2019年5月29日水曜日

平成25年浦安市春季市民剣道大会 壮年の部で準優勝!

壮年の部、決勝で敗れる

正二刀、上下太刀の構え、左足前
正二刀の上下太刀の構え

稽古量は充分、自信をもって試合に臨む


 2013(平成25)年5月。浦安市春季市民剣道大会に参加しました。浦安市民大会は春に個人戦、秋に団体戦を行なっています。なので、今回は個人戦のみ。
 この時私は49歳。壮年の部に出場しました。

 前回の投稿までに、OOT範士にアドバイスをいただいたのがきっかけで「手の内」の稽古に取り組み始めたことを書きました。
 その「手の内」の稽古を始めて半年たち、かなり自信もついてきた。稽古量を見ても、もうこれ以上は無理というところまでやっている。(当時の稽古メニューはこちら
 しかもこの前年、この大会部門別でリバ剣後に初優勝している。(その様子はこちら
 そうなれば、まずは壮年の部の連覇を目指すしかありません。
 
 しかし、この時私の段位は三段。この大会に出て、私より段位が低い方と当たったことはありません。皆さん私よりも高段。油断は禁物です。
 3回戦までは順調に勝ち進みました。
 

準決勝


 準決勝のお相手は剣道七段の方。私よりも若く剣道強豪校出身の公務員。稽古をする時間のいっぱいある人です。微笑

 試合が始まると、お相手は諸手上段に構えた。私は試合で上段の構えと対戦するのは初めて。
 お相手はひと振りで決めようとしているのか、無駄打ちしてこない。
 私の出ばなをとらえる自信があるようだ。しかし私は終始落ち着いていて、お相手の攻めに動かされることがないよう、機をうかがっていました。

 すると、お相手が徐々にいら立ちはじめた。
 諸手上段の方から見たら、正二刀は打つところがないんですね。諸手上段に対する正二刀は上下太刀(写真上)に構えているだけで、ほぼ完璧な防御になってしまう。

 主審の「やめ」がかかった。時間切れです。4分間の試合時間が、あっという間に感じました。延長戦は一本先取した方が勝ち。

 「延長、はじめ」

 主審の号令とともに諸手上段に構えたお相手。私がやや遅れて上下太刀に構えた瞬間、お相手は中段に構えを戻して突いてきた。

 「うぉーっ!」

 聞こえたのは観覧席からの歓声です。
 お相手が構えを中段に戻し「突き」にくる刹那、私の小刀がその竹刀を斬り落とし、同時に大刀が「面」をとらえた。
 考えて打ったのではなく、気づいたら体が反応して打突が完了してた。旗も3本上がってました。

決勝


 壮年の部、決勝。これに勝てば2連覇。
 
 ちょっと、おごりがありましたね。準決勝まで会心の試合をしてましたから。
 気持ちは、この後の"総合の決勝"の方にいっちゃってました。

 試合が始まりました。
 正直、あせりました。試合開始直後から。
 お相手は40歳の元実業団選手。私が仕掛けたり誘ったりする技が読まれていて、まったく通用しないのです。

 後で聞いた話ですが、この方は私と対戦したくてこの大会に参戦したそうで、事前にかなり研究されたそうなんです。
 立合いの中で、一本を取れる気がまったくしないのです。
 試合はまたも延長戦に。

 今から考えれば未熟でした。
 機をつくれないなら、お相手が打ってきたところを仕留めようと思ってしまった。
 そう思うこと自体が、もう受け身なんですね。
 初心者には通用しても、上級者には通用しませんよね。

 お相手が「面」に来たところを「面」で仕留めにいった。
 間に合うはずはありません、私が動かされてるんですから。勝敗はその時点で決まってました。

敗因は過信


 正しい片手素振りの稽古で、手の内の冴えが身に付き始めて、過信があったと思います。
 打突の速さと、手の内の冴えがあれば、なんとかなると。

 攻めて崩す、攻めて動かす、そういった「攻め」を軽視していた自分に気づかされました。

 試合で負けるのは、本当に悔しいですけど、必ず大きな発見があるんですよね。
 勝っていたら気づけないことなんです。
 
 今回も、克服すれば必ず成長できる課題をいただきました。
 

追記

 表彰式が終わって散会となり、着替えて会場を後にした。
 駐車場に向かう路地を歩いていると、後ろから小学生の低学年らしい子供と父親の声が聞こえてきた。

 「お父さん、今日、二刀流がいたね」
 「なかなか見られないんだよ。よかったね」
 「うん!」

 自分の子供の頃と重なっちゃいまして、熱いものがこみ上げてきました。
 そして、さらに精進することを心に誓いました。
 
 (子供のころ初めて二刀流を見たときの様子は、こちら



2019年5月28日火曜日

剣道二刀流 手の内の冴えが劇的に変化④ 二天一流「切っ先返し」

切っ先返しで打つ

竹刀の重心を知ることは重要
黒いビニールテープは竹刀の重心位置を示す

「切っ先返し」とは


 切っ先返し(きっさきがえし)という言葉。聞いたことある方もいらっしゃると思います。時代劇や剣豪小説などで見聞きしたことがあるのではないでしょうか。
 
 しかし大変残念なことに、ほとんどの場合誤解されて伝わっているんです、「切っ先返し」という刀法が。

 時代劇や剣豪小説に登場する剣術遣いが「切っ先返し」と称して繰り出す技は、たいていの場合、手首をひねりながら切っ先を大きく右から左に回したり、左から右に回したりして斬ろうとする。あるいは、袈裟斬りに振り下ろした瞬間、刀の刃の向きを変えて斬り上げる、といった動作をする。
 これらはいずれも「切っ先返し」ではありません。

 第一の構(かまえ)、中段。太刀さきを敵の顔へ付けて、敵に行相(ゆきあ)ふ時、敵太刀打ちかくる時、右へ太刀をはづして乗り、又敵打ちかくる時、きつさきがへしにて打ち、うちおとしたる太刀、其儘(そのまま)置き、又敵の打ちかくる時、下より敵の手はる、是(これ)第一也。

 これは、『五輪書』の一節で、宮本武蔵が約400年前に制定した「五方ノ形」(ごほうのかた)の一本目を、武蔵自らが解説した文章です。
 ここにある「きつさきがへしにて」とは、まさに「切っ先返し」のことです。

 "返す"という言葉には、"元に戻す"という意味があります。
 では、切っ先を元に戻すとは、どういうことなのでしょうか。

刀(竹刀)の重心を中心に回転させる


 切っ先(剣先)を元に戻す。どこに戻すかといえば、構えた位置、中心、打突部位などにです。しかも、戻すのは切っ先(剣先)だけ。

 「それってどういうこと?どうやって打つの?」って思うと思います。
 
 振り上げた刀(竹刀)を振り下ろすとき、打突部位に到達する寸前に、柄を握った拳(こぶし)を引き上げるのです。
 片手であればその拳です。諸手保持であれば柄頭にちかいほうの拳(通常は左手ですね)を鋭く跳ね上げるようにする。
 
 切っ先は打突部位に向かって振り下ろされていき、柄側は上方に跳ね上がる。
 つまり、刀の重心点を中心に、刀が回転する運動に瞬間的に変わるわけです。
 これが、「切っ先返し」であり、この方法で打突することを「切っ先返しの打ち」といいます。

 これは、片手刀法でも諸手刀法でもできます。
 普段、剣道で諸手で稽古していらっしゃる方々も、「切っ先返し」とは知らずにやっている方もいると思います。
 実際に、高段者の先生に竹刀で打突されて、「パクン」といい音がしてもまったく痛くない、という経験をしたことがあると思います。鍛錬したしなやかな手首を遣って、打突の瞬間に、竹刀を重心を中心に回転させているのです。

手の内の"冴え"


 前回の投稿までの3回にわたって片手刀法の「手の内」の稽古について記述しました。
 「手の内」は素振りで稽古することが大事であること。
 "正しい"素振りの仕方を知ること。 
 「太刀の道」をつきとめること。
 そして今回の、「切っ先返し」で振ること。

 正しい片手素振りの稽古を始めて半年たった頃には、毎日2,000本の素振りをやるようになっていました。右片手1,000本、左片手1,000本です。
 内訳は、朝出勤前に左右200本ずつで400本、これが1セット。昼休みに職場で1セット。夜、帰宅してすぐに2セット。就寝前に1セット。これで2,000本です。

 これを、やらなければならない数字として、自分に課したわけではありません。
 もっとやりたかったけど、これ以上は時間的に無理だったということです。(この4年後に急性リンパ性白血病と診断されるまで、毎日続けました。)

 これを実践していって身に付いたのは、手の内の"冴え"です。

 以前は、諸手で打ってくる一刀者に打ち負けることを恐れて、虚(きょ)をついて打っていったり、小刀でお相手の竹刀を押さえ込んで大刀で打つことばかり考えていました。
 しかし、手の内の冴えを身に付けてからは、お相手の動作を起こそうとする刹那を、仕留めることができるようになった。
 たとえ「相面」(あいめん)になっても絶対に打ち負けないという自信が持てたのです。
 自分の剣道が驚くほど変わりました。

 「キミは手の内が不十分だ」

 OOT範士のこの言葉がきっかけで、すべて始まったことです。(その時の様子はこちら
 剣道をやっていく上で、かけがえのない"財産"を手に入れることができました。
 OOT先生には、感謝しても感謝しきれません。


追記
 OOT先生は、元警視庁剣道主席師範で剣道八段範士。
 実は私と同姓で、住まいもご近所。しかし姻戚関係はありません。笑
 
 

2019年5月27日月曜日

剣道二刀流 手の内の冴えが劇的に変化③ 「太刀の道」で振る

素振りで「太刀の道」を探し出し、確認し、体得する


"ゆっくり振る"には忍耐が必要


 前回の投稿で、二天一流の片手素振りを習ったことについて書きました。(その内容はこちら

 極意は、ゆっくり静かに振ること。

 「それって、実践に役立つの?」って思いました。スローモーションのように木刀を振って、いったい何が身に付くのだろうと。
 しかし、指導してくれた方の言う通り、だまされたと思って、毎日やってみることにしました。

 正しい手順でゆっくり振ると、すぐに気づきました。
 「これはキツイ」と。
 前進後退してビュンビュンと早く振った方が、よっぽど楽です。
 50~100本はやろうと思っていましたが、あまりのキツさに集中力が続かず、初日は20本程度しかできませんでした。
 
 無理はせず、「正しく」集中してできる本数をやろうと決め、毎日少しずつ増やしていきました。
 そして、一週間がたち、一日に50本ぐらい振るようになった時、ちょっと変化があったのです。
 
 キツイと思いながらやっていた片手素振りが、キツくない。重いと感じていた木刀が、重くないのです。
 徐々にそうなったのではありません。一週間たったころ突如としてそうなったのです。
 これを継続していけば、もっと大きな変化が得られるのではないかという、期待が膨らみました。

 しかし、あせりは禁物。通常の速さで素振りをするならどんどん本数を増やせますけど、スローモーションでやってますからなかなかそうもいかない。50本ぐらいがちょうどいいと思い、そのペースで毎日続けました。

理想の素振りには「手応え」がある 


 ビュン!

 いつものように、スローモーションで素振りをしていたつもりが、突然、木刀が空気を斬った。目にも止まらぬ速さで振ったのです。
 そうしようとしたのではありません。力加減はいつもと同じ。木刀が勝手に走ったという感じです。

 二天一流の片手素振りを始めて2カ月が過ぎたころのことです。衝撃でした。

 「これが宮本武蔵が言う〈太刀の道〉なんだ」

 この時、木刀の抵抗をまったくといっていいほど感じなかったのです。気づいたら振り終わっていた。構えた位置から、振り下ろした位置まで、木刀が瞬間移動したような感じといったらいいでしょうか。
 木刀の重心を意識して、ゆっくり静かに"正しく"振り続けた結果の出来事です。

 宮本武蔵が『五輪書』の中で言う「太刀の道」とは、単なる軌道や刃筋のことではない、ということを体感した瞬間でした。
 
 腕力や筋力で、木刀の重量をねじ伏せて振るのではなく、「太刀の道」で振るということが解った。
 しかし、これはまだ"偶然"の域を出ない。何百回、何千回振っても「太刀の道」で振れるようになるために、片手素振りの稽古を続けました。
 ゆっくり振っても、ビュンと木刀が走ってしまう。なので、次第に素振りの本数も増えて、一日に数百本やるようになっていきました。

 本数が飛躍的に伸びたのはもう一つ理由があって、当初は右片手だけでやっていた素振りを、左片手でも同じ本数をやるようになったから。
 最終的には、正逆両方できる二刀者になるという目標がありますから。

とある日本画との出会い


 余談ですが、休日に当時小学生だった息子と美術館に出かけることが、たびたびあった。二天一流の片手素振りをやり始めたころのことです。
 ある美術展で一点の日本画の前に立ったとき、ハッと息をのんだ。

 『初夏浄韻』という題名のついた、深緑の木々が生い茂った山中にある小瀑を描いた絵です。後藤純男さんという日本画家の作品でした。
 山の中にたたずむ小さな滝。描かれた落水を見てこう思った。

 「滝の水は誰かによって垂直に落とされているのではなく、自らの重量で理に逆らうことなく垂直に落下している」

 片手素振りをしている時、構えた時は正中線上にあるのは木刀の重心だけ。(写真上)
 振り始めると、重心を正中線上に維持したまま拳(こぶし)を正中線上にもってきますから、剣先も正中線上にきます。太刀筋が正中線と一致するわけです。そのまま垂直に振り下ろせば「正面」を斬ることができる。

 この、正中線を「垂直」に振り下ろすということが、非常に難しいのです。
 垂直に真っすぐ振ろうと手首をこねれば微妙にずれる。鏡はウソをつきませんから、ハッキリそこが見えてしまうのです。

 『初夏浄韻』の絵を見た時、手首や腕の振り方の調節で木刀を垂直に振ろうとしていた自分に気づいた。
 木刀の重さでおのずから落下するその動きに、腕が加勢していくように振ればいいんだと分かったのです。

木刀の重さを引き出して振る


 後藤純男画伯の日本画を見て感じたことをそのまま素振りでやってみた。

 垂直に振れるんですよ。片手正面素振りの太刀筋が正中線に一致するんです。こういうことか、って思った。

 これで、片手刀法のための"正しい"片手素振りを理解できた。
 あとは、この稽古が、どう「手の内の冴え」に結びつくのかですね。


2019年5月26日日曜日

剣道二刀流 手の内の冴えが劇的に変化② 二天一流の片手素振り

片手刀法のための「正しい」片手素振り

重心位置をマークし頭上の正中線上に合わせてかまえる。
実際は竹刀ではなく木刀を使い、防具は着けずに素手で持つ。

二天一流武蔵会の片手素振りを習う


 前回の投稿で、現代剣道最高位の「範士」の称号をもつOOT先生(元警視庁剣道主席師範)から、直接、手の内に関するご指導をいただいたことを書きました。

 "相手を仕留める"ことができる「手の内」を身につけるには、正しい素振りで稽古することが重要で、OOT先生は奉職以来毎日数千本の素振りをされてきたとのこと。

 ならば、最初に「正しい素振り」を知らなければならない。私の場合は二刀なので、片手刀法のための「正しい"片手"素振り」だ。

 剣道をやっている方なら、片手素振りはしたことがあると思います。重い木刀を使ったり、普段は諸手で使用している竹刀をその時だけ片手で振るわけです。
 これは、「正しい片手素振り」を習得しようとしてやっているわけではなく、ウォーミングアップやトレーニングとしての"片手素振り"。片手刀法としての片手素振りではありません。

 私は、片手刀法のための「正しい片手素振り」を習得するため、二天一流武蔵会の稽古会でその方法を教えて頂きました。

軽い木刀で素振りをする


 一般的には、「木刀」といえば全剣連が規定する寸法で作られた木刀のことをさすと思いますが、古流諸流派で使用される木刀は、その流派によって形状が異なります。
 材質や太さ、長さや反りなどが違うのです。

 二天一流で使用される木刀の特徴は、細身で軽量であること。竹刀よりもやや軽くできています。
 これは流祖宮本武蔵が、二天一流「五方ノ形」を門人たちに伝えるにあたり、細身で軽い木刀を使用したと伝えられているからです。
 『五輪書』にあります「太刀の道」を、軽い木刀で修練し身に付ければ、重い真剣も刃筋正しく振ることができるということなのです。

 さて、その「正しい片手素振り」の方法ですが、二天一流用の木刀の大刀を使います。
 なければ竹刀よりも軽いものであればいいと思います。桐の木刀でもいいですし、竹刀の竹を2枚張り合わせてビニールテープで巻いたものでも構いません。

 まず、その木刀の重心位置にビニールテープなどでしるしをします。
 そして、姿見の鏡の前に立ち、上下太刀の構えをとります。慣れるまでは、小刀を持たずに大刀だけで構えます。ですから、片手上段の構えと言った方がいいかもしれません。小刀を持たない手は体側に下げます。

 正二刀の方でしたら右片手上段に、逆二刀の方でしたら左片手上段になります。(写真上)
 この時、両足は握りこぶし一つ半ぐらいの間隔をあけて、左右をそろえて立ちます。かかとも床に着けたままです。

刀の「重心」と自分の「正中線」(中心)


 ここで重要なポイントを、2カ所チェックします。
 
 1つは、構えた大刀の刃が相手に向いているかどうか。
 刃が天井を向いている方は、振った時の軌道が大きくなるので振り始めてから打突部位に到達するまでの時間がかかります。最短距離で振ることができないのです。お相手から見れば、"起こり"が丸わかりということになります。
 刃を相手に向ければ、その欠点が解消します。

 2つ目は、鏡の中の自分を見て、木刀の重心位置が頭の真上にきているかどうか。つまり、自分の正中線上に木刀の重心があることを確認します。(写真上)
 これが、ずれていては正しく振ることができません。二刀者の中には重心位置を無視して振っている方が多いのは事実です。しかし、それは竹刀だからできること。1㎏以上ある真剣であれば、刀の重心を無視して振ることはいろいろな意味で無理があります。(刀の「重心」についての考察はこちら

 次は、実際に木刀を振るわけですが、ここで重要になるのが「正中線」です。
 鏡に向かっているわけですから、自分の正中線はリアルタイムで確認できますね。
 正中線上にある木刀の重心を相手の打突部位のやや下、この場合は「面」の素振りをしますから、あごのあたりをめがけて押し出します。
 
 "押し出す"というのは、木刀の重心点の軌道が"弧"をえがくのではなく、振り終わりの位置まで重心点が"直線的"に移動するように振る、という意味です。

 この素振りの段階では、足は動かしません。前進後退しない。前進後退してしまうと反動が刀に伝わり、稽古すべき目的の部分が稽古できなくなってしまうからです。(足さばきをつかった打突は、次の段階の"打ち込み"で稽古します)

 この素振りは「正面」を打つ素振りですから、振り始めから振り終わるまで、木刀の重心点は正中線から外れることはありません。
 構えた時は、正中線からは離れた位置にあった大刀を握る拳(こぶし)も、振り下ろすと同時に胸の前あたりの正中線上にもっていきます。

 それで鏡の中の自分の「正面」を斬るわけです。

 ここで大切なのは、"剣先"を鏡の中の自分の「正面」にもっていこうとしないことです。
 剣先を打突部位に合わせようとすると、重心位置がブレます。太刀筋が不安定になるのです。
 では、どうするかと言えば、相手と「正対」していて、刀の重心点が終始正中線上にあり、振り下ろした時に拳が正中線上にあれば、当然のことながら剣先は正中線上にあります。つまり「正面」を斬ることができる。

 片手素振りをするときに意識するところは、「刀の重心点」と「拳の位置(柄頭)」の2点ということになります。
 

「太刀の道さかいてふりがたし」


 木刀の重心を知り、その重心点が直線的な軌道で移動するように振り、拳を中心にもってくる。結果的に、重心、拳、剣先、の3点が正中線にそろい、正中線を斬るわけです。

 この時、ある約束事を守らなければなりません。ある意味もっとも難しいことなんですけど……。
「太刀をはやく振らんとするによつて、太刀の道さかいて(さからって)ふりがたし。太刀はふりよき程に静かにふる心也」(『五輪書』水之巻より)
 刀は静かにゆっくり振るもの。早く振ろうとすれば、「太刀の道」に逆らって振ることになる、と武蔵は言っているのです。

 例えば、箸のような非常に軽いものの重心を感覚で割り出し、しかもその重心がブレずに早く振り続けることは、難しいと言っていいのではないでしょうか。
 ですから、軽い木刀で稽古することで、竹刀や刀が正しく容易に片手で振れるようになるということ。竹刀や刀も重量が違うだけで、重心位置はほぼ同じですから。

 このように、重心を意識して振ることを体に覚え込ませるのです。そうすることによって、意識しなくても刀の重心を遣った振り方ができるようになるわけです。
 このときに通った刀の軌道が、武蔵の言う「太刀の道」です。
 よって、この方法で素振りをすることが、「太刀の道」を見つけることになる、ということなのです。

ゆっくり静かに振る


 私は、二天一流武蔵会でこの片手素振りの仕方を習った時、ゆっくり静かに振るということは、立合いで求められるものとは、"真逆"のことを言っているようにしか思えませんでした。
 
 その時、その指導をしてくださった方が、私にこうおっしゃった。

 「ゆっくりゆっくりスローモーションのように振ってください。だまされたと思って、それを半年続けてください」

 私ね、素直ですからやりましたよ。毎日、数十本。
 
 そしたら2カ月続けたところで、あることが起こったのです。


※当ブログの投稿記事一覧はこちら


剣道二刀流 手の内の冴えが劇的に変化① O範士に頂いたアドバイス

元警視庁剣道主席師範 O範士の言葉で道が開ける


平成24年浦安市秋季市民剣道大会


 2012(平成24)年秋。浦安市秋季剣道市民大会に参加しました。
 この秋季大会は団体戦のみ。一昨年に初めて参加した時は惨澹(さんたん)たる試合内容でしたので(その試合の模様はこちら)、今回は何とかいい試合をしたいと思って参戦しました。(ちなみに、この前年の2011年は被災したためこの大会は中止になっております)

 試合は三人制の団体戦で、私のチームは平均年齢が45歳をこえるおやじチーム。私は先鋒です。一回戦のお相手は、20代前半の強豪校のOBチームでした。

 先鋒戦。私は打つ機会はあったのですが、キメきれずに旗が上がらず引き分け。
 続く中堅戦は、若手に二本とられて負け。
 最後の大将は、セオリー通り引き分けに持ち込まれて終了。チームの負けが決まりました。

 あっけない試合でした。
 この年は、春季大会では個人戦壮年の部で優勝してますし、お隣の市川市民大会でも個人戦で部門優勝しています。しかし、現役世代にはなかなか勝てない。
 ブランク30年から剣道を再開して3年がたち、日々の稽古も精一杯やっている。自分の二刀剣道はこのあたりで"頭打ち"なのかな、なんて思いました。

大会後の懇親会で


 大会が終了し、場所を移して所属道場の懇親会があり、出席しました。
 懇親会が始まってしばらくすると、所属道場の会長が、ある方を伴われて会場に入って来た。
 元警視庁剣道主席師範のOOT範士です。(注:「範士」とは現代剣道の最高位の称号です)
 OOT先生は市内在住で、浦安市民大会では大会顧問をされています。
 その方が、一道場の懇親会に突然現れたわけですから、驚いたのなんのって、急に緊張感が走りました。 

 席は、私の隣が二つ空いているだけ。まさかと思いましたが、お二人はそこへ。OOT先生は私の隣に座ったのです。

 OOT先生は今日の大会の講評をされ、皆さんからの質問にも丁寧にお答えになっている。
 その質問が途切れた時に、隣にいる私の方を向き、こうおっしゃった。

 「今日の試合で、二刀を執っていたのはキミか」

 「はい、そうです」

 「キミの片手打ちは、"手の内"が不十分だ。諸手で斬りかかってくる相手を片手で仕留める、そういう"手の内"を片手でやりなさい」

 私は内心、小躍りするほどにうれしかった。範士であるOOT先生が、手の内が不十分だとおっしゃっているということは、裏を返せばまだまだ伸びしろはあるということ。
 しかも稽古次第で、諸手で斬りかかる相手を片手で仕留められるようになると言っているわけですから、こんなに心強いことはありません。

「手の内」を稽古する方法とは


 OOT先生はこうもおっしゃっていました。
 「素振りをウォーミングアップ程度に考えている人が多いが、手の内の稽古は素振りでするんですよ。"正しい"素振りで」

 正しい素振りで稽古する……。OOT範士は一体どんな稽古の仕方をしていたのか……。
 気になって、後日、剣道誌のバックナンバーを調べると、OOT範士のインタビュー記事を見つけることができた。

 OOT範士は現役時代、あのしなやかで強い手の内を身に付けるために、素振りを1セット1,000本、それを一日に数セットやっていたとのこと。

 私は、まだまだ甘かったなと思いました。自分では稽古を相当やっているつもりになっていた。しかし、一流の方々は、それ相応の努力をされているんだと分かった。
 目の前に道がパァーッと開けたような気がしました。いえ、今目の前に一本の進むべき道が現れたという感じでしょうか。

 「まだまだやるべきことは、たくさんある」

 停滞していた私の二刀剣道が、「ゴロン」と音を立てて動き始めました。


2019年5月25日土曜日

平成24年市川市民剣道大会 三段以下45歳以上の部で優勝!

出身地の市民大会に出場


33年ぶりの参加


 2012(平成24)年10月14日、出身地であり、現在居住している浦安市の隣市である市川市の市民剣道大会に出場しました。
 この年は、リバ剣して3年目の年で、5月に開催された浦安市春季市民剣道大会では壮年の部で優勝している。(その様子はこちら
 その勢いを駆って、出場可能な大会は参加させていただこうと思い、まずは出身地で腕試しすることに。この大会への出場は中学3年生以来、33年ぶりになります。

三段以下45歳以上の部にエントリー


 私はこの時48歳。この年の8月に三段になったばかり。
 「三段以下45歳以上の部」というのは、リバ剣おやじとしては願ったりかなったりの部門。
 この部門へ出場するのは、私のようなリバ剣おやじか、ある程度の年齢になってから剣道を始められた方々です。ですから、試合経験や身体能力が突出した方がいない部門といえるのです。

 なので、四段に昇段すれば「三段以下45歳以上の部」にはもうエントリーできませんから、まずはこの部門で結果を出しておきたいという気持ちでした。

 この市川市民剣道大会の個人戦は約300名が参加し、9部門に分かれて試合が行われます。そして、それぞれの部門の優勝者が「市川市剣道選手権」として、トーナメント方式で総合優勝を争います。 

試合開始


 「三段以下45歳以上の部」の一、二回戦のお相手は同年代の剣道初心者の方でした。
 お相手の方々は、驚いたと思います。大会参加者300名中1人しかいない二刀者に、いきなり当たっちゃうんですからね。しかも対二刀は初めての体験でしょうから、戸惑っているうちに、二本とられてしまったっていう感じだったんじゃないでしょうか。
 私は難なく三回戦へと進むことができました。
 
 次のお相手は、前年まで毎年この部門で優勝していた方。同年代ですが、スピードとキレのある剣道をする方で油断はできません。
 しかし、試合が始まってみると、"待ち剣"で応じ技ねらい。ご自分なりに対二刀の作戦を練ってこられたのでしょう。
 ならばと、グイグイ間合いを詰めて、お相手が待ち切れずに打って出なければならないところまで攻め込んだ。
 我慢しきれなくなって打ちかかろうとする刹那を、「出ばな面」で仕留めました。

 準決勝と決勝は、いずれも高校で三段を取得後ブランク期間があり、最近リバ剣された方。どちらも剣道強豪校出身です。
 私は高校1年で初段のまま剣道から離れましたから、経歴では負けてます。苦笑(剣道継続を断念した理由はこちら
 しかし、気持ちでは負けまいと気合を入れ直して試合に臨みました。

 準決勝、決勝とも、延長戦になりましたが、辛くも勝って"部門別"で優勝しました。

市川市剣道選手権


 午後3時過ぎ。9部門の優勝者が出そろったところで、その9人による組み合わせの抽選が行われた。
 くじ引きの結果、私のお相手は「四、五段40歳未満の部」の優勝者に決まりました。
 この部門は、いわゆる現役世代。なんとういう、くじ運の悪さでしょうか。笑

 その「四、五段40歳未満の部」の優勝者は、25歳で強豪校(高校)の剣道部コーチ。年は若くても、剣道歴も試合経験も圧倒的に上です。
 「こんな人とやらなきゃいけないの」って思いました。汗
 
 「はじめ」の号令で、私が中段の構えから、上下太刀(二刀の代表的な構え、上段の構えの一種)に構えを変化させたその瞬間、のど元に衝撃を受けた。
 お相手の「突き」が決まっているんです。気づいた時には審判の旗は3本上がっていました。
 「これが現役世代の剣道か」
 試合開始早々、実力の違いを見せつけられた思いでしたが、なぜか心は落ち着いていました。

 「二本目」の号令がかかって、今度は私が攻める展開に。
 やはり、現役世代といえども対二刀には慣れていないようで、勝負に出てこない。一本先取しているので、当然、時間切れの一本勝ちも考えているはず。

 しかし、試合は始まったばかりで充分時間はある。私はあせることなく、打突の機会をとらえようと攻め続け、一本になりそうな打突がお相手に当たり始めた。すると、徐々にお相手が下がるようになってきたので、その下がり際に私の身体が反応してました。一歩踏み込んで豪快な「面」を打った。

 旗は3本上がり、これで一本ずつになって「勝負」に。
 すると、すぐに試合時間終了の合図があり、「やめ」の号令がかかる。

 延長戦です。開始線の位置に戻り、主審から「はじめ」の号令がかかった。
 その瞬間、お互いが大きく間合いを詰め、私は中段の構えから、思い切って大刀で「突き」を放った。

 審判の旗は3本上がっている。しかし、お相手の方に上がっているのです。
 私は、「突き」にいったときに、お相手が「面」にくるとみて小刀で自分の面を防御していましたが、「面」に当たっているように見えてしまったんですね。

 厳密には誤審ですけど、剣道ではよくあること。選手同士は自分の身体の感触がありますからわかっていますが、審判がそこまで判断することは難しい場面なのです。
 しかし、誤審を招くような状態をつくってしまったこと自体が、自分の稽古不足なのですから、致し方ありません。
 これを糧に稽古に励めばさらに自分が成長できるわけですから、負けにはなりましたけども、得たものは大きかったですね。
 現役世代の剣道を知る貴重な機会になりました。普段の稽古では得ることができない、試合ならではの成果です。

驚いた顔で


 「おいお前、どの部門で優勝したんだ」

 市川市剣道選手権の組み合わせの抽選のとき、上席にいた一人の先生が私に声をかけてきた。中学生時代、鬼のように怖かった剣道部の顧問、私の恩師です。

 驚いた顔をしてました。
 それはそうでしょうね。リバ剣直後にご挨拶した時は、ケガしない程度にやっとけよ、みたいな感じで、私の本気さに気づいていない様子でしたからね。(その様子はこちら
 
 この大会に出場したことで、恩師がリバ剣した私を自分の稽古相手として認めてくれるきっかけになったのです。

 またあの頃のように、恩師と剣道ができる。 
 それが一番うれしかったですね。

 

2019年5月21日火曜日

剣道 諸手刀法が"基本"で片手刀法は"応用"なのか

「一刀中段がしっかりできてから」という風潮


上段や二刀は剣道の「応用編」なのか


 2010(平成22)年に剣道を再開し、同時に二刀を執って稽古していると、左上段や二刀を執っていた若い剣士が、ある日、一刀中段に戻っていることを目にすることがある。

 理由を聞いてみると、高段の先生に「そういうことは、一刀中段がしっかりできてからやれ」と言われた、というのだ。

 現代剣道では、初心者に対し、右足前の「送り足」を教え、一刀諸手中段を教える。
 果たして、これが剣道の基本を教える唯一の方法なのでしょうか。

 実際問題として、初心者が道場や部活動で一人だけ違った方法で稽古をすることはできません。ですから、右足前の「送り足」で一刀諸手中段から稽古を始めることを否定するつもりはありません。

 しかし、どうも引っかかるのが「一刀中段がしっかりできてから」という考え方です。
 では、"一刀中段"がしっかりできる日はいつ来るのでしょうか。
 そして、"一刀中段"がしっかりできた状態とは、どういうものなのか。

 一刀中段が基本で、それが上達したものだけが左上段や二刀にすすむことができるような考え方に、結果的になっちゃってるんですね。言っているご本人はそういうことは意図していないのでしょうけど、残念ながらそうなってしまっている。

 これは、一刀中段を一生をかけて稽古されている方々に対して、大変失礼な話だと思います。
 「もうオレは、一刀中段はしっかりできるようになったから、明日からは左上段をやりまーす」なんて言う人がいたらどうします?
 「一刀中段の稽古をバカにしてるのかぁ」ってなりますよね。

片手刀法から諸手刀法へ


 歴史的にみて、世の東西を問わず、剣をとって戦う武術はすべて片手で剣を操作しています。
 書物や絵画、あるいはアニメや映画などを観ていて、日本以外で"両手"で剣を常に操作している場面を見ることはありません。フェンシングなどもそうですが、諸外国では剣を操作するのは"片手"です。

 では、日本だけが例外なのでしょうか。
 そうではありません。日本で刀を両手(諸手)で保持するようになったのは、室町中期以降と考えられています。
 これは、剣術諸流派の伝書や指南書、そして日本刀の拵(こしら)えを見れば明らかです。
 室町前期までの太刀の拵えは、柄(つか)が中ほどから峰側に大きく反り返っています。これを両手で持つことは不便です。片手で保持してなぎ斬りするようにつくられているわけです。ですから、太刀全体の反りも大きくなっているのが特徴です。

 子供の頃に剣道をやっていた方で、こういうことに気づいた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
 日本史の教科書に掲載されている絵画を見て、鎌倉や平安時代の武人が腰に提げている刀が、刃部が下を向いているということを。

 私は、小学生の時にこれに気づき、ずっと不思議に思っていました。
 というのは、剣道の道場で、提げ刀あるいは帯刀する時は、刃部は上に向け、峰を下に向けると教えられているからです。

 日本史の教科書に掲載されている絵画が、現在の剣道で教えられている通りの"提げ方"になっているのは、室町以降のものからです。
 ですから、この時期を境に、刀法が変化し、それに伴って太刀の形状が変化し、必然的に帯刀の仕方が変わったということがわかります。

 室町中期を境に、刀法が片手保持から両手保持(諸手)に変化し、それによって、太刀のいわゆる「打刀拵え(うちがたなこしらえ)」が誕生し普及していったのです。
 

両手保持は高度な刀法


 こうした経緯を見てみると、室町後期から戦国期の剣術諸流派の流祖たちによって、刀法が根底から変更され、両手保持(諸手)刀法が生み出されたといって、間違いありません。
 "根底から"ということは、ただ単に「片手」から「諸手」へ持ち方を変えただけではありません。
 身の置き方、歩み方、太刀の握り方と振り方、間合いと拍子、その一切を新たな原理に立て直しているのです。(なぜ刀法が変更されることになったかは、こちら

刀身一如の大原則


 こうして、戦国期に確立された諸手刀法。
 その特徴は「刀身一如」が大原則になっていることです。これが、現代の「剣道」に連綿と受け継がれてきているのです。

 では、「刀身一如」とは何でしょうか。これは、身体の移動と刀の動きを一致させることです。刀を諸手で持ち、身体もろとも打ちかかる刀法。まさに捨て身の刀法。一撃必殺の極意なのです。

 それ以前の、片手刀法といえば、身体は相手の太刀が届かない安全なところに置いたまま、片手を伸ばして敵を斬ろうとするわけですから、"刀法"といえるものではありません。偶然や、身体能力にたのんで、戦うわけです。
 室町以前の合戦は、馬上攻撃が主流ですから、諸手で太刀を持つことはできませんし、なぎ斬りする格好になるわけです。

 人が、偶然や身体能力の差で、生き死にする。そんなむごたらしい現実から、勝つ必然を極めて剣理を得たのが、刀身一如の諸手刀法であり戦国流祖たちなのです。

宮本武蔵の偉業

「先づ片手にて太刀をふりならはせん為に、二刀として、太刀を片手にて振覚ゆる道也」(『五輪書』より)
武蔵は、二刀とは片手刀法を稽古するためのものだと言っているのです。太刀は、一刀を片手でも両手でも振り、二刀を両手でも振る。そのために、普段から二刀を執って稽古していれば、他の二つは可能であるというのです。

 武蔵の生まれた戦国末期は、諸手刀法が全盛となっていた時代です。
 そんな時代に、やっぱり太刀は片手で振るものだ、と言っているのです。
 しかし、ここで私たち現代人が、注意深く認識しておかなければならないのは、武蔵は単なる片手刀法への回帰をうたったのではないということです。

 武蔵の二刀は、刀身一如の大原則を保持したまま、戦国流祖たちが到達した革新を極めて厳密に受け継いでいるだけでなく、一層鋭く自由なものに研ぎあげるための手段だと言ってもよいのです。

目指す剣理は同じ


 そういった意味で、室町後期以降を起源とする諸手刀法と二天一流の片手刀法は、極めんとする剣理は同じだといえるのです。
 違うのは、そのアプローチの仕方。諸手刀法なのか片手刀法なのか、一刀なのか二刀なのかだけなのです。

 ですから、一刀がしっかりできるまで、諸手左上段も二刀もやるべきでないとういう考え方は、「武道」である剣道を、一刀中段だけの"スポーツ"にしかねない、根拠のない発想といえるのではないでしょうか。

限りある寿命の中で


 人間だれしも永遠の命を授かっている人はいません。寿命には限りがあるのです。私は一昨年(2017年)に急性リンパ性白血病と診断され、身に染みてそれを感じています。

 歴史上に実在した戦国流祖たちが、まさに命がけでそれぞれ剣理への道程を示してくれたわけです。
 私たちが、どのアプローチの仕方で剣理の習得を目指すか。中段なのか上段なのか、諸手なのか片手なのか、一刀なのか二刀なのか。

 それをたった一つの方法に、他人から限定されたり、他人に対して強制したりすることは、愚かなことだと思うんですけど……。

 人生には限りがありますからね。自らが納得できる方法で「理」を追求したいものです。
 

注目の投稿です

宮本武蔵『独行道』「我事に於て後悔せず」を考察する

後悔などしないという意味ではない 布袋観闘鶏図 宮本武蔵 後悔と反省  行なったことに対して後から悔んだり、言動を振り返って考えを改めようと思うこと。凡人の私には、毎日の習慣のように染み付いてしまっています。考えてみれば、この「習慣」は物心がついた頃から今までずっと繰り返してきた...

人気の投稿です