2019年4月16日火曜日

半月板損傷 剣道の稽古中

初出場した試合は反省しきり


取り組むべきことが見えたばかりなのに


 前回の投稿で、30年ぶりに剣道を再開して始めての試合となった、2010(平成22)年の浦安市春季市民剣道大会に出場したことを書きました。
 しかも、始めて間もない二刀での出場で、1試合中に場外反則を4回もやってしまうという大失態。前代未聞だと思います。(その様子はこちら

 30年のブランクで、"コート感覚"が全くなくなっていることが判明しました。

 普段の稽古では試合コートのことなんて意識しませんからね。これは、試合経験を重ねて、取り戻していかなければならない感覚なんだなと思いました。

 他にも、反省点、改善しなければならないところはたくさんあります。数え上げたらきりがない。取り組まなければならない問題だらけ。

 その中でも、最も重要で真っ先に取り組まなければならないことが、はっきりした。

足さばき


 リバ剣して、試合に出てみて、痛感したこと。
 やはり、攻める、打突の機会をつくるのは、「足と腰」だなと思いました。
 
 この半年前、リバ剣を決意した時に、最初に取り組んだのが足腰の強化、そして足さばき。なのに、その足が動かない。試合になったら全くダメなんです。稽古ではそこそこ足が遣えてたんですけどね。
 
 今までの稽古量では"ぬるい"と思い。さらに強化しなければならないと思った矢先、予想もしていなかったことが起こった。

右ヒザ半月板損傷


 市の剣道連盟が主催する稽古会に参加した時のこと。

 稽古場所は、所属道場が使用している市の武道館ではなく、市の総合体育館。

 「ここは、床が硬いな」

 会場に入ってすぐに思った。剣道をやる人なら、結構気にするとこですよね。

 案の定、稽古開始前に担当者からアナウンスがあった。

 「ここは、床が硬いので気をつけてください」

 まるで、コンクリートの床の上に直接板材を張ったような感触だ。その日は強く踏み込まずに稽古したつもりでした。
 
 稽古終了時の「静座」で、何となく右ヒザに違和感があった。それでも、特に気にすることもなく帰宅。

 しかし翌日、右ヒザに痛みを感じるようになり、3日後には痛くて右ヒザが曲げられなくなった。

 「これは、半月板が折れてるな」

 そう思った。
 
 実は私、この9年ほど前に左ヒザの半月板を損傷して、手術した経験があるのです。
 この左ヒザは、小学生のころに剣道の稽古中に痛めてそのままにしていたもの。日常生活に支障はなかったので、長年放置していたのです。

 "放置"といっても最初からそうしたわけではありません。小学生でしたから親も随分と心配して、あちこちの病院やら接骨院やら鍼灸院までいろいろ連れて行かれました。
 当時は昭和40年代後半ですから、レントゲン検査といってもアナログの時代で、画像の解像度なんてめちゃくちゃ低いですから、ヒザの痛みの原因が分からなかったんです。
 もちろんMRI検査なんてありませんでしたから。

 それから26年たったある日。家で床にあぐらをかいて座っていて、立ち上がろうとした時に「ボキッ」という音がして、左ヒザがロックして動かなくなってしまった。
 翌日、近所の整形外科を受診し検査すると、医師からこういう説明があった。

 「左ヒザの半月板が折れています。あなたは生まれつき、半月板が“半月”の形をしておらず、丸い形をしているので(これを円盤状軟骨といいます)、こういう人は普通に生活しているだけで折れます。右ヒザの半月板が折れるのも時間の問題です」

 この医師の言葉を思い出して、今回、“折れてる”と思ったのです。
 そしてすぐに整形外科にかかると、やはり思った通り。手術も一週間後と決まった。
 痛みだけで動かすことはできていた右ヒザは、手術当日までには「ボキッ」と音がしてロックしてしまった。
  
 手術が終わって当日一日だけ入院し、翌日退院しましたが仕事は2週間休みました。
 剣道は1カ月休むことになってしまった。これには焦りました。リバ剣後、初めての試合も二刀で経験して、さあこれからという時ですから。
 
 この剣道ができない1カ月間、何をすべきか考えた。

 「こういう時だからこそ、ヒザに負担のかからない“ナンバ歩き”をしっかり身に付けよう」

正しいナンバ歩き


 術後はリハビリがつきもの。半月板損傷の手術の後のリハビリは、ヒザの屈伸運動をすることと、歩くこと。これをしないと、ヒザが曲がらなくなったり歩けなくなったりする。

 リハビリの指導をしてくれた理学療法士からは、「ヒザが腫れた場合は、一旦中止し、腫れが引いてからやってください」と言われていました。

 早く剣道ができるようになりたかったので、まじめにやりましたよ、リハビリ。毎日2㎞歩くと決めた。
 この頃は、稽古していたナンバ歩きはまだまだ身に付いておらず、試行錯誤の状態でした。ですから日常でも、ナンバで歩いたり普通に歩いたりの繰り返し。リハビリ中もそうでした。

 するとすぐにこんなことに気がついた。

 「普通に歩くと手術した方のヒザが腫れるが、ナンバで歩くと腫れないな」

 正しいナンバで歩くと腫れない、これはいい“先生”になりました。
 本気でナンバ歩きに取り組むきっかけになりましたね。

 「ナンバ歩き」というと、同じ側の足と手を一緒に前へ出す歩き方、と思っている方は多いと思います。しかし、これは誤りです。
 「ナンバ歩き」とは、ある腰の遣い方で歩くと、結果的に自然と踏み出した足と同じ側の手が前に出るのです。(その方法は、こちら
 ですから重要なことは腕の振り方ではなく、“ある腰の遣い方”なのです。
 これは、日本古来の武芸に共通する基本中の基本ですね。

 リハビリをナンバ歩きですることによって、この“腰の遣い方”が理解でき、身に付き始めたのです。

 まさに、“怪我の功名”になりました。

 

2019年4月15日月曜日

平成22年浦安市春季市民剣道大会 リバ剣後初出場

二刀でのデビュー戦


30年ぶりの試合


 2010年5月。30年のブランクからリバ剣して5カ月目。
 所属道場の稽古に行った時、掲示板に市民大会参加者の登録名簿が掲示されていたのが目に入った。

 浦安市の市民大会は春季と秋季の年2回。春季剣道大会は団体戦はなく、個人戦のみ。
 掲示された参加者登録名簿に、参加希望者が記入してエントリーするようだ。もうすでにたくさんの方々の名前が記入されている。

 「個人戦なら他人に迷惑が掛からないだろう」

 そう思ってすぐに参加を決め、名前を記入した。
 リバ剣直後で、しかも二刀もまだまだぎこちない。でも、とにかく30年ぶりに試合を経験したかった。少しでも早く試合の勘を取り戻したかった。この時、もう46歳ですから。

 剣道の市民大会は、剣道初心者や私のようなリバ剣剣士から、百戦錬磨の現役選手、教員や警察官、全国大会予選出場の常連者、熟練の高齢者まで、幅広い層の選手が出場するのが特徴です。

 私が最後に出場した試合は、中学3年の時の県大会でした。ですから、一般の部に出場するのは初めて。市民大会の一般の部はどういうレベルなのか、実際に感じてみたかったのです。

 負けるのは分かっています。負けることによって今の自分を知り、何をすべきかが見え、次へのチャレンジができる。笑われてもいいから二刀で出場する、そう決めました。

幸先いいスタート


 試合当日、午前11時に開場入りすると、小学生の部が終わって、中学生の部が始まっていた。
 この後、高校生の部があって、一般の部が始まるのは午後2時過ぎらしい。
 
 まさか自分の人生で、再び試合前のこの緊張感を味わうとは思いもしませんでした。

 「ああ、この環境に戻って来たんだな」

 会場に入って実感がわきました。

 実は、1週間前から不安で仕方なく、この日は朝から不安感が頂点に達していた。

 一刀で試合に出るなら、ここまで不安にならず緊張だけで済んだと思います。
 リバ剣して二刀を始めてまだ5カ月目。これで試合に出るというわけですから、ちょっと無謀ですよね。
 不安を取り除く方法も見つからないまま、一般の部が始まった。

 私の一回戦はトーナメントの第一試合。お相手と向き合い、礼をし、大小を抜刀して蹲踞した。

 「始めっ」

 主審の号令とともに立ち上がって上下太刀に構えた。
 すると、一刀中段に構えたお相手が、スーッと前に出てきて、小刀の切っ先にご自分の竹刀の物打ちを合わせてきた。

 これ、錯覚してるんですね、お相手が。竹刀同士が触れ合うところまで間合いを詰めたつもりなんでしょうけど、こちらが中段に構えているのは短い小刀です。これに触れるところまで間合いを詰めたら、かなりの近間になっているのです。

 私はすぐに反応してました。
 小刀に触れてきたお相手の竹刀を、その小刀で瞬時に押さえて大刀で小手を打った。
 気づいたら打ってたって感じ。旗は三本あがってました。

 「二本目っ」

 主審の号令が掛かると、今度は警戒して間合いを詰めてこない。小刀が気になっている様子。
 ならばこちらが足を使って攻め込もうと前にでると、お相手は下がって間合いを切る。この繰り返しになって試合時間がもうわずかしかない。下がるお相手をさらにもう一歩攻め込んで面に飛び込んだ。

 「ちょっと浅かったかな」そう思いましたが、旗は三本あがってました。

 30年ぶりの試合、しかも始めての二刀での試合。これは幸先がいいなと思いました。

ブランク30年で失った感覚


 二回戦が始まった。今度のお相手は、平正眼や霞の構えで防御一辺倒。すぐに鍔迫り合いになってしまう。
 ならば引き技で一本を取ろうと、大刀で引き面を打ったんですが、旗は一本しかあがらず勢い余って場外へ出てしまった。場外反則一回。
 続けてまた同じことをしてしまい、場外反則二回。これでお相手に一本となってしまった。

 この後、さらに同じことをもう二回やってしまった。つまり、場外反則4回で二本負け。
 場内からどよめきが起こりました。私には失笑に聞こえましたけどね。

 引き面を打って場外へ出てしまう。一度やったら、普通は気をつけますよね。

 私、試合中に気づいたんですけど、コートの感覚が全くないんです。
 30年前はありました。ちゃんと。
 今、どれぐらい下がったら場外へ出てしまうとか、今、コートのどのあたりを背にしているとか。

 意識しようとしても余裕がないためか、どちらの方向にどれだけ動いたら場外に出るのかが、把握できないのです。
 自分でもこれには驚きました。

 リバ剣にも、リハビリが必要なんだなと思いましたね。ブランク30年は重症です。

 こんな変な幕切れで、リバ剣二刀での最初の挑戦は終わりました。

 「打たれて負けたわけではないから、まあいいか」

 そんなおかしな言い訳を、心の中でつぶやきがら会場をあとにしました。

 この“コート感覚”。取り戻すまで、この後、1年かかることになるとは。


2019年4月14日日曜日

二天一流武蔵会 稽古会参加④ 二天一流第十七代師範 神免二刀流第十六代師範

流祖武蔵から連綿と継承された流派


中村天信 師範


 2010(平成22)年4月。武蔵会東京支部の稽古会に参加させて頂いた。

 会場に到着して着替えを済ませ準備運動をしていると、Kさん(HN:KOJIROさん)がお見えになり、こうおっしゃった。

 「本日は、中村先生がいらっしゃいます」

 ついにこの日が来た。
 現代の二刀流に失望しかけた私に、中村師範との出会い(その時は動画でですが)は、一条の光明となっていました。(その経緯はこちら

 二天一流の第十七代師範という「運命」を背負われたお方。
 宮本武蔵自流の正統として、伝統の荘厳なる継承の使命を負う。そういうお方に、いよいよお目にかかれる。

流祖から中村天信までの系譜


 江戸前期、流祖宮本武蔵が晩年を肥後(熊本)で過ごし、「二天一流」の系譜はここで端を開きます。
 その主な道統に「肥後の五流派」があります。寺尾派(山尾派)、山東派、村上派正勝系、村上派正之系、野田派。いずれも二天一流の正統です。
 また、二天一流から分派した流派として、新潟越後に伝わった神免二刀流があります。

 「肥後の五流派」のうち、大正期までに三流派が継承者が得られず断絶し、現在は、山東派と野田派が二大流派を形成しています。
 一方、神免二刀流は越後藩の剣術指南役を務める五十嵐家に伝わり、代々家伝の流儀として現代まで継承されてきました。

 先師荒関二刀斎は、神免二刀流継承者五十嵐一隆に就いて二刀流の指導を受け、後に印可を得て、神免二刀流を継承します。
 また、熊本に渡り、野田派の二天一流十五代松永展幸のもとでこれを学び、後に印可を得て二天一流の十六代を継承しました。
 いずれも昭和30年代のことです。

 先師荒関二刀斎は、昭和44年の第17回全日本剣道選手権大会にも二刀で出場されています。

 そして、平成8年に中村重則天信という後継者を得て、十七代を継承させたのです。

稽古開始


 この日も最初は、ナンバ歩きの稽古から。床を擦る「すり足」の音だけが、道場に静かに響く。中村先生が見守る中、皆さんの緊張が伝わってくる。

 次に形(かた)稽古。ここからは直接中村先生からご指導いただいた。私も「胴を切る」場面で、刃筋を手を取って直して頂いた。
 二刀の形で二刀の刀法を知り、理合を知る。古流でなければ出来ない稽古法です。特に武蔵会の場合は、これが竹刀稽古につながっている。実践につながる理論があるんですね。
 私自身、この3年後に、試合や段審査でその成果を実感することになります。

 そして、防具を着用して竹刀稽古。まずは基本打ち。
 これも中村先生が手本を見せて頂き、直接ご指導くださった。

 これも武蔵会ならではの稽古。
 試合や地稽古は、お相手さえいればある意味どこでもできます。しかし、二刀の基本稽古を正しくじっくりやるとなるとなかなか機会がない。
 私にあっては、この稽古ができるところを探してたわけですから。二天一流の十七代師範に直接ご教授頂けるなんて信じられない気持ち、まるで夢のようです。

 この後、通常であれば、それぞれにお相手と組んで地稽古となるんですが、この日は中村先生がいらっしゃるということで、一人ひとり中村先生と稽古して頂けることになった。
 とはいっても、人数も多いし時間の制限もあるので、代表の上級者5名ほどが稽古することに。他の者は、見取り稽古となった。
 私は面をはずして、固唾をのんで立ち合いに見入った。

少年の頃に見た二刀流がここに


 「この師に就いて学ぼう」

 立合いが始まってすぐにそう決意した。

 昭和40年代に見た、心を揺さ振られた二刀流。
 今、目の前で繰りひろげられる立合いに、あの頃と同じ種類の感動が沸き上がってくる。

 昭和40~50年代は二刀者が激減した時代。(その理由はこちら
 この頃二刀を執っていた方々は皆、大正生まれ。戦前から二刀流をやっていた方々です。そして、後継者がないまま二刀剣士の高齢化が進んでしまい、世を去ってしまった。

 平成に時代を移して、「試合・審判規則及び細則」が改正され、環境が変わって二刀を執る者が徐々に現れてきた。現代の二刀剣士の多くは(高名な二刀者も含めて)、これ以降にご自分の創意工夫で二刀を執られてきた方々です。

 私はそういう方々の二刀を、批判したり否定したりするつもりはありません。
 そういった時代背景がありますから、私たちが子供の頃に見た二刀流と違っていて当然なのです。

 しかしここに、継承された二刀者が実在したのです。
 中村天信師範。
 子供の頃から私淑してきた故松崎幹三郎先生と剣風はちがうが、根底に流れる「理」が同じような気がする。(故松崎幹三郎先生についてはこちら

 二刀の操作をどうにかやり繰りして一本を取ろうとする二刀剣道ではない。右片手、左片手、それぞれが独立して片手刀法として成立している。どちらか一方の介助がなかったとしても一本が取れる剣道だ。
 それでいて、左右の片手刀法が絶妙な調和をして、迫力があり美しい二刀剣道を具現化している。


 地元でも、故松崎幹三郎先生の二刀を知る人は、めっきり少なくなりました。
 松崎先生との立合いの経験がある、現在は高齢になった先生方は、「あの先生の二刀には、理があったね」と皆さん口をそろえます。


 もう見ることが出来ないであろうとあきらめていた「二刀の理」が、今、目の前にある。
 

 
参考文献
 『武蔵の剣 剣道二刀流の技と理論』佐々木博嗣編著・スキージャーナル・平成15年
 

2019年4月12日金曜日

リバ剣 日常の稽古② 正しい片手刀法の実践

古流に学び剣道で実践


結果はすぐに表れた


 前回の投稿で、二天一流武蔵会の稽古会にて「小手」と「胴」の片手打ちを学んだことを書きました。
 これで、「面」「小手」「胴」の正しい片手打ちを稽古できる。そう思うとますます稽古熱が高まっていきました。

 武蔵会東京支部の稽古会は毎月第2,4土曜日の午後です。pm5:00に終わりますので、急いで帰れば地元道場の稽古に間に合います。
 この時から、武蔵会の稽古会に参加した日は、ダブルヘッダーで稽古するようになりました。

正しい刀法はひとに伝わる


 先ほど覚えたばかりの二刀の正しい片手刀法を実戦で稽古したくて、地元の所属道場へ急ぎました。

 私は、30年のブランクからリバ剣したばかりで二刀初心者。しかもまだ初段。
 普通の道場だったらどのような対応を受けるでしょうか。

 「二刀をやる前に一刀で基本をしっかりやれ」
 「初段のくせに何が二刀だ」

 まあ、こんなリアクションでしょうかね。
 
 地元の所属道場ではこういうたぐいのことは、言われたことはありません。それどころか、“二刀、大歓迎”といった空気。本当にありがたかったですね。

 「次は、私と稽古しよう」

 この日も、皆さんに次々と声をかけて頂きました。

 そんな中、ある先生と地稽古をした後のこと、驚いた顔でこう聞かれた。

 「どこかで二刀を習ってきたの?」

 先月、稽古した時と全然違うと言うのです。私はこう答えました。

 「習ってません」

 説明し始めると長くなりますから。(笑) 稽古をする時間がもったいないですからね。

 二刀や片手打ちの経験がない方でも、"違い"が分かるんですね。他の先生方にも同じようなことを言われました。

 この時、リバ剣して3カ月目。私の二刀がガラッと変わったと思います。
 手さぐりで稽古してたものが、何を稽古すればよいか解ったという感じですかね。迷いも不安もなくなりました。

 しかし、意外な人にも、"正しさ"が伝わってしまったようです。

高名な二刀者のお弟子さん


 実は、この地元の所属道場には、数年前から二刀を執っている方がいたのです。
 平成の二刀の大家といわれる方の、お弟子さんです。

 この日、稽古が終わって着替えようとしているところに、この“お弟子さん”がやってきた。
 「小手ってどうやって打つの?」

 二刀者で範士である師がいらっしゃる方なのに、二刀初心者の私に小手の打ち方をいきなり聞いてきたんです。真顔で。

 ちょっと驚いてしまいました。
 そういう“大先生”が師匠でいらっしゃる方に、初段のしかも二刀を始めたばかりの私が、そんなこと教えられるわけがありません。
 そう言ってお断りすると、あからさまに不機嫌そうな顔をして、帰っていった。

 この後、様々な嫌がらせを、この“お弟子さん”から受けることになります。


2019年4月11日木曜日

二天一流武蔵会 稽古会参加③ 片手刀法「小手打ち」「胴打ち」

基本の打突を伝授

大刀の重心に黒いビニールテープを貼った。
二刀の大刀。黒いしるしが重心位置。
片手刀法は刀の重心を意識することが肝要。

 2010(平成22)年2月と3月。それぞれ1回ずつ、武蔵会東京支部の定例稽古会に参加させて頂いた。両日ともに、全体の指導担当はKさん(HN:KOJIROさん)でした。
 
 まずは2月。
 前回は、私の指導を担当して頂いたKさんが、マンツーマンで指導して頂きました。
 今回からは、全体の稽古に混ざって参加。非常に緊張しましたが、これから二刀を執って剣道をやっていくうえで核になるものをつかみたい、そういう思いでいっぱいでした。

二刀の形稽古


 古流である二天一流武蔵会では、形(かた)の稽古を重要視しています。
 私が小学生のころに通った道場でも形は重視していて、小学生でも日本剣道形は全員できました。(当時の様子はこちら
 ですから、二刀の形には非常に興味がありましたので、二天一流用の木刀大小を準備して、参加しました。
 
 武蔵会では「五方ノ形」以外にもいくつかの形を稽古していて、今回も先師荒関二刀斎が制定した「十三本の兵道形」を稽古しました。
 初めての二刀の形稽古で、皆さんについていくのが大変でしたが、理合を覚えるには形稽古は必須。この日は、十三本のうち三本をしっかり覚えました。

片手での小手打ち


 前回は、Kさんにナンバと面打ちまで、教えて頂いています。
 なんと、この日の基本稽古のメインメニューが"上下太刀の構えからの小手打ち"。グッドタイミングでした。
 
 教えて頂いた上下太刀からの小手打ちのポイントは次の通り。
  1. 上下太刀に構えた時、大刀の重心は頭の真上(正中線上)に置く
     相手のどこを打つかにかかわらず、構えの基本は変わりません。
  2. 大刀の刃部を相手に向ける
     刃部が天井を向くことがないようにする。これも、どこを打つかで変わることはありません。
  3. 振り下ろす時も重心を正中線上からはずさず、「面打ち」と同じ太刀筋で振り下ろす
     降り始めから、重心を打突する小手側にずらすことのないようにする。
  4. 中段に構えた相手の太刀の物打ちの裏に、大刀の重心部分を通す
     相手の竹刀の裏、スレスレのところを通すようにする。この瞬間は、大刀を握った拳はへその前。
  5. 大刀を握った拳を一気に自分の左腰骨の前に持っていきながら、物打ちで小手を打つ
     大刀が相手の竹刀の裏に入る瞬間に、大刀を握った拳を左腰骨の前あたりに瞬間移動させる心持。その時、大刀の重心を意識し、重心をずらさずに拳を動かすことによって物打ちで小手をとらえる。
  6. 大刀が重心を中心に回転するようにして打つ
     大刀の物打ちが小手に当たる直前に拳を跳ね上げる。これが手の内の冴えになる。平打ちにならないように、刃筋を通す。

片手での胴打ち


 ここからは翌3月の稽古会。私はすべての稽古会に出席できているわけではないのですが、なんとこの日の基本稽古のメインメニューが胴打ち。またもやグッドタイミングでした。

 教えて頂いた上下太刀からの胴打ちのポイントは次の通り。
  1. 上下太刀に構えた時、大刀の重心は頭の真上(正中線上)に置く
     胴打ちの時も、構えに変わりはありません。
  2. 大刀の刃部を相手に向ける
     刃部が天井に向かないようにする。胴打ちの時も変わりません。
  3. 振り下ろす時も、重心が正中線に近いところを通るように振る
     相手との間合や位置関係で多少違いますが、大刀の重心が正中線上から大きくはずれることのないように振る。
  4. 斜め45度の刃筋を通す
     バットのスイングにならないようにする。最短距離の太刀筋で胴をとらえる。
  5. ナンバ歩きの要領で、背骨を軸に骨盤を回転させて、しっかり腰で打つ
     熟練を要する。ナンバ歩きをしっかり稽古することが肝要。


 これで、「面」「小手」「胴」と、突き以外の基本打ちの方法を習うことができた。
 感激と感謝。念願でしたからね。

 稽古会が終了したのは夕方。

 「正しい刀法を早く試したい」

 飛んで帰って、地元の所属道場の稽古に行きました。
 

2019年4月10日水曜日

リバ剣 日常の稽古① 稽古法の修正

理にかなった稽古の実践


古流の理論を体現する


前回の投稿で、二天一流武蔵会に参加し正しい片手刀法の稽古の仕方を、学んだ内容を書きました。
 早速、その日の夜から、自己流の稽古法を修正しました。

ジョギングを「ナンバ走り」に


 メタボ体質からの脱却と基礎体力作りのため、リバ剣を決意してから毎日4㎞程度のジョギングをしてきました。
 これを「ナンバ走り」に変更。仕事から帰ったらすぐに着替えて、自宅近くの川沿いの遊歩道&ランニングコースで「ナンバ走り」の稽古。
 最初の頃は、10mも走れば、いつの間にか今まで通りの現代人の走り方に戻ってしまう。それでも根気よくナンバ走りを繰り返した。

 日常の"歩く"動作もすべて「ナンバ」で歩くようにしましたので、道ですれ違う人に失笑されることも度々ありました。なんて変な歩き方をしてるんだろうと思われたんでしょうね。最初はぎこちなかったですから。笑
 しかし、「リバ剣おやじ」としては、稽古時間を確保することも課題の一つ。日常の生活そのものを稽古にしてしまう作戦です。
 

"鉄筋棒"での素振りをやめた


 これも、リバ剣を決意してすぐにやってきたこと。自宅のベランダで約2㎏の鉄筋棒で片手素振りをしてました。(その様子はこちら
 しかし、重い木刀などを使って素振りすることはあまり効果がないことを教えて頂きました。逆に、軽い物で素振りした方がいいと。
 
 また、片手の場合、素振りは手首に非常に負担がかかるので、最初は「打ち込み」で、竹刀の握り方、構え、太刀筋、手の内、を稽古した方がよいということなので、それを実践した。
 ですから「素振り」は、しばらく稽古メニューからはずします。

腕力で打つのではなく、竹刀の重さを引き出しての打ち込み稽古


 道場での稽古がない日は、“防風林の中”で打ち込み稽古です。(その経緯はこちら
 打ち込みも全て片手ですが、それまでは約2㎏の鉄筋棒で片手素振りをして筋力アップし、竹刀を腕力だけで振っていました。

 正しくは、片手上段に構えた竹刀の重心を常に意識し、落下しようとする竹刀自体の重さを感じながら、その重さを利用して打つ。

 しかし、しばらくはうまくいきませんでした。どうしても、肩、腕、手、に力が入ってしまう。重い鉄筋棒を片手で振っていたためです。
 余計な力が入り過ぎているため、打突が弱い、刃筋が通らない、手の内が効かない。間違った稽古法の悪影響がはっきりと出てしまった。

 これを克服するのに、この後、半年を要することになります。


地元の所属道場の稽古で


 「 FJT君がお父さんと稽古したいんだって」

 道場で稽古が始まる前、小学3年の息子が私に言ってきた。

 FJT君は小学5年生。この道場の小学生の中で1番強い男の子。息子の面倒もよく見てくれる子だ。

 しかし私は、リバ剣初日の稽古の後、二刀で納得がいく結果が出るまで、一刀はやらないと決めてしまった。(その経緯はこちら
 それは、子供たちとは稽古できないということを意味します。もちろん、自分の息子ともできません。

 FJT君に直接話しました。

 「ごめんね。今はまだ、子供たちと稽古できないんだ。できるようになったら、1番最初にやろうね」

 その時のFJT君の寂しそうな目が忘れられないんです。今でも。

 こんな私とでも一緒に稽古をしたいと思ってくれてる子供がいる。1日でも早く上達して、二刀で何らかの結果を出そう。
 
 涙があふれました。
 

2019年4月9日火曜日

二天一流武蔵会 稽古会参加② ナンバ歩き 片手刀法「正面打ち」

実際の稽古に参加


基本中の基本を習う


 2010(平成22)年1月のこと。

 前回の武蔵会東京支部稽古会では、見取り稽古をさせて頂きました。(その時の様子はこちら
 
 私はもともと、小学生の時に、「古流」というバックボーンを持った指導者の方々に「剣道」を教わりました。(その様子はこちら
 よって、二刀を習ううえでも、古流である二天一流で“竹刀剣道”を教えて頂ける道場を探していました。

 「ここだ!」

 前回の見取り稽古で直感しました。
 
 そして2週間後。この日が来るのが待ち遠しかった。
 会員の皆様にご挨拶させて頂き、稽古に参加させて頂きました。
 二刀初心者の私の指導にあたって下さったのは、Kさん(HN:KOJIROさん)でした。

ナンバ歩き


ナンバ歩き画像 本人 総合体育館剣道場
右足が前になった時は
左の腰が入っている。
最初はやはり“ナンバ歩き”から。古流ならではの稽古法です。
 しかし本来は、「剣道」にとっても“基本中の基本”なんですけどね。

 まずは、Kさんがお手本を見せて下さった。

 「見たことある」

 俳優の大御所が出演するようなきちんとした時代劇の出演者は、皆この歩き方をしているな、と思いました。
 また、能や狂言もこの“足の運び”をしている。能や狂言の起こりは、剣術のそれとほぼ同時代。
 一般庶民から能楽師、武士に至るまで、当時の日本人の身体運用法の基本となるもの。
 この土台なくして、“正しい刀法”はあり得ないと思いましたね。

 しかし、実際にやってみると非常に難しい。全く出来ないと言っていい。
 背骨を軸にして骨盤を回転させる。右足を一歩踏み出した時は左の腰が前に出ている。左足を一歩踏み出した時は右の腰が前に出ている。

 つまり、現代人の歩き方とは、踏み出す足と回転する骨盤の方向が逆。歩き方の根本的な動作を変更しなければ出来ない歩き方です。即席で出来るものではないと分かった。

 それでも、Kさんの丁寧で解りやすい説明のおかげで、ナンバ歩きの原理は理解できた。
 あとは、日常の中で実践し体得していくしかない。普段の歩行もナンバ歩きですると決めた。

 この効果は、この半年後ぐらいから徐々に表れ始めることになります。

片手での正面打ち

大刀の重心の位置にしるしがある。
大刀の重心が正中線上にあるのがわかる。

 この日、Kさんにもう一つ教えて頂いたのが、片手での「正面打ち」。

 まずは、大刀の重心位置に黒いビニールテープを巻いてしるしをした。
 私は正二刀ですので、右片手で上段に構える。今日はまだ小刀は持たない。空いている左手は体側に下げたまま。
 
 この日、教えて頂いたポイントは4つ

  1.  大刀の重心が頭の真上にくるように構える。
     つまり、刀の重心が自分の正中線上にあるように構えるということ。
     二刀の構えは、人によって非常に個性が出ます。例えば、上下太刀の構え(二刀の代表的な構え、上段の構えの一種)の大刀の位置に限ってみても、人それぞれに違います。大刀を頭上高く構える方もいれば、頭上すれすれに低く構える方もいる。
     いずれにしろ重要なことは"大刀の重心が自分の正中線上にある"こと。
  2.  構えた大刀の刃部は相手に向ける。
     上段に構えた大刀の刃部が天井を向いていると、振りが大きくなって機を捉えにくい、相手から見て起こりがわかりやすい。
  3.  腕力で竹刀を振るのではなく、竹刀の重さを引き出して振る。
  4.  竹刀の「物打ち」が面を打突する瞬間に、拳を跳ね上げて竹刀が重心を中心に回転するように打つ。これが、手の内の“冴え”となる。

 「ナンバ歩き」と「片手での正面打ち」。二刀(片手刀法)の基本中の基本。
 これで、地元の所属道場、自宅、そして“防風林の中”で、正しい稽古法が実践できる。(防風林の中の稽古についてはこちら

 「二天一流武蔵会の稽古法は素晴らしい!」

そんな思いを胸に、我流から脱却できる喜びでいっぱいで帰路についた。


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