「実の道」という思想
枯木鳴鵙図 宮本武蔵 |
『五輪書』は何を伝えているのか
宮本武蔵を理解する上で、現代人がいまだに吉川英治や司馬遼太郎の描いた小説の中に、武蔵の実像を求めようとすることは、まことに情けない話です。
剣豪小説は大抵の場合、剣の修行によって人格的道徳的に成長した、あるいは優れている主人公が最後に勝つという落としどころ。負ける方はその逆で、人格的道徳的に劣ることになっている。
これは、大正期に生まれた大衆小説に、作者が「剣聖」として登場させた主人公たちの人物像に根をもっている。もちろん当時の読者が求める理想像を、小説家が描いた創作です。(小説の中の「剣聖」についての記述は、こちら)
武蔵という人は、『五輪書』を読めば読むほど、お手軽剣豪小説の主人公になるような性質とは程遠い人だということがよくわかります。
宮本武蔵は、後世の小説家が描いた「剣聖」などという尺度で語れる人物ではありません。
『五輪書』は、武蔵が生き抜いた思想がどういうものであったかを示しているのであって、単なる剣術指南書とは違います。そうした兵法伝書たるものをはるかに超える性質をもっている。
では、約400年前に武蔵が『五輪書』に託したこととは何か。
その答えを解く鍵は、『五輪書』に繰り返し登場する「実(まこと)の道」というキーワードにあるのです。
武蔵が背負ったもの
室町末期から戦国期に確立していった剣の流儀(流派)という概念。(流儀についての記述は、こちら)
その剣の修行の果てに得られるものについての、普遍的な徹底した思索にこそ武蔵の生涯は費やされたと言っていいでしょう。
武蔵は、乱世が終息した時代にやって来て、乱世を超えたこの探究の普遍的な価値というものを、たった一人で思索せざるを得なかった。
彼は、歴史の中に、そんな具合に生まれついた人です。
武蔵は、兵法という自己経験の意味を、たった一人でどこまでも問い直しました。
まず、自身の兵法で修得した手技を、自分を取り巻くさまざまな職の技の中で実行した。実行しただけでなく、それらの職能を根源において同じひとつの生にしているもの、彼の言う「実の道」の本体をつかみ取ろうとしたのです。
それが、江戸時代という太平の世において、兵法者の固有の務めであると考えたからです。
明らかな対抗心
常陸国鹿島・香取の社人共(ども)、明神の伝へとして流々をたてゝ、国々を廻(めぐ)り、人につたゆる事、ちかき比(ころ)の儀也。古(いに)しへより、十能・七芸と有るうちに、利方(りかた)といひて、芸にわたるといへども、利方と云(いい)出すより、剣術一通にかぎるべからず。剣術一ぺんの利までにては、剣術もしりがたし(『五輪書』地之巻)ここで武蔵が「鹿島・香取の社人共」と言っている人々は、飯篠長威斎、松本備前守、塚原卜伝といった戦国期の剣客たちのことです。
この道における彼らの功績は、誰もが讃えるところだが、彼らの見識は兵法を狭い武技の体系に閉じ込めている。武蔵はそう言っているのです。
「実(まこと)の道」とは
武蔵の太刀稽古は、人を斬り殺すことを目的にしていない。木刀や撓(しない)の試合で、人の頭を殴りつけることも目的にしていない。
稽古を通して、物を活かす道に勝つこと、ただそれだけを目的にしているわけです。
武蔵がひたすら歩いたのは、道具(刀)の使用を深くする道でした。
道具(刀)の使用を深くすることが、知恵を深くすることになる。その理を立証するため、道具(刀)の使用を深くすることが可能だと確信することから、武蔵による二天一流の太刀稽古は始められる。
「実の道」は、人も物も活かしきる道で、何かを殺すことで成り立つ道ではありません。兵法者は人を斬るのではなく、斬らなくてはならない事態に、常にあらかじめ「勝つ」人でなくてはならない。これが武蔵の兵法思想です。
地の利を活かし、武具を活かし、おのれの身体のすべてを活かし、敵の働きのすべてをも活かしきって「勝つ」。兵法において勝つとは、あらゆる物を活かす道に勝つことである。
兵法は手技から出発しますが、手技のひとつであることをはるかに超えていきます。そして、すべての手技に貫通する道を知ることができる。
兵法の目的は実にここにこそあるのだと、晩年の武蔵は確信していたようです。
武蔵の水墨画
「兵法の利にまかせて、諸芸・諸能の道となせば、万事におゐて、我に師匠なし」
そう言ってのけた人の描いた絵が、ページ上部の水墨画です。
驚異の写実力です。
この絵を目に焼き付けたあとに、ぜひ、美術館に足を運んで、他の有名画家の水墨画を観ていただきたい。それらの絵が、稚拙にさえ見えてくるのは私だけではないと思う。
武蔵の描いた絵画の数々は、圧倒的な写実力をもって観る者を驚嘆させ、心を奪います。
「実の道」を体現し、「兵法の利」にまかせて描いた者の絵が、ここにあるのです。
五つのおもて(五方ノ形)
武蔵は「五つのおもて」と称する形(かた)を制定しています。
剣術諸流派にはそれぞれ独自の形がありますが、現代剣道においても明治期に制定された形があります。
武蔵は、上段、中段、下段、右脇構え、左脇構え、の五つを自流の「五方の構え」としていて、「五つのおもて」はこの五種類のそれぞれの構えから展開されることから、「五方ノ形」とも呼ばれている。
宮本武蔵は「五つのおもて」(五方ノ形)が、また独り演じる形の稽古が、そのまま生きる目的や理由となりうることを、「実の道」という真に普遍的な思想によって明るみに出しました。
彼の思想の普遍性は、目も眩むような単純さをもって「五つのおもて」に顕れている。
何にも騙されることなく、「実の道」を思考しぬいた人間の最終の要約、最後の表現とも言うべきものが、そこにあります。
理に生きる喜び
人間は近代において、第二の道具である機械を作り出しました。機械の特徴は、それを操作する身体がその使用を深くすることができない点にあります。できたとしても、その限界はすぐに来る。機械は手技を自動運動に変換させ、コンピューターはやがて身体を不要にしてしまいます。
コンピューターに依存し、生物種としての運動図式を放棄した人間は、当然ながら体を使うことが嫌になります。そして、人間の体と外界との間にできた不自然な隙間が、体と心を不安定にしていきます。
その“不自然な隙間”を作らず、天地と身体が繋がっていく生きる喜びを知る。その方法は、道具を使い切る身体の技をさまざまに生み出し、それにどこまでも習熟していくこと。
そこで得た身体運用の法や心の在り方を、日常の生活において実行する。そのような人間本来の「理に生きる」ことが、心の喜びとなるのです。
武蔵はひとりそれを「勝つ」と表現した。
装置が付随しない単純な道具、例えば、刀や大工の使うカンナや手斧、料理人が使う包丁など。そういう道具は、その使用を深くし手技を磨くことができる。
この世界に物事の流れがあり、流れの働きがあり、働きの「拍子」があるとは何かを、その修行の中で普遍的に知ることができると武蔵は言っているのです。
その具体的な稽古法として、二天一流という武蔵の流儀があり、『五輪書』があり、五方ノ形がある。
また、その証として、「兵法の利に任せて」作られた彼のおびただしい数の絵画や鍛冶作品があり、『五輪書』があり、剣の理合・理法があるのです。
批評家小林秀雄は武蔵についてこう評しています。
彼の孤独も不遇も、恐らくこのどうにもならぬ彼の思想の新しさから来ていると。
近代の散文において、これほどはっきりとした自己表現を示した人は、兵法者はもちろんのこと、文人、思想家にだってそうはいないのです。
約400年たった今、武蔵の思想の新しさは、理解しやすいものになっているでしょうか。なってはいないと私は思います。どのように説こうと説き切りがたい新しさが、今も彼の思想にはあります。
流祖宮本武蔵先生が顕かにした「実の道」。その本体をつかむことを夢見て、今日も稽古に励みます。
※当ブログの剣道に関する記事のタイトルリンク一覧は、こちら