2019年5月26日日曜日

剣道二刀流 手の内の冴えが劇的に変化② 二天一流の片手素振り

片手刀法のための「正しい」片手素振り

重心位置をマークし頭上の正中線上に合わせてかまえる。
実際は竹刀ではなく木刀を使い、防具は着けずに素手で持つ。

二天一流武蔵会の片手素振りを習う


 前回の投稿で、現代剣道最高位の「範士」の称号をもつOOT先生(元警視庁剣道主席師範)から、直接、手の内に関するご指導をいただいたことを書きました。

 "相手を仕留める"ことができる「手の内」を身につけるには、正しい素振りで稽古することが重要で、OOT先生は奉職以来毎日数千本の素振りをされてきたとのこと。

 ならば、最初に「正しい素振り」を知らなければならない。私の場合は二刀なので、片手刀法のための「正しい"片手"素振り」だ。

 剣道をやっている方なら、片手素振りはしたことがあると思います。重い木刀を使ったり、普段は諸手で使用している竹刀をその時だけ片手で振るわけです。
 これは、「正しい片手素振り」を習得しようとしてやっているわけではなく、ウォーミングアップやトレーニングとしての"片手素振り"。片手刀法としての片手素振りではありません。

 私は、片手刀法のための「正しい片手素振り」を習得するため、二天一流武蔵会の稽古会でその方法を教えて頂きました。

軽い木刀で素振りをする


 一般的には、「木刀」といえば全剣連が規定する寸法で作られた木刀のことをさすと思いますが、古流諸流派で使用される木刀は、その流派によって形状が異なります。
 材質や太さ、長さや反りなどが違うのです。

 二天一流で使用される木刀の特徴は、細身で軽量であること。竹刀よりもやや軽くできています。
 これは流祖宮本武蔵が、二天一流「五方ノ形」を門人たちに伝えるにあたり、細身で軽い木刀を使用したと伝えられているからです。
 『五輪書』にあります「太刀の道」を、軽い木刀で修練し身に付ければ、重い真剣も刃筋正しく振ることができるということなのです。

 さて、その「正しい片手素振り」の方法ですが、二天一流用の木刀の大刀を使います。
 なければ竹刀よりも軽いものであればいいと思います。桐の木刀でもいいですし、竹刀の竹を2枚張り合わせてビニールテープで巻いたものでも構いません。

 まず、その木刀の重心位置にビニールテープなどでしるしをします。
 そして、姿見の鏡の前に立ち、上下太刀の構えをとります。慣れるまでは、小刀を持たずに大刀だけで構えます。ですから、片手上段の構えと言った方がいいかもしれません。小刀を持たない手は体側に下げます。

 正二刀の方でしたら右片手上段に、逆二刀の方でしたら左片手上段になります。(写真上)
 この時、両足は握りこぶし一つ半ぐらいの間隔をあけて、左右をそろえて立ちます。かかとも床に着けたままです。

刀の「重心」と自分の「正中線」(中心)


 ここで重要なポイントを、2カ所チェックします。
 
 1つは、構えた大刀の刃が相手に向いているかどうか。
 刃が天井を向いている方は、振った時の軌道が大きくなるので振り始めてから打突部位に到達するまでの時間がかかります。最短距離で振ることができないのです。お相手から見れば、"起こり"が丸わかりということになります。
 刃を相手に向ければ、その欠点が解消します。

 2つ目は、鏡の中の自分を見て、木刀の重心位置が頭の真上にきているかどうか。つまり、自分の正中線上に木刀の重心があることを確認します。(写真上)
 これが、ずれていては正しく振ることができません。二刀者の中には重心位置を無視して振っている方が多いのは事実です。しかし、それは竹刀だからできること。1㎏以上ある真剣であれば、刀の重心を無視して振ることはいろいろな意味で無理があります。(刀の「重心」についての考察はこちら

 次は、実際に木刀を振るわけですが、ここで重要になるのが「正中線」です。
 鏡に向かっているわけですから、自分の正中線はリアルタイムで確認できますね。
 正中線上にある木刀の重心を相手の打突部位のやや下、この場合は「面」の素振りをしますから、あごのあたりをめがけて押し出します。
 
 "押し出す"というのは、木刀の重心点の軌道が"弧"をえがくのではなく、振り終わりの位置まで重心点が"直線的"に移動するように振る、という意味です。

 この素振りの段階では、足は動かしません。前進後退しない。前進後退してしまうと反動が刀に伝わり、稽古すべき目的の部分が稽古できなくなってしまうからです。(足さばきをつかった打突は、次の段階の"打ち込み"で稽古します)

 この素振りは「正面」を打つ素振りですから、振り始めから振り終わるまで、木刀の重心点は正中線から外れることはありません。
 構えた時は、正中線からは離れた位置にあった大刀を握る拳(こぶし)も、振り下ろすと同時に胸の前あたりの正中線上にもっていきます。

 それで鏡の中の自分の「正面」を斬るわけです。

 ここで大切なのは、"剣先"を鏡の中の自分の「正面」にもっていこうとしないことです。
 剣先を打突部位に合わせようとすると、重心位置がブレます。太刀筋が不安定になるのです。
 では、どうするかと言えば、相手と「正対」していて、刀の重心点が終始正中線上にあり、振り下ろした時に拳が正中線上にあれば、当然のことながら剣先は正中線上にあります。つまり「正面」を斬ることができる。

 片手素振りをするときに意識するところは、「刀の重心点」と「拳の位置(柄頭)」の2点ということになります。
 

「太刀の道さかいてふりがたし」


 木刀の重心を知り、その重心点が直線的な軌道で移動するように振り、拳を中心にもってくる。結果的に、重心、拳、剣先、の3点が正中線にそろい、正中線を斬るわけです。

 この時、ある約束事を守らなければなりません。ある意味もっとも難しいことなんですけど……。
「太刀をはやく振らんとするによつて、太刀の道さかいて(さからって)ふりがたし。太刀はふりよき程に静かにふる心也」(『五輪書』水之巻より)
 刀は静かにゆっくり振るもの。早く振ろうとすれば、「太刀の道」に逆らって振ることになる、と武蔵は言っているのです。

 例えば、箸のような非常に軽いものの重心を感覚で割り出し、しかもその重心がブレずに早く振り続けることは、難しいと言っていいのではないでしょうか。
 ですから、軽い木刀で稽古することで、竹刀や刀が正しく容易に片手で振れるようになるということ。竹刀や刀も重量が違うだけで、重心位置はほぼ同じですから。

 このように、重心を意識して振ることを体に覚え込ませるのです。そうすることによって、意識しなくても刀の重心を遣った振り方ができるようになるわけです。
 このときに通った刀の軌道が、武蔵の言う「太刀の道」です。
 よって、この方法で素振りをすることが、「太刀の道」を見つけることになる、ということなのです。

ゆっくり静かに振る


 私は、二天一流武蔵会でこの片手素振りの仕方を習った時、ゆっくり静かに振るということは、立合いで求められるものとは、"真逆"のことを言っているようにしか思えませんでした。
 
 その時、その指導をしてくださった方が、私にこうおっしゃった。

 「ゆっくりゆっくりスローモーションのように振ってください。だまされたと思って、それを半年続けてください」

 私ね、素直ですからやりましたよ。毎日、数十本。
 
 そしたら2カ月続けたところで、あることが起こったのです。


※当ブログの投稿記事一覧はこちら


剣道二刀流 手の内の冴えが劇的に変化① O範士に頂いたアドバイス

元警視庁剣道主席師範 O範士の言葉で道が開ける


平成24年浦安市秋季市民剣道大会


 2012(平成24)年秋。浦安市秋季剣道市民大会に参加しました。
 この秋季大会は団体戦のみ。一昨年に初めて参加した時は惨澹(さんたん)たる試合内容でしたので(その試合の模様はこちら)、今回は何とかいい試合をしたいと思って参戦しました。(ちなみに、この前年の2011年は被災したためこの大会は中止になっております)

 試合は三人制の団体戦で、私のチームは平均年齢が45歳をこえるおやじチーム。私は先鋒です。一回戦のお相手は、20代前半の強豪校のOBチームでした。

 先鋒戦。私は打つ機会はあったのですが、キメきれずに旗が上がらず引き分け。
 続く中堅戦は、若手に二本とられて負け。
 最後の大将は、セオリー通り引き分けに持ち込まれて終了。チームの負けが決まりました。

 あっけない試合でした。
 この年は、春季大会では個人戦壮年の部で優勝してますし、お隣の市川市民大会でも個人戦で部門優勝しています。しかし、現役世代にはなかなか勝てない。
 ブランク30年から剣道を再開して3年がたち、日々の稽古も精一杯やっている。自分の二刀剣道はこのあたりで"頭打ち"なのかな、なんて思いました。

大会後の懇親会で


 大会が終了し、場所を移して所属道場の懇親会があり、出席しました。
 懇親会が始まってしばらくすると、所属道場の会長が、ある方を伴われて会場に入って来た。
 元警視庁剣道主席師範のOOT範士です。(注:「範士」とは現代剣道の最高位の称号です)
 OOT先生は市内在住で、浦安市民大会では大会顧問をされています。
 その方が、一道場の懇親会に突然現れたわけですから、驚いたのなんのって、急に緊張感が走りました。 

 席は、私の隣が二つ空いているだけ。まさかと思いましたが、お二人はそこへ。OOT先生は私の隣に座ったのです。

 OOT先生は今日の大会の講評をされ、皆さんからの質問にも丁寧にお答えになっている。
 その質問が途切れた時に、隣にいる私の方を向き、こうおっしゃった。

 「今日の試合で、二刀を執っていたのはキミか」

 「はい、そうです」

 「キミの片手打ちは、"手の内"が不十分だ。諸手で斬りかかってくる相手を片手で仕留める、そういう"手の内"を片手でやりなさい」

 私は内心、小躍りするほどにうれしかった。範士であるOOT先生が、手の内が不十分だとおっしゃっているということは、裏を返せばまだまだ伸びしろはあるということ。
 しかも稽古次第で、諸手で斬りかかる相手を片手で仕留められるようになると言っているわけですから、こんなに心強いことはありません。

「手の内」を稽古する方法とは


 OOT先生はこうもおっしゃっていました。
 「素振りをウォーミングアップ程度に考えている人が多いが、手の内の稽古は素振りでするんですよ。"正しい"素振りで」

 正しい素振りで稽古する……。OOT範士は一体どんな稽古の仕方をしていたのか……。
 気になって、後日、剣道誌のバックナンバーを調べると、OOT範士のインタビュー記事を見つけることができた。

 OOT範士は現役時代、あのしなやかで強い手の内を身に付けるために、素振りを1セット1,000本、それを一日に数セットやっていたとのこと。

 私は、まだまだ甘かったなと思いました。自分では稽古を相当やっているつもりになっていた。しかし、一流の方々は、それ相応の努力をされているんだと分かった。
 目の前に道がパァーッと開けたような気がしました。いえ、今目の前に一本の進むべき道が現れたという感じでしょうか。

 「まだまだやるべきことは、たくさんある」

 停滞していた私の二刀剣道が、「ゴロン」と音を立てて動き始めました。


2019年5月25日土曜日

平成24年市川市民剣道大会 三段以下45歳以上の部で優勝!

出身地の市民大会に出場


33年ぶりの参加


 2012(平成24)年10月14日、出身地であり、現在居住している浦安市の隣市である市川市の市民剣道大会に出場しました。
 この年は、リバ剣して3年目の年で、5月に開催された浦安市春季市民剣道大会では壮年の部で優勝している。(その様子はこちら
 その勢いを駆って、出場可能な大会は参加させていただこうと思い、まずは出身地で腕試しすることに。この大会への出場は中学3年生以来、33年ぶりになります。

三段以下45歳以上の部にエントリー


 私はこの時48歳。この年の8月に三段になったばかり。
 「三段以下45歳以上の部」というのは、リバ剣おやじとしては願ったりかなったりの部門。
 この部門へ出場するのは、私のようなリバ剣おやじか、ある程度の年齢になってから剣道を始められた方々です。ですから、試合経験や身体能力が突出した方がいない部門といえるのです。

 なので、四段に昇段すれば「三段以下45歳以上の部」にはもうエントリーできませんから、まずはこの部門で結果を出しておきたいという気持ちでした。

 この市川市民剣道大会の個人戦は約300名が参加し、9部門に分かれて試合が行われます。そして、それぞれの部門の優勝者が「市川市剣道選手権」として、トーナメント方式で総合優勝を争います。 

試合開始


 「三段以下45歳以上の部」の一、二回戦のお相手は同年代の剣道初心者の方でした。
 お相手の方々は、驚いたと思います。大会参加者300名中1人しかいない二刀者に、いきなり当たっちゃうんですからね。しかも対二刀は初めての体験でしょうから、戸惑っているうちに、二本とられてしまったっていう感じだったんじゃないでしょうか。
 私は難なく三回戦へと進むことができました。
 
 次のお相手は、前年まで毎年この部門で優勝していた方。同年代ですが、スピードとキレのある剣道をする方で油断はできません。
 しかし、試合が始まってみると、"待ち剣"で応じ技ねらい。ご自分なりに対二刀の作戦を練ってこられたのでしょう。
 ならばと、グイグイ間合いを詰めて、お相手が待ち切れずに打って出なければならないところまで攻め込んだ。
 我慢しきれなくなって打ちかかろうとする刹那を、「出ばな面」で仕留めました。

 準決勝と決勝は、いずれも高校で三段を取得後ブランク期間があり、最近リバ剣された方。どちらも剣道強豪校出身です。
 私は高校1年で初段のまま剣道から離れましたから、経歴では負けてます。苦笑(剣道継続を断念した理由はこちら
 しかし、気持ちでは負けまいと気合を入れ直して試合に臨みました。

 準決勝、決勝とも、延長戦になりましたが、辛くも勝って"部門別"で優勝しました。

市川市剣道選手権


 午後3時過ぎ。9部門の優勝者が出そろったところで、その9人による組み合わせの抽選が行われた。
 くじ引きの結果、私のお相手は「四、五段40歳未満の部」の優勝者に決まりました。
 この部門は、いわゆる現役世代。なんとういう、くじ運の悪さでしょうか。笑

 その「四、五段40歳未満の部」の優勝者は、25歳で強豪校(高校)の剣道部コーチ。年は若くても、剣道歴も試合経験も圧倒的に上です。
 「こんな人とやらなきゃいけないの」って思いました。汗
 
 「はじめ」の号令で、私が中段の構えから、上下太刀(二刀の代表的な構え、上段の構えの一種)に構えを変化させたその瞬間、のど元に衝撃を受けた。
 お相手の「突き」が決まっているんです。気づいた時には審判の旗は3本上がっていました。
 「これが現役世代の剣道か」
 試合開始早々、実力の違いを見せつけられた思いでしたが、なぜか心は落ち着いていました。

 「二本目」の号令がかかって、今度は私が攻める展開に。
 やはり、現役世代といえども対二刀には慣れていないようで、勝負に出てこない。一本先取しているので、当然、時間切れの一本勝ちも考えているはず。

 しかし、試合は始まったばかりで充分時間はある。私はあせることなく、打突の機会をとらえようと攻め続け、一本になりそうな打突がお相手に当たり始めた。すると、徐々にお相手が下がるようになってきたので、その下がり際に私の身体が反応してました。一歩踏み込んで豪快な「面」を打った。

 旗は3本上がり、これで一本ずつになって「勝負」に。
 すると、すぐに試合時間終了の合図があり、「やめ」の号令がかかる。

 延長戦です。開始線の位置に戻り、主審から「はじめ」の号令がかかった。
 その瞬間、お互いが大きく間合いを詰め、私は中段の構えから、思い切って大刀で「突き」を放った。

 審判の旗は3本上がっている。しかし、お相手の方に上がっているのです。
 私は、「突き」にいったときに、お相手が「面」にくるとみて小刀で自分の面を防御していましたが、「面」に当たっているように見えてしまったんですね。

 厳密には誤審ですけど、剣道ではよくあること。選手同士は自分の身体の感触がありますからわかっていますが、審判がそこまで判断することは難しい場面なのです。
 しかし、誤審を招くような状態をつくってしまったこと自体が、自分の稽古不足なのですから、致し方ありません。
 これを糧に稽古に励めばさらに自分が成長できるわけですから、負けにはなりましたけども、得たものは大きかったですね。
 現役世代の剣道を知る貴重な機会になりました。普段の稽古では得ることができない、試合ならではの成果です。

驚いた顔で


 「おいお前、どの部門で優勝したんだ」

 市川市剣道選手権の組み合わせの抽選のとき、上席にいた一人の先生が私に声をかけてきた。中学生時代、鬼のように怖かった剣道部の顧問、私の恩師です。

 驚いた顔をしてました。
 それはそうでしょうね。リバ剣直後にご挨拶した時は、ケガしない程度にやっとけよ、みたいな感じで、私の本気さに気づいていない様子でしたからね。(その様子はこちら
 
 この大会に出場したことで、恩師がリバ剣した私を自分の稽古相手として認めてくれるきっかけになったのです。

 またあの頃のように、恩師と剣道ができる。 
 それが一番うれしかったですね。

 

2019年5月21日火曜日

剣道 諸手刀法が"基本"で片手刀法は"応用"なのか

「一刀中段がしっかりできてから」という風潮


上段や二刀は剣道の「応用編」なのか


 2010(平成22)年に剣道を再開し、同時に二刀を執って稽古していると、左上段や二刀を執っていた若い剣士が、ある日、一刀中段に戻っていることを目にすることがある。

 理由を聞いてみると、高段の先生に「そういうことは、一刀中段がしっかりできてからやれ」と言われた、というのだ。

 現代剣道では、初心者に対し、右足前の「送り足」を教え、一刀諸手中段を教える。
 果たして、これが剣道の基本を教える唯一の方法なのでしょうか。

 実際問題として、初心者が道場や部活動で一人だけ違った方法で稽古をすることはできません。ですから、右足前の「送り足」で一刀諸手中段から稽古を始めることを否定するつもりはありません。

 しかし、どうも引っかかるのが「一刀中段がしっかりできてから」という考え方です。
 では、"一刀中段"がしっかりできる日はいつ来るのでしょうか。
 そして、"一刀中段"がしっかりできた状態とは、どういうものなのか。

 一刀中段が基本で、それが上達したものだけが左上段や二刀にすすむことができるような考え方に、結果的になっちゃってるんですね。言っているご本人はそういうことは意図していないのでしょうけど、残念ながらそうなってしまっている。

 これは、一刀中段を一生をかけて稽古されている方々に対して、大変失礼な話だと思います。
 「もうオレは、一刀中段はしっかりできるようになったから、明日からは左上段をやりまーす」なんて言う人がいたらどうします?
 「一刀中段の稽古をバカにしてるのかぁ」ってなりますよね。

片手刀法から諸手刀法へ


 歴史的にみて、世の東西を問わず、剣をとって戦う武術はすべて片手で剣を操作しています。
 書物や絵画、あるいはアニメや映画などを観ていて、日本以外で"両手"で剣を常に操作している場面を見ることはありません。フェンシングなどもそうですが、諸外国では剣を操作するのは"片手"です。

 では、日本だけが例外なのでしょうか。
 そうではありません。日本で刀を両手(諸手)で保持するようになったのは、室町中期以降と考えられています。
 これは、剣術諸流派の伝書や指南書、そして日本刀の拵(こしら)えを見れば明らかです。
 室町前期までの太刀の拵えは、柄(つか)が中ほどから峰側に大きく反り返っています。これを両手で持つことは不便です。片手で保持してなぎ斬りするようにつくられているわけです。ですから、太刀全体の反りも大きくなっているのが特徴です。

 子供の頃に剣道をやっていた方で、こういうことに気づいた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
 日本史の教科書に掲載されている絵画を見て、鎌倉や平安時代の武人が腰に提げている刀が、刃部が下を向いているということを。

 私は、小学生の時にこれに気づき、ずっと不思議に思っていました。
 というのは、剣道の道場で、提げ刀あるいは帯刀する時は、刃部は上に向け、峰を下に向けると教えられているからです。

 日本史の教科書に掲載されている絵画が、現在の剣道で教えられている通りの"提げ方"になっているのは、室町以降のものからです。
 ですから、この時期を境に、刀法が変化し、それに伴って太刀の形状が変化し、必然的に帯刀の仕方が変わったということがわかります。

 室町中期を境に、刀法が片手保持から両手保持(諸手)に変化し、それによって、太刀のいわゆる「打刀拵え(うちがたなこしらえ)」が誕生し普及していったのです。
 

両手保持は高度な刀法


 こうした経緯を見てみると、室町後期から戦国期の剣術諸流派の流祖たちによって、刀法が根底から変更され、両手保持(諸手)刀法が生み出されたといって、間違いありません。
 "根底から"ということは、ただ単に「片手」から「諸手」へ持ち方を変えただけではありません。
 身の置き方、歩み方、太刀の握り方と振り方、間合いと拍子、その一切を新たな原理に立て直しているのです。(なぜ刀法が変更されることになったかは、こちら

刀身一如の大原則


 こうして、戦国期に確立された諸手刀法。
 その特徴は「刀身一如」が大原則になっていることです。これが、現代の「剣道」に連綿と受け継がれてきているのです。

 では、「刀身一如」とは何でしょうか。これは、身体の移動と刀の動きを一致させることです。刀を諸手で持ち、身体もろとも打ちかかる刀法。まさに捨て身の刀法。一撃必殺の極意なのです。

 それ以前の、片手刀法といえば、身体は相手の太刀が届かない安全なところに置いたまま、片手を伸ばして敵を斬ろうとするわけですから、"刀法"といえるものではありません。偶然や、身体能力にたのんで、戦うわけです。
 室町以前の合戦は、馬上攻撃が主流ですから、諸手で太刀を持つことはできませんし、なぎ斬りする格好になるわけです。

 人が、偶然や身体能力の差で、生き死にする。そんなむごたらしい現実から、勝つ必然を極めて剣理を得たのが、刀身一如の諸手刀法であり戦国流祖たちなのです。

宮本武蔵の偉業

「先づ片手にて太刀をふりならはせん為に、二刀として、太刀を片手にて振覚ゆる道也」(『五輪書』より)
武蔵は、二刀とは片手刀法を稽古するためのものだと言っているのです。太刀は、一刀を片手でも両手でも振り、二刀を両手でも振る。そのために、普段から二刀を執って稽古していれば、他の二つは可能であるというのです。

 武蔵の生まれた戦国末期は、諸手刀法が全盛となっていた時代です。
 そんな時代に、やっぱり太刀は片手で振るものだ、と言っているのです。
 しかし、ここで私たち現代人が、注意深く認識しておかなければならないのは、武蔵は単なる片手刀法への回帰をうたったのではないということです。

 武蔵の二刀は、刀身一如の大原則を保持したまま、戦国流祖たちが到達した革新を極めて厳密に受け継いでいるだけでなく、一層鋭く自由なものに研ぎあげるための手段だと言ってもよいのです。

目指す剣理は同じ


 そういった意味で、室町後期以降を起源とする諸手刀法と二天一流の片手刀法は、極めんとする剣理は同じだといえるのです。
 違うのは、そのアプローチの仕方。諸手刀法なのか片手刀法なのか、一刀なのか二刀なのかだけなのです。

 ですから、一刀がしっかりできるまで、諸手左上段も二刀もやるべきでないとういう考え方は、「武道」である剣道を、一刀中段だけの"スポーツ"にしかねない、根拠のない発想といえるのではないでしょうか。

限りある寿命の中で


 人間だれしも永遠の命を授かっている人はいません。寿命には限りがあるのです。私は一昨年(2017年)に急性リンパ性白血病と診断され、身に染みてそれを感じています。

 歴史上に実在した戦国流祖たちが、まさに命がけでそれぞれ剣理への道程を示してくれたわけです。
 私たちが、どのアプローチの仕方で剣理の習得を目指すか。中段なのか上段なのか、諸手なのか片手なのか、一刀なのか二刀なのか。

 それをたった一つの方法に、他人から限定されたり、他人に対して強制したりすることは、愚かなことだと思うんですけど……。

 人生には限りがありますからね。自らが納得できる方法で「理」を追求したいものです。
 

令和元年 浦安市春季市民剣道大会 準優勝!

決勝で延長の末敗れる

準決勝

決勝

例年の"部門別"なし


 令和元年5月19日、浦安市春季市民剣道大会に出場しました。

 この春季大会は個人戦のみで、例年では40歳未満の青年の部と、40歳以上の壮年の部に分かれて行なわれておりました。そして、それぞれの優勝者が総合の決勝で対戦し、総合優勝を決定する大会です。

 しかし、当日会場入りしてビックリ。
 今回は"部門別"に分かれることなく、予選リーグを行ない、1位通過した者が決勝トーナメントに進出するという方式になっておりました。

 私はリバ剣して以来、過去3回、この大会の壮年の部で優勝しております。
 そして、その3回とも、総合の決勝で青年の部の優勝者に負けております。

 今年も、まずは部門別の優勝を目指しておりましたので、気持ちを切り替えて、予選リーグ通過に集中することに。

 予選リーグは3~4名で組まれており、私の組は3名。お相手二人は私よりも若い方でしたが、いずれも数年前に立会った経験がある方々。
 ということは、お相手も私の手の内を知っているということ。油断は禁物です。

予選リーグ


 お一人目は数年前に対戦しているのですが、どのような剣道をされる方なのか思い出そうとしてるうちに試合開始。
 蹲踞の姿勢から立ち上がるとすぐに、お相手の“起こり”が見えたのですかさず「出小手」。初太刀で一本先取。
 その後は、両者有効打突がないまま試合時間終了となり、一本勝ち。

 お二人目は7年前の三段審査の時のお相手の方でした。(その時の様子はこちら
 当時のこの方の剣道スタイルはよく覚えていましたが、あれから7年たっていますのでどう変化しているか。
 「はじめ」の号令で立ち上がり、すぐにこう思った。
 「稽古しているな」
 7年前とは違い、機をとらえて打突してくる。対二刀も研究していると見えて隙がない。
 しかし、時間がたつにつれ、攻めと打突が雑になってきた。
 私は歩み足で攻め込んでコート際まで追い詰め、お相手が打って出るしかない状況を作って、「出ばな面」で仕留めた。この試合も時間がきて一本勝ち。

 私は、2勝0敗で予選リーグを1位通過し、決勝トーナメントへ。

決勝トーナメント


 一回戦は、今までに数回対戦している方。最も対戦回数が多いお相手です。戦績は私が全勝していますが、毎回かなりの接戦で辛くも勝利している感じ。私の二刀を熟知しているお相手です。
 「研究されてるな」
 立合い開始とともに、すぐにそう思いました。
 お互い出す技すべて決まらず延長戦に。
 お相手を崩すことができず、私が苦しまぎれに打って出たはなを、お相手がとらえて打ってきた。
 「相面」です。
 3人の審判の旗は、赤2本、白1本に割れた。
 私が勝っていました。

 次は準決勝。初めて対戦する方でした。
 構え方から、どこを狙っているか察しがついてしまう場合があります。
 この方は、明らかに私の大刀側の小手を狙っているのです。
 私は正二刀(右手に大刀、左手に小刀を持つ構え)ですから、一刀中段に構えるお相手は、私の大刀側の小手を打つ場合は手首を大きく返して切っ先を左に回さなければなりません。
 私は、そのお相手の手首を返すはなをとらえて、「面」にいって一本。
 その後も、足で攻め込んで、お相手が攻め返そうとする刹那を「出ばな面」で仕留めて一本。これで二本勝ち。

決勝戦


 私の準決勝の試合が終わると、隣の試合会場でもう一組の準決勝の対戦が続いていた。
 この勝者が私と決勝で対戦するお相手になる。

 片方は、30代で剣道強豪校出身の方。もう一方は、20代で剣道強豪校出身で中学の剣道部顧問をされている方。

 「こんなすごい人たちとやるの」って思いました。笑
 
 昨年までは、壮年の部で優勝してから、総合の決勝で、青年の部の優勝者と対戦しましたので。とりあえず部門別ですが「優勝」は獲得していますので、気分的には楽でしたが、今回はこれに勝たなければ「優勝」はありません。

 決勝のお相手になったのは、20代の剣道部顧問の方でした。

 試合が始まると、対二刀の経験がまったくないことがすぐに分かった。
 しかし、お相手は年齢は若いが百戦錬磨の試合巧者。まったくといっていいほど、打つ機会が作れない。作れないというより機会はあっても自分が打つ体勢になっていない。微妙に構えが崩れているんですね。
 緊張や焦りでそうなっているのか、お相手の“攻め”でそうなっているのか分かりませんが、機をとらえることができずに時間だけが過ぎていきました。

 試合が延長に入り、お相手も上下太刀(二刀の代表的な構え、上段の構えの一種)を崩すのは難しいと思ってか、戦い方を変えてきた。つばぜり合いに持ち込もうとしている。
 こういう展開になれば、相手が狙っているのは“引き技”、と思った瞬間です。
 つばぜり合いから一瞬の隙をついて体当たりされ、わずかにバランスを崩したところを「引き面」を打たれた。

 旗は3本ともあがってました。

 すべてが、後手に回った試合でした。完敗です。

 リバ剣当初に決めた目標。市民大会を3年以内に制すこと。(その経緯はこちら
 期限はとっくに過ぎて、もう9年半。今回も"総合優勝"まであとわずかに及ばず。

 まだまだ修行しなさいってことですね。笑

 リバ剣おやじの挑戦は続きます!


追記
 冒頭の動画2本のうち、決勝戦の動画はビデオカメラのバッテリー切れで、途中で撮影が終わっております。申し訳ありません。
 最後まで収録されているものが見つかり次第、差し替えるつもりでおりますので、よろしくお願い致します。


2019年5月15日水曜日

剣道昇段審査③ 二刀で三段を受審

市民大会優勝で二刀を執っていく自信になった


改めて所属道場の皆さんに感謝


 前回の投稿で、2012(平成24)年の浦安市春季市民剣道大会の壮年の部で、リバ剣後初優勝した日のことを書きました。(その様子はこちら

 "アンチ二刀"だった市剣連会長が私の試合に感動して興奮しながらスピーチしたり、大会後、たくさんの剣士の皆さんから声をかけて頂きました。本当にありがたいことです。
 リバ剣してよかったと、心から思いました。

 小学2年で剣道を始め、5年生の頃には市の大会で優勝するようになりました。それから中学3年までは市内大会で負けたことは1度もありません。当時は子供の人口が多かったので、試合は全部学年別。言わば"部門別"です。
 今回の私も「壮年の部」という部門別の優勝ということで、これでやっとあの頃のレベルに戻すことができたんじゃないかなと思いました。
 しかし、目標はあくまでも総合優勝。まだまだ始まったばかりです。

 浦安の所属道場の先生方には、感謝の気持ちでいっぱいです。
 リバ剣して初段だった私がいきなり二刀で稽古し始めることができたのも、皆さんの理解があったから。これも奇跡的なことだったと思います。
 剣道界にはいまだに二刀に対する誤解や偏見は残っていますので、ある程度はそれを覚悟していました。しかし、この道場でそういったことで嫌な思いをしたことは一度もありません。本当にこの道場で剣道を再開できたこを幸運だったと思っています。(二刀に対する偏見とは、こちら

私との立合いを望んで


 市民大会の翌週あたりから浦安の所属道場にも、私との立会を望んで出稽古にお見えになる方が現れ始めた。
 壮年の部で優勝した二刀者とやらと稽古してみたい、と思ったんでしょうね。
 もし私が高段者だったら、そうは思ってもなかなか出稽古に来ずらいと思います。しかし、それがリバ剣おやじでまだ二段と聞いて、気軽に出稽古に来て頂いたんではないでしょうか。

 これは、私にとってはありがたいことで、自分の道場にいながら、普段お会いすることができない方々と交剣できるんですから、稽古の質が変わっていき、大変勉強になりました。
 
 最初はご近所の道場の方がお見えになることが多かったのですが、次第に遠方からもお見えになったり、驚くような経歴の方もお見えになるようになるのですが……。

 困ったことに、お見えになる方は皆、100%の確率で私よりも高段である、ということです。笑

 私は二段でしたからね、当然のことなんですけど。立合いを受けて立つほうが段が下なので、気持ちの上でのやりずらさは否めません。

そんなことを考えつつ、市民大会から3カ月後に、次の昇段審査の日がやって来ました。

三段審査


審査前に現れる人


 この2年前に二段を受審したときは、二刀で受審することに随分と迷いましたが(その時の様子はこちら)、今回の三段審査はまったく迷うことなく二刀で受審しました。

 しかし、段審査の日が近づいてくると必ずこう言う人が現れる。

 「二刀で段審査を受けても受からないよ」

 今回もいっぱい現れました。笑
 二段も二刀で受審して合格していますと伝えても、「三段はそうはいかないよ」って言うんです。二段を二刀で受審する方がよっぽど難しいと思うんですけどね。

 でもまあ、この時はこういう人の声にも惑わされることなく、審査当日を迎えることができました。

 2012(平成24)年8月12日。
 初段から三段の審査会場は、前回と同じ市川市の総合体育館。(二段受審の時の様子はこちら
 朝8時半に会場入りして着替えを済ませ、受付をしてウォーミングアップに入る。
 ほどなく開会式の時間となって、それぞれの受審段位の列に並んだ。

 三段を受審可能な年齢は高校1年生以上。ですから、受審者のほとんどが高校生です。
 私のような中年おじさんは非常に少ない。最後尾に並ぶ40歳以上の方は、私を含め3人でした。

審査開始 一人目


 審査は4人一組で受審します。自分以外の2人と1回ずつ立ち合いますので、審査を2回受けることになります。ですが、私たちの組は端数のこの3人。この日の受審者の中の"最年長トリオ"です。笑
 体育館のアリーナは3会場に分かれていて、私たちの審査が始まるころには他の2会場はすでに審査を終えていました。つまり、会場にいる全員が私たち3人の立会いを見るというシチュエーションです。

 一人目のお相手は男性で外国の方。
 「はじめ」の号令と共にグイグイ前に出てきた。間合いの攻防がまったくない。とにかく近間(ちかま)に入って打とうとしているのです。

 二段の審査までは基本ができていればいいんですけど、三段の審査は理合(りあい)がなければなりません。打突の機会をとらえている必要があるのです。

 しかし、こんなに近間にどんどん入って理合なしで打ってきたら、双方が不合格になる可能性がある。
 「これは、このお相手が打つ前にすべて仕留めてしまうしかない」
 瞬時にそう思って、お相手が中段に構えたまま近間に入ろうとするその刹那を、小刀でお相手の竹刀を斬るのと同時に大刀で面を打った。
 二天一流の「二か所同時斬り」です。

 5人の審査員が一斉に「うぉーっ!」と歓声を上げたのが聞こえました。審査員は、歓声を上げてはいけないんです。でも、上げちゃってる。

 お相手は、なおも同じ方法で近間に入ろうとしますので、すべて「二か所同時斬り」の面で仕留めた。手応えは充分すぎるほどありました。

二人目


 二人目のお相手は女性でした。
 その方は審査の順番を待っている時に、私の竹刀のが2本あり、そのうちの1本が小刀であるのに気づいて話かけてきた。
 「二刀流なんですか」
 その顔が、もう不安そう。

 そりゃそうですよね。審査に来て普段やったことのない二刀者とあたるなんて、「聞いてないよ」って感じだと思います。
 聞けば、30代の頃にお子さんと一緒に初心者から剣道を始めたそう。あまりに心細そうな顔をしていたので、こう伝えた。

 「二本の竹刀に惑わされないでください。ご自分の構えを絶対に崩さないように。私の面だけをねらって、打ち切ってください」

 二人目の立会いが始まりました。
 お相手はアドバイス通りに、堂々とした構え。
 でも、困惑したのは私の方で、あまりに素晴らしい構えで機が作れないんですよ。汗
 正直、あせりました。こちらの攻めに対して一切反応しないのです。
 余計なアドバイスをしちゃったなと後悔しました。苦笑
 
 反応しないなら打ってきたところを合わせれば、相面で仕留められるだろうと高をくくった、次の瞬間です。

 スパァーン!

 打たれたのは私です。バックリと面を打たれました。
 相手の“出ばな”を待つ。そのこと自体が「受け身」になっているんですね。完璧に打たれました。

 そのあと、私も何本かいい打突がありましたけど、審査員の目にはどう映ったんでしょうかねぇ。とにかく、面を打たれたことがショックでした。

 結果は、三段合格。
 お相手の二人も合格してました。

 閉会式がおわって観覧席に引き揚げようとすると、市川市剣道連盟会長のTNK先生が声をかけてくださった。実は二段のときと同様に、5人の審査員のうちの一人がTNK先生だったのです。(TNK先生とはこちらをご覧ください)

 「おめでとう。満票で合格してたよ」

 ホッとしました。
 

2019年5月13日月曜日

平成24年浦安市春季市民剣道大会 壮年の部で優勝!

リバ剣して2年半で優勝


前年は震災で1年間試合なし


 この前年(2011年)は東日本大震災で地元浦安市は液状化現象に。インフラの復旧に約1年がかかり、我々市民剣士が出場できる大会の開催がなくなった。
 それを好機ととらえて、基本の稽古を徹底してやり直すことを決めた。80歳まで上達し続けられる剣道の「土台」を作るためにです。(その稽古については、前回の投稿をご覧ください)

 この時の1年間は、試合のことを考えずに黙々と基本稽古ができた。リバ剣と同時に二刀を執るという、ある意味無謀な挑戦ですので気負いもありましたが、地に足がついた気がします。
 
 気づけばあっという間に1年がたち、震災後の初めての市民大会を迎えた。

だれも予想してなかった優勝


 当の本人も予想してません。笑
 前回の秋季大会その前の春季大会も“試合になっていない試合”をやってしまったので、今回は、そういう恥ずかしい試合はしたくないという一心でした。

 当日の朝はゆっくり起床。午前中は子供たちの試合なので、一般の部は午後から。春季大会は、団体戦がなく個人戦のみ。
 前回の大会までは、息子の試合も観戦してましたが、この時は家でひとり稽古してから昼ごろ会場入りすることにした。

 時計を見ると時間はたっぷりある。
 「部屋の掃除でもするか」
 なにも試合の日の朝にしなくてもよいものを、思い立って始めてしまった。

 掃除を終えると、すがすがしい気持ちになって、落ち着くことができた。
 その後、家で「打ち込み稽古」をするつもりでしたが、急に「二刀の形稽古」をしたくなった。「打ち込み稽古」でウォーミングアップするよりも、「二刀の形稽古」で理合(りあい)を確かめたくなったのです。

 そして、ひとり形稽古をみっちりやって、家を出た。

 会場入りしても、まったく緊張しませんでした。
 リバ剣して2年半、「リバ剣したばかりなので」なんて、もう言い訳できませんからね。
 稽古でやってきたことを、そのまま試合でやるだけです。

 私は「壮年の部(40歳以上)」にエントリーしました。
 基本に忠実に、機をとらえたら躊躇しない、打ったら打ち切る、1回戦から準々決勝までは淡々と勝ち進みました。

準決勝の相手はあの"お弟子さん"


 準決勝が行われる試合場に行くと、お相手はもう待っていました。
 高名な二刀者で範士のお弟子さんです。自慢の師匠がいるのに、私に片手刀法の基本を聞きに来たあの人です。(その様子はこちら
 そして、前回の秋季大会では団体戦で同じチームだったにもかかわらず、ネット上で私のことを批判していた人です。
 今、目の前に自信たっぷりで立っています。

 その方は逆二刀、私は正二刀です。相二刀の試合なんて私も初めてですし、会場にいる誰もが初めて見たと思います。

 試合が始まってみると、お互い防御の固い二刀同士ですから、なかなか相手を崩せない。しかも、お相手はやたらと手数を出してくる。
 あせってそうしているのか、勝つ自信があってそうしているのか分かりませんが、いずれにしても打突に理合(りあい)がないんです。

 私はそれに気づいた瞬間スッと冷静になり、「そんなに打ちたいんなら、面を打たせてやろう」と思い、小刀での攻めを緩めて前に出た。
 お相手はその“誘い”にのって、今だとばかりに面を打ってきたのです。

 もうその時、私の身体は自然に動いていました。

 小刀でお相手の面打ちを受けると同時に大刀で胴を打っていた。

 審判の旗は瞬時に3本上がり、これで一本。場内から「ウォーッ!」という歓声。
 その後、すぐに試合時間の終了の合図があり、一本勝ち。

 実はこの技、二刀の「面返し胴」といって、数時間前に家で形稽古をした時に、繰り返し稽古した技なのです。
 試合に勝ったことよりも、理合を体現した一本を取ることができたことの方がうれしかったですね。
 この時の打突の感触は今でも覚えています。

 お相手の“お弟子さん”は相当ショックだったんでしょうね。この大会を最後に、個人戦には出場しなくなってしまいました。かわいそうなことになってしまいましたが、勝負ですから致し方ありません。

 決勝戦は、市内のライバル道場の闘志むき出しの方とあたりましたが、なんとか勝つことができ、「壮年の部」で優勝しました。

総合の決勝


 部門別の優勝者が決まると、続いて総合の決勝です。

 私のお相手は「青年の部(40歳未満)」の優勝者で、24歳の方。千葉県剣道選手権大会でベスト16に入っている方です。

 ついに、ブランク30年のリバ剣おやじが、若手現役選手とガチンコ対決です。
 望んではいましたけど、本当にこんなことになっちゃったって感じです。
 しかし、不思議と緊張は一切しませんでした。

 試合は、一進一退の攻防がつづきました。私は、何度か機をとらえるチャンスがあったにもかかわらず、躊躇して逃してしまっていた。総合の決勝という舞台の雰囲気にのまれているんですね。これは、明らかに経験不足。リバ剣剣士の弱点です。

 両者とも有効打突がなく、制限時間がきて延長戦に。ここからは、一本先取した方が勝ち。

 やはり現役選手は試合巧者ですね。上下太刀(二刀の代表的な構え、上段の構えの一種)をどう攻略すればいいか分からなかったと見えて、引き技で一本を取ろうとしてきてている。
 私はそこまで解っていて警戒はしていたんですが、つばぜり合いからの引き際に私がすぐに大刀を上段に構えようとする癖を読み取っていたんですね。
 体当たりから「引き胴」を打たれた。やや元打ちでしたが、試合時間が長引くと、こういう打突でも旗が上がってしまうんです。
 私の負けでした。

 試合後は、たくさんの方が、私の壮年の部の優勝と総合の決勝の健闘を喜んでくれました。
 しかし、リバ剣直後に私が決めた目標はあくまでも総合優勝。(その経緯はこちら
 それが、できなかったことが悔しくてしょうがなかった。3年以内と期限を決めていましたから。

 まあ、現実は甘くないということですね。4年目以降も“総合優勝”を目標に挑戦し続けることを決めた。

「アンチ二刀」だった市剣連の会長


 表彰式の後、閉会式に移って、私の試合が意外な人の心を揺さぶったことを知った。
 浦安市剣道連盟会長(平成24年当時)のYSWR先生だ。

 この方は、「二刀流は邪道だ」と公言してはばからなかった方。

 それがなんと閉会式の会長のスピーチで、こんなに素晴らしい二刀の試合を見たのは初めてでだ、という内容の話をしたのです。しかも興奮気味に。笑
 そして、観戦していた小中学生に向けて、今日見た二刀の試合を忘れないようにとまで。

 正しい二刀を正しい剣の理合で体現すれば、誤解している人も変えることができるんだなぁと、他人事のように感心してしまいました。

 市剣連にはあと2人「アンチ二刀」がいるんですが、この方たちのことも、後のお楽しみに。

 閉会式が終了し、散会となった。
 するとすぐに、あの“お弟子さん”が私のところにやってきた。
 「おめでとう」
 笑顔で声をかけてくれた。

 私、その時つい聞いちゃったんです。「会長は、最初にどんな二刀を見て"アンチ"になったんでしょうかね」って。

 そしたら、「オレのだよ」ですって。汗

 気まずい空気が流れたのは、言うまでもありません。
 

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