2019年2月26日火曜日

白血病の治療~私の場合~⑨ 合併症

治療の過程で起こる合併症


絶望と急変


化学療法(抗がん剤治療)を始めて6か月目だったか、「二つ隣の個室の患者さんが、医者から『もうこの病院では治せない』といわれたそうよ」と、病室の清掃係りの方が教えてくれた。
 私と同じ病気の方だ。しかも1年半もこんなつらい治療を続けて、挙句の果てに「治せない」と。あまりにも悲しすぎます。

 また、こんなこともありました。
 「他の個室に、今、移っていただけませんか」と看護師が、私の病室に入ってきた。
 大部屋の患者さんで容体が急変した方がいて、この個室に移したいと。なんでもこの個室は、そういった場合に対応できる設備がある病室だそうで、容体が安定している私に普通の個室に移動してほしいということでした。

 「わかりました」
 私はすぐに承諾しました。私と同じ病気の方が急変したと聞いて、すぐに準備された部屋に移りました。

 しかし、半日たっても、翌日になっても、私が空けた部屋に患者さんが入った様子はありません。

 不思議に思い、そのことを看護師に聞いた。
 すると、「ここでは対応できず、ICUに運ばれました」とのこと。

 その患者さんが、病棟に戻ってくることはありませんでした。

肺炎と敗血症


 その後、私も二度ほど合併症で、危険な状態になりました。

 一度目は肺炎
 治療が始まって6カ月目にはいったころ、風邪をひいてしまった。
 「まずいな」と思いましたが、もう遅かった。
 
 抗がん剤で白血球が破壊され、抵抗力、免疫力がなく、まったくの無防備な体はみるみる体温が上がり、40.9度。失禁しました。
 生まれてこのかた、こんな体温、経験ありません。しかも5日間も高熱が続いた。
 「ああ、こうやって人は死んでいくんだなぁ」そう思いましたね。

 二度目は敗血症
 8カ月目の治療が終わるころ、39.2度の高熱が出た。
 検査すると、何らかの原因で血管の中に菌が入ったらしい。経路は特定できませんでした。

 肺炎も敗血症も治療は点滴による抗生物質の投与になります。解熱剤も服用しますが、効き目は一時的ですぐに熱は上がってしまいます。
 抗生物質の効き目が表れるまで数日かかる。その間、「死」というものに向かい合うことになりました。なにしろ40度以上の熱が続くわけですから。
 頭で「死」を考えるんじゃないんです。体が「死」に近づいている感じがするんですね。「臨死」という言葉がありますけど、まさにこのことかなぁと。

 私はどちらも奇跡的に回復することが出来ましたが、白血病はこのような合併症が命取りになります。


 治療が始まって間もなくのころ、担当医に「白血病の治療をを拒否する患者っていますか?」と聞いたことがあった。すると、こんな答えが返ってきた。

 「私の患者さんで薬剤師をなさっていた方なんですが、『治療は一切しなくていいです。50年間生きたので、それで充分です』と言って亡くなっていった方がいました」


 医療の現場にいて、白血病の治療法、副作用を知っている方がその治療を拒否する。
 白血病治療の現状を如実に物語っている出来事。胸が痛みます。


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2019年2月23日土曜日

白血病の治療~私の場合~⑧ 治療法の選択

入院4か月目の選択


決めた後も不安が募る


 入院中、私についてくださった担当医5名のうち、3名は「移植を絶対やった方がいい、やって当たり前」という意見。1名は「移植した方がいいと思います」という感じ。主治医だけは「リスクあることなので、セカンドオピニオンでよく話をきいてから決めてください」と。

 どういう治療方針を持った医者が主治医になるかで、患者が最終的に了承しなければならない治療の選択は、変わってくると思いましたね。いいか悪いかは別にして、患者の判断に影響があるのは事実。

 そうなると、セカンドオピニオンはとても有意義だったなと思いました。

 前回の投稿で、骨髄移植はしないと決めた、と言いました。
 
 身内の意見も聞きましたが、ほとんどの人は「骨髄移植をした方がいいんじゃないか」という雰囲気でしたね。後で「やっておけばよかった」とならないようにということだと思います。
 患者の方としても、「移植しないで死ぬより、移植して死んだ方がまし。後で後悔したくない」と思うしかないんです。実際問題として。
 
 ですから私の場合は、骨髄移植はしないと主治医に伝えた後に、徐々に、本当にこの選択が正しいのか、不安の方が大きくなっていってしまった。後で後悔することになるんじゃないかと。


治療の流れ


 化学療法(抗がん剤治療)は、約1カ月が1サイクルの治療になる。
 これを「1コース」といいます。抗がん剤の投与中は、血液の成分は破壊され免疫力がなくなりますので、無菌室に入ります。

 1コース終了し、白血球の数値がある程度改善すると、一旦、退院することができます。これはあくまでも“一旦”で、3~7日間で再入院して「2コース目」が始まります。

 これを「4コース」まで繰り返したところで、骨髄(または臍帯血)移植をするかどうか、決めておかなければなりません。

 その判断を自分がするために、セカンドオピニオンを受けるわけです。

 移植を希望した場合は、そこから半年ぐらい、あるいはそれ以上の入院が必要になります。その間に移植を受けます。

 私のように移植をしない場合は、さらに「4コース」の化学療法(抗がん剤治療)を受けることになります。合計8コース。

どちらを選択した場合でも、最短でも8カ月間ぐらいの入院が必要になります。


 しかしこれは、あくまでも“順調にいって”のことなのです。


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2019年2月22日金曜日

白血病の治療~私の場合~⑦ セカンドオピニオン

医療現場の変化


医師、看護師、患者の立ち位置が変わった


 私は、10代の頃に長い闘病生活を経験しており、十数回入退院を繰り返した時期がありました。
 今回、久しぶりに大学病院に入院して気づいたのですが、医師、看護師、患者の関係が以前とまったく違うのです。
 40年ぐらい前は、これが縦の関係で、一番上が医者、次が看護師、一番下が患者というような、一種の“主従関係”のようだった。
 患者にとっては、色々な意味で「不利」な状況に置かれていたと思います。

 今は、医者、看護師、患者が同等の立ち位置に立っている、そう思いました。
 医者は謙虚になり、看護師は医者と対等に仕事をするようになり、患者には発言権が与えられた。ずいぶん変わったもんだなぁ、と驚きました。
 

セカンドオピニオン


 主治医が他の病院の医師の診察を受けることを認める、あるいはすすめるなんてことは、以前には考えられないことでした。これは画期的なこと。患者の“弱い立場”が、だいぶ改善されてきているなと実感しました。
 
 で、私はある病院のA医師のセカンドオピニオンを受けるようにすすめられました。
 今は、ネットで調べられる、詳しいことが。
 紹介されたその病院は、日本で骨髄移植の件数が最も多い病院の中の一つで、A医師はその専門医でした。

 入院している病院から半日の外出許可を得て、弟の運転する車で、セカンドオピニオンを受ける病院に向かいました。体力も著しく低下し、歩くのもやっとで、長い一日の始まりでした。

 受付で紹介状を出し、手続きを済ませ、待合室に通されました。すると私と同じ病気の人が全国から来ているんですね。まさに命がけでこの病院にセカンドオピニオンのために来ているんです。
 抗がん剤治療の副作用により衰弱しきった体で、付き添いの方にもたれかかりながら待合室で待つ方々。私も他人から見たらこう見えているんだなぁと思いましたね。なんて因果な病気なんだろうと。

 実はもう一つ、ショックなことがありました。
 それは、受付の方の応対、待合室に案内してくれた方の応対、看護師の応対です。
 非常に心のこもった応対。こんな応対を受けたことがない。
 私の入院している病院は骨髄移植はできないので、するとなればこの病院になります。
 “この病院で命を終えることになるかも知れない人に対してのやさしさ”、それが伝わってきてしまったんですね。
 移植のリスク。この応対を見て、「自分はちょっと甘く考えていたかもしれない」と直感しました。
 
 予約した時刻になり、医師の待つ部屋へ通されました。

移植のリスクは想像以上


 30年前だったら、癌は患者本人には告知することは少なかったでしょうし、治療のリスクなんてすべて伝えることはなかったでしょうね。
 今は、全部言っちゃうんですね、本人に。「聞かなきゃよかった」と思いましたね、正直。
 一方で、自分はラッキーだなと思う部分もありました。
 A医師は、とても中立・公平な立場から話す方でした。誘導する意図が一切ない。移植現場の医師の本音が聞けたことを、本当に感謝しています。

 白血病は様々な種類があり、人によって治療法が異なる。かかった病院、医師によっても違うでしょう。
 だから誤解を避けるために、ここに内容を書き込むのは控えます。

 骨髄移植をするか、しないか。二者択一でこんなに迷ったのは初めてです。
 私は結論を出せずに、入院する病院へ戻りました。

 そして丸一日考え、主治医に伝えた。

 「骨髄移植はしません。このまま、先生に治療をお願いします」

 「わかりました」

 理由は聞かれませんでした。


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2019年2月21日木曜日

白血病の治療~私の場合~⑥ 骨髄移植の適合検査

骨髄移植の適合検査(HLAの検査)


弟にドナーを依頼


 化学療法(抗がん剤治療)を開始し、寛解した後、抗がん剤の投与が続けられる中で、骨髄移植の準備に入っていくことになった。

 白血病と診断された時から、いずれは骨髄移植をすることになるんだろうな、と思っていたので、その時は何の抵抗もありませんでした。

 白血球をはじめとする全身の細胞には型があり、骨髄移植をするには私とドナーのHLA型の一致する割合を調べる必要がある、とのことでした。

 家族内にドナーが見つかる可能性は4分の1
 非血縁者間では数百から数万分の1の確率でしか一致しません。

 ドナーの年齢制限は20~55歳。私の親は高齢のため対象外。ドナーになることができる可能性があるのは一つ下の弟だけ。
  「私と一緒にHLAの検査を受けて欲しい。その結果、型が一致すれば骨髄移植のドナーになって欲しい」と電話で伝えた。
 
 もし、型が一致してドナーになることになれば、弟も数日間の入院を余儀なくされる。体にも大きな負担になる。仕事も休まなければならない。
 兄弟とはいえ心苦しい“お願い”だったが、快く了解してくれた。

 うれしかったですね。普段は疎遠なのに、頼まれる方にとってはリスクだらけの“お願い”にもかかわらず、力になってくれるという。
 ありがたいやら、もうしわけないやらで、HLAの検査を2人で受けることになった。

 費用の方は、私の分がが5万円程度。弟の分が3万円程度でした。検査項目のオプションが入るため、患者の方が少し高額になります。結果が出るまでは、2週間ぐらいかかりました。

結果は「不適合」


 型は合いませんでした。

 「わるいね」

 弟が謝ってきた。何も悪くないのに。わるいことをしたのは、こちらの方。
 検査を受けてくれただけで充分。それ以上望む気持ちなんてありませんでした。

 「適合の確率数百分の1のドナーを見つければいい」

 すぐに気持ちは切り替えられた。

 どこかホッとした気持ちもありましたね。弟にまで負担をかけずに済んだという。


 その後、主治医からセカンドオピニオンを受けるようにすすめられたのです。


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2019年2月19日火曜日

白血病の治療~私の場合~⑤ 無菌室

無菌室とはこんなところ


室料は無料


 私は白血病と診断されて2日後に、化学療法(抗がん剤治療)が始まりました。
 
 それまでは4人部屋にいて、最初の2日間ぐらいは食欲も普通にあった。
 「なんだ、抗がん剤といったってたいしたことないじゃないか」なんて思った。

 ところがこれが大間違いで、3日目に急に食欲がなくなり、4日目に無菌室へ移ることになった。
 私は無菌室の料金が気になり、看護師さんに聞いてみた。すると、「治療に必要な措置のため、無菌室は料金がかかりません」とのこと。その点はひと安心しましたが“未知の領域”ですからね。いざ移るとなると不安でいっぱいでした。
 

きれいな個室


 一言でいえば非常にきれいな個室。
 
 抗がん剤の投与により、白血球が極度に減少する。そして、感染が起こりやすくなる。
 白血病が他人に感染するのではなく(白血病は他人に感染しません)、白血病の人が感染を受けやすく、それが命取りになる。
 空気中にある様々な雑菌によって感染症を起こしてしまう。
 それを予防するための設備が整った個室の病室です。

 最初は、「こんなところに入って、この先どうなっちゃうんだろう」なんて不安でしたが、意外に快適でしたね。体調のことを考えなければ。

普通の病室と違うとことは


 まず、面会は原則として家族だけに限られていました。
 面会者は、無菌室へ入る前にうがい、手洗いをし、キャップ、マスク、ガウンを着けます。外界からの雑菌の持ち込みを最小限にするためです。手荷物の持ち込みも、原則できません。花や果物の差し入れもダメです。

 ちなみに、入院している私は普通にパジャマ姿。

 室内には特別な空気清浄器があり、24時間稼働しています。空気がとてもきれいなのがわかりました。室内の清掃や備品の消毒も、係りの方が毎日念入りにやってくれるので、超清潔!洗面台もトイレもシャワーも専用です。
 そういった意味では快適でしたね。

食事


 抗がん剤の影響で、白血球が減少し始めると、食事は加熱食になります。
 “なんでもかんでも火を通してある食事”とでもいいましょうか………。
 美味しくないんです。これが。
 最初のうちは、それでも体調のいい時は食べられたんです。しかし味覚障害の副作用が始まってからは、まったく食べられなくなりました。

外界から遮断された世界


 しーんと静まり返った部屋に一人。一日中。
 体は、日に日に衰弱していく。どんどん筋力が落ちていくのがわかる。
 2週間目からは髪の毛も抜け始めた。食事も食べられない。
 家族が面会に来ても、起き上がる気力もない。しゃべるのもつらい。
 抗がん剤というのは、恐ろしいものです。

 そういう状態になって初めて気づくんですね。「ああ、今まで自分は幸せだったんだなぁ」って。
 家族、会社の人、友人、医療スタッフなど、あらゆる人への感謝の気持ちしかないんですね、そういう時。
 副作用でもうろうとした意識の中で、無菌室の天井をぼーっと見つめていて、毎日涙があふれましたね。元気になって、少しでも感謝の気持ちを返したいと。


 そんな時、担当医の女医さんが病室に入ってきた。
 私の涙を見て、「そんなにつらいんですか?」と聞かれたので、つい、「はい」と言ってしまった。
 
 そしたらその日、吐き気止めの点滴が1本追加されてしまったんです。笑
 

2019年2月18日月曜日

白血病の治療~私の場合~④ 抗がん剤の副作用

抗がん剤の副作用


吐き気、おう吐


 最初に起こるのが、食欲不振と吐き気、極度の倦怠感です。
 私が入院中、同じ病気の方でこの副作用に耐え切れずに、治療を拒否して退院してしまった方がおりました。

 私は、吐き気はほとんどありませんでした。これには、医師や看護師たちが驚いておりましたね。
 検査などで廊下に出ると、たまに他の白血病患者の個室のドアが開いていて、中が見える時がある。個室には洗面台がついていて、そこに洗面器のようなちょっと変わった形の容器がおいてある。私以外の部屋は全部。
 看護師にその容器のことを聞くと、他の患者さんたちは毎日おう吐を繰り返しているとのこと。その方たちのお気持ちを考えたら、言葉が出ませんでした。

筋力の低下


 手足はみるみるうちに細くなり、背筋力もなくなるので背中がやや丸くなりました。
 トイレに立つだけでもつらくなります。臀部の肉もなくなり、固い椅子に座ると骨があたって痛い。抗がん剤で、筋肉が破壊されてしまうんですね。

思考能力の低下


 スマホの画面を見るのがつらい。テレビの画面を見るのがつらい。本を読むのがつらい。目から入ってくる情報が、頭の中で処理しきれなくなってしまう。
 なので、眠るか、病室の天井をぼーっと見ているだけ。それで一日が終わってしまいます。

脱毛 


 白血病治療の副作用といえば、誰もが思いつくのは頭髪の「脱毛」ですね。
 実際には、全身の毛は全部抜けます。
 私の場合、抗がん剤の投与が始まって、2週間が過ぎたころに脱毛が始まりました。
 私はもともと坊主頭だったので、スキンヘッドは本人としてはあまり違和感ありませんでした。しかし、眉毛とまつ毛もなくなりますので、人相が変わってしまいましたね。
 抗がん剤投与をやめれば、すぐに生え始めますが、髪質は変わってしまいます。

皮膚がぼろぼろに


 また、肌着を脱いだ時に、肌着の内側に白い粉のようなものがついてきます。皮膚がボロボロになって剥がれ落ちるんです。
 これも全身です。しかし、この症状は1~2か月でなくなりました。

口内炎


 医師や看護師が、一番気にかけてくるのが口内炎です。毎日、口の中をチェックされます。
 免疫力がありませんので、粘膜、特に口の中の炎症、口内炎ができやすい。舌もコケで真っ白になってしまう。
 予防のために、一日に10回以上、うがいと歯磨きをしていました。
 口内炎が無数にできて、食事ができなくなる人もいるそうです。
 私は、一度も口内炎ができなかったので、大変驚かれました。


味覚障害


 私が一番つらっかったのは、味覚障害です。
 食べ物がおいしく感じられないというレベルではない。まるでこの世のものとは思えない味になってしまうんです。ですから何も食べたくなくなっちゃうんです。
 最終的には、体重は20キログラム落ちました。

便秘 


 最もつらっかったものがもう一つ。便秘です。死ぬかと思った。詳細を書くのはやめておきます。苦笑


 これらの副作用は、私自身がつらいのはもちろんですが、それを見ている家族も同じようにつらっかったと思います。その気持ちを考えると、胸が痛みます。


 抗がん剤を点滴で投与している間は、37.5度ぐらいの発熱があります。人によっては高熱が続くこともしばしば。
 私は最高で41度ぐらいの熱が数日続きました。合併症です。肺炎になった時と、敗血症になった時。「人はこうやって死んでいくんだな」と思いました。

 そのことは、もう少し後に書きます。


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2019年2月17日日曜日

白血病の治療~私の場合~③ 地固め療法

地固め療法


「寛解」=「治った」ということではない


 前々回の投稿に、私が「寛解(かんかい)」したところまで書きました。
 「寛解」とは抗がん剤治療によって、骨髄の癌が消滅した状態のことです。

 しかし、治療をフルマラソンに例えたら「寛解」は〈最初の給水所〉に過ぎない、と言いました。中間地点にも届いていない。様々な副作用との闘いの始まりともいえるのです。

 なぜなら、「寛解」=「治った」ということではないのです。

 先日、競泳選手の池江璃花子さんが白血病を公表して以降、いろいろなメディアで医者が白血病について解説しています。
 「白血病は完治できる病気になった」とか「早期発見できれば治る」と言っている方が非常に多いことには、驚きました。白血病を他の癌と同じように考えている医者が多いんですね。

 そういった表現に対して、医者の中でも血液内科の専門医たちが、警鐘をならしています。
 「白血病は、完治したと医師が判断できる病ではない。再発のリスクは一生つづく」
 「白血病は流動性の癌なので、発見されたときは全身に回っている。早期発見ということはありえない」
というものです。

 実際、私が白血病の治療を受けている中で、今までに、主治医、担当医、セカンドオピニオンなど約10名の血液内科医に、白血病に関する説明を受けましたが、「完治します」とか「早期発見」という言葉は、一度も聞いたことがありません。

 通常、癌にはステージ“いくつ”という段階がありますが、白血病にはそれがありません。症状が出た時には、すでに癌が全身の骨髄に回っていますので、あえて言うならば“ステースジ4の末期”になってしまうのだそうです。

 その状態から、抗がん剤治療や骨髄移植などで、寛解までもっていくわけです。
 ですから、治療は壮絶なものになります。
 
 私は全身の骨髄の約80パーセントが癌化していましたが、幸運にも治療を初めて1か月弱で寛解しました。私の年齢では大変めずらしいことだそうです。

 その時に、担当医からこのような説明がありました。
 
 「寛解しましたけれども、白血病が治ったわけではありません。ここで治療をやめたら再発はまぬかれません。あともう3か月間は化学療法(抗がん剤治療)を続けて、その後、骨髄移植をすることになると思います」
 
 白血病の治療の目的は、この「寛解」状態を一生維持すること、と言えると思います。
 そのために、寛解したあとにも、このような「地固め療法」が必要になるのです。ですから、どの時点で“完治”したのかなんて誰も判断できないのです。

 まあ長期の治療は覚悟の上でしたが、この後、さまざまな副作用に襲われていくことになります。


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