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2021年10月1日金曜日

宮本武蔵『独行道』「我事に於て後悔せず」を考察する

後悔などしないという意味ではない

布袋観闘鶏図 宮本武蔵

後悔と反省


 行なったことに対して後から悔んだり、言動を振り返って考えを改めようと思うこと。凡人の私には、毎日の習慣のように染み付いてしまっています。考えてみれば、この「習慣」は物心がついた頃から今までずっと繰り返してきた行為です。おそらく誰もが長い年月、積み重ねてきた習慣。しかし、その積み重ねた経験によって、後悔したり後から反省することが必要ないような自分に、なることができた人がいるのでしょうか。

 「我事に於て後悔せず」(『独行道』宮本武蔵)

 武蔵のこの言葉は、自分は常に慎重に正しく行動してきたから、世人のように後悔などはせぬというような浅薄な意味ではありません。ちなみに『独行道』とは、武蔵が死の七日前に、自らの生涯を省みて記した二十一箇条の言葉です。

人はどうあるべきか


 後悔や反省などは、ただのポーズだと武蔵は言っているのです。自己批判や自己清算だとかいうものも、皆ポーズだと。
 そんなことをいくらしてみても、真に自己を知る事はできない。そういうこざかしい方法は、むしろ自己欺瞞(ぎまん)に導かれてしまうと、警鐘を鳴らしているわけです。
 昨日のことを後悔したければ、後悔すればいい。いずれ今日のことを後悔しなければならない明日がやって来てしまうのだ、という意味だと私は思います。決して、後悔や反省など必要ないという単純な意味ではありません。

武蔵が体現した生き方


 その日その日が自己批判に明け暮れるような道を、どこまで歩いても、理想の自分に出会うことはない。別な道がきっとある。自分という本体に出会う道が必ずある。後悔などという"おめでたい"手段で、自分をごまかさぬと決心してみろ。そういう確信を武蔵は語っているのです。
 それは、今日まで自分が生きてきたことについて、そのかけがえのない命の持続感というものを持て、ということになるでしょう。そこに「行為の極意」があって、後悔など、先だっても立たなくても大した事ではない、そういう「極意」に通じなければ、事前の予想も事後の反省も、影と戯れるようなものだと、この達人は言っているのです。

 ではその「極意」とは何なのか。
 それは、武蔵が遺した『五輪書』に「実の道」というキーワードとともに余すことなく書かれています。兵法伝書たるものをはるかに超えた『五輪書』。この書には、武蔵が生涯をかけて実証した思想が記されているのです。
 武蔵は言います。「実の道」は兵法にだけあるのではない。およそ技術を持ち、道具を用いて生きていくあらゆる人間のあいだに無数の度合いで存在する、ある語りがたい働きである、と。(「実の道」に関する記事は、こちら

 兵法というものを、あるいはひとつの思想というものを、これほど具体的な、また生活上の実践から生み出した流祖は、彼のほかにはいないのです。
 『五輪書』に表れた彼の考えには、人生論的説教も傲慢な自己宣伝も一切ありません。彼はここで非常に単純な、また同時に語りがたい思想を語ろうとしています。それは、つまるところ日常生活をよく生きることに関するひとつの徹底した思想です。

『独行道』は戒律ではない


 『独行道』を、武蔵が自身に課した、あるいは指針にした、戒律だと考えている方も多いのではないでしょうか。その二十一箇条は守らなければならない決まり事ではありません。
 鍛錬によって磨かれた身体と技と心が、「実の道」という境地にたどり着いたときに実行される日常が、どのようなものかを表しているものなのです。

 稿の終わりに、『独行道』の全文をを引かせていただきます。

 独行道

一、世々の道をそむく事なし。
一、身にたのしみをたくまず。
一、よろづに依怙(えこ)の心なし。
一、身をあさく思、世をふかく思ふ。
一、一生の間よくしん(欲心)思はず。
一、我事において後悔をせず。
一、善悪に他をねたむ心なし。
一、いづれの道にも、わかれをかなしまず。
一、自他共にうらみかこつ心なし。
一、れんぼ(恋慕)の道思ひよるこゝろなし。
一、物毎にすき(数寄)このむ事なし。
一、私宅においてのぞむ心なし。
一、身ひとつに美食をこのまず。
一、末々代物(しろもの)なる古き道具所持せず。
一、わが身にいたり物いみする事なし。
一、兵具は各(格)別、よ(余)の道具たしなまず。
一、道においては、死をいとはず思ふ。
一、老身に財宝所領もちゆる心なし。
一、仏神は貴(とうと)し、仏神をたのまず。
一、身を捨てても名利はすてず。
一、常に兵法の道をはなれず。

 正保弐年五月十二日
             新免武蔵玄信


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2020年4月19日日曜日

『五輪書』の序章に書かれた宮本武蔵の真意とは

地之巻冒頭に隠された真実を読み解く


古典を直訳しても意味が通じるわけがない


 古典に精通している方でない限り、すべてを原文で読むことは難しいと思います。
 約400年前に宮本武蔵が書いた『五輪書』は、原文と現代語訳が併記されたものが多数出版されています。通常は、原文を目で追いながら、現代語訳の方を読む方が多いのではないでしょうか。
 私もそのひとり。『五輪書』を初めて読んだのは高校2年のときです。(その時の状況は、こちら

 「この本の核になるもの、武蔵が伝えようとしているものが解らない」

 これが率直な感想でした。

 今から10年前の2010年、45歳の時に剣道を再開し、同時に二天一流武蔵会の門をたたきました。(そのきっかけは、こちら
 すると、実際に二天一流の稽古をする中で、ふと、あることに気づいたのです。

 「巷にあふれた『五輪書』の現代語訳は、ただの直訳だ」

 そうなんです。ただの直訳なんです。文芸評論家や東洋哲学者たちが古典である『五輪書』をただ現代語に訳した結果、そうなってしまっている。
 戦国期に誕生した剣術諸流派の流儀の概念や具体的な刀法を理解していない人たちが、歴史に実在した達人の書いた兵法伝書をいじくり回しているのですから、まことにひどい話です。(剣術諸流派の流儀、刀法についての記述は、こちら
 やられたほうの宮本武蔵も、たまったものではないでしょう。生涯をかけて思索しぬいて顕かにした思想を、まったく理解できない文章に変換されてしまっているのですから。

 それぞれの分野では“先生”と言われるような方々が書いた『五輪書』の現代語訳ですけどね、中学生の頃に英語の授業で長文をすべて直訳して失笑をかっている人がいましたが、それと何ら変わりありませんね、失礼ながら。
 私たちは、そんな直訳を武蔵の思想として読まされてきたわけですから、理解に苦しみ、武蔵を誤解してしまっている人さえいることは無理もありません。

 この稿では、今日の文章でいえば「序章」とか「前文」にあたる部分、『五輪書』地之巻の冒頭に書かれた武蔵の真意を、読み解いていきたいと思います。

地之巻冒頭の引用


 「兵法の道、二天一流と号し、数年鍛錬の事、始而(はじめて)書物に顕(あら)はさんと思ひ、時に寛永二十年十月上旬の比(ころ)、九州肥後の岩戸山(いわとのやま)に上がり、天を拝し、観音を礼(らい)し、仏前にむかひ、生国(しょうこく)播磨(はりま)の武士新免武蔵守藤原(しんめんむさしのかみふじわら)の玄信(げんしん)、年つもつて六十。
 我、若年(じゃくねん)のむかしより兵法の道に心をかけ、十三歳にして初而(はじめて)勝負をす。其(その)あいて新当流有馬喜兵衛といふ兵法者に打勝ち、十六歳にして但馬国(たじまのくに)秋山といふ強力(ごうりき)の兵法者に打勝つ。廿一(にじゅういち)歳にして都へ上がり、天下の兵法者にあひ、数度の勝負をけつすといへども、勝利を得ざるといふ事なし。其後(そのご)国々(くにぐに)所々(ところどころ)に至り、諸流の兵法者に行合(ゆきあ)ひ、六十余度迄(まで)勝負すといへども、一度も其利(そのり)をうしなはず。其程(ほど)、年(とし)十三より廿八、九迄の事也。
 我、三十(みそじ)を越へて跡(あと)をおもひみるに、兵法至極(しごく)してかつにはあらず。をのづから道の器用有(あり)て、天理をはなれざる故(ゆえ)か。又は他流の兵法、不足なる所にや。其後(そのご)なをもふかき道理を得んと、朝鍛夕練(ちょうたんせきれん)してみれば、をのづから兵法の道にあふ事、我五十歳の比(ころ)也。其(それ)より以来(このかた)は、尋ね入(い)るべき道なくして、光陰(こういん)を送る。兵法の利にまかせて、諸芸・諸能の道となせば、万事におゐて、我に師匠なし。今此(この)書を作るといへども、仏法・儒道(じゅどう)の古語をもからず、軍記・軍法の古きことをももちひず、此(この)一流の見たて、実(まこと)の心を顕(あら)はす事、天道と観世音(かんぜおん)を鏡として、十月十日の夜寅(とら)の一てんに、筆をとつて書初(かきそ)むるもの也」(『五輪書』地之巻)

解説


 この文章に、異常人の猛々しい傲慢や幼稚な自己顕示を見てしまう学者がいることは、驚きです。著名な小説家までもがそう解釈する思考力は、大変弱々しいものと言わねばなりません。
 なぜそう見てしまう人がいるのか。それは、この文章があまりに正直で、正確で、まったくの裸のままの姿をしているからにほかなりません。

 いったい、武蔵は何のために、あの者に勝ち、この者に勝ち、二十八、九の歳まで六十数度の勝負に無敗であったということを、わざわざ書いているのか。
 そういう勝利が、「兵法至極」によるものではなかった、と言うためにです。
 ということは、二十八、九の歳までの自分自身を武蔵が全否定してることになります。

 勝ちは単に自分にそこそこの天分が、「道の器用」があり、相手がたまたまそんな自分より弱かったから。ただそれだけのことである。
 そんなことを六十数度も繰り返せば、もうたくさんになる。だから武蔵は自己の天分を試すようなそうした勝負を、三十を過ぎた頃にやめてしまった。
 武蔵は「至極」に達するために、偶然の勝負と手を切ろうとした。「器用」にまかせて勝ち続けていたのではわからぬ「至極」がある。彼はそう言っているのです。

 彼の敵は、「器用」の限りを尽くして彼を倒そうとする現実の相手です。自分に器用があるように、相手にもそれぞれの器用がある。立合ってみれば、自分の器用と相手の器用は同じ質のものであることがわかる。違うのはその程度、ほんのわずかな程度の違いなのです。
 それで、日々の生死がむごたらしく分かれる。この現実を何とかするものが兵法であり、武士がその探究に生涯をかけるに足るものだ。武蔵は、そのことが三十の頃にわかったと書いているのです。

 このとき、「器用」にまかせた立合いから、突如として「至極」への道が身体に向かって開かれたということがわかります。
 この「至極」への到達を成し切るために、武蔵はさらに二十年の歳月を費やしたと書いている。

 この間、彼はほとんど試合をしていないと言われています。武蔵自身も、試合をしたともしていないとも書いていません。
 ただこういうことが言えるのではないでしょうか。彼にとって真剣を執っての斬り合いは、兵法修行の過程から消えるものとなったと。
 人を活かし、物を活かし、おのれの身体のすべてを活かし、敵の働きのすべてをも活かし切って「勝つ」。あらゆる物を活かすことに勝つ「至極」への道が、ここに端を開くわけです。
 
 このように、極度に端的に書かれた文章を読むにつけ、自慢したり、謙遜したりすることに、彼は何の興味も持っていないことがわかります。
 戦国の世が終息しかかった時代に、自分はただ一人このような経験から出発してみるほかなかった。戦場での経験が数々の流祖を生み出した時代は、もう過ぎ去っている。
 それでも自分は一人の流祖たらんとして振る舞い、「兵法至極」を目指して生きた。
 戦国期の流祖たちが成した仕事を一から徹底して考え、やり直し、そしてひとつの思想体系に仕上げる。武蔵が「兵法の道」、「実の道」の名のもとに行なおうとしたことは、実にこの仕事なのです。(武蔵の思想については、こちら

 そして、自分の生涯は「実の道」を極めるという、このまったく明瞭な経験以外のものではあり得なかった。「実の道」は、兵法だけにあるのではない。およそ技術を持ち、道具を用いて生きていくあらゆる人間のあいだに無数の度合で存在する、ある語りがたい働きである。彼はそう言っているわけです。


 最後に、引用文の最終行に注目していただきたい。

 「十月十日の夜寅(とら)の一てんに、筆をとつて書初(かきそ)むるもの也」

 と、ありますが、寅の刻とは早朝四時半頃のことです。ここで注意していただきたいのは、武蔵は、早起きして『五輪書』を書き始めたと言っているわけではないのです。

 寅の一点とは、いわば「夜の空」と「昼の空」が切り替わる時です。その刹那に、自分の生涯をかけた書を書き始めたと言っている。
 夜と昼の「二天」が切り替わるとは、陰陽の円明思想に基づくもの。二天一流の意味を深く示唆しているのです。

 剣術(剣道)において、物毎(ものごと)が切り替わる刹那というのは、打突の機会になります。なぜなら、相手は攻撃も防御も出来ない瞬間だからです。その拍子になるように相手を動かし、「石火の機」をとらえて打突する。その瞬間は、こちらも一切防御なしです。

 この打突の機会は三つあり、二天一流では、

  • 待(たい)の先(せん) 相手の技が決まる刹那
  • 体々(たいたい)の先  相手の技の起こる刹那
  • 懸(かかり)の先    相手が居付く刹那

 と言います。現代剣道では、これを、それぞれ、技の尽きたところ(応じ技)、技の起こり(出ばな技)、居付いたところ(先制の技)と言いますね。

 この「寅の一点」(打突の機会)という概念が、武蔵の自流にとって最も重要な要でることを、示唆しているのです。

 武蔵が二天一流の名に込めた深い思いが、ひしひしと伝わります。
  

引用・参考文献
 『五輪書』宮本武蔵著、渡辺一郎校注、岩波書店、1985年
 『五輪書』宮本武蔵著、鎌田茂雄全訳注、講談社、1986年
 『五輪書』宮本武蔵原著、大河内昭爾現代語訳、Newton Press、2002年
 『武蔵の剣』佐々木博嗣編著、スキージャーナル、2003年
 『宮本武蔵 剣と思想』前田英樹著、筑摩書房、2009年


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2020年4月15日水曜日

宮本武蔵が現代人に遺したもの

「実の道」という思想

枯木鳴鵙図 宮本武蔵 再利用が許可された画像
枯木鳴鵙図 宮本武蔵

『五輪書』は何を伝えているのか


 宮本武蔵を理解する上で、現代人がいまだに吉川英治や司馬遼太郎の描いた小説の中に、武蔵の実像を求めようとすることは、まことに情けない話です。

 剣豪小説は大抵の場合、剣の修行によって人格的道徳的に成長した、あるいは優れている主人公が最後に勝つという落としどころ。負ける方はその逆で、人格的道徳的に劣ることになっている。
 これは、大正期に生まれた大衆小説に、作者が「剣聖」として登場させた主人公たちの人物像に根をもっている。もちろん当時の読者が求める理想像を、小説家が描いた創作です。(小説の中の「剣聖」についての記述は、こちら

 武蔵という人は、『五輪書』を読めば読むほど、お手軽剣豪小説の主人公になるような性質とは程遠い人だということがよくわかります。

 宮本武蔵は、後世の小説家が描いた「剣聖」などという尺度で語れる人物ではありません。
 『五輪書』は、武蔵が生き抜いた思想がどういうものであったかを示しているのであって、単なる剣術指南書とは違います。そうした兵法伝書たるものをはるかに超える性質をもっている。
 
 では、約400年前に武蔵が『五輪書』に託したこととは何か。
 その答えを解く鍵は、『五輪書』に繰り返し登場する「実(まこと)の道」というキーワードにあるのです。

武蔵が背負ったもの


 室町末期から戦国期に確立していった剣の流儀(流派)という概念。(流儀についての記述は、こちら
 その剣の修行の果てに得られるものについての、普遍的な徹底した思索にこそ武蔵の生涯は費やされたと言っていいでしょう。
 武蔵は、乱世が終息した時代にやって来て、乱世を超えたこの探究の普遍的な価値というものを、たった一人で思索せざるを得なかった。
 彼は、歴史の中に、そんな具合に生まれついた人です。

 武蔵は、兵法という自己経験の意味を、たった一人でどこまでも問い直しました。
 まず、自身の兵法で修得した手技を、自分を取り巻くさまざまな職の技の中で実行した。実行しただけでなく、それらの職能を根源において同じひとつの生にしているもの、彼の言う「実の道」の本体をつかみ取ろうとしたのです。
 それが、江戸時代という太平の世において、兵法者の固有の務めであると考えたからです。
 

明らかな対抗心

 常陸国鹿島・香取の社人共(ども)、明神の伝へとして流々をたてゝ、国々を廻(めぐ)り、人につたゆる事、ちかき比(ころ)の儀也。古(いに)しへより、十能・七芸と有るうちに、利方(りかた)といひて、芸にわたるといへども、利方と云(いい)出すより、剣術一通にかぎるべからず。剣術一ぺんの利までにては、剣術もしりがたし(『五輪書』地之巻)
ここで武蔵が「鹿島・香取の社人共」と言っている人々は、飯篠長威斎、松本備前守、塚原卜伝といった戦国期の剣客たちのことです。
 この道における彼らの功績は、誰もが讃えるところだが、彼らの見識は兵法を狭い武技の体系に閉じ込めている。武蔵はそう言っているのです。

「実(まこと)の道」とは


その、生活全般の「日常」から切り離された狭い芸事としての「剣術」を、つまるところ、よりよく生きることに関するひとつの普遍的な思想として顕かにし、武蔵が到達した境地。それが「実の道」だと言えると思います。

 武蔵の太刀稽古は、人を斬り殺すことを目的にしていない。木刀や撓(しない)の試合で、人の頭を殴りつけることも目的にしていない。
 稽古を通して、物を活かす道に勝つこと、ただそれだけを目的にしているわけです。
 
 武蔵がひたすら歩いたのは、道具(刀)の使用を深くする道でした。
 道具(刀)の使用を深くすることが、知恵を深くすることになる。その理を立証するため、道具(刀)の使用を深くすることが可能だと確信することから、武蔵による二天一流の太刀稽古は始められる。
 「実の道」は、人も物も活かしきる道で、何かを殺すことで成り立つ道ではありません。兵法者は人を斬るのではなく、斬らなくてはならない事態に、常にあらかじめ「勝つ」人でなくてはならない。これが武蔵の兵法思想です。

 地の利を活かし、武具を活かし、おのれの身体のすべてを活かし、敵の働きのすべてをも活かしきって「勝つ」。兵法において勝つとは、あらゆる物を活かす道に勝つことである。
 兵法は手技から出発しますが、手技のひとつであることをはるかに超えていきます。そして、すべての手技に貫通する道を知ることができる。
 兵法の目的は実にここにこそあるのだと、晩年の武蔵は確信していたようです。

武蔵の水墨画


 「兵法の利にまかせて、諸芸・諸能の道となせば、万事におゐて、我に師匠なし」

 そう言ってのけた人の描いた絵が、ページ上部の水墨画です。
 驚異の写実力です。
 この絵を目に焼き付けたあとに、ぜひ、美術館に足を運んで、他の有名画家の水墨画を観ていただきたい。それらの絵が、稚拙にさえ見えてくるのは私だけではないと思う。
 武蔵の描いた絵画の数々は、圧倒的な写実力をもって観る者を驚嘆させ、心を奪います。

 「実の道」を体現し、「兵法の利」にまかせて描いた者の絵が、ここにあるのです。

五つのおもて(五方ノ形)


 武蔵は「五つのおもて」と称する形(かた)を制定しています。
 剣術諸流派にはそれぞれ独自の形がありますが、現代剣道においても明治期に制定された形があります。

 武蔵は、上段、中段、下段、右脇構え、左脇構え、の五つを自流の「五方の構え」としていて、「五つのおもて」はこの五種類のそれぞれの構えから展開されることから、「五方ノ形」とも呼ばれている。

 宮本武蔵は「五つのおもて」(五方ノ形)が、また独り演じる形の稽古が、そのまま生きる目的や理由となりうることを、「実の道」という真に普遍的な思想によって明るみに出しました。
 彼の思想の普遍性は、目も眩むような単純さをもって「五つのおもて」に顕れている。

 何にも騙されることなく、「実の道」を思考しぬいた人間の最終の要約、最後の表現とも言うべきものが、そこにあります。

理に生きる喜び


 人間は近代において、第二の道具である機械を作り出しました。機械の特徴は、それを操作する身体がその使用を深くすることができない点にあります。できたとしても、その限界はすぐに来る。機械は手技を自動運動に変換させ、コンピューターはやがて身体を不要にしてしまいます。

 コンピューターに依存し、生物種としての運動図式を放棄した人間は、当然ながら体を使うことが嫌になります。そして、人間の体と外界との間にできた不自然な隙間が、体と心を不安定にしていきます。

 その“不自然な隙間”を作らず、天地と身体が繋がっていく生きる喜びを知る。その方法は、道具を使い切る身体の技をさまざまに生み出し、それにどこまでも習熟していくこと。
 そこで得た身体運用の法や心の在り方を、日常の生活において実行する。そのような人間本来の「理に生きる」ことが、心の喜びとなるのです。

 武蔵はひとりそれを「勝つ」と表現した。

 装置が付随しない単純な道具、例えば、刀や大工の使うカンナや手斧、料理人が使う包丁など。そういう道具は、その使用を深くし手技を磨くことができる。
 この世界に物事の流れがあり、流れの働きがあり、働きの「拍子」があるとは何かを、その修行の中で普遍的に知ることができると武蔵は言っているのです。

 その具体的な稽古法として、二天一流という武蔵の流儀があり、『五輪書』があり、五方ノ形がある。
 また、その証として、「兵法の利に任せて」作られた彼のおびただしい数の絵画や鍛冶作品があり、『五輪書』があり、剣の理合・理法があるのです。


 批評家小林秀雄は武蔵についてこう評しています。
 彼の孤独も不遇も、恐らくこのどうにもならぬ彼の思想の新しさから来ていると。
 近代の散文において、これほどはっきりとした自己表現を示した人は、兵法者はもちろんのこと、文人、思想家にだってそうはいないのです。

 約400年たった今、武蔵の思想の新しさは、理解しやすいものになっているでしょうか。なってはいないと私は思います。どのように説こうと説き切りがたい新しさが、今も彼の思想にはあります。


 流祖宮本武蔵先生が顕かにした「実の道」。その本体をつかむことを夢見て、今日も稽古に励みます。

 
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