2019年2月22日金曜日

白血病の治療~私の場合~⑦ セカンドオピニオン

医療現場の変化


医師、看護師、患者の立ち位置が変わった


 私は、10代の頃に長い闘病生活を経験しており、十数回入退院を繰り返した時期がありました。
 今回、久しぶりに大学病院に入院して気づいたのですが、医師、看護師、患者の関係が以前とまったく違うのです。
 40年ぐらい前は、これが縦の関係で、一番上が医者、次が看護師、一番下が患者というような、一種の“主従関係”のようだった。
 患者にとっては、色々な意味で「不利」な状況に置かれていたと思います。

 今は、医者、看護師、患者が同等の立ち位置に立っている、そう思いました。
 医者は謙虚になり、看護師は医者と対等に仕事をするようになり、患者には発言権が与えられた。ずいぶん変わったもんだなぁ、と驚きました。
 

セカンドオピニオン


 主治医が他の病院の医師の診察を受けることを認める、あるいはすすめるなんてことは、以前には考えられないことでした。これは画期的なこと。患者の“弱い立場”が、だいぶ改善されてきているなと実感しました。
 
 で、私はある病院のA医師のセカンドオピニオンを受けるようにすすめられました。
 今は、ネットで調べられる、詳しいことが。
 紹介されたその病院は、日本で骨髄移植の件数が最も多い病院の中の一つで、A医師はその専門医でした。

 入院している病院から半日の外出許可を得て、弟の運転する車で、セカンドオピニオンを受ける病院に向かいました。体力も著しく低下し、歩くのもやっとで、長い一日の始まりでした。

 受付で紹介状を出し、手続きを済ませ、待合室に通されました。すると私と同じ病気の人が全国から来ているんですね。まさに命がけでこの病院にセカンドオピニオンのために来ているんです。
 抗がん剤治療の副作用により衰弱しきった体で、付き添いの方にもたれかかりながら待合室で待つ方々。私も他人から見たらこう見えているんだなぁと思いましたね。なんて因果な病気なんだろうと。

 実はもう一つ、ショックなことがありました。
 それは、受付の方の応対、待合室に案内してくれた方の応対、看護師の応対です。
 非常に心のこもった応対。こんな応対を受けたことがない。
 私の入院している病院は骨髄移植はできないので、するとなればこの病院になります。
 “この病院で命を終えることになるかも知れない人に対してのやさしさ”、それが伝わってきてしまったんですね。
 移植のリスク。この応対を見て、「自分はちょっと甘く考えていたかもしれない」と直感しました。
 
 予約した時刻になり、医師の待つ部屋へ通されました。

移植のリスクは想像以上


 30年前だったら、癌は患者本人には告知することは少なかったでしょうし、治療のリスクなんてすべて伝えることはなかったでしょうね。
 今は、全部言っちゃうんですね、本人に。「聞かなきゃよかった」と思いましたね、正直。
 一方で、自分はラッキーだなと思う部分もありました。
 A医師は、とても中立・公平な立場から話す方でした。誘導する意図が一切ない。移植現場の医師の本音が聞けたことを、本当に感謝しています。

 白血病は様々な種類があり、人によって治療法が異なる。かかった病院、医師によっても違うでしょう。
 だから誤解を避けるために、ここに内容を書き込むのは控えます。

 骨髄移植をするか、しないか。二者択一でこんなに迷ったのは初めてです。
 私は結論を出せずに、入院する病院へ戻りました。

 そして丸一日考え、主治医に伝えた。

 「骨髄移植はしません。このまま、先生に治療をお願いします」

 「わかりました」

 理由は聞かれませんでした。


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2019年2月21日木曜日

白血病の治療~私の場合~⑥ 骨髄移植の適合検査

骨髄移植の適合検査(HLAの検査)


弟にドナーを依頼


 化学療法(抗がん剤治療)を開始し、寛解した後、抗がん剤の投与が続けられる中で、骨髄移植の準備に入っていくことになった。

 白血病と診断された時から、いずれは骨髄移植をすることになるんだろうな、と思っていたので、その時は何の抵抗もありませんでした。

 白血球をはじめとする全身の細胞には型があり、骨髄移植をするには私とドナーのHLA型の一致する割合を調べる必要がある、とのことでした。

 家族内にドナーが見つかる可能性は4分の1
 非血縁者間では数百から数万分の1の確率でしか一致しません。

 ドナーの年齢制限は20~55歳。私の親は高齢のため対象外。ドナーになることができる可能性があるのは一つ下の弟だけ。
  「私と一緒にHLAの検査を受けて欲しい。その結果、型が一致すれば骨髄移植のドナーになって欲しい」と電話で伝えた。
 
 もし、型が一致してドナーになることになれば、弟も数日間の入院を余儀なくされる。体にも大きな負担になる。仕事も休まなければならない。
 兄弟とはいえ心苦しい“お願い”だったが、快く了解してくれた。

 うれしかったですね。普段は疎遠なのに、頼まれる方にとってはリスクだらけの“お願い”にもかかわらず、力になってくれるという。
 ありがたいやら、もうしわけないやらで、HLAの検査を2人で受けることになった。

 費用の方は、私の分がが5万円程度。弟の分が3万円程度でした。検査項目のオプションが入るため、患者の方が少し高額になります。結果が出るまでは、2週間ぐらいかかりました。

結果は「不適合」


 型は合いませんでした。

 「わるいね」

 弟が謝ってきた。何も悪くないのに。わるいことをしたのは、こちらの方。
 検査を受けてくれただけで充分。それ以上望む気持ちなんてありませんでした。

 「適合の確率数百分の1のドナーを見つければいい」

 すぐに気持ちは切り替えられた。

 どこかホッとした気持ちもありましたね。弟にまで負担をかけずに済んだという。


 その後、主治医からセカンドオピニオンを受けるようにすすめられたのです。


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2019年2月19日火曜日

白血病の治療~私の場合~⑤ 無菌室

無菌室とはこんなところ


室料は無料


 私は白血病と診断されて2日後に、化学療法(抗がん剤治療)が始まりました。
 
 それまでは4人部屋にいて、最初の2日間ぐらいは食欲も普通にあった。
 「なんだ、抗がん剤といったってたいしたことないじゃないか」なんて思った。

 ところがこれが大間違いで、3日目に急に食欲がなくなり、4日目に無菌室へ移ることになった。
 私は無菌室の料金が気になり、看護師さんに聞いてみた。すると、「治療に必要な措置のため、無菌室は料金がかかりません」とのこと。その点はひと安心しましたが“未知の領域”ですからね。いざ移るとなると不安でいっぱいでした。
 

きれいな個室


 一言でいえば非常にきれいな個室。
 
 抗がん剤の投与により、白血球が極度に減少する。そして、感染が起こりやすくなる。
 白血病が他人に感染するのではなく(白血病は他人に感染しません)、白血病の人が感染を受けやすく、それが命取りになる。
 空気中にある様々な雑菌によって感染症を起こしてしまう。
 それを予防するための設備が整った個室の病室です。

 最初は、「こんなところに入って、この先どうなっちゃうんだろう」なんて不安でしたが、意外に快適でしたね。体調のことを考えなければ。

普通の病室と違うとことは


 まず、面会は原則として家族だけに限られていました。
 面会者は、無菌室へ入る前にうがい、手洗いをし、キャップ、マスク、ガウンを着けます。外界からの雑菌の持ち込みを最小限にするためです。手荷物の持ち込みも、原則できません。花や果物の差し入れもダメです。

 ちなみに、入院している私は普通にパジャマ姿。

 室内には特別な空気清浄器があり、24時間稼働しています。空気がとてもきれいなのがわかりました。室内の清掃や備品の消毒も、係りの方が毎日念入りにやってくれるので、超清潔!洗面台もトイレもシャワーも専用です。
 そういった意味では快適でしたね。

食事


 抗がん剤の影響で、白血球が減少し始めると、食事は加熱食になります。
 “なんでもかんでも火を通してある食事”とでもいいましょうか………。
 美味しくないんです。これが。
 最初のうちは、それでも体調のいい時は食べられたんです。しかし味覚障害の副作用が始まってからは、まったく食べられなくなりました。

外界から遮断された世界


 しーんと静まり返った部屋に一人。一日中。
 体は、日に日に衰弱していく。どんどん筋力が落ちていくのがわかる。
 2週間目からは髪の毛も抜け始めた。食事も食べられない。
 家族が面会に来ても、起き上がる気力もない。しゃべるのもつらい。
 抗がん剤というのは、恐ろしいものです。

 そういう状態になって初めて気づくんですね。「ああ、今まで自分は幸せだったんだなぁ」って。
 家族、会社の人、友人、医療スタッフなど、あらゆる人への感謝の気持ちしかないんですね、そういう時。
 副作用でもうろうとした意識の中で、無菌室の天井をぼーっと見つめていて、毎日涙があふれましたね。元気になって、少しでも感謝の気持ちを返したいと。


 そんな時、担当医の女医さんが病室に入ってきた。
 私の涙を見て、「そんなにつらいんですか?」と聞かれたので、つい、「はい」と言ってしまった。
 
 そしたらその日、吐き気止めの点滴が1本追加されてしまったんです。笑
 

2019年2月18日月曜日

白血病の治療~私の場合~④ 抗がん剤の副作用

抗がん剤の副作用


吐き気、おう吐


 最初に起こるのが、食欲不振と吐き気、極度の倦怠感です。
 私が入院中、同じ病気の方でこの副作用に耐え切れずに、治療を拒否して退院してしまった方がおりました。

 私は、吐き気はほとんどありませんでした。これには、医師や看護師たちが驚いておりましたね。
 検査などで廊下に出ると、たまに他の白血病患者の個室のドアが開いていて、中が見える時がある。個室には洗面台がついていて、そこに洗面器のようなちょっと変わった形の容器がおいてある。私以外の部屋は全部。
 看護師にその容器のことを聞くと、他の患者さんたちは毎日おう吐を繰り返しているとのこと。その方たちのお気持ちを考えたら、言葉が出ませんでした。

筋力の低下


 手足はみるみるうちに細くなり、背筋力もなくなるので背中がやや丸くなりました。
 トイレに立つだけでもつらくなります。臀部の肉もなくなり、固い椅子に座ると骨があたって痛い。抗がん剤で、筋肉が破壊されてしまうんですね。

思考能力の低下


 スマホの画面を見るのがつらい。テレビの画面を見るのがつらい。本を読むのがつらい。目から入ってくる情報が、頭の中で処理しきれなくなってしまう。
 なので、眠るか、病室の天井をぼーっと見ているだけ。それで一日が終わってしまいます。

脱毛 


 白血病治療の副作用といえば、誰もが思いつくのは頭髪の「脱毛」ですね。
 実際には、全身の毛は全部抜けます。
 私の場合、抗がん剤の投与が始まって、2週間が過ぎたころに脱毛が始まりました。
 私はもともと坊主頭だったので、スキンヘッドは本人としてはあまり違和感ありませんでした。しかし、眉毛とまつ毛もなくなりますので、人相が変わってしまいましたね。
 抗がん剤投与をやめれば、すぐに生え始めますが、髪質は変わってしまいます。

皮膚がぼろぼろに


 また、肌着を脱いだ時に、肌着の内側に白い粉のようなものがついてきます。皮膚がボロボロになって剥がれ落ちるんです。
 これも全身です。しかし、この症状は1~2か月でなくなりました。

口内炎


 医師や看護師が、一番気にかけてくるのが口内炎です。毎日、口の中をチェックされます。
 免疫力がありませんので、粘膜、特に口の中の炎症、口内炎ができやすい。舌もコケで真っ白になってしまう。
 予防のために、一日に10回以上、うがいと歯磨きをしていました。
 口内炎が無数にできて、食事ができなくなる人もいるそうです。
 私は、一度も口内炎ができなかったので、大変驚かれました。


味覚障害


 私が一番つらっかったのは、味覚障害です。
 食べ物がおいしく感じられないというレベルではない。まるでこの世のものとは思えない味になってしまうんです。ですから何も食べたくなくなっちゃうんです。
 最終的には、体重は20キログラム落ちました。

便秘 


 最もつらっかったものがもう一つ。便秘です。死ぬかと思った。詳細を書くのはやめておきます。苦笑


 これらの副作用は、私自身がつらいのはもちろんですが、それを見ている家族も同じようにつらっかったと思います。その気持ちを考えると、胸が痛みます。


 抗がん剤を点滴で投与している間は、37.5度ぐらいの発熱があります。人によっては高熱が続くこともしばしば。
 私は最高で41度ぐらいの熱が数日続きました。合併症です。肺炎になった時と、敗血症になった時。「人はこうやって死んでいくんだな」と思いました。

 そのことは、もう少し後に書きます。


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2019年2月17日日曜日

白血病の治療~私の場合~③ 地固め療法

地固め療法


「寛解」=「治った」ということではない


 前々回の投稿に、私が「寛解(かんかい)」したところまで書きました。
 「寛解」とは抗がん剤治療によって、骨髄の癌が消滅した状態のことです。

 しかし、治療をフルマラソンに例えたら「寛解」は〈最初の給水所〉に過ぎない、と言いました。中間地点にも届いていない。様々な副作用との闘いの始まりともいえるのです。

 なぜなら、「寛解」=「治った」ということではないのです。

 先日、競泳選手の池江璃花子さんが白血病を公表して以降、いろいろなメディアで医者が白血病について解説しています。
 「白血病は完治できる病気になった」とか「早期発見できれば治る」と言っている方が非常に多いことには、驚きました。白血病を他の癌と同じように考えている医者が多いんですね。

 そういった表現に対して、医者の中でも血液内科の専門医たちが、警鐘をならしています。
 「白血病は、完治したと医師が判断できる病ではない。再発のリスクは一生つづく」
 「白血病は流動性の癌なので、発見されたときは全身に回っている。早期発見ということはありえない」
というものです。

 実際、私が白血病の治療を受けている中で、今までに、主治医、担当医、セカンドオピニオンなど約10名の血液内科医に、白血病に関する説明を受けましたが、「完治します」とか「早期発見」という言葉は、一度も聞いたことがありません。

 通常、癌にはステージ“いくつ”という段階がありますが、白血病にはそれがありません。症状が出た時には、すでに癌が全身の骨髄に回っていますので、あえて言うならば“ステースジ4の末期”になってしまうのだそうです。

 その状態から、抗がん剤治療や骨髄移植などで、寛解までもっていくわけです。
 ですから、治療は壮絶なものになります。
 
 私は全身の骨髄の約80パーセントが癌化していましたが、幸運にも治療を初めて1か月弱で寛解しました。私の年齢では大変めずらしいことだそうです。

 その時に、担当医からこのような説明がありました。
 
 「寛解しましたけれども、白血病が治ったわけではありません。ここで治療をやめたら再発はまぬかれません。あともう3か月間は化学療法(抗がん剤治療)を続けて、その後、骨髄移植をすることになると思います」
 
 白血病の治療の目的は、この「寛解」状態を一生維持すること、と言えると思います。
 そのために、寛解したあとにも、このような「地固め療法」が必要になるのです。ですから、どの時点で“完治”したのかなんて誰も判断できないのです。

 まあ長期の治療は覚悟の上でしたが、この後、さまざまな副作用に襲われていくことになります。


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2019年2月16日土曜日

白血病の治療~私の場合~② 白血病の治療費

白血病の治療費は? 仕事は? 毎月の支払、生活費は?


まずは大事なお金の話


 前回の投稿で、白血病の治療期間をフルマラソンに例えたら「寛解」は〈最初の給水所〉、まだ中間地点にもきていない、と言いました。

 寛解した時点で抗がん剤治療をやめてしまえば、すぐに再発する。再発した場合は、同じ治療をしても寛解することは難しくなる。そういう病だそうです。

 私も寛解した後も抗がん剤治療を続け、数々の重い副作用に襲われていくことになります。
 
 そのことは次回、書きます。

 で、今回は白血病の治療費や経済面でのやりくりについてお話しします。
 お金のことは大事ですからね。

傷病手当金


 まず仕事ですが、白血病の治療は長期間になるので休職しました。結果的に約1年間。
 私は会社員です。ということは収入ゼロに。この先、どうなることかと思いました。
 そんな中、会社には私の病気と治療を理解してもらえ、スタッフのサポートと励ましがあったことは、私の支えになりました。本当に感謝しています。

 で、自分の会社からすぐに「傷病手当」の説明があった。

 会社で社会保険に加入していれば、病気やけがで長期休業したときは、給料の6~7割分に相当する額が社会保険組合から支給される制度。

 こんな制度があるなんて知りませんでした。とりあえず家族が生活するには、これでなんとかなった。
 ちなみに、国保にはこの制度はありません。

健康保険限度額適用制度


 年収によって、ひと月に支払う医療費の限度額が決まっていて、その限度額以上は支払わなくていいという制度。社保でも国保でも、同じ制度です。これも、詳しくは知りませんでした。
 ただし、保険適用でない自費負担の医療費は含みません。
 ですから、保険適用されていない薬を使ったり、個室などの差額ベッドを利用した場合は、その分は全額自己負担となります。
 しかし、白血病の基本的な治療はすべて保険適用されますので、その点は心配ありません。骨髄移植も保険適用です。 

 私の場合は、ひと月の限度額が88,000円でした。年収がバレますね。苦笑
 この限度額適用が3カ月続くと、4カ月目以降は44,000円になる。ひと月にこの金額以上は払わなくて済むわけです。

 もしこの制度がなかったら、私の場合、月々20〜50万円ぐらいの医療費を払わなければなりませんでした。

がん保険、入院保険


 白血病は癌ですから、がん保険に加入していれば、がん保険がおります。
 これは非常に大事。加入していて良かったなぁとつくづく思います。

 それには理由があります。

 「傷病手当」や「健康保険限度額適用認定」は、申請して初めて受けられる制度。

 傷病手当の場合は任意の期間(例えば、1か月ごとでも3か月ごとでも自由に申請可能)の専用の診断書を添付して申請します。
 私の場合は1カ月ごとに申請してました。
 入院、治療が始まって1カ月たったところ、診断書の作成を主治医に依頼。
 診断書が手元に届くのが2〜3週間後。
 それから自分の会社に傷病手当の申請を依頼して、社会保険組合から自分の銀行口座にお金が振り込まれるのは、早くても3週間後。
 ですから、入院して傷病手当金を最初に手にできるのは、早くても、2カ月半後なんです。

 健康保険限度額適用の方も、最初は認定証がない。こちらも申請して手元に届くのに2週間ぐらいかかる。
 白血病と診断された時は、通常の保険証を提示してその病院にかかってますから、最初の1カ月間か2か月間の入院治療費は、通常通り3割負担になります。
 私が1カ月目に支払った入院治療費は3割負担で40万円ぐらいだったと思います。
 しかし、これは後日、限度額適用の認定がおりて、申請すれば、限度額を超えた分は社会保険組合から返金されます。とは言っても、これも申請してから2~3カ月後のことです。

 入院して休業すれば収入がなくなる、傷病手当を受け取れるのも、3カ月ぐらい先。
 その間、月々の支払い、家族の生活費はかかる。限度額認定証が届くまで建て替えなければならない膨大な医療費もある。

 これをカバーするのが、がん保険の“一時金”です。
 癌と診断されたらすぐにおります。私の場合は申請して1週間後に一時金がおりた。
 100万円。これは助かりましたね。最初の2カ月間の支払いはこれですべてまかなえた。
 その後は、限度額適用が認定されますから、月々の入院日数分のがん保険、通常の入院保険、通院すれば通院保険がおりますので、自分の限度額までは充分支払えます。
 傷病手当は給与の6〜7割となるため、余った月々の保険金はそちらの不足分に回せます。

 ですから、国保の人はがん保険の契約内容を手厚いものにしておくのがいいでしょうね。そうすることによって、傷病手当がない分、がん保険で入院している間の家族の生活費もまかなえます。

 これらの制度や保険を活用すれば、経済面では心配ないと思います。

 ただし、この制度の“恩恵”は入院・治療して、仕事を休業している間だけなのです…。



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2019年2月14日木曜日

白血病の治療~私の場合~① 白血病は骨髄の癌

白血病は骨髄の癌


イメージとは違う実際の治療法


 白血病の治療というと、“骨髄移植”と思う方が多いと思います。
 白血病になる以前の私もそうでした。

 診断を受けてから、すぐに骨髄移植の話をされると思っていたら、そうではなかったんですね。
 主治医から最初に説明があった治療法は“化学療法”。抗がん剤治療のことです。
 中心静脈にカテーテルを挿入して点滴で抗がん剤を投与する。

 まずはこれで、「寛解」を目指すんです。

 「寛解」とは、骨髄の癌が消滅した状態ということです。

 “癌が消滅する”ということは、これで“治った”と思う方も、いると思います。
 そうではないんですね。

 治療の全期間をフルマラソンに例えたら、「寛解」は〈最初の給水所〉という感じ。
 まだ、中間地点にも行っていない。
 
 私の場合は、診断を受けた翌々日に、抗がん剤の投与が始まりました。
 3日目に急に食欲がなくなり、4日目に大部屋から無菌室へ移りました。

 白血病は感染症ではありません。感染はしない。
 骨髄の癌です。
 無菌室へ入るのは、空気中の雑菌などでも体内に入れば急変してしまうからです。
 抗がん剤の投与によって白血球が破壊され、免疫力、抵抗力がなくなってしまうのです。

 面会は家族以外は不可

 食べ物は加熱食品だけ。生ものはダメ。
 とは言っても副作用で味覚障害が始まり、そもそも食欲がなくなってしまう。
 味覚障害というのは、食べ物がおいしく感じられないというレベルではない。食べ物すべてがこの世のモノとは思えない味になってしまう。例えようのない味になってしまうんです。ですから食べられない。

 歩くのも無菌室内にあるトイレまで行くのがやっと。筋力もあっという間に落ちました。
 治療開始2週間目には体重が10キログラムも減っていた。
 また、このころから脱毛が始まり、皮膚はボロボロ。鏡の中の自分は別人になった。
 こんな姿になった私を見なければならない家族の者の気持ちを考えると、胸が痛みました。

 毎日、ぼーっとして集中力もなく、ただ病室の天井を見ているだけ。
 テレビを観たり、本を読んだりする気にもなれない。
 ただただ、妻や子供、医療スタッフに対する感謝の気持ちで毎日涙があふれました。

 治療中は、月に1度、骨髄穿刺(マルク)検査があります。
 治療が始まって21日目に、最初の検査があった。

 「寛解」するのに数か月かかる人、数年かかる人といるそう。残念ながら「寛解」しない人も。

 翌日、担当医が検査の結果を告げに来た。
 
 「寛解しています」

 この年齢で早期の寛解はまれだそう。

 しかし、これは〈最初の給水所〉にすぎなかったんです。



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