2019年6月6日木曜日

剣道  歩み足で稽古する

画一化された剣道を打破


剣道は元々多様性の高い武道


 剣道を始めた時、最初に基本として習うのが「中段の構え」。
 "最初に"と言っても、何年やっても中段以外習わないと思います、大抵の場合。

 この「中段の構え」は、竹刀の柄(つか)の部分を両手で持ちますが、こんなふうに教えられます。
 「右手が鍔(つば)に近い部分を握り、左手は柄頭(つかがしら)に近い部分を握る」(右手前の中段の構え)と。
 足はというと、「右足を前、左足をうしろにして、左足のかかとをわずかに上げる」と教わります。

 しかしこれは、基本として教えられているのであって、「こうでなければいけない」という"決まり"ではありません。
 具体的には、竹刀の柄であればどこを握っても構いませんから、左右の手を入れ替えて左手前で構えることも可能です。
 足も同じで左足を前にして構えても反則ではありません。

 「中段」以外にも「上段」でも「下段」でも構えられますし、「八相の構え」や「脇構え」もできます。

 また、竹刀を左右どちらかの片手で構えて、片手で打突することもOKですし、二刀の使用も認められています。

様々な足さばき


 足さばきも「送り足」でするのが普通だと思われがちですが、それ以外に「歩み足」、「継ぎ足」、「開き足」とあります。
 技や理合(りあい)によって、遣う足さばきが変わります。

 しかし、現代剣道の特徴として、「送り足」がベースになっていて必要な時だけそれ以外の足さばきを遣う、ということが言えると思います。
 一方、最近はあまり見る機会がなくなったと思いますが、「歩み足」をベースにした剣道をされている方もいます。
 

"例外"を認めない風潮


 前述した様々な構えや刀法、足さばきなどは、昭和50年代ぐらいまでは自由に遣われていたように思います。

 そのころ実際に、一刀で左足前で左手前の中段の構えを執る選手がいました。(警視庁の方だったと記憶しております)
 現代ではどうでしょうか。
 そういう構え方をしている人はまず見ないと思います。
 そういった"例外"を認めない風潮になってはいないでしょうか。

"標準"という既成概念を作ってしまう人


 今から5年ほど前に、私の出身中学に在籍していた生徒で、隻腕の女の子がいました。(この子は、生まれながらにして、左腕のヒジから先がありません)
 中学で剣道部に入部して初心者から始め、持ち前の負けん気の強さで、人の何倍もの努力をした。
 部活動の外部指導者で、警視庁出身の方が片手刀法を教えてめきめきと上達。中学2年になると、市内では優勝を争うほどの選手になっていた。
 すると、ある学校の剣道部顧問から、クレームが入った。「柄(つか)で右小手を防御するのはズルい」というのです。
 この女の子は、右片手で竹刀の柄(つか)の鍔(つば)に近いところを持ちます。
 「面」を防御する時は、竹刀を頭上で水平にします。その時、「面」と同時に「右小手」も柄で防御されているというのです。それがズルいと。

 剣道高段者の教員がこんなクレームを入れるんですよ。信じがたいと思う方もいるかもしれませんが事実です。

 そして、市内の中学校の剣道部顧問を集めてローカルルールを作ってしまった。高段者で、強豪校の顧問が音頭をとっているので、誰も異論を唱えられないんです。
 片手で竹刀を持つ場合は、柄頭(つかがしら)に近い方を握らなけらば反則とする、というありえないローカルルールを作ってしまったのです。
 繰り返しますが、全剣連の規則では竹刀の柄であればどこを持ってもいいんです。だから「柄」なのです。持ってはいけないところがあるのなら、それは「柄」ではありません。

 そのクレームを入れた方の考えでいくと、いろいろと不都合なことになるんじゃないでしょうか。
 両手で竹刀を持った人が、中段に構えたら、左右の「胴」が隠れます。諸手左上段の人が構えれば、「面」が隠れます。それをズルいというんでしょうか。 
 普通と違うということが受け入れられないんですね。おかしなルールを作ってまで排除してしまう。教員がよってたかって、何の落ち度もない隻腕の女子生徒を追い詰めるんですよ。
 この隻腕の女子生徒は、大人たちに理不尽なことを言われながら剣道をしたくない、と言って、剣道をやめてしまいました。

 私が二刀を執っていて、試合中に審判から暴言を吐かれたこともあります。
 「打つところがないじゃねえか」
 こう言ったのも、ある強豪校(高校)の剣道部顧問です。その時私と対戦していたのは、その高校のOBだったのです。
 確かに、二刀は一刀と比較すると防御にすぐれていると言えます。だからといって、試合中に審判がそんなことを選手に向かって言うんですからね。この人も、もちろん教員です。

 他人と違うということが許せない。最近は、教員たちだけではないように思います。
 両手で1本の竹刀をもって、右手前で中段に構え、右足前の送り足でする剣道。これが"標準"になってしまって、それ以外が許せないという。
 剣道を知らない剣道家が非常に多くなってきている気がしますね。指導者や高段者といっても、剣道を解っているわけじゃない。
 そう感じている人は、多いんじゃないでしょうか。

陰陽の足


 そういった現代剣道の状況の中にあっても、剣道の多様性を信じて、「歩み足」で剣道をやってみたいと思う方はいらっしゃると思います。

 私もその一人。子供のころに通った道場で、「歩み足」で攻め、「歩み足」で打突する剣道をされている方を見ていましたので、今になってやってみたいと思うんです。
 30年のブランクから剣道を再開して、古流である二天一流と出会い、「歩み足」の剣道を学ぶ機会を得ました。まず、知っておかなければならないのが、「陰陽の足」についてです。

 先に踏み出す足(右足前で構えた場合は右足)が「陰の足」、あとから引付ける足が「陽の足」です。
「陰の足」から「陽の足」に動作が移る瞬間が、"物打ち"で打突する瞬間です。

 送り足で稽古する場合は、右足前であれば「陰の足」は右足に固定されています。左足は「陽の足」で替わることはありません。
 一方、歩み足で稽古する場合は、それが切り替わる。踏み出す足が替わりますから、そのつど「陰の足」が切り替わる。したがって「陽の足」も切り替わります。この切り替わりが連続した状態が歩み足だともいえるわけです。

歩み足の前提は「ナンバ歩き」


 左右の足を交互に出して進むだけなら、ただ歩けばいいだけなので難しいことではありません。
 しかし立合いですから、打突できなければなりません。右足前でも左足前でも。しかも瞬時にです。

 この「歩み足」での打突の前提になる動作が、「ナンバ歩き」の動作です。(ナンバ歩きとは、こちら

 「ナンバ歩き」というと、手と足を一緒に出す歩き方でしょ、という方が多いと思いますが、ちょっと違います。
 歩くときの腰の遣い方をある動作に変更すると、結果的に手と足が一緒に前に出ます。
 ですから、重要なのは手と足が一緒に出ることではなく、腰の遣い方なのです。
 その腰の遣い方は、打突する時の腰の遣い方と一致します。これは「送り足」でも「歩み足」でも同じです。特に「歩み足」の場合は「陰陽の足」を切り替えて、瞬時に打突できなければならないので、「ナンバ歩き」の稽古は必須です。

二刀流で歩み足を実戦


 最近の二刀者は「送り足」のままの方がほとんどのようですが、昭和50年代までの二刀流は皆「歩み足」でした。
 
 私の場合、リバ剣と同時に二刀を執って、歩み足の剣道に取り組み、実戦で「歩み足」の打突ができるようになったのが、3年目です。市民大会で優勝するようになった時期と一致します。

 「歩み足」で攻め、「歩み足」で打突できるようになって何が変わったか。
 強い「攻め」ができるようになり、打突の機会は倍以上になったことです。

 例えば、一刀中段同士で立合った場合、表からの攻めしか知らなかった方が、裏からの攻めを覚えれば、打突の機会は飛躍的に増えます。
 それと同じように、「送り足」で右足だけを「陰の足」としていた方が、「歩み足」で左右両方を次々に「陰の足」に切り替えて攻め込み、どちらの足が前であっても瞬時に打突できれば、その機会は倍増しますね。

 私は、一刀でも二刀でも「歩み足」で剣道をされることを心からおすすめします。
 日本剣道形がなぜ「歩み足」なのか。おのずと解ってくるのではないでしょうか。

 画一化された世界に閉じ込められた状態から、その殻を破って「理」と一体になる。
 殻を破る方法は人それぞれ違うと思います。
 私はこんな方法で、「理外の理」を知ることができた。
 剣道というのは、本当に奥深いものですね。さらに精進します。


追記

 「ASIMO」(アシモ)という二足歩行ロボットの歴史を切り拓いた存在を、皆さん憶えていらっしゃるでしょうか。
 当時の研究者たちが、開発段階での失敗の連続から最後にたどり着いたのが「ナンバ歩き」。
 その歩き方を実践する剣道家を招いて研究者たちが「ナンバ歩き」の講義を受け、ロボットの二足歩行の成功につながったことは、あまり知られていませんね。



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2019年6月4日火曜日

平成26年浦安市秋季市民剣道大会 団体戦壮年の部で優勝!

リバ剣後、初めての団体戦優勝


"おやじチーム"結成


 2014(平成26)年10月。浦安市秋季市民剣道大会の団体戦壮年の部に出場しました。
 この秋季大会は個人戦は行なわれず、3人制の団体戦のみ。

 2010(平成22)年に出場した時は、年齢による部門分けはなく、若手チームに敗北。(その時の模様は、こちら
 今回は、40歳を境にして部門別で行なわれるということで、おやじチームを結成して参戦することにしました。

 前回までは、団体戦のメンバーの編成は、所属道場の先生にお任せしていました。
 しかし、今回は優勝を狙えるチームを作りたいと思い、自分で決めさせて頂きたいとお願いし、了承された。

 所属道場には、市民大会の個人戦で優勝経験がある方が、私以外に数名いらっしゃる。
 そのうち、道場の稽古に毎回来られている方は2人。
 その方々に声をかけさせていただき、すぐに"OK"の返事をもらいました。

 最初に声をかけさせていただいたのは還暦を迎えたばかりの男性。10年ほど前に市民大会個人戦で優勝したことがある方。他の道場からは曲者(くせもの)としていつも試合では警戒されている。一本を取るのが非常にうまい試合巧者です。

 もう一人は、40代半ばの男性。私と過去に個人戦で対戦したことがある方。高名な二刀者のお弟子さんで逆二刀の方です。(対戦した時の模様はこちら
 この方も数年前に、個人戦で優勝経験があります。

 お二人とも、学生時代に剣道三段を取得したそうですが、最近は段審査を受けておらず三段のまま。
 このころ私はリバ剣して4年目で50歳、三段を取得したばかり。
 壮年の部の中では最も平均段位の低いチームです。笑

 順番は年齢順にしましょうということになって、逆二刀者が先鋒、私(正二刀)が中堅、曲者が大将で試合に臨むことになりました。

試合当日


 会場入りの時間になっても、大将が来ない。電話をかけても応答がない。
 午前中は小学生の部が行なわれ、午後が一般の部なんですが、昼になっても連絡もつかない。
 どうしたことかと気をもんでいると、一般の部開始直前になって会場に姿を現した。

 顔色が悪い。体の具合が悪いのが一目で分かった。
 体に力が入らないらしい。前日までの稽古のやりすぎです。
 疲労のピークが試合当日にきてしまう、最悪のパターン。年配者がやりがちですね。(実は数年後に、私も千葉県選手権大会に出場したときに、やってしまった。その様子はこちら
 出場をあきらめるよう言いましたが、本人は大丈夫の一点張りで出場するという。
 ならば絶対に無理はしないで、と言うしかありませんでした。

試合開始


 私たちのチームは3人のうち2人が二刀者ですから、お相手はかなりやりずらそうにしている。
 準決勝までは順調に勝ち進みました。まさに快進撃って感じ。

 先鋒は引き分けはあるものの負けなし。
 中堅の私は全勝。ここまでの試合は、勝ち点を確保したまま大将に回すことができた。
 体調が心配された大将は、無理をせず全試合引き分け。
 あれよあれよという間に決勝戦です。

決勝


 決勝戦のお相手は、地元のライバル道場チーム。段位も経験もお相手の方が上です。

 試合は接戦になりました。
 先鋒の逆二刀者はチームの中で最も試合慣れしている方ですが、かなり苦戦している。有効打突なく引き分け。
 続く中堅の私もいいところなく、引き分けてしまった。
 これはやってはいけなかったこと。体調が悪い大将に勝負をゆだねる形になってしまった。今大会で、初めて勝ち点なしのまま大将戦に。

 こちらの大将は無理ができないため、防戦一方になるんじゃないかと思った。
 そういう展開になれば、負ける確率が高くなる。なんとか試合時間いっぱいしのいで、引き分けに持ち込んでくれればと固唾をのんで見守った。
 
 大将戦が始まって目に飛び込んできたのは、信じられない光景です。
 あれだけ具合が悪かったのを無理に出場したんですから、決勝までくればとっくに限界を超えているはず。なのに、グイグイ攻めて一本を取りにいっているのです。
 実力のあるお相手ですから、守りに入れば負けてしまうとわかってのことなんですね。
 しかし、体に力が入らないらしく、打っても打っても弱い打突にしかならない。とても一本になりそうな打ちじゃないんですけど、気持ちでどんどん前に出て行っているんです。

 私、見ていて感動して涙がでそうになっちゃいまして、曲者(くせもの)どころじゃない、本当に素晴らしい試合を見せてもらいました。
 そして試合時間が終了し、引き分けになった。

代表戦


 驚きと感動の余韻に浸っているところに大将が戻ってきて、私に声をかけてきた。
 代表戦の選手に私を指名したのです。私は我に返って"面"を着けた。
 大将の「勝ち」に対する執念を目の当たりにし、勝つこと以外ありえないと思いました。

 代表戦のお相手は先鋒を務めた方。年齢も私より若いし、段位も上です。
 しかし、もはや相手は誰でもいいって感じです。力はみなぎっていました。
 試合開始直後、豪快な「出ばな面」で仕留めました。

 リバ剣後、団体戦での優勝はこれが初めて。素直にうれしかった。個人戦の優勝とはまた違う喜びがありますね。
 リバ剣しなかったら、こんな気持ちは味わえなかった。チームワークの勝利です。

 なんといっても、還暦をすぎて、しかも体調が悪いにもかかわらず、最後まで大将としての役割を果たそうとする姿に、心を打たれた方は多かったと思います。
 もう、曲者なんて言う人、いないんじゃないでしょうか。笑


 今回、結成した"おやじチーム"。翌年の秋季大会も旋風を巻き起こすことになります。


2019年6月3日月曜日

平成26年 第13回剣正会オープン剣道大会 初出場で団体3位

ユニークな剣道大会


リバ剣後、市民大会以外は初めて


 この大会の存在を知ったのは、この1年前(2013年)。
 「オープン大会に出ないんですか?」
 ある若手実業団選手に声をかけられたのがきっかけでした。

 どんな大会か聞いてみると、エントリーすれば誰でも出場可能で、年齢、居住地、職業、経歴は多様。しかも、そこそこハイレベル。
 教員を始め公務員、実業団選手、強豪校OBなんかも出でくるらしい。
 年々出場希望者が増え、規模が拡大しているから、出場してはどうかと勧められた。

 私、試合大好きなので、興味深々で聞いてました。
 それまでは市民大会しか出場したことがありませんでしたので、その他の大会にも出てみたいと思っていたところでした。(この直近の市民大会の模様はこちら
 そして、心を動かされる言葉がありました。

 「入賞者にはトロフィーやカップが授与されるのではなく、お米や野菜、洗剤などがもらえるんですよ」

 これは面白いと思って、すぐに出場を決めました。笑
 実際問題として、トロフィーやカップをもらってもあまりうれしくありません。子供ならまだしも。
 試合に勝ったら日用品がもらえる大会があるなんて、知りませんでした。なんてほほえましい大会なんだろうと。
 道場の若手二人を誘って、1年後の大会を楽しみにしていました。

ユニークですが至ってまじめな大会


 2014(平成26)年1月。千葉県某所。
 試合会場に到着すると、壁に掲示された予選リーグ組み合わせ表の前に、人だかりができている。そして、なぜか皆、組み合わせ表を見て笑っているのです。
 私も、組み合わせを確認するため表をのぞき込んでびっくり。団体戦のチーム名が普通じゃない。

 通常は所属道場名や学校名、企業名などの団体名をそのままチーム名にします。
 この大会も私たちは所属道場名で登録してあります。しかし、そういうチームは少数派。
 他の大多数のチーム名は、例えばこんな具合。
「小手しか打てないチーム」(結果的にこのチームが優勝。超強豪チームでした)
「本物の巨人と仲間たち」(選手の一人に身長190cm以上ある方がいました)
「セーラームーン」(40歳代と思われる女性チーム。アニメのセーラームーンも実年齢はもうこれぐらいになっていると思って納得。笑)

 剣道の大会なのに、こんなふざけた名前をつけてもいいのかなって心配になりました。苦笑
 おちゃらけた大会なら、参加してもしょうがないんじゃないかと。
 しかし、そんな和やかな雰囲気も開会式が始まって一変しました。大会役員席に並ぶ先生方の顔ぶれがすごいのです。
 大会会長は剣道八段の方。副会長は開催地の市剣連名誉会長(TNK先生)。審判長も八段の方。
 至ってまじめな大会と分かり、ひと安心しました。

予選リーグ


 この大会の団体戦は3人制。私のチームは全員同じ道場で、先鋒と中堅は若手にお願いして"年寄り"の私は大将に。リバ剣後、大将を務めるのは初めて。大会役員席にはTNK先生もいらっしゃるので、恥ずかしい試合はできません。汗(TNK先生とは、こちら

 予選リーグでは、聴覚障害のある方々で結成されたチームとの対戦がありました。
 ろうあ者が剣道をされているのは、マスコミに取り上げられたりして知ってはいましたが、実際に対戦するのはもちろん初めてです。
 お相手は、審判の号令が聞こえませんので、ご自分に不利にならないのかな、なんて心配してました。しかし、立合いが始まって、それが余計なお世話だとすぐに分かりました。

 立礼から抜刀して蹲踞すると、お相手は私を見ている。
 審判を見ると思ったんですよ。号令が聞こえないでしょうから、目で審判の口元を見ると思ったんです。
 しかし立会い中、お相手がそういう動作をすることはほとんどありません。間(ま)と気(き)で号令のタイミングを読んでいるんですね。
 そうすると、号令を耳で聞いている私の方が、反応が遅れてしまうんです。
 「はじめ」と号令がかかって攻めようとすると、先に攻め込まれてしまう。
 微妙なタイミングの差なんですけど、それが脅威になって、前半は何もできませんでした。

 審判の号令を聞いて瞬時に動作を起こそうとする。それ自体が後手に回っているということが解った。
 後半は、冷静に見られるようになって、お相手の技を引き出したところを仕留めた。
 試合には勝ち、チームとしても勝ちましたが、大変勉強になりました。

 試合後にお相手チームに挨拶に行くと、皆さん喜んでくれました。言葉は通じてませんけど、決勝トーナメントに進む私たちを身振り手振りで激励してくれた。私のお相手の方は、満面の笑みで上下太刀の構え(二刀の代表的な構え、上段の構えの一種)をしてくれました。笑

決勝トーナメント


 若手の活躍で順調に勝ち進みましたが、私は決勝トーナメントに入って勝ち星なし。
 準々決勝のお相手は強豪校の現役大学生チーム。
 この試合、全員引き分けて、代表戦になりました。

 この場合、任意の一人が代表戦に出ます。チームの3人で話し合うか、監督がいれば監督が決めます。
 この日の私の調子はいまいちでしたが、先鋒の若手はここまで全勝。
 監督は先鋒の若手を代表に指名すると誰もが思いました。
 しかし、代表に指名されたのは私。
 「なんで」って思いましたが、やるしかない。代表戦なんてリバ剣して初めてです。

 相手チームは先鋒だった方を代表に出してきた。
 試合はもつれ、長引きましたが、私の心は落ち着いてました。一方、お相手は早く勝負を決めようとあせってきた。
 お相手が無理に攻め込んできた刹那、小刀でお相手の竹刀を打ち、同時に大刀で「面」を打った。
 これ以上ない理想的な勝ち方でした。リバ剣して、こんな展開までは考えたこともなかった。
 監督の驚いた顔が見えました。

 続く準決勝は、強豪校OBチームにあっさり負けました。

リバ剣後、初の団体戦は3位


 結果は3位でしたけど、うれしかったですね。
 準々決勝で代表戦に出て、勝てたことが大きかった。
 実は監督は、代表戦は先鋒の若手でいこうとしたらしいんですけど、私に決めたのはTNK先生の指示だったのだそうです。調子が悪くても私を信頼してくださったんだと知り、それに応えることができて本当によかったと思いました。

 また、聴覚障害者チームと対戦では、貴重なことを学ばせてもらいました。試合後に交流を持てたのは素晴らしい経験、この大会ならではのことです。

 団体3位の賞品はビール1ケース。トロフィーもらうより、こっちの方がよっぽどうれしい。笑
 3人で分けて、私の分は妻へのお土産に。私はビール飲まないので。

 エントリーに地域や職種、年齢などの制約がなければこんなに楽しい交流が生まれるんですね。
 主催者のTKHS先生に感謝申し上げます。素晴らしい大会に参加させていただき、ありがとうございました。


2019年5月31日金曜日

剣道はスポーツ化してよいのか

叫ばれなくなった危惧する声


剣道は「武道」


 昭和40年代から50年代、剣道界のあちこちから「剣道のスポーツ化」を危惧する声が上がっていた。
 剣道の講習会や大会の前には、"えらい人"が登壇して、「剣道は武道だ、スポーツではない」という話を、必ずと言っていいほどしていたと思う。
 今はそういう話を聞くことはありません。

 私が30年ぶりに剣道を再開して感じたことの一つに、「剣道のスポーツ化」がだいぶ進んでしまった、ということがあります。

 「稽古を続けることによって、心身を鍛錬し、人間形成を目指す『武道』です」

 このように、現代剣道を統括する全日本剣道連盟のホームページにも、剣道は「武道」だと定義されております。

 しかし、実際の「剣道」がちょっと違う方向に変わりつつあることを、感じている方は多いと思います。

昭和の道場


 昭和47年4月。小学2年だった私が道場で剣道を始めた時、指導者の先生から最初にこのような説明を受けた。

  •  剣道は武道であるから、礼儀を重んじる。
  •  竹刀は刀である。またいだり、心得のない者に貸してはいけない。
  •  刀を腰に帯びるということは、子供であっても一人前の武士ということ。子供扱いはしない。
  •  よって、稽古は厳しいものになるので、同意できなければ入会しないでほしい。

 剣道を始める前に、武道を習うという心構えを最初から求められたのです。
 子供心に、「スポーツとは違うんだな」と思った記憶があります。

「礼儀」と「スポーツマンシップ」は違う


 当時、小学3年になって防具を着用して稽古するようになり、スポーツとの違いを目の当たりにしていきました。
 
 元立ちの先生と一対一で稽古するいわゆる"地稽古"の最中に、竹刀を強く払われて落としてしまったことがあった。竹刀を拾い上げてから稽古再開となると思い、落とした竹刀を拾いに行こうとすると、その先生は次々と打ち込んでくる。竹刀を持っていない私にです。
 慌てて竹刀を拾おうとすると、先生は竹刀の先で床に落ちている私の竹刀を弾き飛ばして、道場の隅にやってしまった。
 何てことするんだと思いましたけど、稽古が終わって、それを見ていた上級生から、こんなアドバイスがあった。

 「落とした竹刀を拾いに行くな。落とした刀に執着すれば、相手に斬られてしまう。刀を落としたら素手で戦え。落とした瞬間に相手の懐(ふところ)に飛び込め。そうすれば、斬られることはない。"組み討ち"にするんだ」(組み討ち稽古とは、こちら

 またある時はこんなことがありました。
 子供同士の練習試合の最中、私の相手が転んでしまった。その時、私は相手が起き上がるまで待っていた。するとそれを見ていた先生が烈火のごとく怒りだした。
 「お前は何をやっているんだ」
 意味が解りません。なんで私が怒られるのか。このときは、その先生からこういう指導がありました。

 「相手が転んだときも、打突のチャンスだ。それを見逃してはならない。そこで打たないということは、相手に"情け"をかけたということ。武士にとって"情け"をかけられるということは、恥をかかされたということ。お前は相手に対して、失礼なことをしたんだ」

 こういった例を挙げればきりがありません。
 剣道は刀を執っての戦いを起源としていますので、「ゲーム」を起源とするスポーツとは、相いれないものが多々あります。 
 スポーツマンシップは時として、剣道では失礼にあたるのです。剣道で、ガッツポーズをしてはいけないことは、有名ですね。敗者にも礼を尽くすのが剣道です。 

スポーツ化した剣道


 日本に「スポーツ」がもたらされたのは、明治維新後です。
 明治政府が招いた当時の外国人教師が、彼らの生活様式を日本に持ち込んだ。そのひとつが、趣味としてのスポーツでした。

 一方、「剣道」は、古武術である剣術あるいは兵法が起源ですから、明治維新よりもさらに数百年前からあった日本独自のもの。
 「スポーツ」という概念が日本に入ってくるはるか以前からあるわけです。
 それが、戦後、スポーツという分野に「剣道」が組み込まれてしまった。

 そうなると、「朱に交われば赤くなる」の言葉どおり、スポーツ化が始まった。
 それでも、前述したように、昭和の時代はそれを危惧して「剣道は武道である」ということを、稽古の中でしっかり伝えていたと思います。

 現在はとなると、「切り返し」を「打ち返し」と言い換えたり、「稽古」を「練習」と言い換えたりして、物事の本質が解らない大人たちが"言葉遊び"をしている。その弊害がどんなふうに表れているかも知らずに。

 これも例を挙げればきりがないので、ひとつだけ。
 現在は、「切る」という言葉を剣道の指導で使ってはいけないという人がいる。中学高校の教師に多い。だから、「打ち返し」になってしまう。
 「とにも角(かく)にも、きるとおもひて、太刀をとるべし」(『五輪書』水之巻)とは、宮本武蔵が繰り返し説くところです。剣術(剣道)は敵を切るという、極めて端的な目的のためにたてられる理法なのです。これは、決して殺伐とした考えではありません。
 「切る」という言葉に反応して、殺人を助長してしまうと思い込むことこそ、殺伐とした考えです。
 そうなると、「刀法」を教えられなくなる。刃筋なんてものは関係なくなってしまう。
 その結果は、棒をとってのたたき合いです。一部の中高生の試合に見られます。ただの当てっこ。竹刀を打突部位に当てるためだけに特化した方法を、あれこれ考えた末のスポーツになってしまっている。
 指導者も、そのやり方で、生徒たちが試合で勝ってくれるものだから、黙認する。
 強豪校と言われる有名校がそういうことをするから、審判も旗を上げざるを得なくなって、一本にしてしまう。
 もう笑うしかありません。そういったことを、誰も注意できない時代になっちゃってるんですね。情けないかぎりです。

 ルールの範囲内でやっている限りは何でもあり、という風潮。
 そんな思考が、「剣道をオリンピック種目に」なんていう運動につながっていくんですよ。スポーツの祭典であるオリンピックに、なんで剣道が入れてもらわなきゃいけないんでしょうか。
 もし剣道がオリンピック種目になれば、スポーツの枠の中で武道性や武士道精神を主張する矛盾によって、剣道は崩壊します。そのように実質崩壊してしまった武道を、私たちは見てきたはずです。

剣道は日本の伝統文化


 言うまでもなく、剣道は日本独自の伝統文化です。
 現代に迎合して、自らが本質を変えてしまうようなことがあれば、もう伝統文化ではありません。

 そういった伝統の技の継承をささえるのは、強い信念をもった心。武士道精神です。
 継承された伝統の技と強い精神があって、剣理を追及する稽古ができるのです。
 スポーツ化した剣道に、戦国流祖たちが到達した剣理に遡る道はありません。

 「古(いにしえ)を稽(かんがえる)」
  
 稽古の意味を胸に刻みながら、これからも「剣道」をやっていきます。

 剣道は剣道であってほしい、ただそれだけです。

 

2019年5月30日木曜日

平成25年市川市民剣道大会 部門別連覇、総合3位

出場者300名の個人戦、総合の決勝トーナメント進出


部門別は連覇


 2013(平成25)年10月。出身地である市川市の市民剣道大会個人戦に出場しました。

 前年に、33年ぶりにこの大会に出場し、「三段以下45歳以上の部」で優勝しています。(その様子はこちら
 この年も、同じ部門に出場。四段に昇段してしまえば出場できない部門ですから、しっかり勝っておきたいところです。

 この部門に出場する方は、大人になってから剣道を始めた方か、学生以来のブランクがあって再開したばかりの方。こういう方々が、何かのきっかけで剣を執り、稽古を積んで試合に出てくる。
 年のせいでしょうか、そういう姿を見ていると涙があふれそうになってくるんです。私もリバ剣組なんですけどね。
 人間て素晴らしいなって。いくつになっても何かを学ぼうとチャレンジするんですね。

 他に楽しんでできるスポーツはたくさんあると思うんですけど、なにも剣道なんてつらい稽古をしなければならないものを選ばなくていいんじゃないかなって。それでもみんな剣道が好きで、こうして試合にも出てくるんですね。
 特に、大人になってから剣道を始めた方には敬意を持ちます。試合で一勝をあげることはなかなか難しいかもしれませんが、あきらめないでほしい。いつもそういう気持ちになります。

 前年に続いてこの年も「三段以下45歳以上の部」で優勝しました。
 この年は、新たにリバ剣した方が数名参加されて、出場者の顔ぶれもだいぶ変わっていました。その中には、強豪校出身の方もおり、白熱した試合が多かったですね。
 なんとか、総合の決勝トーナメントに駒を進めることができました。

市川市剣道選手権


 個人戦出場者約300名。市民大会にしては規模が大きいと思います。
 9部門の優勝者が総合の決勝トーナメントで争う市川市剣道選手権。

 9部門それぞれの優勝者を見て、驚きです。私以外は、市や県の現役代表選手か元代表選手。ただのリバ剣おやじなんて私だけです。笑

 前年の大会の時もそうだったんでしょうけど、周りを見る余裕がありませんでしたから、分かってませんでした。
 ちょっと、大変なところへ出てきちゃったなと思いながら、組み合わせの抽選に臨みました。

 前年は、一番最後にくじを引いて、最強部門のひとつ「四、五段40歳未満の部」の覇者との対戦になってしまった。なので、この年は一番最初にくじを引いた。
 抽選の結果、一回戦のお相手は「壮年女子の部」の優勝者に決まりました。

 ちょっと違う緊張感が走りました。
 「300人が見てる前で女性に負けたらどうしよう」って。
 実際に前年は七段の男性が女性に負けているのです。私のお相手は、毎年このトーナメントに進出している方。気が抜けません。

一回戦


 試合開始。蹲踞の姿勢から「はじめ」の号令で立ち上がり、上下太刀(二刀の代表的な構え、上段の構えの一種)に構えた。
 お相手の女性は一刀中段の構え。
 「打突部位がガラ空きだな」
 すぐにそう思いました。

 「構え」というのは不思議なもので、正しく構えていても打突部位がガラ空きな人と、まったく打つ隙の無い人がいるんですね。
 お相手は二刀者相手にどうしたらいいか分からないようで、不安な気持ちが構えに表れている。ちょっとかわいそうになってしまいましたが、勝負ですから仕方ありません。
 お相手が居ついているところを「面」で二本。準決勝進出を決めました。

準決勝


 次のお相手は「四、五段40歳未満の部」の優勝者。20代で五段の方。現役の市の代表選手です。
 しかし、二刀との対戦は初めてと見えて、やりずらそうにしてました。
 この方は身長が180cm以上ありましたから、私もやりずらかったんですけどね。
 試合は、延長戦に入りました。

 現役選手はやはり違いますね。やりずらそうにしてても、数分の間に私の隙を見つけるんですね、ちゃんと。
 最後は「引き胴」で負けた。まったく同じ展開、以前にもありました。(その試合はこちら
 お相手は、この後の決勝でも勝利し、市川市剣道選手権の覇者になりました。

 現役世代との対戦まではこぎつけられるようになりましたが、壁は厚いですねぇ。


 リバ剣して、4年になろうとしていたころ、49歳の時のことです。


追記

 大会中、二人の方が私のところに挨拶にみえた。
 一人は、私と同年代の方。もう一人は、20代の方です。
 お二人とも、左手に竹刀の大小を提げて。

 前年のこの大会で、二刀で戦う私の姿を見て、二刀を始めたそうなんです。
 ちょっとびっくりしてしまいました。

 私の目標は、どんな大会でも優勝することですが、最終的な目標は、私の二刀流を見た子供たちが、興奮して眠れなくなるような二刀流をやること。私がそうだったように。(その様子はこちら

 まずは、大人二人を眠れなくしたみたいです。笑


 

2019年5月29日水曜日

平成25年浦安市春季市民剣道大会 壮年の部で準優勝!

壮年の部、決勝で敗れる

正二刀、上下太刀の構え、左足前
正二刀の上下太刀の構え

稽古量は充分、自信をもって試合に臨む


 2013(平成25)年5月。浦安市春季市民剣道大会に参加しました。浦安市民大会は春に個人戦、秋に団体戦を行なっています。なので、今回は個人戦のみ。
 この時私は49歳。壮年の部に出場しました。

 前回の投稿までに、OOT範士にアドバイスをいただいたのがきっかけで「手の内」の稽古に取り組み始めたことを書きました。
 その「手の内」の稽古を始めて半年たち、かなり自信もついてきた。稽古量を見ても、もうこれ以上は無理というところまでやっている。(当時の稽古メニューはこちら
 しかもこの前年、この大会部門別でリバ剣後に初優勝している。(その様子はこちら
 そうなれば、まずは壮年の部の連覇を目指すしかありません。
 
 しかし、この時私の段位は三段。この大会に出て、私より段位が低い方と当たったことはありません。皆さん私よりも高段。油断は禁物です。
 3回戦までは順調に勝ち進みました。
 

準決勝


 準決勝のお相手は剣道七段の方。私よりも若く剣道強豪校出身の公務員。稽古をする時間のいっぱいある人です。微笑

 試合が始まると、お相手は諸手上段に構えた。私は試合で上段の構えと対戦するのは初めて。
 お相手はひと振りで決めようとしているのか、無駄打ちしてこない。
 私の出ばなをとらえる自信があるようだ。しかし私は終始落ち着いていて、お相手の攻めに動かされることがないよう、機をうかがっていました。

 すると、お相手が徐々にいら立ちはじめた。
 諸手上段の方から見たら、正二刀は打つところがないんですね。諸手上段に対する正二刀は上下太刀(写真上)に構えているだけで、ほぼ完璧な防御になってしまう。

 主審の「やめ」がかかった。時間切れです。4分間の試合時間が、あっという間に感じました。延長戦は一本先取した方が勝ち。

 「延長、はじめ」

 主審の号令とともに諸手上段に構えたお相手。私がやや遅れて上下太刀に構えた瞬間、お相手は中段に構えを戻して突いてきた。

 「うぉーっ!」

 聞こえたのは観覧席からの歓声です。
 お相手が構えを中段に戻し「突き」にくる刹那、私の小刀がその竹刀を斬り落とし、同時に大刀が「面」をとらえた。
 考えて打ったのではなく、気づいたら体が反応して打突が完了してた。旗も3本上がってました。

決勝


 壮年の部、決勝。これに勝てば2連覇。
 
 ちょっと、おごりがありましたね。準決勝まで会心の試合をしてましたから。
 気持ちは、この後の"総合の決勝"の方にいっちゃってました。

 試合が始まりました。
 正直、あせりました。試合開始直後から。
 お相手は40歳の元実業団選手。私が仕掛けたり誘ったりする技が読まれていて、まったく通用しないのです。

 後で聞いた話ですが、この方は私と対戦したくてこの大会に参戦したそうで、事前にかなり研究されたそうなんです。
 立合いの中で、一本を取れる気がまったくしないのです。
 試合はまたも延長戦に。

 今から考えれば未熟でした。
 機をつくれないなら、お相手が打ってきたところを仕留めようと思ってしまった。
 そう思うこと自体が、もう受け身なんですね。
 初心者には通用しても、上級者には通用しませんよね。

 お相手が「面」に来たところを「面」で仕留めにいった。
 間に合うはずはありません、私が動かされてるんですから。勝敗はその時点で決まってました。

敗因は過信


 正しい片手素振りの稽古で、手の内の冴えが身に付き始めて、過信があったと思います。
 打突の速さと、手の内の冴えがあれば、なんとかなると。

 攻めて崩す、攻めて動かす、そういった「攻め」を軽視していた自分に気づかされました。

 試合で負けるのは、本当に悔しいですけど、必ず大きな発見があるんですよね。
 勝っていたら気づけないことなんです。
 
 今回も、克服すれば必ず成長できる課題をいただきました。
 

追記

 表彰式が終わって散会となり、着替えて会場を後にした。
 駐車場に向かう路地を歩いていると、後ろから小学生の低学年らしい子供と父親の声が聞こえてきた。

 「お父さん、今日、二刀流がいたね」
 「なかなか見られないんだよ。よかったね」
 「うん!」

 自分の子供の頃と重なっちゃいまして、熱いものがこみ上げてきました。
 そして、さらに精進することを心に誓いました。
 
 (子供のころ初めて二刀流を見たときの様子は、こちら



2019年5月28日火曜日

剣道二刀流 手の内の冴えが劇的に変化④ 二天一流「切っ先返し」

切っ先返しで打つ

竹刀の重心を知ることは重要
黒いビニールテープは竹刀の重心位置を示す

「切っ先返し」とは


 切っ先返し(きっさきがえし)という言葉。聞いたことある方もいらっしゃると思います。時代劇や剣豪小説などで見聞きしたことがあるのではないでしょうか。
 
 しかし大変残念なことに、ほとんどの場合誤解されて伝わっているんです、「切っ先返し」という刀法が。

 時代劇や剣豪小説に登場する剣術遣いが「切っ先返し」と称して繰り出す技は、たいていの場合、手首をひねりながら切っ先を大きく右から左に回したり、左から右に回したりして斬ろうとする。あるいは、袈裟斬りに振り下ろした瞬間、刀の刃の向きを変えて斬り上げる、といった動作をする。
 これらはいずれも「切っ先返し」ではありません。

 第一の構(かまえ)、中段。太刀さきを敵の顔へ付けて、敵に行相(ゆきあ)ふ時、敵太刀打ちかくる時、右へ太刀をはづして乗り、又敵打ちかくる時、きつさきがへしにて打ち、うちおとしたる太刀、其儘(そのまま)置き、又敵の打ちかくる時、下より敵の手はる、是(これ)第一也。

 これは、『五輪書』の一節で、宮本武蔵が約400年前に制定した「五方ノ形」(ごほうのかた)の一本目を、武蔵自らが解説した文章です。
 ここにある「きつさきがへしにて」とは、まさに「切っ先返し」のことです。

 "返す"という言葉には、"元に戻す"という意味があります。
 では、切っ先を元に戻すとは、どういうことなのでしょうか。

刀(竹刀)の重心を中心に回転させる


 切っ先(剣先)を元に戻す。どこに戻すかといえば、構えた位置、中心、打突部位などにです。しかも、戻すのは切っ先(剣先)だけ。

 「それってどういうこと?どうやって打つの?」って思うと思います。
 
 振り上げた刀(竹刀)を振り下ろすとき、打突部位に到達する寸前に、柄を握った拳(こぶし)を引き上げるのです。
 片手であればその拳です。諸手保持であれば柄頭にちかいほうの拳(通常は左手ですね)を鋭く跳ね上げるようにする。
 
 切っ先は打突部位に向かって振り下ろされていき、柄側は上方に跳ね上がる。
 つまり、刀の重心点を中心に、刀が回転する運動に瞬間的に変わるわけです。
 これが、「切っ先返し」であり、この方法で打突することを「切っ先返しの打ち」といいます。

 これは、片手刀法でも諸手刀法でもできます。
 普段、剣道で諸手で稽古していらっしゃる方々も、「切っ先返し」とは知らずにやっている方もいると思います。
 実際に、高段者の先生に竹刀で打突されて、「パクン」といい音がしてもまったく痛くない、という経験をしたことがあると思います。鍛錬したしなやかな手首を遣って、打突の瞬間に、竹刀を重心を中心に回転させているのです。

手の内の"冴え"


 前回の投稿までの3回にわたって片手刀法の「手の内」の稽古について記述しました。
 「手の内」は素振りで稽古することが大事であること。
 "正しい"素振りの仕方を知ること。 
 「太刀の道」をつきとめること。
 そして今回の、「切っ先返し」で振ること。

 正しい片手素振りの稽古を始めて半年たった頃には、毎日2,000本の素振りをやるようになっていました。右片手1,000本、左片手1,000本です。
 内訳は、朝出勤前に左右200本ずつで400本、これが1セット。昼休みに職場で1セット。夜、帰宅してすぐに2セット。就寝前に1セット。これで2,000本です。

 これを、やらなければならない数字として、自分に課したわけではありません。
 もっとやりたかったけど、これ以上は時間的に無理だったということです。(この4年後に急性リンパ性白血病と診断されるまで、毎日続けました。)

 これを実践していって身に付いたのは、手の内の"冴え"です。

 以前は、諸手で打ってくる一刀者に打ち負けることを恐れて、虚(きょ)をついて打っていったり、小刀でお相手の竹刀を押さえ込んで大刀で打つことばかり考えていました。
 しかし、手の内の冴えを身に付けてからは、お相手の動作を起こそうとする刹那を、仕留めることができるようになった。
 たとえ「相面」(あいめん)になっても絶対に打ち負けないという自信が持てたのです。
 自分の剣道が驚くほど変わりました。

 「キミは手の内が不十分だ」

 OOT範士のこの言葉がきっかけで、すべて始まったことです。(その時の様子はこちら
 剣道をやっていく上で、かけがえのない"財産"を手に入れることができました。
 OOT先生には、感謝しても感謝しきれません。


追記
 OOT先生は、元警視庁剣道主席師範で剣道八段範士。
 実は私と同姓で、住まいもご近所。しかし姻戚関係はありません。笑
 
 

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