画一化された剣道を打破
剣道は元々多様性の高い武道
剣道を始めた時、最初に基本として習うのが「中段の構え」。
"最初に"と言っても、何年やっても中段以外習わないと思います、大抵の場合。
この「中段の構え」は、竹刀の柄(つか)の部分を両手で持ちますが、こんなふうに教えられます。
「右手が鍔(つば)に近い部分を握り、左手は柄頭(つかがしら)に近い部分を握る」(右手前の中段の構え)と。
足はというと、「右足を前、左足をうしろにして、左足のかかとをわずかに上げる」と教わります。
しかしこれは、基本として教えられているのであって、「こうでなければいけない」という"決まり"ではありません。
具体的には、竹刀の柄であればどこを握っても構いませんから、左右の手を入れ替えて左手前で構えることも可能です。
足も同じで左足を前にして構えても反則ではありません。
「中段」以外にも「上段」でも「下段」でも構えられますし、「八相の構え」や「脇構え」もできます。
また、竹刀を左右どちらかの片手で構えて、片手で打突することもOKですし、二刀の使用も認められています。
様々な足さばき
足さばきも「送り足」でするのが普通だと思われがちですが、それ以外に「歩み足」、「継ぎ足」、「開き足」とあります。
技や理合(りあい)によって、遣う足さばきが変わります。
しかし、現代剣道の特徴として、「送り足」がベースになっていて必要な時だけそれ以外の足さばきを遣う、ということが言えると思います。
一方、最近はあまり見る機会がなくなったと思いますが、「歩み足」をベースにした剣道をされている方もいます。
"例外"を認めない風潮
前述した様々な構えや刀法、足さばきなどは、昭和50年代ぐらいまでは自由に遣われていたように思います。
そのころ実際に、一刀で左足前で左手前の中段の構えを執る選手がいました。(警視庁の方だったと記憶しております)
現代ではどうでしょうか。
そういう構え方をしている人はまず見ないと思います。
そういった"例外"を認めない風潮になってはいないでしょうか。
"標準"という既成概念を作ってしまう人
今から5年ほど前に、私の出身中学に在籍していた生徒で、隻腕の女の子がいました。(この子は、生まれながらにして、左腕のヒジから先がありません)
中学で剣道部に入部して初心者から始め、持ち前の負けん気の強さで、人の何倍もの努力をした。
部活動の外部指導者で、警視庁出身の方が片手刀法を教えてめきめきと上達。中学2年になると、市内では優勝を争うほどの選手になっていた。
すると、ある学校の剣道部顧問から、クレームが入った。「柄(つか)で右小手を防御するのはズルい」というのです。
この女の子は、右片手で竹刀の柄(つか)の鍔(つば)に近いところを持ちます。
「面」を防御する時は、竹刀を頭上で水平にします。その時、「面」と同時に「右小手」も柄で防御されているというのです。それがズルいと。
剣道高段者の教員がこんなクレームを入れるんですよ。信じがたいと思う方もいるかもしれませんが事実です。
そして、市内の中学校の剣道部顧問を集めてローカルルールを作ってしまった。高段者で、強豪校の顧問が音頭をとっているので、誰も異論を唱えられないんです。
片手で竹刀を持つ場合は、柄頭(つかがしら)に近い方を握らなけらば反則とする、というありえないローカルルールを作ってしまったのです。
繰り返しますが、全剣連の規則では竹刀の柄であればどこを持ってもいいんです。だから「柄」なのです。持ってはいけないところがあるのなら、それは「柄」ではありません。
そのクレームを入れた方の考えでいくと、いろいろと不都合なことになるんじゃないでしょうか。
両手で竹刀を持った人が、中段に構えたら、左右の「胴」が隠れます。諸手左上段の人が構えれば、「面」が隠れます。それをズルいというんでしょうか。
普通と違うということが受け入れられないんですね。おかしなルールを作ってまで排除してしまう。教員がよってたかって、何の落ち度もない隻腕の女子生徒を追い詰めるんですよ。
この隻腕の女子生徒は、大人たちに理不尽なことを言われながら剣道をしたくない、と言って、剣道をやめてしまいました。
私が二刀を執っていて、試合中に審判から暴言を吐かれたこともあります。
「打つところがないじゃねえか」
こう言ったのも、ある強豪校(高校)の剣道部顧問です。その時私と対戦していたのは、その高校のOBだったのです。
確かに、二刀は一刀と比較すると防御にすぐれていると言えます。だからといって、試合中に審判がそんなことを選手に向かって言うんですからね。この人も、もちろん教員です。
他人と違うということが許せない。最近は、教員たちだけではないように思います。
両手で1本の竹刀をもって、右手前で中段に構え、右足前の送り足でする剣道。これが"標準"になってしまって、それ以外が許せないという。
剣道を知らない剣道家が非常に多くなってきている気がしますね。指導者や高段者といっても、剣道を解っているわけじゃない。
そう感じている人は、多いんじゃないでしょうか。
陰陽の足
そういった現代剣道の状況の中にあっても、剣道の多様性を信じて、「歩み足」で剣道をやってみたいと思う方はいらっしゃると思います。
私もその一人。子供のころに通った道場で、「歩み足」で攻め、「歩み足」で打突する剣道をされている方を見ていましたので、今になってやってみたいと思うんです。
30年のブランクから剣道を再開して、古流である二天一流と出会い、「歩み足」の剣道を学ぶ機会を得ました。まず、知っておかなければならないのが、「陰陽の足」についてです。
先に踏み出す足(右足前で構えた場合は右足)が「陰の足」、あとから引付ける足が「陽の足」です。
「陰の足」から「陽の足」に動作が移る瞬間が、"物打ち"で打突する瞬間です。
送り足で稽古する場合は、右足前であれば「陰の足」は右足に固定されています。左足は「陽の足」で替わることはありません。
一方、歩み足で稽古する場合は、それが切り替わる。踏み出す足が替わりますから、そのつど「陰の足」が切り替わる。したがって「陽の足」も切り替わります。この切り替わりが連続した状態が歩み足だともいえるわけです。
歩み足の前提は「ナンバ歩き」
左右の足を交互に出して進むだけなら、ただ歩けばいいだけなので難しいことではありません。
しかし立合いですから、打突できなければなりません。右足前でも左足前でも。しかも瞬時にです。
この「歩み足」での打突の前提になる動作が、「ナンバ歩き」の動作です。(ナンバ歩きとは、
こちら)
「ナンバ歩き」というと、手と足を一緒に出す歩き方でしょ、という方が多いと思いますが、ちょっと違います。
歩くときの腰の遣い方をある動作に変更すると、結果的に手と足が一緒に前に出ます。
ですから、重要なのは手と足が一緒に出ることではなく、腰の遣い方なのです。
その腰の遣い方は、打突する時の腰の遣い方と一致します。これは「送り足」でも「歩み足」でも同じです。特に「歩み足」の場合は「陰陽の足」を切り替えて、瞬時に打突できなければならないので、「ナンバ歩き」の稽古は必須です。
二刀流で歩み足を実戦
最近の二刀者は「送り足」のままの方がほとんどのようですが、昭和50年代までの二刀流は皆「歩み足」でした。
私の場合、リバ剣と同時に二刀を執って、歩み足の剣道に取り組み、実戦で「歩み足」の打突ができるようになったのが、3年目です。市民大会で優勝するようになった時期と一致します。
「歩み足」で攻め、「歩み足」で打突できるようになって何が変わったか。
強い「攻め」ができるようになり、打突の機会は倍以上になったことです。
例えば、一刀中段同士で立合った場合、表からの攻めしか知らなかった方が、裏からの攻めを覚えれば、打突の機会は飛躍的に増えます。
それと同じように、「送り足」で右足だけを「陰の足」としていた方が、「歩み足」で左右両方を次々に「陰の足」に切り替えて攻め込み、どちらの足が前であっても瞬時に打突できれば、その機会は倍増しますね。
私は、一刀でも二刀でも「歩み足」で剣道をされることを心からおすすめします。
日本剣道形がなぜ「歩み足」なのか。おのずと解ってくるのではないでしょうか。
画一化された世界に閉じ込められた状態から、その殻を破って「理」と一体になる。
殻を破る方法は人それぞれ違うと思います。
私はこんな方法で、「理外の理」を知ることができた。
剣道というのは、本当に奥深いものですね。さらに精進します。
追記
「ASIMO」(アシモ)という二足歩行ロボットの歴史を切り拓いた存在を、皆さん憶えていらっしゃるでしょうか。
当時の研究者たちが、開発段階での失敗の連続から最後にたどり着いたのが「ナンバ歩き」。
その歩き方を実践する剣道家を招いて研究者たちが「ナンバ歩き」の講義を受け、ロボットの二足歩行の成功につながったことは、あまり知られていませんね。
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