2019年5月3日金曜日

リバ剣 息子と稽古⑤「機をとらえる」「初太刀とは」

「石火の機」に挑む


正しい基本の稽古は一生するもの


 前回の投稿までに、足さばき、腰の遣い方、構え、一つ拍子の打ちを、息子と共に稽古し直してきたことを書きました。2010(平成22)年のことです。息子は当時小4。

 ここまでできても、安心はできません。一週間たてば足さばきが崩れる。すると、腰の遣い方が変わってしまう。それが、構えに表れる。体重移動の仕方が変わるので、一つ拍子の打ちができなくなる。
 これは、大人でも同じこと。自分で自分の基本を正しく修正することができるまでは、誰もが通らなければならない"難所"です。
 なぜ、"難所"なのか。自分で自分の基本を修正できるようにならないうちに、剣道から放れてしまう子供も多いからです。剣道の面白さが、全く解らないうちに辞めてしまうということです。
 ですから、なるべく早くこの“難所”をクリアさせてあげたいんですよね。そのためには、ある程度の厳しさは必要になってくる。それに耐えて、正しい基本を自分で稽古できるようになれば、「稽古の仕方」が解り始めるんじゃないでしょうか。
 やらされ感覚ではなく、本人が「稽古の仕方」を身に付ける。一生上達し続けるために、必要なことなんではないでしょうか。

「起こり」をとらえる


 正しい身体運用ができて、一つ拍子で打てるようになれば、「機をとらえる」ことができるようになります。
 息子は当時小学4年生。小さい子供にそんなことを教えるのはまだ早い、という人がいますが、「機をとらえる」のができないのは大人の方です。子供は素直ですから、正しく教えればすぐにできます。

 ご存じのように、機をとらえるところは三つ。居ついたところ、技の起こり、技の尽きたところ、ですね。
 まずは、技のおこり「出ばな」を息子に伝えました。
 教え方はいろいろあると思います。その子供に合った、理解できる教え方をすればいいと思います。息子には何パターンかの説明をしてすぐに理解できました。やや大げさに「起こり」を作ってやると、そこをとらえて“出ばな面”を打てるようになった。

「相面」自分を捨ててガチンコ勝負


 次は、相面を制することができるようにしました。
 相手が打ちかかってくるときに、恐怖心を捨てて正しい姿勢と動作で「打ち切る」ことができるように稽古した。もちろん、言葉ではなく稽古の中で子供自身が気づくまで何度も繰り返しました。

「初太刀」をとるということ、初太刀は「面」以外ありえない


 最近は、稽古が始まって、元立ちの先生に対していきなり小手を打って、「͡コテ、コテ、コテ」なんて言っている人が結構いますよね。昔だったらそんなことをしたら、ぶっ飛ばされて、帰らされましたよ。笑

 今の人たちは、初太刀で「面」以外を打つことが失礼なことだと分からない人が多いんですね。これも、「剣道のスポーツ化」が一因になっていると思います。残念なことですけどね。

 なぜ、「初太刀」を取りにいくのか。なぜ、初太刀は「面」なのか。
 このことは、回を改めて詳しく記述したいと思いますが、私が子供の頃に教えられたここを簡単にいうと、こういうことになります。

 真剣(日本刀)を執っての斬り合いで、最も理想的な勝ち方は、最初の一撃で相手を倒すということです。それに失敗すれば、次は自分が斬られるかもしれない。だから、「初太刀」に命を懸けるのです。
 命を懸けるというと大げさに聞こえるかもしれませんが、武士が抜刀するということは、その時点でもう後には引けない、すべてを捨てたという覚悟があるわけです。ですから、「初太刀」はまさに“命がけ”となるわけです。

 では、なぜ「面」なのか。これは、一撃で倒すためには、必殺技でなければならないということです。
 宮本武蔵は弟子たちに、「真剣勝負になったら、眉八文字を斬らなければ絶対に勝つことはできない」と常日頃から伝えていたそうです。「眉八文字」とは眉間(みけん)のこと。まさに「面」です。武蔵の養子である宮本伊織はのちに、武蔵は数十回の試合で眉八文字を外すことはなかった、と証言しています。
 剣道で一撃必殺の技は「面」なのです。他のどの部位を斬っても、相手は死に物狂いで反撃可能です。ですから、この「面」を稽古することが重要なのです。
 剣道の基本の打突は「面」から教わります。素振りも「面」、切り返しも「面」ですね。
 
 ゆえに、稽古で元立ちの先生にかかっていくとき、「初太刀」を必ずとるという気迫が必要です。昔は、初太刀をとりにこなかった子供は、稽古してもらえませんでした。ですから、何が何でも初太刀の「面」を取りにいくという気概がありました。

 ではなぜ、初太刀で「小手」や「胴」を打ったら元立ちの先生に失礼なのか。
 「スポーツ化した剣道」であれば、小手や胴も打突部位なんだから打ってもいいじゃないか、ということになっちゃうんでしょうね。
 試合であれば、いいですよ。どこを打ったって。勝負ですからね。
 でも、元立ちにかかるのは稽古です。「古(いにしえ)を稽(かんがえる)」わけです。ですから「初太刀」は一撃必殺の「面」なのです。

 ちなみに古来、小手、胴、突き、というのは、面打ちの稽古の際、師が弟子に対し指導のために打った場所といわれています。

  • 「小手」を打って、攻めに対して手元が上がったことを教える。
  • 「胴」を打って、脇があまくなったことを教える。
  • 「突き」を打って、中心が取れていないことを教える。

 それを、稽古の最初に、元立ちの先生に対してかかり手やったら、失礼だということです。

 稽古の最初、「初太刀」の「面」を何が何でもとりにいく。返されり、応じられると分かっていても渾身の「面」を打つわけです。
 その「初太刀」で、稽古の“質”が決まると言ってもいいんじゃないでしょうか。わずか5分程度の地稽古が本当に充実したものになるかどうか。
 そして、最後も渾身の「面」で締めくくるのです。稽古をつけて頂いた最後に、「初太刀」よりも上達した「面」を打つ、“捨てて打つ”ことが、礼儀なんではないでしょうか。

 小4だった息子が、どこまで理解したか分かりませんけどね。でも、先生方に対して失礼な剣道だけはしてほしくなかったので、伝えるべきところは伝えたつもりです。

剣道の面白さを知る


 ここまでのことができれば、「剣道は面白い」と思い始めるのではないかと思います。ですから、ある程度の厳しさがなければならないんじゃないでしょうか。甘やかして楽しいだけでは身に付かないことはありますからね。
 結果的には、息子に一番厳しく稽古することになってしまった。それでも毎回、稽古の最初は私のところに一番に並んで来た。
 うれしかったですね。息子とこんなふうに剣尖で会話ができるようになるなんて思ってもみませんでしたから。

 便宜上、“教える”という言葉は使ってますけど、剣道は“教える”ことはできないと思っています。教えて全部できるようになるんだったら、誰も苦労はしませんからね。心を開いて、厳しい稽古を通して、自分が“学ぶ”しかない。
 大人はその稽古の仕方を“示す”ことしかできないんじゃないでしょうか。

後は指導の先生にお任せしました


 この時点で、子供に身に付けて欲しかったことは、大体伝えられたと思います。
 最低限の稽古の仕方を身に付けて、あとは心を開いて精一杯稽古するだけ。
 中学生ぐらいになって、真剣に試合に勝ちたいと思うようになれば、また伝えることがあるんじゃないかと。

 私は私で、自分の稽古に集中して、息子にその後ろ姿を見せるだけです。

 とりあえずは、“剣道大好き”になってくれてたみたいで、安心しました。
 

 ある朝のこと。
 その日は道場の稽古のある日。
 息子は起きてくるなり、こう言いました。

 「やったぁーっ!今日は剣道だぁー!!」

 昔の私と同じです。笑


2019年5月1日水曜日

リバ剣 息子と稽古④ 一つ拍子で打つ

正しい「一足一刀」で打つ


一足一刀の間合い


 2010(平成22)年8月。当時小学4年の息子と初めて稽古した時のこと。
 「一足一刀の間合いから打ってみて」と息子に言ったら、「届かないよ」って言われました。しかも、偉そうに。笑

 言うまでもなく、「一足踏み込めば打突部位をとらえることができる間合い」ですね。
 具体的な距離は規定されていませんが、互いの切っ先が5cmほど交差する間合いと言われています。
 剣道をやっている人ならこの距離感は体に染みついていると思います。
 
 では、この「一足一刀の間合い」から“一足一刀”で打てる人はどれくらいいるでしょうか。

 実際問題として、「一足一刀の間合い」からでは届かない人が多いのではないでしょうか。
 基本稽古で、「一足一刀で打て!」と言われて、もう一歩前へ出てから打っている人、よく見かけます。その場合の間合いを“打ち間”と称している方もいますが、いずれにせよ「一足一刀の間合い」ではありません。
 または、届かないので左足を右足の前に出して、つまり二足一刀で打っている人も多いですよね。
 私が子供の頃は、こういったことをしていたら、怒られたなんてもんじゃない。大変なことになりましたよ。笑

 現在は指導者によっては「一足一刀の間合いでは届かないから一歩入って打て」と言っている方もいます。ご自分が一足一刀で打てないんですね。

 「一足一刀の間合い」は“一足一刀”で打てるから「一足一刀の間合い」なんです。
 それが届かないのであれば、“一足一刀”で打つための基本、身体運用が崩れているということになります。

 息子の場合は、前回の投稿で記述した「一足一刀で打つための3つのポイント」を実践しただけで、すぐに打てるようになりました。本人が「絶対届かない」と思っていたものが、届くようになる。届くだけでなく“正しく”打てるようになったのです。
 
 何も特別なことをしたわけではありません。基本に忠実に打突しただけです。

 私自身も、「一足一刀の間合いから一足一刀で打つ」という基本稽古をすることによって、正しい基本ができているかどうかのバロメーターにしています。

 「届かないよ」なんて自信たっぷりに宣言してた息子ですけどね、基本通りに正しく打って届くようになった後の顔は、やっぱり輝いてましたね。

「二つ拍子」で打っている


 前回の投稿で、記述が途中になってしまいました息子の拍子のとり方。
 「二つ拍子」になっている。
 大きく打ったら「二つ拍子」で、小さく速く打ったら「一つ拍子」というわけではありません。(その違いは、前回の投稿をご覧ください)

 「一つ拍子」の打ちをやって見せるんですが、できない。道場の子供たちで「一つ拍子」で打っている子の打ち方を見せても、自分との違いが分からないんですね。「ボクだって、ちゃんとできてるじゃん」ってなっちゃう。

 「二つ拍子」で打つ人の特徴は、構えた時に右足に体重をかけて立っているんです。たいていの人の利き足が“右”ですからね。その方が楽なんですね。
 しかし、打つためには、右足にほとんどの体重がかかっている状態からでは、打てません。一度、左足に体重を移してから、右足を上げて前方へ踏み出すことになります。
 この「左足に体重を移したとき」に拍子を一回とっているんですね。すべての動作がほんの一瞬ですが止まります。
 そのほとんどの人が、左足を動かす。体重を乗せやすい位置まで左足を継ぐんですね。

 立合う相手から見れば、ここが機になるわけです。打つ前の左足を継ぐという動作が、「起こり」となってはっきり表れる。余談ですが、息子は後に、この相手の「起こり」をとらえられるようになって、試合に勝てるようになっていきました。

「一つ拍子」の打ち


 「一つ拍子」で打つために大事なことは、常に敵(相手)を想定することです。
 「一つ拍子」で打てるということは、理合(りあい)を体現するための前提条件です。「二つ拍子」でしか打てない人は、理合の体現は難しいのではないでしょうか。理合の体現は独りよがりではできません。お相手が自分を斬ろうとしている、斬りかかってくる、あるいは斬りかかってきた、という状態が必要ですね。
 たとえ打ち込み台が相手でも、基本稽古の時も、相手を想定してこれらの機をとらえようとする心持が必要です。そうでないと絶妙な体重移動が伴いませんからね。

 そしてもう一つ大事なことは、前述した体重移動。
 右足に全体重がかかっていては、機をとらえられませんから、左右の足に均等にかける。打つ時は左足は継がず、構えた状態から右足を前方に出す。大きく振りかぶっても小さく振りかぶらずに打っても同じです。

 防具を着けずに一人で打つと、「一つ拍子」で打てる人も、防具を着けて相手と向かい合うと左足を継いでしまう人、多いんですよね。

 息子にはなかなか理解してもらえませんでした。自宅で、簡単な打ち込み台まで作って稽古しましたが、どうしてもできない。左足を継いでしまう、体重移動の仕方を直せないんですね。当時、小4ですからね、まだできなくてもいいんですけど、できている子供もいますから。親が剣道をやっているのに、そのままではかわいそうだと思いましてね。

 そのころ、私が好きで観ていたのが『座頭市』のDVD。北野武監督のやつ。

 「そうだ、これを見せてみよう」

 名刀を手に入れた悪徳商人が、自分の使用人に試し斬りを命ずるシーン。
 たまたま通りがかった目の不自由な座頭市は恰好の餌食と思われた。名刀を抜いて上段に構える使用人。息を殺してそのまま座頭市の左側に回った。座頭市は気配、呼吸、わずかな物音から相手を正確にとらえている。座頭市の“仕込み杖”の柄に右手がかかった。
 使用人が息を継いで名刀を一気に振り下ろそうとする刹那、その「起こり」をとらえた座頭市が抜き打ちで名刀の柄を両断した。柄を斬ったのは相手が素人とみてのこと。

 息子は真剣に画面に見入っていました。

 「座頭市は刀が鞘(さや)に収まった状態から“一つ拍子”で斬っている。これは抜刀術というんだ。お前は鞘から抜いて、構えた状態から打つんだから、“一つ拍子”ができないわけがないよ。やってごらん」

 おもむろに竹刀をとって打ち込み台に向かった息子。

 スパァーン!

 「一つ拍子」の打ちができるようになった瞬間でした。


2019年4月30日火曜日

リバ剣 息子と稽古③ 一足一刀

「一足一刀」で打つために


さかのぼってやり直す


 前回の投稿で、2010(平成22)年8月当時の息子の剣道の現状について書きました。
 小1から剣道を始めた息子は当時小4。正しい剣道を伝えるためには、“正しくない”ところまでさかのぼってやり直すしかありません。息子との稽古はそこから始めました。

 まずは、「提げ刀」の姿勢から。次に、立礼の仕方。帯刀とは何か。そして蹲踞の仕方。初心者に教えることを一つ一つやり直す。私の真剣さに気づいたのか、息子も真剣にやってました。普段は友達みたいな“お父さん”も「剣道」となると別人だと思ったでしょうね。
 まあ、このへんまではすぐに矯正可能ですよね。息子も難なくできるようになった。問題は次、足さばき。

「一足一刀」で打てる“足さばき”


 剣道の入門書や稽古法の解説書など、“足さばき”についてはそれぞれの方法が書かれています。
 剣道の足さばきは“すり足”です。そこから、“送り足”と“歩み足”に大別されます。どちらも剣道に必要な足さばきです。
 私が子供の頃(昭和40年代)は、二足一刀など歩み足での刀法も習いましたが、最近は古流の道場にでも行かない限り、歩み足での刀法を習うことはなくなってしまいました。
 ですから、現在出版されている剣道の入門書などからは、歩み足に関する記述はほぼ、なくなってしまっています。(歩み足の刀法については、こちら
 
 そういった経緯は別にして、現代の剣道の入門書などには、最も大事な送り足の「目的」が書かれていない。なぜ、そういう“足さばき”をしなければならないのか。

 “送り足”を身に付ける目的は、攻め込みそして「一足一刀」で打つために、です。
 
 息子の場合、「一足一刀」で打つという目的のために、足さばきで直さなければならない点は三つ。

  1.  一つは撞木足(しゅもくあし)。構えた時に、左足のつま先が大きく外側を向いていました。「かかとを外側に持っていくような気持で」と指導したら、すぐに直りました。でも、しばらくすれば元に戻ります。これは、腰の遣い方がなってないから。
  2.  二つ目はその腰の遣い方。腰を左に開いて構えている。いわゆる「腰が入っていない」という状態。右足前、左足後ろにして立てば、腰は自然にやや左に開きます。これを「腰が入っている」状態にするためには、背骨を軸にして骨盤をわずかに右に回転させた状態で止める。すると腰の“開き”が矯正され身体を相手に正対させることができます。「腰を入れた」ことによって、撞木足に戻らなくなりました。
  3.  三つ目は、いざ打つとなると左足を継いでから右足を踏み出して打っているということ。ひどい時は、右足を追い越して左足を一旦前に出してから、右足を踏み出している。「二足一刀」になっちゃってるんです。構えた状態から左足を継がずに、そのまま右足を前に出して打つ。できない人にとっては簡単なことではないんですね、これが。息子は、この癖が完全に直るまでに、数年かかりました。

 この三つの点は、大人でもできていない人が多いですね。安易な稽古をしていると陥りやすいところです。私も肝に銘じています。 

「一足一刀」で打てる“構え”


 「そんな構えで打てるのか」

 息子と初めて剣を交えた時に、私が言った言葉です。
 “構え”は構えるためのものではなく、打つ(斬る)ためのものです。ここでも目的をはっきりさせなければなりません。

 “正しい構え”が形(かたち)だけのものであっては、意味がありません。身体の運用が正しくできている結果として、正しく構えられているのでなければなりません。
 一見、正しく構えているようでも、いざ打ってみると腰が開いてしまうっていう人よく見ますよね。身体の運用法が違っちゃってるんですね。腰の遣い方が違うんです。

 明治維新以前の日本人が「ナンバ歩き」という歩き方(または走り方)をしていたころは特段気にすることはなかったでしょう。(ナンバ歩きについては、こちら
 維新後、西洋化が進み、服装や歩き方も変化した。すると、剣道や、能、狂言、茶道などに見られる日本古来の歩き方をするには、正しい知識が必要になってしまった。
 日本古来の武芸は、当時の日本人が“常の歩き方”としていた「ナンバ歩き」を土台にして出来上がっているといっても過言ではありません。

 私が子供の頃は、こういったことを「腰をいれろ!」という表現で教えられました。腰が開いていれば、竹刀で腰のあたりを思いっきり叩かれる。体で覚えさせられたわけです。

 現在では「腰を入れろ」と言っている指導者はあまり見かけないですよね。ですから、腰が開いている子供を見ても放置しっぱなし。大人たちが、「腰を入れる」とはどういうことなのかわからないのです。たいていそういう場合は、その指導者自身が腰が開いていますよね。

 背骨を軸にして骨盤を右に回転させるようにして左足で蹴り、右足を前へ出す。「腰を入れる」の正体です。
 このような腰の遣い方をすれば、打った後の左足の引付けは自然とできます。引付けようと思わなくても引付けられるのです。そういう身体の運用法なのです。

 このように打てるようになれば、自然と腰の入った正しい構えになります。
 

「一つ拍子」で打つ


 正しい足さばきができ、腰を入れて打つことができるようになれば、「一つ拍子」で打てるようにします。教えなくても最初から「一つ拍子」で打つ子供もいます。息子は完全な「二つ拍子」。しかも、「これの何がいけないんだ」って言ってました。違いがわからないんですね。笑

 構えた状態からいざ打とうとすると、竹刀を振りかぶるのと同時に左足を継ぐ、そこで一度拍子をとりますから、竹刀の動きは頭上で一瞬止まります。次に竹刀を振り下ろしながら、右足を前へ出して打ちます。大きく打った場合の「二つ拍子」です。
 小さく打っても同じ。打つ前に左足が動きます。継いだり、構え直したりするのです。ここで拍子をとってますから、小さく打っても「二つ拍子」になっているのです。

 これは、大人でも直せない人はたくさんいます。「二つ拍子」である自覚がないんですね。
 しかし、子供の場合は必ず直ります。素直ですから自覚がなくても正しく伝えれば、できるようになります。

 私の息子ですか?
 かなりてこずりましたけどね。あることをきっかけに、“開眼”しました。笑
 次回に書きます。


2019年4月28日日曜日

リバ剣 息子と稽古② 「竹刀は刀」「一つ拍子」

大刀を腰に帯びるということ


子供であっても武士


 前回の投稿で、2010(平成22)年8月にリバ剣後初めて息子(当時、小4)と稽古した時、スポーツ化した現代の剣道に失望したことを書きました。私が子供の頃に、古流の裏付けのある剣道を学んだ経験を息子に伝えようと決めた。

 「竹刀は刀です。大刀を腰に帯びるということは、子供であっても一人前の武士ということ。子供扱いは一切しません。それがいやだったら、入会しないでください」

 1972(昭和47)年4月。小学2年生だった私が中山剣友会(現:市川市剣道連盟東部支部)に入会するにあたり、母親と一緒に受けた先生の説明です。(その道場についてはこちら
 帯刀するということ、大刀を扱うということ、それが竹刀であってもその覚悟を最初から求められたのです。

 この時点で現在の教え方とだいぶ違うんじゃないでしょうか。
 当時はそういう厳しさを子供たちに求めた一方で、大人たち、自分たちにもそれ以上の厳しさを課していたと思います。

 現在は、子供たちには厳しく指導しても、自分自身の稽古はあまりしないなんていう指導者がよくいますよね。子供たちを指導することだけが自分の"剣道"になっちゃってる人。そんな人は昔はいませんでした。自分はろくに稽古せずに子供たちを指導するなんてあり得ないことです。子供たちは皆、先生が苛酷な稽古をする後ろ姿を見て、自分たちもその厳しさに挑んでいったのです。

 自分の稽古をしっかりやらない人がどんなに厳しい指導をしても、子供たちはどこまでいっても「やらされ感覚」。自ら厳しさを求めようという心が養われているかどうか疑問ですね。

 そういった意味では、昭和の時代の道場は「子供にも厳しかったが、それ以上に大人が自分自身に対して厳しかった」と言えるんじゃないでしょうか。

まずは大人が自分を律し、厳しい稽古に挑むこと


 息子に剣道を「伝える」上で、まずはそこから始めました。
 できもしない、やりもしない人に誰がついていくでしょうか。そりゃあ、うわべだけは言うことを聞き、ついていくふりはしますよね。でも、それでは意味がない。剣道に限らず、息子に身につけてほしいのは、物事の形(かたち)ではなく本質です。
 
 物事の"本質"を見抜く力を養ってもらいたい。そのためには、「これが大人の稽古だ」という稽古を子供に見せること。もう、ここから息子との"真剣勝負"が始まったと思いました。
 大刀(竹刀)を腰に帯びるということは、他人に求める以上のものを自分に課すこと。わが身を律する修行だと思っています。

立ち姿で習った剣道がわかる


 リバ剣して子供たちと稽古するようになり、元立ちするようになって気づいたことですが、立礼をする前のお互いに向かい合った時の立ち姿で、その子がどんな剣道を習ったかが分かる。
 正しい基本を習っているかどうか。厳しい稽古をしているかどうか。そういうことが“立ち姿”から見て取れるのです。

 息子の立ち姿は、着装はまあきちんとできているが、「提げ刀」の仕方が適当。両足のかかとをつけずに立っている。体が静止していない。そんな状態から、立礼をしようとしている。
 初めて私が元に立ち、当時小学4年生の息子がその列にならび、順番がきて向かい合った時、正しい基本が身に付いていないことは一目瞭然でした。

息子の構え


目に留まったのは、撞木足(しゅもくあし)。
 中段に構えた時の左足のつま先が、大きく外側にむいているのです。

 撞木足であるということは、相手に正対していないということ。腰を開いて構えているわけです。
 こういう構えをしていれば、当然、腰が入らない。自分の正中線で刀を振ることができない。正しい打突の姿勢をとることができない。切っ先も自然に中心からは外れてしまいます。

 余談ですが、撞木足はアキレス腱断裂になりやすいという人もいます。

「一つ拍子」の打ち 


 最近は、1拍子(いちびょうし)という剣道家が多いようですが、私は本来の言い方である「一つ拍子」(ひとつびょうし)と言うことにします。

 初太刀で面を打ってきた息子。「二つ拍子」(ふたつびょうし)になっているんですね。
 これは致命的。まさに戦国時代であれば「二つ拍子」であることによって、相手に機を与え、命を落とすことになりかねない。

 大きく振りかぶって打つか、小さく鋭く打つかで、考えている方もいますがそうではありません。大きく振りかぶっても「一つ拍子」で打てますし、小さく鋭く打っても「二つ拍子」になってしまう人もいます。動作の大きさや、速さではないのです。もちろん、音楽用語としての“リズム”とは違います。

 その時の息子の打ち方は、面を打ってきた時に「いち、に」と打っている。「いち」で竹刀を振り上げ、「に」で振り下ろす。「いち」で振り上げた時に一度拍子をとっているんですね。だから振り下ろす時に「に」になってしまう。大きく振りかぶっても、小さく振りかぶらずに打っても同じこと。「二つ拍子」は「二つ拍子」です。

 「二つ拍子」でしか打てない、ということは、上達の妨げになるのです。
 
 剣道には、相手と自分のかかわりの中で成立する「理合」というものがあります。この理合を体現することは、稽古の重要な要素の一つです。

 「一つ拍子」で打つということは、理合を体現するための“前提”になります。「一つ拍子」で打てるようになってはじめて物毎(ものごと)の拍子がとれるようになる。独りよがりではない、相手と自分の運動世界がつくれるようになるのです。 

 「二つ拍子」で打っている人に、「一つ拍子」で打て、と言っても簡単に理解してもらえるものではありません。本人が「二つ拍子」で打っているという自覚がありませんから。

息子と私の稽古。まあ、こんなところからの出発でした。


2019年4月27日土曜日

リバ剣 息子と稽古① 原点に返る

剣道の伝え方


ウソはつけない


 2010(平成22)年8月。リバ剣して初めて息子と稽古したことを、前回の投稿で書きました。
 当時、小学4年だった息子。剣道を始めて4年目でしたが、基本が全くと言っていいほど身についていませんでした。

 小学生の指導は道場の指導者の先生方がいらっしゃいますので、基本的にはそちらに全てお任せしていました。
 しかし、一般の方の稽古に参加してきて、私のところに稽古をお願いしてきた子供には、正しい剣道を教えようと決めた。

 私にその決心をさせたのは、子供たちの"目"です。(その経緯はこちら

 「子供たちにウソは教えられない。本当のことを教えよう」

 そして、息子の"現状"がその気持ちを後押ししたのです。

古流は剣道の“親”


 私が小学生だった、昭和40年代後半。剣道の道場では大正生まれの先生方が元立ちに立たれていました。(その様子はこちら
 戦前から剣道をされていた方々ですから、当然、古流のいずれかの流派に属している方々です。「剣道家」は「古流」というバックボーンを持っていたのです。

 ご存知の通り、「剣道」とは、明治期に古流の剣術諸流派を統合したものです。「剣道」の源流は古流。いわば剣道の“親”です。
 剣道の“親”である「古流」を学べば、「剣道」が鮮明に浮かび上がってくる。現在の剣道で教えられている動作の一つ一つの“意味”が明確になり、何をどう「稽古」すればよいかを知ることが出来るわけです。

スポーツ化してしまった剣道


 私が30年ぶりに剣道を再開して一番驚いたことは、「剣道がスポーツ化している」ということです。

 スポーツという概念が日本に定着したのは昭和になってから。言うまでもなく、西洋から入ってきたものです。
 一方、剣道の源流である剣術諸流派(古流)の起こりは、平安後期から、鎌倉、戦国、江戸前期にかけて。

 剣道は数百年前に日本で生まれたその剣術諸流派(古流)を起源とする武道です。日本にスポーツという概念が入ってくるはるか前からあるわけです。

 その剣道を、戦後、スポーツの一種目としてそのカテゴリーに組み込んでしまった。
 それは、致し方ないことなのかもしれませんが、剣道の「スポーツ化」がここから始まったのは間違いありません。朱に交われば赤くなる、のことわざ通りです。

 そして、昭和の時代が終わるころ、古流というバックボーンを持った大正生まれの剣道家たちが世を去りました。

真実を伝える責務


 私の年代は、そういった大正期生まれの剣道家に、道場で剣道を習った最後の世代ということになります。
 当時を知る者はそれ故に、現在の剣道とのギャップに憂苦している方も多いのではないでしょうか。

 皆さんも、当時の教え方と現在の教え方が違うということは、これでなんとなく想像できると思います。
 教え方の“違い”があるのは、ある意味当然です。重要なのは、それで「正しい剣道」が伝わっているかどうかなのです。

 現在のスポーツ化した剣道で「正しさ」が伝わっているかどうか。甚だ疑問ですね。残念なことに。
 具体的な例を挙げて、揚げ足取りをするのはやめておきます。意味がありませんから。

 子供たちのあの“素直な目”は、いつも真実と理を求めているような気がしてならないのです。
 
 「もうこれ以上、しらばっくれるわけにはいかない」

 息子とともに、原点に返って稽古すると決めた。

 
 (「剣道のスポーツ化」についてはこちらのコラムをご覧ください)

2019年4月25日木曜日

リバ剣 日常の稽古④ 息子と初めての稽古

息子の変化


私のリバ剣が影響?


 2010(平成22)年1月に私がリバ剣した時には、息子は大変喜んでおりました。

 「息子さんの剣道が、急に変わりましたよ」

 毎回子供の付き添いで稽古の見学をしていたある保護者の方が、教えてくれた。

 それまでの息子の稽古の仕方は、まあ言ってみればチャランポラン。笑
 そんな態度で剣道をやっているのは息子だけ。妻は、それを見ていて恥ずかしかったと言っていました。

 それが、私がリバ剣して道場に通うようになったら、表情が変わり、気合が変わり、打ちが変わり、態度が変わったそうです。
 私は息子に注意したり、教えたりしていないのです。私は子供にとって"怖いお父さん"でもありません。

 その保護者の方曰く、「お父さんの稽古をする姿を見て、何か感じたんですね」

 私の“リバ剣”が、とりあえず息子には“影響”があったらしいです。笑

息子と稽古


 前回の投稿で、二段に昇段して一刀での稽古を解禁し、初めて子供たちと稽古したことについて書きました。2010(平成22)年の8月のことです。

 その中で、息子(当時、小4)との初めての稽古もかないました。その時息子は剣道を始めて4年目。

 私はリバ剣して以来、二刀でしか稽古しておらず、この日、一刀での稽古を解禁して、初めて小学生と稽古することに。
 最初は約束通りFJT君と。(その理由はこちら
 二番目に稽古したのが息子でした。

 お互いに向き合って立礼し、中段に構えて蹲踞の姿勢から立ち上がった。

 「これは、手入れをしていない盆栽と同じだな」

 息子の構えを見るなりそう思った。

 私は休日になると、美術館に行ったりすることがあります。最近は、盆栽展にも行くようになった。特に専門的な知識は何もありません。それらの鑑賞が好きなだけ。
 盆栽も、人間が愛情をもって“手入れ”をしてはじめて「盆栽」なのです。手入れをしなければ、ただの雑木です。

 「今まで申し訳ないことをしてしまった」

 そういう思いに駆られました。

 私が剣道経験者なのにそういうことを見てあげてなかった。
 リバ剣してからも、自分の稽古に夢中で、息子の剣道を見る余裕すらなかった。

 この時点で息子は「正しい基本」が身についていなかったのです。
 
 この日から、息子との"長い稽古"が始まった。この6年後、私が「急性リンパ性白血病」と診断されるまで。


2019年4月24日水曜日

リバ剣 日常の稽古③ 一刀解禁 子供たちと稽古

信念貫き、結果を出す


一刀解禁


 2010(平成22)年1月。浦安の道場でリバ剣直後に、「二刀で何らかの結果を出すまで一刀では稽古しない」と決意。(その経緯はこちら
 
 それは、子供たちとは稽古できないということを意味します。

 「FJT君がお父さんと稽古したいんだって」

 私よりも先にこの道場で剣道を始めていた息子(当時、小3)が私に言ってきた。
 しかし、その時は断るしかなく、FJT君(当時、小5)に、今は子供たちと稽古できないことを直接伝えた。(その様子はこちら

 「いつになったら、お父さんと稽古できるの」

 その後、息子にもこう聞かれてしまった。

 2010(平成22)年8月。二段の昇段審査を二刀で受審すると決め、これに合格すれば一刀での稽古を解禁しようと決めた。(その様子はこちら

 そして、二段合格。(その記事はこちら
 二刀で二段を受審し合格というのは、聞いたことがありませんし、そもそも二段を二刀で受審しようという人はいません。なので、これは「戦後初」なのではないかと、ひそかに思ってます。笑

 これでようやく、あの約束が果たせる。

最初は約束通りFJT君と


 「一緒に稽古できるようになったら、一番最初にやろうね」

 FJT君との約束です。

 二段を取得して、最初の浦安の道場での稽古。
 いつもは、竹刀袋には二刀用の大小を2本ずつ入れていましたが、この日は一刀用の竹刀(3.9 520g)1本も入れてきた。

 小学生の稽古が終わり、一般の稽古が始まる。
 意欲のある子供は、大人の稽古にも参加していいことになっている。
 小学6年になったF君と、4年になった息子の姿もあった。

 本当に最初に稽古してもらえるのか心配だったんでしょうね。FJT君が不安そうな顔をしてた。

 「FJT君、稽古しよう!」

 FJT君に歩み寄って声をかけた。すると、すぐにうなずいてニッコリ。
 待っていてくれたんですね。一緒に稽古してあげられない間、申し訳ない気持ちでいっぱいだったので、私も胸にジーンときてしまった。

 一人5分ぐらいの地稽古。この日は5人の小学生と一刀で稽古した後、大人と二刀を執って稽古しました。

子供たちのまなざし


 私にとって、子供たちとの稽古は初めてのこと。
 最初に稽古したFJT君は、この道場の小学生の中では一番強い子。よく打たれました。笑
 自分が小学生だった時に、先生方がどう稽古をつけてくださったか、思い出しながらやりました。まだまだ、上手な「元立ち」じゃなかったと思います。子供との稽古の中で、自分自身も上達しなければならないと、改めて思った。

 稽古中、子供たちの、ある共通点に気づいて感動してしまったんです。
 それは、子供たちの“目”。
 とても素直で、きらきらと輝いた、真剣なまなざし。
 そのまなざしで、無心で打ち込んでくる。

 「自分も子供の頃、こういう目をして剣道をやっていたのかもしれない」

 「子供と相対する時も、真剣に稽古しよう。学ばなければならないのは、大人のほうだ」

 打たれたのは“心”でした。
 

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