2019年4月1日月曜日

リバ剣の準備 その5 防具購入①

防具を買うなら「あのお店」


思い出深い先生


 9年前(2009年)の秋、リバ剣すると決めて自宅で素振りを始めたころ。
 
「そういえば、防具がないな」

 2カ月後に地元剣連の道場で剣道を再開することを決めていたので、防具一式と竹刀を買わなければならない。

 東京江戸川区の武道具店。
 ここの社長さんとは、実は、同じ道場出身。35年ほど前から数年間は、毎週いっしょに稽古していたのです。

 当時、私は小学生。社長さんは20代前半だったでしょうか。
 防具、竹刀職人の家系に育った“後の社長”さんは、職人としての修行を終えて独立し、江戸川区内に店を構えた。
 剣道経験のなかった社長さんは、ご自分でも剣道をやりたいと思いましたが、区内の道場はご自分の「お客さん」なので、そのうちの一つの道場で剣道を始めることははばかられる。
 そこで、たまたま来店した方にそのことを話すと、その方の通う道場で剣道を始めることになった。その方が、私の通っていた道場の先生だったのです。

武道具店社長 NGSK先生


 江戸川を挟んで対岸の千葉県側。「中山剣友会」(現:市川市剣道連盟東部支部)。
 現在、市川市剣道連盟に加盟している団体は、約30団体あります。
 当時はここだけ。昭和40年代半ばまでは市内の剣道の道場はここ1か所しかありませんでした。(当時の道場の様子はこちら

 当時、私は小学5年生、剣道1級。(当時は5年生でも1級を受審できた)
 NGSK先生は20代前半。

 NGSK先生がお見えになるのは、道場の稽古日が週3回あるうちの木曜日だったと記憶しております。
 当時は会社も学校も週休2日制ではありませんでしたので、平日の参加者は極端に少なかった。逆に週末は非常に多い。何しろ、市内で1か所しかない道場。小学生は200名在籍していましたから。
 
 木曜日の稽古に参加する子供たちは、週末と比べると4分の1程度だったと思います。稽古に取り組む意欲の高い子供だけが、参加していましたね。自然とそうなっていました。
 一般の大人の参加も、週末は20~30名ぐらいでしたが、木曜日はほんの数名。その中に、NGSK先生がいらっしゃいました。

 NGSK先生の印象は、道着、袴が上質のものをお召しになっている、防具がかっこいい、“着装が美しい先生”。子供心にそんなふうに思ってました。
 しばらくすると、子供たちの保護者のあいだで、こんな話がささやかれてました。
 「NGSK先生は、防具屋さんらしいよ」

 NGSK先生は、道場では“営業活動”なさってなかったと思います。ガチで剣道を習いにきていた。しかし、防具屋さんだと分かったら、みんなNGSK先生のところで買うようになった。
 NGSK先生のお人柄なんですよ。子供たちを子供扱いしなかった。子供も大人と同じように敬意をもって接してくださる。稽古中もそれ以外でも。

 だから私たちは、NGSK先生が元に立ったら、こぞって並んで順番を待った。稽古をお願いするために。
 NGSK先生は地稽古の時に理にかなった技で打たれた場合、相手が子供であっても、構えを解き、両足をそろえて「参りました」と頭をお下げになる。ご自分よりも上位の先生に対する態度とまったく同じなんです。
 そうされた私たちは、“一本”をとった技の理合がすーっと体に入ってくる。それが喜びとなって、その日、家に帰って布団に入って寝るまで、NGSK先生から一本をとった技の手応えがよみがえってくるんですね。それで、早くまた木曜日が来ないかな、と思うわけです。

 小学5年生だった私は、理合とともに一本をとる楽しさを、NGSK先生との稽古の中で知っていったのです。

 現在は、私が小学生と稽古をするときは、自分を捨て理合とともに打ち込んで一本をとった子供に対して、「参りました」と敬意をもって頭を下げています。あの頃のNGSK先生と同じように。

30年の時の流れ


 思い出話が長くなってしまいました。

 NGSK先生のお店に、30年ぶりに防具を買いに行った時の話。店舗は移転していましたが、すぐに分かりました。
 社長であるNGSK先生は不在でした。残念でしたが、30代の男性が丁寧に応対してくれて、その日は竹刀と手ぬぐいだけ購入して、また来ることを伝えて帰りました。聞けば、NGSK先生のご長男だという。

 帰り道、運転中の車の中でふと思い出した。

 「あの子だ」

 私が中学生の時、自転車で市川橋を渡ってNGSK先生のお店に竹刀を買いに行った時のこと。
 当時、NGSK先生の防具店には竹刀工場が併設されていて、私は新しい竹刀が出来上がってくるのをそこで待っていた。

 「いらっしゃい」

 奥からNGSK先生が出ていらした。「1歳ぐらいの男の子」をおんぶして。
 
 30年という時の流れ、感慨深いものがあります。

 

2019年3月31日日曜日

リバ剣の準備 その4 打ち込み②

握った手が開かない


間違った素振り


 前回の投稿の続き。

 このころ、あの“2㎏の鉄筋棒”での片手素振りをやり始めて、1カ月くらいたっていた。重いものを振ることは逆効果であることも知らずに。

 鉄筋棒の持ち手の部分はテーピングでグルグル巻きにし、手には作業用の分厚い皮手袋をはめて素振りをしていました。
 それでも、手のひらは豆だらけ。30年ぶりにやり始めて、鉄の棒を手で握って、片手で振っているわけですから、当然ですよね。
 
 その素振りを1~2時間やった後は、手を開くことができなくなり、しかも握力もなくなってしまいます。
 夕食を食べる時に、手が開かなくて箸が使えず、握った手の平にスプーンを差し込んで、妻にテープを巻いて固定してもらって食べたこともありました。

面打ちが当たらない


 そんな状態から、いよいよ打ち込みの開始。海岸沿いの防風林の中で。(その経緯は「リバ剣の準備 その3」をご覧ください)
 
 背の高さほどの松杭を打ち込み台に見立てて打突してみる。
 まずは「面」打ち。
 水分補給用に持ってきたペットボトルを“小刀”として左手に持ち、大刀(竹刀)を右手に持って、上下太刀(二刀の代表的な構え、上段の構えの一種)に構えた。一応、正二刀です。
 小刀は中段に構えたまま、大刀で「面」打ち。最初は、踏み込まずに打てる距離に立って打ってみた。

 「当たらない」

 松杭の直径は12~13cmぐらいだったでしょうか。全然当たらないんです。
 10回打って1回も当たりませんでした。松杭の左右どちらかに、わずかに外れてしまう。

 「こんなはずじゃない」

 試しに、左手で打ってみることに。大刀を左手に小刀を右手に持ち替えて、逆二刀に構えた。

 「当たった」

 10回打って、外したのは3回ぐらい。
 右片手で打つ事が、こんなに難しいとは思いませんでした。
 片手打ちの「基本」が解っていませんでしたから、当然といえば当然なんですが……。もう少しうまくできると思っていたので、ショックでした。

「正二刀」で剣道再開したい


 高1までは剣道をやっていたので、小学生のころから諸手で竹刀を振っていても、「左手で切る」という意識は常に持って竹刀を振っていました。
 30年ブランクがあっても、そういったことは身に付いているんですね。左片手なら、打突力は弱いが当たります。

 しかし、私がとりあえず目指したのは「正二刀」での剣道再開。小学生の頃に私が見た二刀者はみんな「正二刀」でしたから。私の憧れです。(その当時の様子はこちら

 後に、逆二刀を稽古して、最終的に“正逆”両方できる剣道家になろうと思っていましたが。

 「まずは、右片手で正確な面打ちができるようになろう」

 その日から雨の日以外は毎晩、“防風林の中で”打ち込み稽古をするようになったのです。


 仕事から帰って夕食を済ませたら、まず片手素振り。あの“鉄筋棒”で。
 その後、“防風林の中”で打ち込み。トータルで1日3時間以上稽古していたと思います。
 今考えれば、どれも正しい稽古法とは言えないものでした。

 この2か月後に「二天一流武蔵会」で指導を受け、正しい二刀の稽古法を徐々に身に付けていくことになります。そして、さらに厳しい稽古を自分に課すことになるのですが……。

 しばらくは、我流の“稽古”が続きました。


2019年3月30日土曜日

リバ剣の準備 その3 打ち込み①

足さばきと素振りでは物足りない


実際に片手で打ちたい


  9年前(2010年)にリバ剣を決意し、道場デビューする前にやったこと。

 前回の投稿(「リバ剣の準備 その2」)までで、足さばきや素振りなどについて書きました。

 そこまでやったら、次は「打ち込み」ですよね。

 片手素振りを毎日3時間以上やり続けた。2㎏の鉄筋棒で。笑
 その結果、剣道に必要のない筋肉がいっぱい付いた。これが後で、大ブレーキになるんですけど……。そのことは、回を改めます。

 実家に帰った時に、30年前に使っていた竹刀を見つけて、持ってきた。
 片手で振ってみたらビュンビュン振れる。何しろ、毎日2㎏の鉄筋棒を振ってますから。笑
 
 そうなると、「実際に、何かを打ってみたい」という衝動に駆られますよね。
 道場デビューの前に、片手で「面」「小手」「胴」を打てるようにならなければなりません。いきなり二刀で稽古するためには。

打ち込み稽古する場所


 ここで、問題に突き当たります。
 “打ち込みをする場所がない”のです。

 自宅はマンションですので庭がありません。バルコニーで打ち込み稽古したら、ご近所迷惑だし……。


 小学生のころ、私は剣道が大好きで、週3回の道場の稽古をいつも待ち遠しく思ってました。
 「なんで、道場の稽古が毎日ないんだろう」
 そんな少年だったので、道場のない日は家の裏山で、桑の木を相手に“打ち込み”をやってた。


 「そうだ、あの頃のように外で“打ち込み”ができるところを探してみよう」

 日曜日の昼間、ジョギングがてら探してみた。自宅マンション周辺は、アスファルトとコンクリートだらけ。裏山なんてないし、どこでやっても他人に迷惑がかかる。

 「海の方も探してみるか」

 自宅マンションから10分ぐらい歩けば海なんですけど、そこへは車道も歩道も整備されておらず、地元の人間もあまり行かないところ。昼間でも人けがない。 

 「あった」

 そこには、埋め立て造成当時に植えられた防風林が、1㎞ぐらいにわたって海岸沿いにありました。
 30年前までは、市内の海岸沿いに、この防風林がつながっていたのですが、開発が進むにつれその姿を消していきました。
 ここは、最後に残った1区画。

 「ここでやろう」

防風林の中で


 その日の夜、竹刀を持って“防風林”を目指して走った。11月のこと。秋とはいえ、夜はかなり冷える。
 目的地について驚いた。真っ暗なんです。外灯がない。
 もちろん周りには、民家や建物、人けもありません。
 恐ろしくなって、帰ろうかと思いました。笑

 でも、他に“打ち込み”ができる場所もないし、こんなことであきらめるわけにはいかないと思い、道のない真っ暗な林の中へ入っていった。
 しばらくすると、目が慣れてきてうっすらと辺りが見えてきた。何に使う予定だったのか、数本の松杭が置いてある。そのうちの1本を立ち木に立て掛けてみると、ちょうど自分の背丈と同じ高さ。

 「これを打とう」

 こうして毎夜2時間、ここで“片手での打ち込み稽古”が始まったのです。
 

2019年3月29日金曜日

リバ剣の準備 その2 食生活の改善、素振り、再開と同時に二刀を執る理由

今できることをやる


食生活の改善


  9年前(2010年)、リバ剣を決意し、道場デビューする前にやったこと。

 前回の投稿(「リバ剣の準備 その1」)で、「基礎体力作り」と「足さばき」について書きました。

 駅の階段を1段飛ばしで昇ったり、夕食の後にジョギングしたり。20㎏のダンベルを購入して筋トレもやり始めました。

 食事の量は3倍に増えましたね。特に、朝食をちゃんと食べるようになった。それ以前は、朝食を食べる習慣がありませんでした。しかし、3倍食べても体重の変化はほとんどありませんでした。

 体内の細胞が新しいものに入れ替わるのに、200日かかると聞きます。
 今食べているものが、200日後の自分の体を作る。食べるものにも気を遣うようになりましたね。
 バランスのいい食事を心掛けたのはもちろんですが、一番大きな変化はジャンクフードを食べなくなったことと、お酒を飲まなくなったこと。

 どちらもやめたわけではありません。自然と口にしなくなった。
 毎日晩酌してたのが、「その時間があったら素振りしたい」、という意識に変わった。お酒を飲むのは、会社の忘年会だけになりました。笑

素振り


 「リバ剣」と同時に二刀を執るということを決めていました。(その原点は、こちら

 基礎体力も徐々についてきて、「足さばき」も少しですが感覚を思い出してきた。
 “道場デビュー”も2カ月後と決めた。

 「素振りをやろう」

 無我夢中でしたね。“道場デビュー”の時に、竹刀を片手で振れるようになっておかなければならない。いきなり二刀で稽古を始めるつもりでしたから。

 片手で竹刀を振れるようになるには筋力をつけた方がいい。なんて勝手な思い込みで、職場の職人さんに作ってもらった約2㎏の鉄筋棒を両手に1本ずつ持ち、片手素振りをやった。

 これは、後々、大きな逆効果となって表れて出てくるんですけども、このころはまるで解ってませんからね。脂肪の下に筋肉がついてしまったので、上半身はプロレスラーみたいになってました。笑

リバ剣と“同時に”二刀を執る理由


 小学3年の時に二刀流の稽古を目の前で見て、将来、二刀をやろうと決めた。
 小学校高学年になり、そして中学生になってもその決意は変わりませんでした。
 しかし、心配事が一つありました。
 
 「いつ二刀を始めると言い出せばいいんだろう」
 
 当時は、今とは比べものにならないくらい、二刀に対する誤解と偏見がありました。(当時の様子はこちら
 ですから、私のように将来二刀をやりたいなんて言っている人には、会ったことありませんでした。
 そんな状況の中で、「二刀をやる」なんて言い出したら、周りからは“ドン引き”され、指導者からは中傷されることは、目に見えていました。

 45歳でリバ剣を決意し、子供の頃の夢を実現するチャンスが目の前に来ている。
 二刀をやり始める機会を失うわけにはいかない。
 道場に行って、「30年ぶりに剣道をやるんだったら、しっかり一刀からやりなさい」なんて言われたら大変です。
 
 私は決めました。
 最初から二刀をやってましたって顔をして道場に行こう!と。笑

 そのための準備は続きました。
 

 

2019年3月28日木曜日

リバ剣の準備 その1 基礎体力作り、足さばき

運動とは無縁の生活から転換


まずは歩くことから


 9年前(2010年)、45歳の時に剣道再開を決意した。ブランク30年。きっかけは、一人息子がくれました。(その出来事はこちら
 
 リバ剣と同時に二刀を執ると決めたので、正しい二刀を基本から習いたいと思い、ネットで検索して「二天一流武蔵会」を探し出した。(その時の様子はこちら

 
 さて、道場に通い始めるまでに、いくつか自分でしなければならないことがあった。

 まずは、基礎体力作り。

 運動不足、堕落しきったこの体。なるべく歩くことを回避することを第一に考える日常。ここから脱出しなければならない。
 20代のころと比較すると、体重は30㎏以上増えた。運動らしい運動はまったくやっていませんでした。

 「まずは歩こう」と決めた。
 毎朝の通勤で最寄り駅までは路線バスを利用していましたが、徒歩に変更。約2㎞。これがつらいのなんのって、30分かかりました。こんなんで、剣道なんて出来るのかと思いましたね。でも、やるしかない。もう、決めてしまったから。

 数日すると、所要時間は25分に短縮してた。
 
 「よしっ、駅まで“送り足”でいってみよう」

足さばき 


 とにかく「リバ剣」を決意した直後ですから、やる気満々です。
 アスファルトの歩道の上を、靴を履いて「送り足」を「すり足」でやるわけですから、ちゃんとできるわけありません。笑
 それでも本人は真剣ですよ。すれ違う人たちが、不思議そうな顔をして見ていましたね。そんな視線を感じながらも、お構いなしに“送り足”をやった。

 やってみてどうだったか……。全然できませんでした。
 5mも続かない。1、2、3… 6回足を継いだらもうできない。心臓はバクバク、息はぜーぜー、送り足がこんなにキツイとは思いませんでした。

 覚悟はしてましたが、改めて前途多難だと思い知りました。

 送り足で歩いたり、普通に歩いたり、そんな感じで自宅と最寄り駅の間を朝夕2㎞ずつ歩いた。すり足でやってますから靴の底はすり減り、つま先も傷み、新品のジョギングシューズが1カ月でボロボロになりました。

  今から考えれば、正しい足さばきの稽古とはいえませんが、やらずにはいられなかった。
 40代半ばを過ぎて、新たな目標を持つことができた喜びで、毎日が輝き始めました。
 

2019年3月27日水曜日

白血病~退院後の日常~

5年間の寛解維持を目指して


健康な状態に戻るわけではない


 急性リンパ性白血病フィラデルフィア染色体異常になり、化学療法(抗がん剤治療)、放射線治療を受け、1年ぶりに復職した。

 好きな剣道も再開して、子供のころに目標にしていた全国大会出場を目指して、千葉県予選にも出場できた。1回戦負けでしたけど。

 仕事も剣道も病気になる前のように頑張ってみて、ちょっと気づいたことがあるんです。

 白血病は、抗がん剤の影響で減少した白血球などの血液成分が回復すれば、食事も運動も制限はありません。

 なので、一連の治療が終わり、自宅での生活が始まれば、次第に体力がついてきて、元の状態に戻れると思っていた。

 これがそうではなかったんですねぇ。
 リハビリがてらに自宅周辺をウォーキングしたり、食事制限もなくなったので好きなものをたくさん食べたりして、徐々に体力はつきました。ある程度のところまでは。

 ですから、仕事も剣道も再開した。しかし、一旦疲れがでると、回復するのに時間がかかるのです。明らかに以前と違う。
 仕事でも「今日はちょっと疲れたな」なんて思っても、翌日になれば何てことありませんよね。それがそうじゃない、翌日もその疲れがそのまま引き継がれてる。剣道の稽古に行くと、3日間は疲れがとれない。仕事に行くのもキツくなるんです。
 
 月1回の通院の際、主治医にそのことを聞くと、やはり長期の抗がん剤治療を受けた影響なのだそうです。
 それでも私の場合は良い方らしく、その他に困ったことといえば足のつま先のしびれぐらいですかね。このしびれは、一生なくならない人もいるそうなので、長く付き合わなければならないと思ってます。

 そんな状態なので、仕事が終わればまっすぐ家に帰ります。
 剣道の稽古も週末に1時間だけ。しかし、冬場の今は稽古はお休みしています。汗をかいた後に外の冷たい風に当たるのが怖いんです。この病気になってから、風邪をこじらせて肺炎になったことが2回ありますから。退院して1年以上たち、体の抵抗力もついてきているので、もうそこまで重症化することはないと思うのですが……。

 無理をしなければ、健康な人とほとんど変わらない生活が送れている。入院中の状態と比べれば、まあ、よくここまで回復したなと思いますね。感謝の気持ちでいっぱいです。

 癌の経過観察はあと4年。長いなぁ。


 ちなみに、この急性リンパ性白血病(フィラデルフィア染色体異常)という病。私の場合(50歳代で、骨髄移植せず)は、5年後の生存率は10パーセント以下なのだそうです。


2019年3月26日火曜日

剣道二刀流 正二刀・逆二刀を「右二刀・左二刀」と言い換えてよいのか

剣道二刀流の構えの呼称について


認識の後退


右二刀って、右手で二本の刀を持つのですか?
左二刀って、左手で二本の刀を持つのですか?

いいえ、二刀とは、両手に一本ずつの刀を執って戦う片手刀法です。右とか左とかの問題ではありません。

本来は、右手に大刀、左手に小刀を持つ構えを「正二刀」といい、左手に大刀、右手に小刀を持つ構えを「逆二刀」といいます。

しかし、近年、これを、「右二刀」「左二刀」と言い換えている方たちがいます。
私はその方たちを、批判するつもりはありませんが、以下、私個人の見解を述べさせていただきます。

正逆の概念(法則)


左右、上下、前後、東西南北など、これらの言葉は対象となるもの(相手)とのかかわりがありません。自分が任意の地点に立った場合の単なる方向や方角です。

正逆、表裏、陰陽、円明、光陰、昼夜(二天)など、これらの字義は一つの“宇宙”、理(ことわり)を表しています。
物事は二面が一対になって全体を表す。それぞれ相反する絶対的な領域があって、かつ一方だけでは存在し得ない。
仮に、一方を認識してそれを否定すれば、もう一方が肯定される(証明できる)という関係にある。この二字が一対になって十全ならしめるわけです。よって、「正」以外とは「逆」しかあり得ない。その反対もしかりです。

剣理にならって技を繰り出せば、この理に一致することは、言うまでもありません。陰流や新陰流の号も、この思想から命名されたと推察されます。

左右という認識方法であれば、「右」を認識できたとして否定しても、残るのは左ではなく、上、下、前、後、斜め左…、無数の方向が存在しますから、「左」だけを肯定・証明することができません。しかも、最初に認識した「右」は非常に曖昧です。
常に、「どちらから見て」とか「誰から見て」とか、前提を問わなけれならないのです。何よりもそれ以前に、対象(相手の存在)とのかかわりのない認識方法なのです。

一刀流や新陰流、二天一流などの流祖たちが到達した境地で実行された認識方法を、よく理解すべきです。
その認識方法は、技はもちろん、足の運び(陰陽の足)、攻め(表裏の攻め)、刀法(順さばき逆さばき)など、剣理のあらゆるものに合致します。

 例えば、お相手との立合いの中で、お互いが「表」からの攻防に執着している場合、一方が瞬時に「裏」からの攻めに切り替えて一本をとる。あるいは、「裏」からの攻めに切り替えたと見せて、お相手が「裏」の防御に執着した刹那を「表」から一本をとる。これらは表裏の法則を体現した攻めの一例です。


また、正逆の概念は剣道だけにあてはまるものではありません。

書道では、文字を書くとき(例えば「小」の文字)、左右一対になっている点の右側の点を“正の点”左側の点を“逆の点”と言います。この二つの"点"は、いずれか一つが単独で存在することはないのです。

また、製造業や建設業にたずさわる方であればお気づきだと思いますが、回転装置の付いた工作機械や製造機、建設機械や重機などを使用する場合、「正転」「逆転」という操作の指示を、「右回転」「左回転」と言い換えたら、大変な事故につながってしまいます。
一方から見ている人にとっては「右回転」でも、反対側から見ている人にとっては「左回転」になるからです。(実際にそういう事故がたくさん起きています。)

なぜそういうことが起こるのか。「正逆」(あるいは表裏、陰陽など)を「左右」という概念に置き換えてしまった場合、その行動が“真”であるのか“偽”であるのか問うことができないのです。
「左右」の領域は曖昧で、かつ前提がついて回る。対象とは関係ない自分側の認識方法だからです。よって、“真”である証明をすることなどできません。だから事故になるのです。

理の追究


剣道で、相手を「制する」「一本をとる」、「理合を体現する」、ということは、自らの行動が“真”であることを証明したことと同義です。

そしてそれが心の喜びとなり、お相手は「参りました」と素直にその理を受け入れる。お相手と自分が一つになって、理を同時に、「認識」、「体現」、「証明」した瞬間です。

剣道の魅力はここにあります。対象と自分、この運動世界の中に理があるのです。独りよがりで成立するものではありません。

繰り返しますが、「左右」には対象がない(必要としない)。自分が任意の地点に立った場合の単なる方向です。独りよがりの認識方法ともいえるのです。


正逆(表裏、陰陽など)を「左右」という概念に置き換えてしまった場合、理の体現を追求する稽古が、成立しないということを、お解りいただけたと思います。(剣道をスポーツとしてとらえている方は「左右」と言い換えてもかまわないと思います。その場合、稽古ではなく“練習”になりますね。)

理を冒してはならない


宮本武蔵が『五輪書』の中で、繰り返し言っている「勝つ」という言葉。これは単に勝ち負けのことを言うような浅はかな意味ではありません。

武蔵の言う「勝つ」とは、「制する」、「理である」、「“真”であることを立証する」という意味だと私は思います。

古流である二天一流を修行する私たちにとって、二天(円明)、陰陽、表裏、正逆などの認識方法は、冒(おか)すことのできない「剣理の精髄」です。

正逆という深い意味を持つ言葉を、短絡的に「左右」と言い換えてしまう。
まさに命を懸けて理合や理法に到達した戦国流祖たちに対して、敬意がないから生まれてくる発想です。

流祖たち(古流)を見下せば、自分の剣道がつまらないものになるのに、そういう態度から離れられない。歴史の中に実在した達人たちに、凡俗極まる現代人の観念をなすりつける。
本当に悲しいことです。

私たちが求めているものは、現代風にアレンジされた二刀(剣道)ではなく、数百年続きこれからも未来永劫連綿として伝えられる正しい二刀(剣道)の理念なのです。




注目の投稿です

宮本武蔵『独行道』「我事に於て後悔せず」を考察する

後悔などしないという意味ではない 布袋観闘鶏図 宮本武蔵 後悔と反省  行なったことに対して後から悔んだり、言動を振り返って考えを改めようと思うこと。凡人の私には、毎日の習慣のように染み付いてしまっています。考えてみれば、この「習慣」は物心がついた頃から今までずっと繰り返してきた...

人気の投稿です