稽古自粛からの再開
稽古ができない
2020年1月、仕事が多忙となり道場へ稽古に行く時間がとれなくなった。
「またすぐに稽古に行く時間をつくれるだろう」
そんなふうに安穏と考えていたところ、世の中の状況が変わってきた。お隣の国で未知のウイルスが拡散し、多数の死者が出ているという。
2月には日本でも感染が広がり、外出自粛措置がとられ、道場も稽古休止になった。
7月に入り、感染対策をして稽古再開する道場が出はじめた。私の所属する道場もその一つ。しかし私は急性リンパ性白血病の治療中のため、感染症にかかれば重症化は免れない。(私の急性リンパ性白血病闘病記事はこちら)
「もうしばらく状況を見極めてから再開しよう」
そんな気持ちでいたのだが、それがだんだんと"言い訳"になっていると気づいてきた。
道場が稽古休止の措置をとっても、自宅で"ひとり稽古"はできる。素振りはもちろんできるし、打ち込み台もある。
5月ぐらいまでは自宅で”ひとり稽古”をしていたが、それだけでは煮詰まってくしモチベーションを上げることができなくなってきた。
とうとうそれ以降は自宅で竹刀や木刀を握ることさえなくなっていた。
きっかけは妻のひと言
「基本を一から教えてほしい」
10月に入って、妻からこう言われた。
息子が小1で剣道を始めたのをきっかけに、40歳を過ぎてから剣道を始めた妻は、三段を取得して以降は伸び悩んでいた。リバ剣してきた同年代の女性たちが次々と昇段していく中、このままではいけないと思ったらしい。
以前は、私のアドバイスには一向に耳を傾けなかった妻。壁に突き当たってようやく稽古法を見直す決心ができたようだ。もう少し早く気づいてくれればと思うが仕方がない。しかし私にとってみれば、私自身の稽古再開のチャンスだ。妻の申し出を快く引き受けた。
今から6年前の2014年、当時中学2年だった息子がやはり壁に突き当たって剣道を楽しめない時期があった。その原因は基本をおろそかにしているからに他ならないのだが、当の本人というのはまったくそれに気づかないものだ。あれこれと小手先の技を研究するという外道(げどう)にはまっている。見かねた私は、息子と一緒に基本を一から稽古し直すことを決意した。約一年間週一回2時間、二人だけの稽古をしたことがある。(その様子はこちら)
その時、使用したのが市総合体育館の剣道場だった。今回もここを借り切って、妻と二人で稽古することに決めた。中学までは弱小剣士だった息子が、その後は高校大学と剣道の強豪校に進学するまでになったが、果たして妻はどうなるか。
この稽古の目的
息子の時と同様、この稽古の目的は作用/反作用の運動法則から抜け出し、反発の原理をもって動作を起こそうという身体運用を解除することだ。
古流の身体運用を知らずスポーツ化した練習法をされている方々は、作用/反作用の運動法則を最大限に利用し、苛酷な反発動作に耐えうる肉体をトレーニングによって作っていることだろう。しかし、これでは必ず限界は来る。10代でその限界を感じてしまう人もいれば、30代で自覚する人もいる。たいていの人は、そこで剣道から心が離れてしまう。こんなにつまらない話はない。
幸い私は幼少の頃に、古流の流れを汲む道場で剣道を習った。(その道場についてはこちら)
その頃に伝えられた剣道と今の剣道は、まったく違うものになっていると言ってよい。武道である剣道がスポーツ化の道を歩んで久しい今日、古(いにしえ)から連綿と伝えられてきた剣道(剣術)が下達(かたつ)の道を進んでいる気がしてならない。
妻が身につけた「剣道」を見ていると、スポーツの訓練をしているようにしか思えないのだ。これでは運動神経が発達し、跳躍力や瞬発力がある若年層には可能だが、壮年には無理な話だ。この"訓練"が可能な年齢の人でも、そのうち限界は来る。
戦国武士が敵と相対した時に、「跳躍力や瞬発力が低下したので戦えません」と言い訳するのだろうか。戦国武士にスポーツ選手のような引退はない。いついかなる時も、すべてを捨てて抜刀しなければならない事態に備えなければならなかったはずだ。
話をもとに戻そう。
作用/反作用の運動法則から、なぜ抜け出さなければならないのかについては、稿を改めて記述するつもりだ。
ではその作用/反作用の運動法則から抜け出す方法、反発の原理をもって動作を起こそうという身体運用を解除する方法とはどんなものか。
それは人が生活する上でもっとも基本的な動作を、深い次元にまで下りて変更することなのだ。
「ナンバ」の足法と刀法
"ナンバ歩き"という言葉をご存知の方も多いと思う。日本人が江戸時代の末期まで、当たり前のように身につけていた歩き方であり身体運用法のことだ。
明治維新になって身体運用にも変化をもたらす要因が起こってきた。和装から洋装へ、草履履きから靴履きへ、そして西洋式の軍事教練の導入など、“足裏で地面を蹴って前へ進む”動作を求められるようになった。その結果、上体をひねって腕を振りながら歩くという反発の原理を利用した身体運用法に変化してしまった。
すると、日本古来の足法である「ナンバ」は日常の動作から消えていく運命をたどることになった。現在もかろうじてその足法が残されている分野としては、能楽、古武道、古流剣術、相撲などであろう。時代劇のプロの役者の方の中にも「ナンバ」の足法を身につけている方々を見かけることがある。
日本の室町末期から戦国期にかけて確立された諸手刀法(両手で刀の柄を保持するもの)はこの「ナンバ」の身体運用がベースとなって生まれた刀法だと言ってよい。言い換えれば、日本人が「ナンバ」の動作を身につけていなかったら、あるいは身につけられなかったら、刀身一如の諸手刀法は誕生しなかったことになる。(刀身一如についてはこちら)
私が2010年に、30年のブランクから剣道を再開した時も、まず取り組んだのは「ナンバ歩き」の稽古だ。これは単なる歩き方の練習ではない。
反発の原理をもって動作を起こそうとする運動法則を解除する「スイッチ」が体の中にあるのだが、その「スイッチ」を切り替えるために修めなければならないのが「ナンバ」なのだ。(過去の「ナンバ歩き」に関する記事は、こちら)
二人だけの稽古
2010年に剣道を再開してすぐに右ヒザの半月板を損傷して手術。(そのことに関する記事はこちら)
2017年には急性リンパ性白血病になり、約1年間の入院生活。(そのことに関する記事はこちら)
そして2020年、今回のコロナ。
よくも稽古継続を阻むような出来事は次々と起こるものだ。しかしその困難を乗り越えるたびに、わずかだが成長させていただいている気がする。感謝しかない。
妻と二人だけの稽古は、私が妻に剣道を教えるという偉そうなものでは決してない。剣道は、一心に稽古する本人が学ぶしかないと思っている。しかし、その土台となる部分は手ほどきを受ける必要がある。
そしてなにより、私自身が基本中の基本をもう一度やり直す機会だと思っている。
剣道に限らず、「理」を追求する者にとっては傲慢な考え方は命取りだ。いつも肝に銘じている。
この稽古の初回で妻に伝えたことは、いかに足で地を蹴らずに移動するかという一点だ。
これは、体さばきに課せられる最初の問題だ。足で地を蹴って前へ進むことは、作用/反作用の原理の運動法則に従ってしまうことだ。
戦国期の流祖たちによって実行された「反発の原理の解除」。
まずはこれを身に修めることが上達への道だと確信している。
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