日本独特の刀法
土台となる概念
剣道に関する書物を読んでいると目にすることがある「刀身一如」という四文字熟語。この解ったようで解らないような言葉の意味とはどんなものなのでしょうか。
この「刀身一如」という四文字熟語はもともとあった思想に後付けされたものです。読んで字のごとく、刀と身体が一体となって、という意味です。
その元となる概念は、約400年前に戦国流祖たちや上泉伊勢守、宮本武蔵らがそれを顕かにしております。彼らは概念だけでなく、それを実現するための刀法と理合を体現した人たちです。
現代剣道では、後付けした「刀身一如」という言葉のイメージからか、抽象的な表現で解説されることが多くなってしまったような気がします。禅に影響されたようなインテリぶった理屈をつけて、自己満足を披瀝しているような解説を、剣道誌などに寄稿している剣道家がいらっしゃいますね。
しかし、「刀身一如」は、不断の稽古の中で、もっと具体的に伝えられるべきものだと思いますし、本来はそうであったと思います。
古流はもちろん現代剣道を稽古する上で、この概念を正しく具体的に知ることは、一生をかけて稽古するための、揺るがない土台作りになると思います。そういった意味において、この稿では刀身一如を剣道の"大原則"と位置付けることにします。
戦国流祖たちが到達した境地
皆さんご存知の通り、現在の剣道は、明治期に剣術諸流派を統合したものです。江戸期には数百といわれる流派がありましたが、その源流となった流儀が新当流(神道流)、念流、陰流の三つです。この三大源流が登場する室町末期から戦国期に、刀法の革新的な変更があったことは、前回のコラムで書きました。(前回のコラムは、こちら)
室町中期以前は片手で刀を操作していたものを、諸手(両手)で操作する刀法に変更した。片手刀法から諸手刀法へと刀法が変更したその理由は、あらゆる敵に“あらかじめ勝つ、勝つ必然を得る”ためにです。しかし、そのために単純に片手から諸手(両手)に替えたというものではありません。
いかなる場面でも敵を制するために流祖たちが到達した境地、それが刀身一如。その刀身一如を体現するために諸手刀法という日本独特の操法にたどり着いたということです。
刀を諸手(両手)で持つ目的はひとつ。敵を斬るために身体が移動する、その移動の力と刀の働きを完全に一致させるためにです。身体の移動軸が敵に向かって動く。その動きが刀を通して敵の心と身体を崩す働きとなる。
具体的には、相手と正対し、身体をひらかず腰を入れ、機をみて身体もろとも打ち込んで仕留める。その瞬間、防御は一切なし。まさに捨て身の刀法なのです。
現代剣道では、初心者に対して竹刀は両手で握るものと教えますね。だから刀を両手で持つに至った経緯が分からない。諸手刀法の目的、刀身一如の深い意味が伝わりにくいという側面があります。
一方、宮本武蔵は、戦国流祖たちが世を去ったころに生を受け、江戸初期に生きた人です。いわば、刀身一如の諸手刀法が全盛となっていた時代。そんな時代に、二刀を自流の原則とし、「やっぱり刀は片手で振るものだ」と言って、諸手刀法を否定した人です。
では、武蔵は、刀身一如の原則まで否定したのでしょうか。
武蔵が著書『五輪書』の中で説く「兵法の身なり」、「足づかひ」、「目付け」、「太刀の持ちやう」、「太刀の道」。それぞれの節には、刀身一如を体現するための具体的な稽古法が解説されています。
つまり、武蔵の二刀は単なる片手刀法への回帰ではなく、戦国流祖たちがもたらした刀身一如という深い革新を、極めて厳密に受け継いでいる。(武蔵は、実際に、幼少期に養父から当理流という諸手刀法を仕込まれているのです。)しかも二刀を用いることによって、戦国流祖たちの革新から受け継いだ運動感覚を、むしろ一層鋭く、自由なものに研ぎ上げようとした。実際、彼はそれを生涯をかけて体現することに成功しているのです。
このように、諸手刀法でも片手刀法でも、一刀でも二刀でも、刀身一如は共通の原則であることが解ると思います。現代剣道においても、それが連綿と受け継がれており、これからもそれを伝承していかなければならない。これが日本の伝統文化としての剣道の核心部分なのです。
しかし、残念なことに、刀身一如の大原則を無視するような稽古の仕方に明け暮れている人たちがいることも事実ですね。小手先の技やフェイント技に勝機を見いだそうとして、あれこれと奇妙な技をひねり出す人たち。
こういった外道(げどう)といわれる者の特質は、理から離れて自分の勝手な空想から物事を裁断することにあります。
相手の間抜けが原因で、たまたま勝ったに過ぎない幾つかの経験から、技をでっちあげる。自分では達者に立ち回って素人を欺き、大いによろしくやっている気でいるのかもしれません。しかし彼らは、俗世の幻想を維持する駒のひとつとなって、走り回らされているに過ぎないのです。
その外道たちの行く末は皆さんご存知の通り。自分の技が通用しなくなって試合に勝てなくなったり、格下の者に打ち込まれるようになったり、昇段できなくなったところで、剣道をやめてしまう。稽古すべき正しい方向を、はるか前に見失っているからなのです。
いにしえに流祖たちが具現化した刀身一如。その大原則を心に刻んでいれば、稽古すべき道は、目の前にはっきりと現れてくるのではないでしょうか。
この稿も、最後に武蔵の言葉を引かせていただきます。
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刀身一如とは
刀を諸手(両手)で持つ目的はひとつ。敵を斬るために身体が移動する、その移動の力と刀の働きを完全に一致させるためにです。身体の移動軸が敵に向かって動く。その動きが刀を通して敵の心と身体を崩す働きとなる。
具体的には、相手と正対し、身体をひらかず腰を入れ、機をみて身体もろとも打ち込んで仕留める。その瞬間、防御は一切なし。まさに捨て身の刀法なのです。
現代剣道では、初心者に対して竹刀は両手で握るものと教えますね。だから刀を両手で持つに至った経緯が分からない。諸手刀法の目的、刀身一如の深い意味が伝わりにくいという側面があります。
武蔵は刀身一如を否定したのか
一方、宮本武蔵は、戦国流祖たちが世を去ったころに生を受け、江戸初期に生きた人です。いわば、刀身一如の諸手刀法が全盛となっていた時代。そんな時代に、二刀を自流の原則とし、「やっぱり刀は片手で振るものだ」と言って、諸手刀法を否定した人です。
では、武蔵は、刀身一如の原則まで否定したのでしょうか。
武蔵が著書『五輪書』の中で説く「兵法の身なり」、「足づかひ」、「目付け」、「太刀の持ちやう」、「太刀の道」。それぞれの節には、刀身一如を体現するための具体的な稽古法が解説されています。
つまり、武蔵の二刀は単なる片手刀法への回帰ではなく、戦国流祖たちがもたらした刀身一如という深い革新を、極めて厳密に受け継いでいる。(武蔵は、実際に、幼少期に養父から当理流という諸手刀法を仕込まれているのです。)しかも二刀を用いることによって、戦国流祖たちの革新から受け継いだ運動感覚を、むしろ一層鋭く、自由なものに研ぎ上げようとした。実際、彼はそれを生涯をかけて体現することに成功しているのです。
外道に陥らないために
このように、諸手刀法でも片手刀法でも、一刀でも二刀でも、刀身一如は共通の原則であることが解ると思います。現代剣道においても、それが連綿と受け継がれており、これからもそれを伝承していかなければならない。これが日本の伝統文化としての剣道の核心部分なのです。
しかし、残念なことに、刀身一如の大原則を無視するような稽古の仕方に明け暮れている人たちがいることも事実ですね。小手先の技やフェイント技に勝機を見いだそうとして、あれこれと奇妙な技をひねり出す人たち。
こういった外道(げどう)といわれる者の特質は、理から離れて自分の勝手な空想から物事を裁断することにあります。
相手の間抜けが原因で、たまたま勝ったに過ぎない幾つかの経験から、技をでっちあげる。自分では達者に立ち回って素人を欺き、大いによろしくやっている気でいるのかもしれません。しかし彼らは、俗世の幻想を維持する駒のひとつとなって、走り回らされているに過ぎないのです。
その外道たちの行く末は皆さんご存知の通り。自分の技が通用しなくなって試合に勝てなくなったり、格下の者に打ち込まれるようになったり、昇段できなくなったところで、剣道をやめてしまう。稽古すべき正しい方向を、はるか前に見失っているからなのです。
いにしえに流祖たちが具現化した刀身一如。その大原則を心に刻んでいれば、稽古すべき道は、目の前にはっきりと現れてくるのではないでしょうか。
この稿も、最後に武蔵の言葉を引かせていただきます。
手をねじ、身をひねりて、飛び、ひらき、人をきる事、実(まこと)の道にあらず。人をきるに、ねじてきられず、ひねりてきられず、飛んできれず、ひらいてきれず、かつて役に立たざる事也。我(わが)兵法におゐては、身なりも心も直(すぐ)にして、敵をひずませ、ゆがませて、敵の心のねぢひねる所を勝つ事肝心(かんじん)也。能々(よくよく)吟味あるべし。(『五輪書』風之巻)
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