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2019年6月10日月曜日

剣道昇段審査④ 二刀で四段を受審

二段からはすべて二刀で受審


いよいよ四段、県剣連の審査会へ


 2015(平成27)年8月。剣道四段の審査を受審しました。

 2010(平成22)年に剣道を再開し(当時は初段)、同時に二刀を執る。
 その半年後に、二段を二刀で受審し合格。(当時46歳。審査の様子はこちら
 さらにその2年後に、三段を二刀で受審して合格。(当時48歳。審査の様子はこちら
 そして3年がたって四段の受審資格を得た。
 (注:剣道の段位は、合格後、次の段位を受審する場合、定められた期間をあけなければならないと規定されています)

 三段に合格すると四段受審までには、3年の期間をあけなければなりません。
 時間がたってみればこの3年間は、あっという間でした。やることがいっぱいありましたから。30年のブランクを埋めるのは、なかなか大変で、まだ自分で納得のいく剣道ができてないとあせる毎日。
 仕事から帰宅して、食事と風呂の時間以外はずっと稽古。(その内容はこちら
 気づいたら、四段を受審できる時期になっていたという感じでした。

 三段以下の審査は、市区の剣道連盟の主催ですが、四、五段は、都道府県の剣道連盟の主催になります。

審査前になると現れる人


 「二刀で受けたら、段審査は合格できないよ」

 こう言う人、今回もたくさん現れました。笑
 二段を受審した時も三段を受審した時も言われましたけど、今回が一番言われましたね。
 というのは、周辺の地域の二刀者で、十数年間昇段できていないという方が、数名おられたからです。皆さん、それを知っていらっしゃる。
 「二刀は、試合には強いが段審査には合格できない」なんてことが、まことしやかに、ささやかれていたからです。
 しかも、四、五段は県剣連の審査。今までのようにはいかないよ、というわけです。

 こういう声を上げる人の中で、二段を受審する時から毎回「無理だ」と言い続けている人がお一人だけいるんです。
  この方はJALの元パイロットで剣道六段。私と同じ道場所属の方です。「県の審査会は二刀では絶対に無理」って断言していました。

 人生には、いろんな人が登場人物として現れるものです。

二刀での受審は私だけ


 審査当日。会場入りして受付をした。

 剣道の段審査は、一人2回、立合います。
 しかし、その組み合わせに普段対戦することのない二刀者が入った場合は、一刀者にとっては不利になります。なので二刀者と立合った者は公平を期すために、もう一人の一刀者と立合うので一人3回立合うことになるのです。

 そういうことで、二刀者は受付の時に申告が必要になります。その日、数百名の受審者の中で、二刀は私一人でした。

 三段の審査の時には少なかった40歳以上の壮年者も、四段受審となるとかなり多い。
 この日の受審者の最高齢は70代の男性でした。

一回目の立合い


 お相手は私と年齢が同じ。身体能力に差はないとみて、普段通りの立会いができれば大丈夫と信じてコートに入りました。立礼から大小を抜刀して蹲踞。「はじめ」の号令で立ち上がった。
 
 気合ともにお互いが間合いを詰める。気勢が充実し互いにもう引けない状態になった瞬間、「相面」になった。
 初太刀は私が制しました。

 動揺したお相手は、そのあとすぐに「面」に飛んできた。
 そこも冷静に判断して、小刀で受けると同時に大刀でお相手の「左胴」を斬った。
 さらにお相手が動作を起こそうとする刹那に、小刀で竹刀を払って大刀で「小手」。
 最後に「出ばな面」をもう一本決めたところで、終了の合図。
 完璧に近い立合いだったと思います。

二回目の立合い


 お二人目も、気負うことなく立合いましたが、それは最初だけ。その冷静さはすぐに失いました。
 
 今回も初太刀が「相面」になりましたが、「相打ち」になってしまった。お互いがお互いの「面」をほぼ同時にとらえたのです。
 これを審査員の先生方がどう判断されたかが気になってしまった。
 すると、お相手に攻め込まれる展開になりそうになり、あせって打突の機会をとらえることなく打ってしまいました。
 これは"無駄打ち"。段審査ではやってはいけないことです。
 「しまった」
 ますます動揺しましたが、直後にお相手が「突き」にきた。無意識に身体が反応し、小刀でお相手の竹刀を押さえた直後、お相手が竹刀を落としてしまった。
 「やめ」の号令がかかって開始線の位置へ。そして、再開しましたが、今度はお相手が動揺したようで、攻めも打突も雑になり、互いに"合気"になれず、いいとこなし。
 時間が来て、そのまま審査終了となった。

初太刀の重要性


 一人目と二人目、「初太刀」で明暗がわかれた立会いでした。

 初太刀が決まれば、立合いの流れが自分の方にくる。その機会を逃せば、自分の方に流れを引き戻すのは至難の業。
 改めて、初太刀の重要性を痛感しました。(初太刀についての記述はこちら

 観ていた人からは、二人目の初太刀も私がとっていたと言われましたが、どうも自分では納得がいきません。祈る気持ちで発表を迎えました。

合格者の発表


 50代以上の四段受審者は、数十名いたと思います。
 合格したのは数名。私もその中に入っておりました。

 発表後は、たくさんの方に声をかけていただきました。皆さん面識のない方ばかり。
 二刀で受審している者がいるという物珍しさで、注目してくださっていたんですね。
 ありがとうございました。
 
 これからも、稽古でも、試合でも、審査でも、「初太刀」にすべてをかける剣道を追究します。


追記

 後日、所属道場で、昇段の報告をしました。
 その時いらしたのが、例の元パイロットの方。
 「次の五段は、二刀では絶対無理だよ」って言ってきました。

 もう笑うしかありません。


2019年5月15日水曜日

剣道昇段審査③ 二刀で三段を受審

市民大会優勝で二刀を執っていく自信になった


改めて所属道場の皆さんに感謝


 前回の投稿で、2012(平成24)年の浦安市春季市民剣道大会の壮年の部で、リバ剣後初優勝した日のことを書きました。(その様子はこちら

 "アンチ二刀"だった市剣連会長が私の試合に感動して興奮しながらスピーチしたり、大会後、たくさんの剣士の皆さんから声をかけて頂きました。本当にありがたいことです。
 リバ剣してよかったと、心から思いました。

 小学2年で剣道を始め、5年生の頃には市の大会で優勝するようになりました。それから中学3年までは市内大会で負けたことは1度もありません。当時は子供の人口が多かったので、試合は全部学年別。言わば"部門別"です。
 今回の私も「壮年の部」という部門別の優勝ということで、これでやっとあの頃のレベルに戻すことができたんじゃないかなと思いました。
 しかし、目標はあくまでも総合優勝。まだまだ始まったばかりです。

 浦安の所属道場の先生方には、感謝の気持ちでいっぱいです。
 リバ剣して初段だった私がいきなり二刀で稽古し始めることができたのも、皆さんの理解があったから。これも奇跡的なことだったと思います。
 剣道界にはいまだに二刀に対する誤解や偏見は残っていますので、ある程度はそれを覚悟していました。しかし、この道場でそういったことで嫌な思いをしたことは一度もありません。本当にこの道場で剣道を再開できたこを幸運だったと思っています。(二刀に対する偏見とは、こちら

私との立合いを望んで


 市民大会の翌週あたりから浦安の所属道場にも、私との立会を望んで出稽古にお見えになる方が現れ始めた。
 壮年の部で優勝した二刀者とやらと稽古してみたい、と思ったんでしょうね。
 もし私が高段者だったら、そうは思ってもなかなか出稽古に来ずらいと思います。しかし、それがリバ剣おやじでまだ二段と聞いて、気軽に出稽古に来て頂いたんではないでしょうか。

 これは、私にとってはありがたいことで、自分の道場にいながら、普段お会いすることができない方々と交剣できるんですから、稽古の質が変わっていき、大変勉強になりました。
 
 最初はご近所の道場の方がお見えになることが多かったのですが、次第に遠方からもお見えになったり、驚くような経歴の方もお見えになるようになるのですが……。

 困ったことに、お見えになる方は皆、100%の確率で私よりも高段である、ということです。笑

 私は二段でしたからね、当然のことなんですけど。立合いを受けて立つほうが段が下なので、気持ちの上でのやりずらさは否めません。

そんなことを考えつつ、市民大会から3カ月後に、次の昇段審査の日がやって来ました。

三段審査


審査前に現れる人


 この2年前に二段を受審したときは、二刀で受審することに随分と迷いましたが(その時の様子はこちら)、今回の三段審査はまったく迷うことなく二刀で受審しました。

 しかし、段審査の日が近づいてくると必ずこう言う人が現れる。

 「二刀で段審査を受けても受からないよ」

 今回もいっぱい現れました。笑
 二段も二刀で受審して合格していますと伝えても、「三段はそうはいかないよ」って言うんです。二段を二刀で受審する方がよっぽど難しいと思うんですけどね。

 でもまあ、この時はこういう人の声にも惑わされることなく、審査当日を迎えることができました。

 2012(平成24)年8月12日。
 初段から三段の審査会場は、前回と同じ市川市の総合体育館。(二段受審の時の様子はこちら
 朝8時半に会場入りして着替えを済ませ、受付をしてウォーミングアップに入る。
 ほどなく開会式の時間となって、それぞれの受審段位の列に並んだ。

 三段を受審可能な年齢は高校1年生以上。ですから、受審者のほとんどが高校生です。
 私のような中年おじさんは非常に少ない。最後尾に並ぶ40歳以上の方は、私を含め3人でした。

審査開始 一人目


 審査は4人一組で受審します。自分以外の2人と1回ずつ立ち合いますので、審査を2回受けることになります。ですが、私たちの組は端数のこの3人。この日の受審者の中の"最年長トリオ"です。笑
 体育館のアリーナは3会場に分かれていて、私たちの審査が始まるころには他の2会場はすでに審査を終えていました。つまり、会場にいる全員が私たち3人の立会いを見るというシチュエーションです。

 一人目のお相手は男性で外国の方。
 「はじめ」の号令と共にグイグイ前に出てきた。間合いの攻防がまったくない。とにかく近間(ちかま)に入って打とうとしているのです。

 二段の審査までは基本ができていればいいんですけど、三段の審査は理合(りあい)がなければなりません。打突の機会をとらえている必要があるのです。

 しかし、こんなに近間にどんどん入って理合なしで打ってきたら、双方が不合格になる可能性がある。
 「これは、このお相手が打つ前にすべて仕留めてしまうしかない」
 瞬時にそう思って、お相手が中段に構えたまま近間に入ろうとするその刹那を、小刀でお相手の竹刀を斬るのと同時に大刀で面を打った。
 二天一流の「二か所同時斬り」です。

 5人の審査員が一斉に「うぉーっ!」と歓声を上げたのが聞こえました。審査員は、歓声を上げてはいけないんです。でも、上げちゃってる。

 お相手は、なおも同じ方法で近間に入ろうとしますので、すべて「二か所同時斬り」の面で仕留めた。手応えは充分すぎるほどありました。

二人目


 二人目のお相手は女性でした。
 その方は審査の順番を待っている時に、私の竹刀のが2本あり、そのうちの1本が小刀であるのに気づいて話かけてきた。
 「二刀流なんですか」
 その顔が、もう不安そう。

 そりゃそうですよね。審査に来て普段やったことのない二刀者とあたるなんて、「聞いてないよ」って感じだと思います。
 聞けば、30代の頃にお子さんと一緒に初心者から剣道を始めたそう。あまりに心細そうな顔をしていたので、こう伝えた。

 「二本の竹刀に惑わされないでください。ご自分の構えを絶対に崩さないように。私の面だけをねらって、打ち切ってください」

 二人目の立会いが始まりました。
 お相手はアドバイス通りに、堂々とした構え。
 でも、困惑したのは私の方で、あまりに素晴らしい構えで機が作れないんですよ。汗
 正直、あせりました。こちらの攻めに対して一切反応しないのです。
 余計なアドバイスをしちゃったなと後悔しました。苦笑
 
 反応しないなら打ってきたところを合わせれば、相面で仕留められるだろうと高をくくった、次の瞬間です。

 スパァーン!

 打たれたのは私です。バックリと面を打たれました。
 相手の“出ばな”を待つ。そのこと自体が「受け身」になっているんですね。完璧に打たれました。

 そのあと、私も何本かいい打突がありましたけど、審査員の目にはどう映ったんでしょうかねぇ。とにかく、面を打たれたことがショックでした。

 結果は、三段合格。
 お相手の二人も合格してました。

 閉会式がおわって観覧席に引き揚げようとすると、市川市剣道連盟会長のTNK先生が声をかけてくださった。実は二段のときと同様に、5人の審査員のうちの一人がTNK先生だったのです。(TNK先生とはこちらをご覧ください)

 「おめでとう。満票で合格してたよ」

 ホッとしました。
 

2019年4月18日木曜日

剣道昇段審査② 二刀で二段を受審

リバ剣して最初の段審査


33年ぶり、46歳で


 前回の投稿で、2010(平成22)年の段審査を二刀で受審することを、決意した経緯を書きました。
  
 リバ剣した時は初段。中学1年生で取得したものです。
 今は、中学生は2段まで取得可能ですが、当時は初段まで。高校に入って、いよいよ二段を受審するという時に極度の貧血でドクターストップ。運動は禁止され、剣道継続も断念した。(その経緯はこちら

 あれから30年たって、46歳のオッサンになり、剣道でやり残したことに一つひとつチャレンジし始めた。
 同級生で当時一緒に剣道をしていた仲間や後輩たちは、皆、もう剣道七段です。剣道強豪校に通っていましたので、その後も剣道を継続した者は順当に昇段してました。

 そういった昔の剣道仲間や恩師との再会も夢見ながら、昇段審査の当日を迎えた。

初段から三段までの審査会


 剣道の段審査は、初段から三段の審査会は支部剣連が主催します。
 私が登録している剣連は浦安市ですが、その場合はお隣の市川市で受審することになります。
 
 私は元々は市川市在住でした。結婚を機に浦安に越した。そして、生まれた子供が小1の時に剣道を始めたいと言うので浦安の道場に入会。続いて妻もその道場で剣道を始めた。その後に、私がリバ剣しましたので、私もその道場に通うことになった。そういう経緯があります。

 ですから、子供の頃は市川市で剣道をやっていた。所属していた道場は中山剣友会(現:市川市剣道連盟東部支部)という市川市で最も古い、戦後、市内で最初にできた道場の出身です。(この頃の様子はこちら
 
 なので、昔の剣道仲間や恩師は今も市川市で剣道をやっている。二段の受審で市川市の審査会に出るということは、そういう人たちに私がリバ剣したと表明しに行くようなもの。
 本当はもう少し上達してから、私の二刀を見てもらいたかったんですけどね。浦安でやっていれば"バレない"と思ったんですけど、そうもいきませんでした。笑

 「恥ずかしい剣道はできないな」
 気持ちが引き締まります。

 剣道の段審査は、二刀で受審することも可能です。
 しかし当日、数百名が受審する中、二刀者は私一人でした。当たり前ですね。初段から三段の審査会に、二刀者がいるはずありませんからね。

審査当日


 2010(平成22)年8月。市川市国府台スポーツセンター第一体育館。
 私が子供の頃から初段から三段までの段審査の会場はここ。建物も変わりませんが老朽化は否めません。

 会場に入り、二段受審者の列に並んで受付を済ませた。
 初段と二段の受審者のほとんどが中学生。三段の受審者のほとんどが高校生。
 そこにそれぞれ、それよりも年齢が上の受審者が少数いるという感じ。
 
 二段の受審者で40歳上は、私を含めて4名でした。
 なぜ、年齢が分かるかというと、審査の立会いの組み合わせの順番が、年齢順になっているからです。同年代が3名いただけで、ホッとしました。

 審査会の流れは、まず午前中が実技審査。2名の方と立合います。つまり2回審査されるわけです。
 これに合格すると午後から、形(かた)の審査を受けます。二段受審者は、日本剣道形の一本目から五本目までを演武します。
 これにも合格すると、筆記試験があり最終的な合格発表があります。

審査開始


 審査会場は3つ。二段の受審者は、第三会場。
 実技審査は若年者から順に審査が始まりますので、我々中年者の出番は最後の方。
 昼近くなってようやく順番が来た。

 実技一回目。お相手と向き合い、立礼から大小を抜刀して蹲踞。「はじめ」の号令がかかって立ち上がり、上下太刀(二刀の代表的な構え、上段の構えの一種)に構えた。

 「おぉーっ」という観覧席からのどよめき。

 ただでさえめずらしい二刀流が、二段の審査会場に現れたんですから、驚きますよね。
 観覧席にいた妻にあとで聞いた話ですが、他の2会場の審査員まで(1会場に審査員は5人います)全員が私の立会いを見ていたそうです。

 お相手にしてみれば、災難ですよね。当然、二刀と立合うのは初めてでしょうから。
 まったく間合いの感覚がつかめない様子で、一方的に私が打ち込む展開になりました。
 剣道ですから本当はそれじゃいけないんですけどね。理合がなければダメ。
 まあまだ二段の審査ですから、そこまでの理は要求されてませんけど。

 二回目の実技もほぼ同じ展開に。しかし、終了間際に油断して、見事な「小手抜き面」をいただいてしまった。

 私の二刀がどう評価されたのか。どちらに転んでも、やるべきことはやったので、スッキリした気持ちでした。

 最年長者の立会いが終わって、すぐに結果発表。

 実技は合格していました。

形(かた)の審査


 昼食をはさんで、午後は形の審査から。
 小学生の頃に、「形稽古」はみっちりやっていたので不安はありませんでした。

 結果は、形の審査も合格。あとは学科試験のみ。

 学科試験といっても、事前に提示された課題について、回答を論述した用紙を提出し、審査員がその場で合否を決める方式。これも合格。
 
 最後に登録料を支払って、審査終了。

 「お父さん、僕も大人になったら二刀流をやる!」

 観客席に戻ると小学4年だった息子が飛びついてきた。
 リバ剣し、二刀で二段審査合格。本当にうれしかったですね。
 息子の"笑顔"で、張り詰めた緊張感が解けました。

34年ぶりの再会


 実は、私が審査を受けた第三会場の審査員の中に見覚えがある顔があったのです。
 審査前や審査中に、審査員と受審者が会話することは禁じられているので、ご挨拶はできませんでした。
 
 しかし、すべての審査が終了すると、その方が私の方に向かって歩いて来た。

 やはり、TNK先生だ。すぐに分かった。
 小学生のころ所属していた中山剣友会(現:市川市剣道連盟東部支部)の先生です。
 当時は若手でしたが、髪の毛もすっかり白くなって、満面の笑みで声をかけてきてくださった。

 「おめでとう!二刀をやっているなら"東部"へ来てください」

 市川東部支部。私にとっての二刀の"聖地"………(その理由はこちら
 子供の頃に、将来二刀を執ることを夢見て通ったあの道場で………
 夢が現実になる………

 

2019年4月17日水曜日

剣道昇段審査① 二刀流でリバ剣直後の苦悩

想定していなかった昇段審査


受審すべきか否か


 2010(平成22)年7月。
 右ヒザ半月板損傷の手術から2カ月たって、少しでも遅れを取り戻そうと二刀剣道の稽古にますます力が入っていたころのこと。(半月板を損傷した時の様子はこちら
 地元の所属道場の稽古に行くと、道場の役員をされている方から声をかけられた。

 「来月の昇段審査は受けますか」
 
 ドキッとしましたよ。段審査のことなんて、全く考えていませんでしたから。
 リバ剣を決意して以降、剣道ができる体を作ること、二刀をやるため片手刀法を身につけること、そのことに集中して今できることをやってきた。

 この時、私はまだ初段。リバ剣して半年。二刀でしか稽古していない。

 「来月の段審査は、受審すべきか回避すべきか」

 悩みました。とことん悩みました。

 実際問題として、二段の昇段審査を「二刀」で受審する人なんていません。少なくとも戦後は、そういう人はいないんじゃないでしょうか。

 戦前はいました。私淑する故松崎幹三郎先生は大正生まれ。旧制中学で剣道初心者から二刀を始め、一刀は習ったことがないお方。段審査も、初段から六段まですべて「二刀」で受審された方です。(故松崎幹三郎先生についてはこちら

 受審するとしても、二段を「二刀」で受審していいものなのか。または、この時だけ「一刀」で受審すべきなのか。

 迷いました。

 この時は結論を出せず、審査申し込みの返事は、1週間以内にさせて頂くことにしました。

息子のひと言


 「お父さんといつになったら稽古できるの?」

 所属道場で一般の稽古が始まろうとした時、小学4年になった息子が言った言葉です。
 
 息子は小学1年からこの道場で剣道を始めていて、この頃には小学生の部の稽古が終わると、続けて一般の部の稽古にも参加していました。

 私はこの時、リバ剣して半年。二刀でしか稽古していませんし、自分の稽古で精一杯だったので子供たちと稽古したことはありません。同じ道場に通いながら、息子と一度も稽古したことがなかったのです。

 何か納得のいく結果を出すまでは、一刀はやらないと決めてしまっていたため(その理由はこちら)、息子には随分と寂しい思いをさせてしまっていたと思います。

 「よしっ、二段を二刀で受審し、合格したら一刀での稽古を解禁しよう」

 息子のひと言で、受審すると決めた。

 段審査を二刀で受審して合格すれば、曲がりなりにも剣連から自分の二刀が認められたということ。そうなれば、二刀を執る自信にもつながる。
 
 そしてその日、昇段審査受審の申し込みを済ませた。

何度不合格になっても構わない


 二段を二刀で受審すると決め、申し込みはしたものの、不安感に襲われた。

 「二刀で受審したら、審査員の先生方になんて思われるだろう」
 
 受審を決めてから、何人かの高段者の先生方に、「二刀で受けても受からないよ」なんて言われました。
 そういう言葉は覚悟していたんですけど、面と向かって言われると、かなり凹みますね。

 昭和40~50年代は、二刀をはじめとする片手刀法に対し、著しい誤解と偏見があった時代。(その様子はこちら
 稽古では二刀とはやりたくないと中傷され、試合では片手で打ってるというだけで旗が上がらない、段審査では偏見から二刀の合格者がでない。
 しかし、そういった時代にあって、二刀を執り続けた方々がいらっしゃる。二刀者の数が激減した時代に、信念を貫き通した二刀剣士がいる。
 私は、小学生の頃、それをこの目で見ているのです。
 
 特に、故松崎幹三郎先生にあっては、芸術的な美しさのある二刀をやる方で、しかも圧倒的に強かった。しかし、二刀に対する偏見から、段審査では大変ご苦労なされたと伺っております。松崎先生は前述したとおり、まったくの剣道初心者から二刀しかやっていないのです。一刀は習ったことがない。ですから「二刀でだめなら一刀で」なんてできなかったのです。

 先師荒関二刀斎もこの世代のお方ですから、取り巻く環境は同じく厳しかったんではないでしょうか。

 そういった方々のご苦労があったからこそ、今、こうして私たちが二刀を執ることが出来るのです。
 そう思った時、何度不合格になったとしても二刀で受審する以外ない、そういう決意が沸き上がってきました。

 審査の数日前。所属道場の高段者TZW先生が背中を押してくださった。

 「二刀で受けるかどうか悩んでいるの? 君は二刀でしか稽古してないんだから、堂々と二刀で受審しなさい」
 
 涙があふれそうになりました。


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