2019年3月11日月曜日

白血病の治療~私の場合~⑭ 白血病は完治はしない

「寛解」を維持する


再発のリスクは一生


 前回の投稿で、化学療法(抗がん剤治療)と放射線療法の最終的な検査として、PET-CT検査を受け、「転移(浸潤)なし」という診断だったと書きました。

 実は、医師のこんな言葉が続いたのです。
 「寛解も維持しています。遺伝子レベルで調べても癌細胞はありません。しかし、白血病が治ったわけではありません」

 やっぱりそうなんだ、と思いましたね。1年前、入院してすぐに妻と二人で主治医から説明を受けた。
 「急性リンパ性白血病です。しかも、フィラデルフィア染色体異常の。完治することはありません。寛解(骨髄の癌が消滅)しても再発のリスクは一生続きます」

白血病の原因は解明されていない


 白血病で解っていることは、「感染しない」「遺伝しない」ということだけ。原因は解明されておらず、治療法も確立されているとは言えません。

 最近の研究では、人によって造血幹細胞のどの部分が癌になるかが異なるということが解ってきて、白血病を数百種類に分類できるようになったようですが、なぜそこが癌になるのかが、解明されていない。原因が解らないから、根治ができないんです。

 ですから、寛解しても2カ月で再発する人、1年で再発する人、5年で再発する人、10年で再発する人といろいろいるわけです。

 しかも医師からこうも言われました。「再発した場合は、寛解することは難しい」と。

 これが、白血病治療の現状です。

 水泳の池江璃花子さんが白血病を公表されてから、白血病の専門医でもないタレント医師たちが、リスクの説明も一切なしに「白血病は完治できるようになってきた」なんて言っていますね。一体どの口がそんなことを言うんでしょうかねぇ。

 例えば、私ですが、50歳代で急性リンパ性白血病、フィラデルフィア染色体異常ですので、5年後の生存率は10パーセント以下です。何を根拠に「完治できる病気」と言っているのでしょうか。

「寛解」を一生維持することを目指す


 完治(根治)ができないのであれば、医師をはじめとする医療スタッフと患者が協力してできることといえば、「寛解が一生続くことを目指す」ことなのです。“ゴールのないマラソン”のスタートです。

 ですから退院した後も、服薬と月に一度の通院(血液検査をします)は続きます。

 そしてまずは復職を目指すことになりますね。仕事はしなければなりませんから。しかし、すぐには無理です。そのへんは甘く考えてました。退院すればすぐに仕事に復帰できるんではないかと。

 とことがそれはとんでもない話でした。仕事なんて全然無理。長期間の入院と抗がん剤の副作用で体はボロボロ。何しろ、まともに歩けないんです。足が前にでない。横断歩道を信号が“青”のうちに渡り切れないんです。
 筋力の衰えは想像以上です。特に脚力の低下が著しい。

 それでも新たな目標に向かって歩み始めることができたという感謝の気持ちでいっぱいでした。そして、人生でやり残したことをやっておこう、そう思うようになっていたのです。


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2019年3月10日日曜日

白血病の治療~私の場合~⑬ PET-CT検査

化学療法と放射線治療の結果を確認


発病してから約一年


 約8カ月間の化学療法(抗がん剤治療)を終えて退院し、通院で約1カ月間の放射線治療を受けた。骨髄移植はしませんでしたが、ひと通りの治療は終了しました。長かったですねぇ、本当に。
 ある意味、貴重な1年間でした。このころ私は53歳。残りの人生をやっていく上で、必要な経験ができたのかも知れない、と思いました。人生観変わりましたからね。

 頭はスキンヘッド。眉毛なし。まつ毛なし。筋力なし。激やせ。よちよち歩き。
 入院中は気になりませんでしたが、退院してから人目が気になりましたね。誰が見ても癌患者だとすぐ分かる。相当ヤバい状態だと思ったでしょうね。

 特に困ったのが、ご近所さんに会ったとき。変わり果てた姿を見て、皆さん驚きますので、会う人ごとに説明しなければならない。おかげで、白血病のレクチャーはだいぶ上達しました。笑

 そんな中、最終的な検査にのぞむことになりました。

 PET-CT検査。1年前にもやりました。その時が初めて。

 装置は、普通のCTの数倍の大きさがあり、目の当たりにすると異様な雰囲気に圧倒されます。検査を受ける前に、造影剤を点滴で投与するんですが、腕に針を刺して造影剤を注入する段階になると、検査技師と看護師は別室に退避します。放射性物質なんですね、その造影剤は。
 1年前は、自分がとは知らずに検査を受けてますので、ここで初めて自分が大変な病気になっているんではないかと、気づき始めました。当時のことを思い出すと、今でも怖いですね。

 そしてちょうど1年後に同じ検査。あの時の、何とも言えないような気持……、何かの間違えであってほしい……、自分のことではないような……、そんな気持ちがよみがえってきましたね。あれから1年。長かったなぁと。

検査の結果


 3日後にPET―CT検査の結果を聴きに再び病院へ。

 「これが1年前の検査の画像です」

 PET-CT検査とは、全身の癌の状態が一目でわかる検査方法で、画像は全身の骸骨姿のレントゲン写真のようで、しかも非常に鮮明です。
 
 「黒い部分が全部“”です」

 見せられた画像は、全身の骨が全部真っ黒。かろうじて白いのは、手の先と足の先だけ。約80パーセントの骨髄が癌化していた。

 「こちらが今回の検査の画像です」

 骨は全部真っ白でした。

 「転移(浸潤)もありません」と主治医。
 

 以前、「白血病の治療~私の場合~①」で“寛解”はフルマラソンに例えたら最初の給水所に行ったところ、といいました。
 また、「白血病の治療~私の場合~⑪」では、“退院してもまだゴールではない”、と言いました。

 急性リンパ性白血病フィラデルフィア染色体異常と診断されて約1年。ようやく、フルマラソンのゴールまで、たどり着きました。感慨深いですね。生きてるんだなって思いました。

 しかしそこは、これから始まる“ゴールのないマラソン”のスタート地点でもあったのです。


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2019年3月7日木曜日

白血病の治療~私の場合~⑫ 放射線治療

白血病はがん細胞が「浸潤」する


放射線治療で残っている癌細胞を消滅


 「白血病って、放射線治療するの?」って思う方、多いと思います。

 “固形癌”なら分かります。皮膚がんや肺がん、食道がんなど、その部位に放射線を照射するわけですよね。

 “流動性の癌”である白血病は、全身の骨髄に癌が広がります。ですから、手術で取り出すことはできません。大量の抗がん剤を点滴で投与して、癌を消滅させるわけです。
 
 しかしながら、骨髄以外の場所にも癌細胞が入り込むのです。流動性の癌である白血病の場合、これを「浸潤」と言います。固形癌の場合は「転移」ですね。

 浸潤した場合、最も危険な場所は、脊髄です。
 そのため、化学療法(抗がん剤治療)と並行して、髄液検査髄注を行ないます。
 尾てい骨から背骨、脳の表面まで、いわゆる中枢神経を覆っているのが髄液です。髄液検査は、背骨に針を刺して髄液を抜き取って検査します。抜き取った分と同じ量の抗がん剤を同じ場所に注入します。これが髄注です。

 そして男性の場合は、最も浸潤しやすい場所があるのです。それは精巣(睾丸)なんです。(白血病の初期症状については、このブログの「急性リンパ性白血病」のページに記載しています。)

放射線治療


 白血病と診断される3カ月ほど前、微熱盗汗(大量の寝汗のこと)、精巣(睾丸)肥大が始まりました。
 精巣(睾丸)は徐々に大きくなり、最終的には3倍ぐらいの大きさになりました。白血病の癌細胞が精巣(睾丸)に「浸潤」していたんですね。

 入院して化学療法(抗がん剤治療)が始まると、すぐに精巣(睾丸)は元の大きさに戻りました。
 しかし、精巣(睾丸)に浸潤した癌細胞が完全に消滅したかどうかは分からない。少しでも残っていれば、寛解したとしても、そこから癌細胞がひろがっていってしまうのです。
 なので、化学療法(抗がん剤治療)が終了した後に、精巣(睾丸)に放射線を照射して、浸潤した癌細胞を完全に消滅させなければならない。これを通院で行なうわけです。

 放射線治療は全17回。日曜日以外はほぼ毎日通院して受けました。
 放射線治療も健康保険の適用ですので、限度額以上に医療費を支払うことはありません。(白血病の治療費については、「白血病の治療~私の場合~②」をご参照ください。)

 治療を始める前に、放射線科の医師から治療の手順と副作用、精神面でのサポート体制などの詳しい説明がありました。こういう説明は、聞けば聞くほど不安になりますね。そんな中、放射線治療が始まりました。

 一回の治療で放射線を照射する時間はほんの数分。すぐに終わります。特に苦痛はありませんでした。
 化学療法(抗がん剤治療)を終えたばかりで、もともと副作用満載の体ですから、放射線治療の影響と言われてもよくわかりませんでした。(笑)

 ただ、一つだけ徐々に表れた影響があります。照射した部位の皮膚が、軽いやけどのようになっていくんです。私の場合は精巣(睾丸)でしたから、さほど気になりませんが、他の癌の場合、部位によっては精神的なダメージを受ける方もいるんではないでしょうか。実際に、それで放射線治療を中止する方もいると聞きます。

 こうして1カ月弱の放射線治療を無事に終えました。そして、最終的な検査を受けることになったのです。


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2019年3月5日火曜日

白血病の治療~私の場合~⑪ 8カ月間の化学療法(抗がん剤治療)終了そして退院

退院してもまだゴールではない


 2017(平成29)年12月、退院。

 「白血病の治療~私の場合~①」の投稿で、“治療をフルマラソンに例えたら、「寛解」は最初の給水所”と言いました。これは単に時間的なことを言ったのではなく、寛解した後の方が、遥かにつらく長い治療が待っているという意味です。寛解はほんの“入り口”です。

 池江璃花子さんが白血病を公表してから、いろいろな医者がメディアに出て“白血病治療の現状”を説明していました。
 その中で、「寛解」を「完治」と言っている医者が多かったのには驚きました。「最近は、白血病も“完治”できる病気になった」と。医者でも誤った認識を持った人がいる。このことは「白血病の治療~私の場合~③」の投稿で書きました。

 私の場合は1カ月目で寛解。4カ月目で骨髄移植をしないことを決め、化学療法(抗がん剤治療)を継続することを選択した。ここで、ようやく折り返し地点が見えてくる、といったところでしょうか。

 そして8カ月がたち、予定の化学療法をすべて終えた。でも、まだゴールまでもう一息というところです。
 入院したのは春。季節はもう冬になっていました。

感謝の気持ち


 白血病と診断されてから、気づいたことがたくさんあります。

 ああ、今まで自分は幸せだったんだなぁ、と思いましたね。
 仕事に不満はないし、好きな剣道もやりたいだけやってきた。一人息子も大きくなって、もう高校生になった。そんななんでもないことが、幸せだったと気づく。あらゆることに感謝するようになりましたね。

家族


 妻には不平不満ばかり言ってきましたが、毎日、仕事を終えてから病院に面会にくる姿を見て、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。考えてみれば、困ったときにいつも力になってくれるのはこの女だなと思った。
 息子は朝寝坊で手を焼いていました。私が出勤のため家を出るまで、何度起こさなければならなかったか。しかし、私が入院すると、忙しい母親の手をわずらわせてはいけないと思ってか、朝、自分で起きて支度をするようになったと、妻が教えてくれた。そして、剣道の強豪校に通う息子は、さらに稽古に励むようになり、めきめき上達してるらしい。今、やるべきことを精いっぱい努力するようになってくれた。うれしかったですね。
 年老いた母親や一つ年下の弟も、いろいろと力になってくれた。普段は疎遠なのに、自分の時間を割いて病院に足を運んでくれました。

会社


 仕事のことについては、どうなってしまうかと思いました。なにしろ、入院も長期になるし、治るかどうかもわからない。仕事に復帰する目どが全く立たないんですから。
 会社を辞めなければならないかも知れないと思い、会社に相談すると、もう休職の手続きがされていた。休職中の社会保険料や厚生年金の掛け金は全額会社が負担するという。
 傷病手当も毎月申請してほしいと。また、高額になる医療費にそなえて、健康保険限度額適用の申請も手続き済みでした。会社に復帰できるかどうかもわからない病気なのに。
 これで安心して治療に専念できると思いました。本当に有り難かったです。

剣道


 剣道仲間からの励ましもありました。二天一流武蔵会東京支部の皆さんから。
 仕事にも復帰できるかどうかわからない状況の中で、剣道はもうできないだろうと、あきらめていました。この37年前、高1の時にも病で剣道を断念しているので、「またか」と思いましたね。しかし、こんな状態ではあきらめるしかないと。
 そんな時に、武蔵会東京支部の稽古終わりにSさんが入院中の私に電話をくださった。そして電話を代わられたのが中村天信師範でした。驚きました。直々にお見舞いのお言葉をいただきました。そして、東京支部の皆さんがかわるがわる電話口に出て、励ましの言葉をくださった。うれしかったですね。また剣道がやりたい、と思った。
 この日を境に、気持ちが非常に前向きになったと思います。ありがとうございました。

病院


 主治医をはじめ、担当医の先生方、看護師さんたちに、本当にお世話になりました。ある意味、“快適な”入院生活だったと思います。というのは、私は10代の頃にも長い闘病生活を経験しています。その頃の医師や看護師の態度と比べると、今は雲泥の差です。
 そのことに関しては、「白血病の治療~私の場合~⑦」でも書きました。医者はえらそうな態度。看護師ときたら、ヒステリックな人もいれば暴言を吐く人、患者に八つ当たりする人など、いろんな人がいました。
 今はそんな人いないんですね。安心して入院してられた。本当にありがたかったです。
 そして忘れてはならないのが掃除のおばちゃん。無菌室や通常の個室に入院していたので、世間話ができる唯一のお相手が掃除のおばちゃんだったんです。おかげで、同じ病気の患者さんたちの様子も知ることができた。

 私は幸運だったなと思いました。こうやって、予定通りの回数の化学療法(抗がん剤治療)をし、ほぼ予定通りの期間で退院することができた。だからといって、喜べはしませんでした。
 他の患者さんは、寛解しない人もいる。つらさのあまり治療を拒否して退院される人もいる。もうこの病院では治せないと宣告されてしまう人もいる。寛解しないということは、生存率0パーセントということなんです。あまりにも悲しすぎます。


 冒頭で「退院してもまだゴールではない」と言いました。
 
 この後、通院での放射線治療が始まったのです。


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2019年3月3日日曜日

白血病の治療~私の場合~⑩ 化学療法(抗がん剤治療)中の“不安”と“楽しみ”

骨髄移植を選択しなかった私


化学療法(抗がん剤治療)で入院8カ月


 骨髄移植を選択しなかった私は、トータルで約8カ月間(8コース)の化学療法(抗がん剤治療)を受けました。
 
 2017年 4月に入院。化学療法(抗がん剤治療)開始。
 5月に寛解。
 6月にセカンドオピニオンを受ける。移植はしないと決めた。
 9月に肺炎を併発。
 12月に敗血症を併発。そして化学療法(抗がん剤治療)終了。

不安になった医師の言葉


 入院中、医師から告げられて不安になった言葉が二つある。

 一つは、寛解したあとに担当医から言われた言葉。「この段階で骨髄移植をしなければ、移植をするタイミングを失います」

 もう一つは、セカンドオピニオンで医師に言われた言葉。「再発した場合は、同じ治療では癌はなくなりません」

 というもの。骨髄移植をしないと決めた後は、なおさらこの二つの言葉が、重くのしかかってきましたね。

入院中の楽しみは、やはり食べ物!


 抗がん剤の副作用で味覚障害が起こる。食べ物の味がまるっきり変わってしまう。この世のものとは思えない味。例えようのない味。食べ物の味ではないんです。
 
 入院による化学療法(抗がん剤治療)の1回のサイクルは約1カ月。これを「1コース」と言います。
 最初の1~2週間が抗がん剤の投与。その後の1~2週間が抗がん剤で破壊された白血球などの免疫力を回復をさせる期間。白血球の数が基準値以上になれば、一旦退院。数日で再入院して、次の抗がん剤投与。これを繰り返すわけです。私は「8コース」やりました。

 抗がん剤の投与が始まると白血球数が激減します。すると抵抗力がなくなりますので、普通の食事は食べられない。加熱殺菌した「加熱食」になります。しかし、味覚障害があって食欲もないので、食べられません。
 その回の抗がん剤の投与が終わって1~2週間すると白血球数が増えてきます。食欲も出てきます。白血球数が基準値以上になれば、普通の食事が食べられます。生ものもOKになります。しかし、何を食べても美味しくない。

 それでも、やはり楽しみは食べることなんですね。

 一旦退院したときの数日間に食べ歩く店をリストアップしてました。寿司だったりステーキだったり近所の店20軒ぐらい。
 しかし体力がないので、一日に行けるのは1軒がやっと。食べても美味しくはないんですけどね。それでもうれしかったですね、食べられることが。次の抗がん剤の治療も、これで頑張れるってなるんです。

 ちなみに、いろいろ食べてみて一番美味しく感じられたものは、「かつ丼」でした!(笑)


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2019年2月26日火曜日

白血病の治療~私の場合~⑨ 合併症

治療の過程で起こる合併症


絶望と急変


化学療法(抗がん剤治療)を始めて6か月目だったか、「二つ隣の個室の患者さんが、医者から『もうこの病院では治せない』といわれたそうよ」と、病室の清掃係りの方が教えてくれた。
 私と同じ病気の方だ。しかも1年半もこんなつらい治療を続けて、挙句の果てに「治せない」と。あまりにも悲しすぎます。

 また、こんなこともありました。
 「他の個室に、今、移っていただけませんか」と看護師が、私の病室に入ってきた。
 大部屋の患者さんで容体が急変した方がいて、この個室に移したいと。なんでもこの個室は、そういった場合に対応できる設備がある病室だそうで、容体が安定している私に普通の個室に移動してほしいということでした。

 「わかりました」
 私はすぐに承諾しました。私と同じ病気の方が急変したと聞いて、すぐに準備された部屋に移りました。

 しかし、半日たっても、翌日になっても、私が空けた部屋に患者さんが入った様子はありません。

 不思議に思い、そのことを看護師に聞いた。
 すると、「ここでは対応できず、ICUに運ばれました」とのこと。

 その患者さんが、病棟に戻ってくることはありませんでした。

肺炎と敗血症


 その後、私も二度ほど合併症で、危険な状態になりました。

 一度目は肺炎
 治療が始まって6カ月目にはいったころ、風邪をひいてしまった。
 「まずいな」と思いましたが、もう遅かった。
 
 抗がん剤で白血球が破壊され、抵抗力、免疫力がなく、まったくの無防備な体はみるみる体温が上がり、40.9度。失禁しました。
 生まれてこのかた、こんな体温、経験ありません。しかも5日間も高熱が続いた。
 「ああ、こうやって人は死んでいくんだなぁ」そう思いましたね。

 二度目は敗血症
 8カ月目の治療が終わるころ、39.2度の高熱が出た。
 検査すると、何らかの原因で血管の中に菌が入ったらしい。経路は特定できませんでした。

 肺炎も敗血症も治療は点滴による抗生物質の投与になります。解熱剤も服用しますが、効き目は一時的ですぐに熱は上がってしまいます。
 抗生物質の効き目が表れるまで数日かかる。その間、「死」というものに向かい合うことになりました。なにしろ40度以上の熱が続くわけですから。
 頭で「死」を考えるんじゃないんです。体が「死」に近づいている感じがするんですね。「臨死」という言葉がありますけど、まさにこのことかなぁと。

 私はどちらも奇跡的に回復することが出来ましたが、白血病はこのような合併症が命取りになります。


 治療が始まって間もなくのころ、担当医に「白血病の治療をを拒否する患者っていますか?」と聞いたことがあった。すると、こんな答えが返ってきた。

 「私の患者さんで薬剤師をなさっていた方なんですが、『治療は一切しなくていいです。50年間生きたので、それで充分です』と言って亡くなっていった方がいました」


 医療の現場にいて、白血病の治療法、副作用を知っている方がその治療を拒否する。
 白血病治療の現状を如実に物語っている出来事。胸が痛みます。


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2019年2月23日土曜日

白血病の治療~私の場合~⑧ 治療法の選択

入院4か月目の選択


決めた後も不安が募る


 入院中、私についてくださった担当医5名のうち、3名は「移植を絶対やった方がいい、やって当たり前」という意見。1名は「移植した方がいいと思います」という感じ。主治医だけは「リスクあることなので、セカンドオピニオンでよく話をきいてから決めてください」と。

 どういう治療方針を持った医者が主治医になるかで、患者が最終的に了承しなければならない治療の選択は、変わってくると思いましたね。いいか悪いかは別にして、患者の判断に影響があるのは事実。

 そうなると、セカンドオピニオンはとても有意義だったなと思いました。

 前回の投稿で、骨髄移植はしないと決めた、と言いました。
 
 身内の意見も聞きましたが、ほとんどの人は「骨髄移植をした方がいいんじゃないか」という雰囲気でしたね。後で「やっておけばよかった」とならないようにということだと思います。
 患者の方としても、「移植しないで死ぬより、移植して死んだ方がまし。後で後悔したくない」と思うしかないんです。実際問題として。
 
 ですから私の場合は、骨髄移植はしないと主治医に伝えた後に、徐々に、本当にこの選択が正しいのか、不安の方が大きくなっていってしまった。後で後悔することになるんじゃないかと。


治療の流れ


 化学療法(抗がん剤治療)は、約1カ月が1サイクルの治療になる。
 これを「1コース」といいます。抗がん剤の投与中は、血液の成分は破壊され免疫力がなくなりますので、無菌室に入ります。

 1コース終了し、白血球の数値がある程度改善すると、一旦、退院することができます。これはあくまでも“一旦”で、3~7日間で再入院して「2コース目」が始まります。

 これを「4コース」まで繰り返したところで、骨髄(または臍帯血)移植をするかどうか、決めておかなければなりません。

 その判断を自分がするために、セカンドオピニオンを受けるわけです。

 移植を希望した場合は、そこから半年ぐらい、あるいはそれ以上の入院が必要になります。その間に移植を受けます。

 私のように移植をしない場合は、さらに「4コース」の化学療法(抗がん剤治療)を受けることになります。合計8コース。

どちらを選択した場合でも、最短でも8カ月間ぐらいの入院が必要になります。


 しかしこれは、あくまでも“順調にいって”のことなのです。


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