2019年5月31日金曜日

剣道はスポーツ化してよいのか

叫ばれなくなった危惧する声


剣道は「武道」


 昭和40年代から50年代、剣道界のあちこちから「剣道のスポーツ化」を危惧する声が上がっていた。
 剣道の講習会や大会の前には、"えらい人"が登壇して、「剣道は武道だ、スポーツではない」という話を、必ずと言っていいほどしていたと思う。
 今はそういう話を聞くことはありません。

 私が30年ぶりに剣道を再開して感じたことの一つに、「剣道のスポーツ化」がだいぶ進んでしまった、ということがあります。

 「稽古を続けることによって、心身を鍛錬し、人間形成を目指す『武道』です」

 このように、現代剣道を統括する全日本剣道連盟のホームページにも、剣道は「武道」だと定義されております。

 しかし、実際の「剣道」がちょっと違う方向に変わりつつあることを、感じている方は多いと思います。

昭和の道場


 昭和47年4月。小学2年だった私が道場で剣道を始めた時、指導者の先生から最初にこのような説明を受けた。

  •  剣道は武道であるから、礼儀を重んじる。
  •  竹刀は刀である。またいだり、心得のない者に貸してはいけない。
  •  刀を腰に帯びるということは、子供であっても一人前の武士ということ。子供扱いはしない。
  •  よって、稽古は厳しいものになるので、同意できなければ入会しないでほしい。

 剣道を始める前に、武道を習うという心構えを最初から求められたのです。
 子供心に、「スポーツとは違うんだな」と思った記憶があります。

「礼儀」と「スポーツマンシップ」は違う


 当時、小学3年になって防具を着用して稽古するようになり、スポーツとの違いを目の当たりにしていきました。
 
 元立ちの先生と一対一で稽古するいわゆる"地稽古"の最中に、竹刀を強く払われて落としてしまったことがあった。竹刀を拾い上げてから稽古再開となると思い、落とした竹刀を拾いに行こうとすると、その先生は次々と打ち込んでくる。竹刀を持っていない私にです。
 慌てて竹刀を拾おうとすると、先生は竹刀の先で床に落ちている私の竹刀を弾き飛ばして、道場の隅にやってしまった。
 何てことするんだと思いましたけど、稽古が終わって、それを見ていた上級生から、こんなアドバイスがあった。

 「落とした竹刀を拾いに行くな。落とした刀に執着すれば、相手に斬られてしまう。刀を落としたら素手で戦え。落とした瞬間に相手の懐(ふところ)に飛び込め。そうすれば、斬られることはない。"組み討ち"にするんだ」(組み討ち稽古とは、こちら

 またある時はこんなことがありました。
 子供同士の練習試合の最中、私の相手が転んでしまった。その時、私は相手が起き上がるまで待っていた。するとそれを見ていた先生が烈火のごとく怒りだした。
 「お前は何をやっているんだ」
 意味が解りません。なんで私が怒られるのか。このときは、その先生からこういう指導がありました。

 「相手が転んだときも、打突のチャンスだ。それを見逃してはならない。そこで打たないということは、相手に"情け"をかけたということ。武士にとって"情け"をかけられるということは、恥をかかされたということ。お前は相手に対して、失礼なことをしたんだ」

 こういった例を挙げればきりがありません。
 剣道は刀を執っての戦いを起源としていますので、「ゲーム」を起源とするスポーツとは、相いれないものが多々あります。 
 スポーツマンシップは時として、剣道では失礼にあたるのです。剣道で、ガッツポーズをしてはいけないことは、有名ですね。敗者にも礼を尽くすのが剣道です。 

スポーツ化した剣道


 日本に「スポーツ」がもたらされたのは、明治維新後です。
 明治政府が招いた当時の外国人教師が、彼らの生活様式を日本に持ち込んだ。そのひとつが、趣味としてのスポーツでした。

 一方、「剣道」は、古武術である剣術あるいは兵法が起源ですから、明治維新よりもさらに数百年前からあった日本独自のもの。
 「スポーツ」という概念が日本に入ってくるはるか以前からあるわけです。
 それが、戦後、スポーツという分野に「剣道」が組み込まれてしまった。

 そうなると、「朱に交われば赤くなる」の言葉どおり、スポーツ化が始まった。
 それでも、前述したように、昭和の時代はそれを危惧して「剣道は武道である」ということを、稽古の中でしっかり伝えていたと思います。

 現在はとなると、「切り返し」を「打ち返し」と言い換えたり、「稽古」を「練習」と言い換えたりして、物事の本質が解らない大人たちが"言葉遊び"をしている。その弊害がどんなふうに表れているかも知らずに。

 これも例を挙げればきりがないので、ひとつだけ。
 現在は、「切る」という言葉を剣道の指導で使ってはいけないという人がいる。中学高校の教師に多い。だから、「打ち返し」になってしまう。
 「とにも角(かく)にも、きるとおもひて、太刀をとるべし」(『五輪書』水之巻)とは、宮本武蔵が繰り返し説くところです。剣術(剣道)は敵を切るという、極めて端的な目的のためにたてられる理法なのです。これは、決して殺伐とした考えではありません。
 「切る」という言葉に反応して、殺人を助長してしまうと思い込むことこそ、殺伐とした考えです。
 そうなると、「刀法」を教えられなくなる。刃筋なんてものは関係なくなってしまう。
 その結果は、棒をとってのたたき合いです。一部の中高生の試合に見られます。ただの当てっこ。竹刀を打突部位に当てるためだけに特化した方法を、あれこれ考えた末のスポーツになってしまっている。
 指導者も、そのやり方で、生徒たちが試合で勝ってくれるものだから、黙認する。
 強豪校と言われる有名校がそういうことをするから、審判も旗を上げざるを得なくなって、一本にしてしまう。
 もう笑うしかありません。そういったことを、誰も注意できない時代になっちゃってるんですね。情けないかぎりです。

 ルールの範囲内でやっている限りは何でもあり、という風潮。
 そんな思考が、「剣道をオリンピック種目に」なんていう運動につながっていくんですよ。スポーツの祭典であるオリンピックに、なんで剣道が入れてもらわなきゃいけないんでしょうか。
 もし剣道がオリンピック種目になれば、スポーツの枠の中で武道性や武士道精神を主張する矛盾によって、剣道は崩壊します。そのように実質崩壊してしまった武道を、私たちは見てきたはずです。

剣道は日本の伝統文化


 言うまでもなく、剣道は日本独自の伝統文化です。
 現代に迎合して、自らが本質を変えてしまうようなことがあれば、もう伝統文化ではありません。

 そういった伝統の技の継承をささえるのは、強い信念をもった心。武士道精神です。
 継承された伝統の技と強い精神があって、剣理を追及する稽古ができるのです。
 スポーツ化した剣道に、戦国流祖たちが到達した剣理に遡る道はありません。

 「古(いにしえ)を稽(かんがえる)」
  
 稽古の意味を胸に刻みながら、これからも「剣道」をやっていきます。

 剣道は剣道であってほしい、ただそれだけです。

 

2019年5月30日木曜日

平成25年市川市民剣道大会 部門別連覇、総合3位

出場者300名の個人戦、総合の決勝トーナメント進出


部門別は連覇


 2013(平成25)年10月。出身地である市川市の市民剣道大会個人戦に出場しました。

 前年に、33年ぶりにこの大会に出場し、「三段以下45歳以上の部」で優勝しています。(その様子はこちら
 この年も、同じ部門に出場。四段に昇段してしまえば出場できない部門ですから、しっかり勝っておきたいところです。

 この部門に出場する方は、大人になってから剣道を始めた方か、学生以来のブランクがあって再開したばかりの方。こういう方々が、何かのきっかけで剣を執り、稽古を積んで試合に出てくる。
 年のせいでしょうか、そういう姿を見ていると涙があふれそうになってくるんです。私もリバ剣組なんですけどね。
 人間て素晴らしいなって。いくつになっても何かを学ぼうとチャレンジするんですね。

 他に楽しんでできるスポーツはたくさんあると思うんですけど、なにも剣道なんてつらい稽古をしなければならないものを選ばなくていいんじゃないかなって。それでもみんな剣道が好きで、こうして試合にも出てくるんですね。
 特に、大人になってから剣道を始めた方には敬意を持ちます。試合で一勝をあげることはなかなか難しいかもしれませんが、あきらめないでほしい。いつもそういう気持ちになります。

 前年に続いてこの年も「三段以下45歳以上の部」で優勝しました。
 この年は、新たにリバ剣した方が数名参加されて、出場者の顔ぶれもだいぶ変わっていました。その中には、強豪校出身の方もおり、白熱した試合が多かったですね。
 なんとか、総合の決勝トーナメントに駒を進めることができました。

市川市剣道選手権


 個人戦出場者約300名。市民大会にしては規模が大きいと思います。
 9部門の優勝者が総合の決勝トーナメントで争う市川市剣道選手権。

 9部門それぞれの優勝者を見て、驚きです。私以外は、市や県の現役代表選手か元代表選手。ただのリバ剣おやじなんて私だけです。笑

 前年の大会の時もそうだったんでしょうけど、周りを見る余裕がありませんでしたから、分かってませんでした。
 ちょっと、大変なところへ出てきちゃったなと思いながら、組み合わせの抽選に臨みました。

 前年は、一番最後にくじを引いて、最強部門のひとつ「四、五段40歳未満の部」の覇者との対戦になってしまった。なので、この年は一番最初にくじを引いた。
 抽選の結果、一回戦のお相手は「壮年女子の部」の優勝者に決まりました。

 ちょっと違う緊張感が走りました。
 「300人が見てる前で女性に負けたらどうしよう」って。
 実際に前年は七段の男性が女性に負けているのです。私のお相手は、毎年このトーナメントに進出している方。気が抜けません。

一回戦


 試合開始。蹲踞の姿勢から「はじめ」の号令で立ち上がり、上下太刀(二刀の代表的な構え、上段の構えの一種)に構えた。
 お相手の女性は一刀中段の構え。
 「打突部位がガラ空きだな」
 すぐにそう思いました。

 「構え」というのは不思議なもので、正しく構えていても打突部位がガラ空きな人と、まったく打つ隙の無い人がいるんですね。
 お相手は二刀者相手にどうしたらいいか分からないようで、不安な気持ちが構えに表れている。ちょっとかわいそうになってしまいましたが、勝負ですから仕方ありません。
 お相手が居ついているところを「面」で二本。準決勝進出を決めました。

準決勝


 次のお相手は「四、五段40歳未満の部」の優勝者。20代で五段の方。現役の市の代表選手です。
 しかし、二刀との対戦は初めてと見えて、やりずらそうにしてました。
 この方は身長が180cm以上ありましたから、私もやりずらかったんですけどね。
 試合は、延長戦に入りました。

 現役選手はやはり違いますね。やりずらそうにしてても、数分の間に私の隙を見つけるんですね、ちゃんと。
 最後は「引き胴」で負けた。まったく同じ展開、以前にもありました。(その試合はこちら
 お相手は、この後の決勝でも勝利し、市川市剣道選手権の覇者になりました。

 現役世代との対戦まではこぎつけられるようになりましたが、壁は厚いですねぇ。


 リバ剣して、4年になろうとしていたころ、49歳の時のことです。


追記

 大会中、二人の方が私のところに挨拶にみえた。
 一人は、私と同年代の方。もう一人は、20代の方です。
 お二人とも、左手に竹刀の大小を提げて。

 前年のこの大会で、二刀で戦う私の姿を見て、二刀を始めたそうなんです。
 ちょっとびっくりしてしまいました。

 私の目標は、どんな大会でも優勝することですが、最終的な目標は、私の二刀流を見た子供たちが、興奮して眠れなくなるような二刀流をやること。私がそうだったように。(その様子はこちら

 まずは、大人二人を眠れなくしたみたいです。笑


 

2019年5月29日水曜日

平成25年浦安市春季市民剣道大会 壮年の部で準優勝!

壮年の部、決勝で敗れる

正二刀、上下太刀の構え、左足前
正二刀の上下太刀の構え

稽古量は充分、自信をもって試合に臨む


 2013(平成25)年5月。浦安市春季市民剣道大会に参加しました。浦安市民大会は春に個人戦、秋に団体戦を行なっています。なので、今回は個人戦のみ。
 この時私は49歳。壮年の部に出場しました。

 前回の投稿までに、OOT範士にアドバイスをいただいたのがきっかけで「手の内」の稽古に取り組み始めたことを書きました。
 その「手の内」の稽古を始めて半年たち、かなり自信もついてきた。稽古量を見ても、もうこれ以上は無理というところまでやっている。(当時の稽古メニューはこちら
 しかもこの前年、この大会部門別でリバ剣後に初優勝している。(その様子はこちら
 そうなれば、まずは壮年の部の連覇を目指すしかありません。
 
 しかし、この時私の段位は三段。この大会に出て、私より段位が低い方と当たったことはありません。皆さん私よりも高段。油断は禁物です。
 3回戦までは順調に勝ち進みました。
 

準決勝


 準決勝のお相手は剣道七段の方。私よりも若く剣道強豪校出身の公務員。稽古をする時間のいっぱいある人です。微笑

 試合が始まると、お相手は諸手上段に構えた。私は試合で上段の構えと対戦するのは初めて。
 お相手はひと振りで決めようとしているのか、無駄打ちしてこない。
 私の出ばなをとらえる自信があるようだ。しかし私は終始落ち着いていて、お相手の攻めに動かされることがないよう、機をうかがっていました。

 すると、お相手が徐々にいら立ちはじめた。
 諸手上段の方から見たら、正二刀は打つところがないんですね。諸手上段に対する正二刀は上下太刀(写真上)に構えているだけで、ほぼ完璧な防御になってしまう。

 主審の「やめ」がかかった。時間切れです。4分間の試合時間が、あっという間に感じました。延長戦は一本先取した方が勝ち。

 「延長、はじめ」

 主審の号令とともに諸手上段に構えたお相手。私がやや遅れて上下太刀に構えた瞬間、お相手は中段に構えを戻して突いてきた。

 「うぉーっ!」

 聞こえたのは観覧席からの歓声です。
 お相手が構えを中段に戻し「突き」にくる刹那、私の小刀がその竹刀を斬り落とし、同時に大刀が「面」をとらえた。
 考えて打ったのではなく、気づいたら体が反応して打突が完了してた。旗も3本上がってました。

決勝


 壮年の部、決勝。これに勝てば2連覇。
 
 ちょっと、おごりがありましたね。準決勝まで会心の試合をしてましたから。
 気持ちは、この後の"総合の決勝"の方にいっちゃってました。

 試合が始まりました。
 正直、あせりました。試合開始直後から。
 お相手は40歳の元実業団選手。私が仕掛けたり誘ったりする技が読まれていて、まったく通用しないのです。

 後で聞いた話ですが、この方は私と対戦したくてこの大会に参戦したそうで、事前にかなり研究されたそうなんです。
 立合いの中で、一本を取れる気がまったくしないのです。
 試合はまたも延長戦に。

 今から考えれば未熟でした。
 機をつくれないなら、お相手が打ってきたところを仕留めようと思ってしまった。
 そう思うこと自体が、もう受け身なんですね。
 初心者には通用しても、上級者には通用しませんよね。

 お相手が「面」に来たところを「面」で仕留めにいった。
 間に合うはずはありません、私が動かされてるんですから。勝敗はその時点で決まってました。

敗因は過信


 正しい片手素振りの稽古で、手の内の冴えが身に付き始めて、過信があったと思います。
 打突の速さと、手の内の冴えがあれば、なんとかなると。

 攻めて崩す、攻めて動かす、そういった「攻め」を軽視していた自分に気づかされました。

 試合で負けるのは、本当に悔しいですけど、必ず大きな発見があるんですよね。
 勝っていたら気づけないことなんです。
 
 今回も、克服すれば必ず成長できる課題をいただきました。
 

追記

 表彰式が終わって散会となり、着替えて会場を後にした。
 駐車場に向かう路地を歩いていると、後ろから小学生の低学年らしい子供と父親の声が聞こえてきた。

 「お父さん、今日、二刀流がいたね」
 「なかなか見られないんだよ。よかったね」
 「うん!」

 自分の子供の頃と重なっちゃいまして、熱いものがこみ上げてきました。
 そして、さらに精進することを心に誓いました。
 
 (子供のころ初めて二刀流を見たときの様子は、こちら



2019年5月28日火曜日

剣道二刀流 手の内の冴えが劇的に変化④ 二天一流「切っ先返し」

切っ先返しで打つ

竹刀の重心を知ることは重要
黒いビニールテープは竹刀の重心位置を示す

「切っ先返し」とは


 切っ先返し(きっさきがえし)という言葉。聞いたことある方もいらっしゃると思います。時代劇や剣豪小説などで見聞きしたことがあるのではないでしょうか。
 
 しかし大変残念なことに、ほとんどの場合誤解されて伝わっているんです、「切っ先返し」という刀法が。

 時代劇や剣豪小説に登場する剣術遣いが「切っ先返し」と称して繰り出す技は、たいていの場合、手首をひねりながら切っ先を大きく右から左に回したり、左から右に回したりして斬ろうとする。あるいは、袈裟斬りに振り下ろした瞬間、刀の刃の向きを変えて斬り上げる、といった動作をする。
 これらはいずれも「切っ先返し」ではありません。

 第一の構(かまえ)、中段。太刀さきを敵の顔へ付けて、敵に行相(ゆきあ)ふ時、敵太刀打ちかくる時、右へ太刀をはづして乗り、又敵打ちかくる時、きつさきがへしにて打ち、うちおとしたる太刀、其儘(そのまま)置き、又敵の打ちかくる時、下より敵の手はる、是(これ)第一也。

 これは、『五輪書』の一節で、宮本武蔵が約400年前に制定した「五方ノ形」(ごほうのかた)の一本目を、武蔵自らが解説した文章です。
 ここにある「きつさきがへしにて」とは、まさに「切っ先返し」のことです。

 "返す"という言葉には、"元に戻す"という意味があります。
 では、切っ先を元に戻すとは、どういうことなのでしょうか。

刀(竹刀)の重心を中心に回転させる


 切っ先(剣先)を元に戻す。どこに戻すかといえば、構えた位置、中心、打突部位などにです。しかも、戻すのは切っ先(剣先)だけ。

 「それってどういうこと?どうやって打つの?」って思うと思います。
 
 振り上げた刀(竹刀)を振り下ろすとき、打突部位に到達する寸前に、柄を握った拳(こぶし)を引き上げるのです。
 片手であればその拳です。諸手保持であれば柄頭にちかいほうの拳(通常は左手ですね)を鋭く跳ね上げるようにする。
 
 切っ先は打突部位に向かって振り下ろされていき、柄側は上方に跳ね上がる。
 つまり、刀の重心点を中心に、刀が回転する運動に瞬間的に変わるわけです。
 これが、「切っ先返し」であり、この方法で打突することを「切っ先返しの打ち」といいます。

 これは、片手刀法でも諸手刀法でもできます。
 普段、剣道で諸手で稽古していらっしゃる方々も、「切っ先返し」とは知らずにやっている方もいると思います。
 実際に、高段者の先生に竹刀で打突されて、「パクン」といい音がしてもまったく痛くない、という経験をしたことがあると思います。鍛錬したしなやかな手首を遣って、打突の瞬間に、竹刀を重心を中心に回転させているのです。

手の内の"冴え"


 前回の投稿までの3回にわたって片手刀法の「手の内」の稽古について記述しました。
 「手の内」は素振りで稽古することが大事であること。
 "正しい"素振りの仕方を知ること。 
 「太刀の道」をつきとめること。
 そして今回の、「切っ先返し」で振ること。

 正しい片手素振りの稽古を始めて半年たった頃には、毎日2,000本の素振りをやるようになっていました。右片手1,000本、左片手1,000本です。
 内訳は、朝出勤前に左右200本ずつで400本、これが1セット。昼休みに職場で1セット。夜、帰宅してすぐに2セット。就寝前に1セット。これで2,000本です。

 これを、やらなければならない数字として、自分に課したわけではありません。
 もっとやりたかったけど、これ以上は時間的に無理だったということです。(この4年後に急性リンパ性白血病と診断されるまで、毎日続けました。)

 これを実践していって身に付いたのは、手の内の"冴え"です。

 以前は、諸手で打ってくる一刀者に打ち負けることを恐れて、虚(きょ)をついて打っていったり、小刀でお相手の竹刀を押さえ込んで大刀で打つことばかり考えていました。
 しかし、手の内の冴えを身に付けてからは、お相手の動作を起こそうとする刹那を、仕留めることができるようになった。
 たとえ「相面」(あいめん)になっても絶対に打ち負けないという自信が持てたのです。
 自分の剣道が驚くほど変わりました。

 「キミは手の内が不十分だ」

 OOT範士のこの言葉がきっかけで、すべて始まったことです。(その時の様子はこちら
 剣道をやっていく上で、かけがえのない"財産"を手に入れることができました。
 OOT先生には、感謝しても感謝しきれません。


追記
 OOT先生は、元警視庁剣道主席師範で剣道八段範士。
 実は私と同姓で、住まいもご近所。しかし姻戚関係はありません。笑
 
 

2019年5月27日月曜日

剣道二刀流 手の内の冴えが劇的に変化③ 「太刀の道」で振る

素振りで「太刀の道」を探し出し、確認し、体得する


"ゆっくり振る"には忍耐が必要


 前回の投稿で、二天一流の片手素振りを習ったことについて書きました。(その内容はこちら

 極意は、ゆっくり静かに振ること。

 「それって、実践に役立つの?」って思いました。スローモーションのように木刀を振って、いったい何が身に付くのだろうと。
 しかし、指導してくれた方の言う通り、だまされたと思って、毎日やってみることにしました。

 正しい手順でゆっくり振ると、すぐに気づきました。
 「これはキツイ」と。
 前進後退してビュンビュンと早く振った方が、よっぽど楽です。
 50~100本はやろうと思っていましたが、あまりのキツさに集中力が続かず、初日は20本程度しかできませんでした。
 
 無理はせず、「正しく」集中してできる本数をやろうと決め、毎日少しずつ増やしていきました。
 そして、一週間がたち、一日に50本ぐらい振るようになった時、ちょっと変化があったのです。
 
 キツイと思いながらやっていた片手素振りが、キツくない。重いと感じていた木刀が、重くないのです。
 徐々にそうなったのではありません。一週間たったころ突如としてそうなったのです。
 これを継続していけば、もっと大きな変化が得られるのではないかという、期待が膨らみました。

 しかし、あせりは禁物。通常の速さで素振りをするならどんどん本数を増やせますけど、スローモーションでやってますからなかなかそうもいかない。50本ぐらいがちょうどいいと思い、そのペースで毎日続けました。

理想の素振りには「手応え」がある 


 ビュン!

 いつものように、スローモーションで素振りをしていたつもりが、突然、木刀が空気を斬った。目にも止まらぬ速さで振ったのです。
 そうしようとしたのではありません。力加減はいつもと同じ。木刀が勝手に走ったという感じです。

 二天一流の片手素振りを始めて2カ月が過ぎたころのことです。衝撃でした。

 「これが宮本武蔵が言う〈太刀の道〉なんだ」

 この時、木刀の抵抗をまったくといっていいほど感じなかったのです。気づいたら振り終わっていた。構えた位置から、振り下ろした位置まで、木刀が瞬間移動したような感じといったらいいでしょうか。
 木刀の重心を意識して、ゆっくり静かに"正しく"振り続けた結果の出来事です。

 宮本武蔵が『五輪書』の中で言う「太刀の道」とは、単なる軌道や刃筋のことではない、ということを体感した瞬間でした。
 
 腕力や筋力で、木刀の重量をねじ伏せて振るのではなく、「太刀の道」で振るということが解った。
 しかし、これはまだ"偶然"の域を出ない。何百回、何千回振っても「太刀の道」で振れるようになるために、片手素振りの稽古を続けました。
 ゆっくり振っても、ビュンと木刀が走ってしまう。なので、次第に素振りの本数も増えて、一日に数百本やるようになっていきました。

 本数が飛躍的に伸びたのはもう一つ理由があって、当初は右片手だけでやっていた素振りを、左片手でも同じ本数をやるようになったから。
 最終的には、正逆両方できる二刀者になるという目標がありますから。

とある日本画との出会い


 余談ですが、休日に当時小学生だった息子と美術館に出かけることが、たびたびあった。二天一流の片手素振りをやり始めたころのことです。
 ある美術展で一点の日本画の前に立ったとき、ハッと息をのんだ。

 『初夏浄韻』という題名のついた、深緑の木々が生い茂った山中にある小瀑を描いた絵です。後藤純男さんという日本画家の作品でした。
 山の中にたたずむ小さな滝。描かれた落水を見てこう思った。

 「滝の水は誰かによって垂直に落とされているのではなく、自らの重量で理に逆らうことなく垂直に落下している」

 片手素振りをしている時、構えた時は正中線上にあるのは木刀の重心だけ。(写真上)
 振り始めると、重心を正中線上に維持したまま拳(こぶし)を正中線上にもってきますから、剣先も正中線上にきます。太刀筋が正中線と一致するわけです。そのまま垂直に振り下ろせば「正面」を斬ることができる。

 この、正中線を「垂直」に振り下ろすということが、非常に難しいのです。
 垂直に真っすぐ振ろうと手首をこねれば微妙にずれる。鏡はウソをつきませんから、ハッキリそこが見えてしまうのです。

 『初夏浄韻』の絵を見た時、手首や腕の振り方の調節で木刀を垂直に振ろうとしていた自分に気づいた。
 木刀の重さでおのずから落下するその動きに、腕が加勢していくように振ればいいんだと分かったのです。

木刀の重さを引き出して振る


 後藤純男画伯の日本画を見て感じたことをそのまま素振りでやってみた。

 垂直に振れるんですよ。片手正面素振りの太刀筋が正中線に一致するんです。こういうことか、って思った。

 これで、片手刀法のための"正しい"片手素振りを理解できた。
 あとは、この稽古が、どう「手の内の冴え」に結びつくのかですね。


2019年5月26日日曜日

剣道二刀流 手の内の冴えが劇的に変化② 二天一流の片手素振り

片手刀法のための「正しい」片手素振り

重心位置をマークし頭上の正中線上に合わせてかまえる。
実際は竹刀ではなく木刀を使い、防具は着けずに素手で持つ。

二天一流武蔵会の片手素振りを習う


 前回の投稿で、現代剣道最高位の「範士」の称号をもつOOT先生(元警視庁剣道主席師範)から、直接、手の内に関するご指導をいただいたことを書きました。

 "相手を仕留める"ことができる「手の内」を身につけるには、正しい素振りで稽古することが重要で、OOT先生は奉職以来毎日数千本の素振りをされてきたとのこと。

 ならば、最初に「正しい素振り」を知らなければならない。私の場合は二刀なので、片手刀法のための「正しい"片手"素振り」だ。

 剣道をやっている方なら、片手素振りはしたことがあると思います。重い木刀を使ったり、普段は諸手で使用している竹刀をその時だけ片手で振るわけです。
 これは、「正しい片手素振り」を習得しようとしてやっているわけではなく、ウォーミングアップやトレーニングとしての"片手素振り"。片手刀法としての片手素振りではありません。

 私は、片手刀法のための「正しい片手素振り」を習得するため、二天一流武蔵会の稽古会でその方法を教えて頂きました。

軽い木刀で素振りをする


 一般的には、「木刀」といえば全剣連が規定する寸法で作られた木刀のことをさすと思いますが、古流諸流派で使用される木刀は、その流派によって形状が異なります。
 材質や太さ、長さや反りなどが違うのです。

 二天一流で使用される木刀の特徴は、細身で軽量であること。竹刀よりもやや軽くできています。
 これは流祖宮本武蔵が、二天一流「五方ノ形」を門人たちに伝えるにあたり、細身で軽い木刀を使用したと伝えられているからです。
 『五輪書』にあります「太刀の道」を、軽い木刀で修練し身に付ければ、重い真剣も刃筋正しく振ることができるということなのです。

 さて、その「正しい片手素振り」の方法ですが、二天一流用の木刀の大刀を使います。
 なければ竹刀よりも軽いものであればいいと思います。桐の木刀でもいいですし、竹刀の竹を2枚張り合わせてビニールテープで巻いたものでも構いません。

 まず、その木刀の重心位置にビニールテープなどでしるしをします。
 そして、姿見の鏡の前に立ち、上下太刀の構えをとります。慣れるまでは、小刀を持たずに大刀だけで構えます。ですから、片手上段の構えと言った方がいいかもしれません。小刀を持たない手は体側に下げます。

 正二刀の方でしたら右片手上段に、逆二刀の方でしたら左片手上段になります。(写真上)
 この時、両足は握りこぶし一つ半ぐらいの間隔をあけて、左右をそろえて立ちます。かかとも床に着けたままです。

刀の「重心」と自分の「正中線」(中心)


 ここで重要なポイントを、2カ所チェックします。
 
 1つは、構えた大刀の刃が相手に向いているかどうか。
 刃が天井を向いている方は、振った時の軌道が大きくなるので振り始めてから打突部位に到達するまでの時間がかかります。最短距離で振ることができないのです。お相手から見れば、"起こり"が丸わかりということになります。
 刃を相手に向ければ、その欠点が解消します。

 2つ目は、鏡の中の自分を見て、木刀の重心位置が頭の真上にきているかどうか。つまり、自分の正中線上に木刀の重心があることを確認します。(写真上)
 これが、ずれていては正しく振ることができません。二刀者の中には重心位置を無視して振っている方が多いのは事実です。しかし、それは竹刀だからできること。1㎏以上ある真剣であれば、刀の重心を無視して振ることはいろいろな意味で無理があります。(刀の「重心」についての考察はこちら

 次は、実際に木刀を振るわけですが、ここで重要になるのが「正中線」です。
 鏡に向かっているわけですから、自分の正中線はリアルタイムで確認できますね。
 正中線上にある木刀の重心を相手の打突部位のやや下、この場合は「面」の素振りをしますから、あごのあたりをめがけて押し出します。
 
 "押し出す"というのは、木刀の重心点の軌道が"弧"をえがくのではなく、振り終わりの位置まで重心点が"直線的"に移動するように振る、という意味です。

 この素振りの段階では、足は動かしません。前進後退しない。前進後退してしまうと反動が刀に伝わり、稽古すべき目的の部分が稽古できなくなってしまうからです。(足さばきをつかった打突は、次の段階の"打ち込み"で稽古します)

 この素振りは「正面」を打つ素振りですから、振り始めから振り終わるまで、木刀の重心点は正中線から外れることはありません。
 構えた時は、正中線からは離れた位置にあった大刀を握る拳(こぶし)も、振り下ろすと同時に胸の前あたりの正中線上にもっていきます。

 それで鏡の中の自分の「正面」を斬るわけです。

 ここで大切なのは、"剣先"を鏡の中の自分の「正面」にもっていこうとしないことです。
 剣先を打突部位に合わせようとすると、重心位置がブレます。太刀筋が不安定になるのです。
 では、どうするかと言えば、相手と「正対」していて、刀の重心点が終始正中線上にあり、振り下ろした時に拳が正中線上にあれば、当然のことながら剣先は正中線上にあります。つまり「正面」を斬ることができる。

 片手素振りをするときに意識するところは、「刀の重心点」と「拳の位置(柄頭)」の2点ということになります。
 

「太刀の道さかいてふりがたし」


 木刀の重心を知り、その重心点が直線的な軌道で移動するように振り、拳を中心にもってくる。結果的に、重心、拳、剣先、の3点が正中線にそろい、正中線を斬るわけです。

 この時、ある約束事を守らなければなりません。ある意味もっとも難しいことなんですけど……。
「太刀をはやく振らんとするによつて、太刀の道さかいて(さからって)ふりがたし。太刀はふりよき程に静かにふる心也」(『五輪書』水之巻より)
 刀は静かにゆっくり振るもの。早く振ろうとすれば、「太刀の道」に逆らって振ることになる、と武蔵は言っているのです。

 例えば、箸のような非常に軽いものの重心を感覚で割り出し、しかもその重心がブレずに早く振り続けることは、難しいと言っていいのではないでしょうか。
 ですから、軽い木刀で稽古することで、竹刀や刀が正しく容易に片手で振れるようになるということ。竹刀や刀も重量が違うだけで、重心位置はほぼ同じですから。

 このように、重心を意識して振ることを体に覚え込ませるのです。そうすることによって、意識しなくても刀の重心を遣った振り方ができるようになるわけです。
 このときに通った刀の軌道が、武蔵の言う「太刀の道」です。
 よって、この方法で素振りをすることが、「太刀の道」を見つけることになる、ということなのです。

ゆっくり静かに振る


 私は、二天一流武蔵会でこの片手素振りの仕方を習った時、ゆっくり静かに振るということは、立合いで求められるものとは、"真逆"のことを言っているようにしか思えませんでした。
 
 その時、その指導をしてくださった方が、私にこうおっしゃった。

 「ゆっくりゆっくりスローモーションのように振ってください。だまされたと思って、それを半年続けてください」

 私ね、素直ですからやりましたよ。毎日、数十本。
 
 そしたら2カ月続けたところで、あることが起こったのです。


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剣道二刀流 手の内の冴えが劇的に変化① O範士に頂いたアドバイス

元警視庁剣道主席師範 O範士の言葉で道が開ける


平成24年浦安市秋季市民剣道大会


 2012(平成24)年秋。浦安市秋季剣道市民大会に参加しました。
 この秋季大会は団体戦のみ。一昨年に初めて参加した時は惨澹(さんたん)たる試合内容でしたので(その試合の模様はこちら)、今回は何とかいい試合をしたいと思って参戦しました。(ちなみに、この前年の2011年は被災したためこの大会は中止になっております)

 試合は三人制の団体戦で、私のチームは平均年齢が45歳をこえるおやじチーム。私は先鋒です。一回戦のお相手は、20代前半の強豪校のOBチームでした。

 先鋒戦。私は打つ機会はあったのですが、キメきれずに旗が上がらず引き分け。
 続く中堅戦は、若手に二本とられて負け。
 最後の大将は、セオリー通り引き分けに持ち込まれて終了。チームの負けが決まりました。

 あっけない試合でした。
 この年は、春季大会では個人戦壮年の部で優勝してますし、お隣の市川市民大会でも個人戦で部門優勝しています。しかし、現役世代にはなかなか勝てない。
 ブランク30年から剣道を再開して3年がたち、日々の稽古も精一杯やっている。自分の二刀剣道はこのあたりで"頭打ち"なのかな、なんて思いました。

大会後の懇親会で


 大会が終了し、場所を移して所属道場の懇親会があり、出席しました。
 懇親会が始まってしばらくすると、所属道場の会長が、ある方を伴われて会場に入って来た。
 元警視庁剣道主席師範のOOT範士です。(注:「範士」とは現代剣道の最高位の称号です)
 OOT先生は市内在住で、浦安市民大会では大会顧問をされています。
 その方が、一道場の懇親会に突然現れたわけですから、驚いたのなんのって、急に緊張感が走りました。 

 席は、私の隣が二つ空いているだけ。まさかと思いましたが、お二人はそこへ。OOT先生は私の隣に座ったのです。

 OOT先生は今日の大会の講評をされ、皆さんからの質問にも丁寧にお答えになっている。
 その質問が途切れた時に、隣にいる私の方を向き、こうおっしゃった。

 「今日の試合で、二刀を執っていたのはキミか」

 「はい、そうです」

 「キミの片手打ちは、"手の内"が不十分だ。諸手で斬りかかってくる相手を片手で仕留める、そういう"手の内"を片手でやりなさい」

 私は内心、小躍りするほどにうれしかった。範士であるOOT先生が、手の内が不十分だとおっしゃっているということは、裏を返せばまだまだ伸びしろはあるということ。
 しかも稽古次第で、諸手で斬りかかる相手を片手で仕留められるようになると言っているわけですから、こんなに心強いことはありません。

「手の内」を稽古する方法とは


 OOT先生はこうもおっしゃっていました。
 「素振りをウォーミングアップ程度に考えている人が多いが、手の内の稽古は素振りでするんですよ。"正しい"素振りで」

 正しい素振りで稽古する……。OOT範士は一体どんな稽古の仕方をしていたのか……。
 気になって、後日、剣道誌のバックナンバーを調べると、OOT範士のインタビュー記事を見つけることができた。

 OOT範士は現役時代、あのしなやかで強い手の内を身に付けるために、素振りを1セット1,000本、それを一日に数セットやっていたとのこと。

 私は、まだまだ甘かったなと思いました。自分では稽古を相当やっているつもりになっていた。しかし、一流の方々は、それ相応の努力をされているんだと分かった。
 目の前に道がパァーッと開けたような気がしました。いえ、今目の前に一本の進むべき道が現れたという感じでしょうか。

 「まだまだやるべきことは、たくさんある」

 停滞していた私の二刀剣道が、「ゴロン」と音を立てて動き始めました。


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