そんな生活にも慣れ、2年生にでもなれば試合に出場できる機会も増えると楽しみにしていた矢先、私が急性リンパ性白血病になってしまった。治療しなければ余命1カ月の病です。(私の急性リンパ性白血病闘病の様子は、こちら
 
 「もう息子と剣道をすることはないかもしれない」

 そう思った私は、抗がん剤治療を受け病院のベッドに力なく横たわりながら、面会に来た息子にいつもこんな話をしました。

  • 磨くのは「基本」、おろそかにするな
  • 大事なのは稽古に取り組む姿勢、試合に勝つことではない
  • 絶対に初太刀を取るという気概を忘れるな
  • 元に立って受ける場合も、気を抜くな。打たせる時は、絶妙なタイミングで打たれろ。元に立って打たせている時は、休憩時間ではない。元に立っている時も稽古せよ
  • どんなに強い相手でも、技には必ず技の“起こり”がある。強い相手の起こりをとらえられるように
  • 剣道は運動神経がいい者、体力がある者が勝つのではない
  • 理を体現できる者が勝つ、正しい剣道をする者が強い相手に勝つことができる

 まあ、ざっとこんなとこでしょうか。言わんとしたことは、「心構え」。小手先の剣道をするなということ。
 そんなことをすれば、一時的には試合に勝てても、本当の意味で上達することはできない。一生上達するための土台、剣道のおもしろさを知るための土台を作ってもらいたいがため。
 私がいつ死んでも悔いがないように、真剣に伝えました。

感謝でいっぱい


 奇跡的に治療を乗り越えることができ、高校最後の息子の稽古を見ることができたのが、冒頭の「追い出し稽古」。
 しばらく見ないうちに、伝えたことすべてをすべて実践してたんですね、息子が。後輩たちにも慕われて、3年生として立派な稽古をしていました。

 日曜の夜の二人きりの稽古、病室での二人きりの会話。その一つ一つの場面が走馬灯のようによみがえった。
 努力すれば、こんなに堂々とした剣道ができるようになるんですね。本当に感動でした。

 「これなら大丈夫。一生上達できる。一生剣道を楽しめる」
 
 ありがとう、息子!
 剣道って素晴らしい!
 人生って素晴らしい!